『レクイエム』考 |
4.レクイエム考 |
V.セクエンツィア SEQUENTIA |
(A)トゥーバ・ミルム Tuba
mirum (Andante 変ロ長調 2分の2拍子) トロンボーンによって今までのニ短調であった冥い世界はぱっと開かれて、旋律がそこを響き渡る。同じメロディを、バスがSoloで繰り返す。その「不思議なラッパ」の音色は墓の上に降り注がれて浸透し、朽ちゆく死者を蘇らせ、神の玉座の元に集まらせるという。バスの次はテノールのSoloが「人が裁かれるために蘇るとき、死と自然は驚くだろう」というテクスト(この「死と自然」の擬人化は言葉としても印象深い)と歌い、続けて"Liber scriptus…"と歌う25小節では重要な役割を果たすトロンボーンが♭Hの音でゆっくり入ってくるのだが、ここで一聴してわかる違いなのだが、ジュスマイヤー版ではCに上昇するが、バイヤー版ではAに下降している。(譜例2)小さな差のようで、聴き比べると興味深い。この部分から34小節までに限って、ジュスマイヤー版の旋律は確かに安直、明快かもしれない(特に28小節目)。それはテクストの意味内容からしても、もう死者は神の御許に呼び出した後で、いわゆる「死者の書」を審判者に渡すところであるから、素朴な下降が適しているように思える。ついでにモーンダー版であるが、金管の多用のためすこし厳粛性に欠ける部分がある。オルガンを受けての弦の印象的なシンコペーションの中、アルトに引き続いて、ソプラノのSoloの類まれな美しい旋律!"Quid sum miser tunc dicturus? Quem patronum rogaturus? Cum vix justus sit securus."(そのとき、哀れな私はなんと言おう。正しい者さえ不安を感じるとき、誰に弁護を頼めばいいのだろう。)特に"Quid"の部分のFの付点二分音符の美しさは、澄み切った天空の歌声で比類ない。4声部がsotto voceで調和し、なだらかにまろやかに希望が場を飽和する。
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