『レクイエム』考

4.レクイエム考
 
V.セクエンツィア SEQUENTIA
 

(C)レコルダーレ Recordare (ヘ長調 4分の3拍子)

 序奏の二つのバセットホルンの音色のふくよかさ!チェロのトリルを混ぜた旋律の優しさ!(譜例4)本当に「優しい上昇」がここにある。続けて第一と第二ヴァイオリンは流れを追いかけるが、その後ろではチェロとオルガン(Tutti Bassi)がCの音を延々と奏でるところも実に絶妙である。「優しい」旋律は声楽に受け継がれるのだが、その「優しさ」は実は『レクイエム』の象徴とも言うべき〈キリエ〉のあのテーマを長調化したものであるということをここに書かねばならない。「優しさ」の裏にある、「冥さ」。それはモーツァルト自身が明るさと冥さを併せ持っていたことの一つの表現でもある。彼は、確かにその膨大な800ほどの作品においてもたった70ほどしか短調作品を作ってはいない。しかし、モーツァルトのあの澄み切った、春の花の香りの、小鳥のさえずりの、美しすぎる音楽は何に支えられているのか。そこには転調あるいは変奏の問題がある。モーツァルトの音楽に心惹かれるのは、それが生きているから、変容しているからだと私は言いたい。26小節目で短調に転じ"Ne me perdas illa die."(その日、私を滅ぼすこと莫れ)という文意にしたがって懼れをあらわす。32小節目のソプラノの晴れやかなGの音で、また長調に戻る。38小節からのチェロとオルガンの旋律にも注目したい。安直といえば安直だが、落ち着く。52・53小節の山形の旋律も良い。54小節からのチェロとビオラの少し変形した旋律はあどけなさが悲しみを経て変容したようにも思える。73小節目からは得意のシンコペーションが冴え渡り、冒頭に戻って途中105・106小節のようなスパイスも交えて、陽光の中に終わる。

譜例4 冒頭のチェロの旋律


 ここで少しランドン版との目立つ違いについて少しだけ言及するが、それは90小節目の第一ヴァイオリンに顕著である。一聴しただけでわかる違いだが、正直、なぜこのような旋律にしたのか、良くわからない。周りと合わない気もするが、ランドンはあくまで自分は研究者だから旋律を新たに加えはしないと言っていたので、この部分はアイブラーの補筆ということになるだろうが、奇妙な旋律である。少なくとも自然ではないし、モーツァルトではないだろう。(譜例5 下図 上ジュスマイヤー版 下ランドン版)

 

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