一体どこから手をつけたら良いだろう、この『レクイエム』という奇妙にも美しい作品に。途方にくれつつも、私の心はどこか興奮している。幼い頃、まだ知りもしない「死」についての歌だときいてから、どこか空恐ろしく禁忌に感じられた。それでも、冒頭の惹きつけられるメロディがいつのまにか麻薬のように私を中毒させて、不謹慎にも『レクイエム』に陶酔するに至った。フォーレのレクイエムが絹糸の調べのように軽やかで優しいものであるのに比べたら、モーツァルトのそれは暗く重々しくだけどどうしようもない美しさに満ちていて、目を背けられない何かがあるように感じていた。 T.イントロイトゥス INTROITUS (Adagio ニ短調 4分の4拍子)
オルガンと弦による重々しいため息のなかに、ファゴットの暗鬱で照りのある音色の呼びかけと、バセットホルンの優しい声が応えて絡んでゆき、序奏のテーマが3度にわたってカノンで現れ上昇してゆく。その際、5小節目の長調への一瞬の転調が実に美しい。トロンボーンとティンパニが序奏の終わり(=最後の審判への心準備をさせる、7小節目)を告げてバスから順に4つの声部がTuttiで"Requiem
aeternam"と歌いだす。(声楽は、生けるものとして死者のために慈悲を乞うが、潜在的死者として自らのための慈悲の求めも同時に代弁するという、二重性を口々に歌う)「永遠の安息を彼ら(死者)にお与え下さい、主よ。」先程の弦のため息は引き裂かれるような短い悲鳴に似た音形に変わり、嗚咽を象徴する。またティンパニが厳粛に時を打ち鳴らし、死者たちを黙らせる。"et
lux perpetua"(そしてとこしえの光で)から"luceat"(照らし給え)と高らかに歌い上げる(17小節目)。18小節目の第一ヴァイオリンの16分音符の二つの3連音はただそれだけだが、実に良い効果を生み出している。ソプラノがSoloでテクストに合わせ、限りなく優美に
"Te decet hymnus, Deus, in Sion"(神よ、シオンの丘では賛歌があなたに相応しく)と歌い、その背景に弦によるこの上なく優しく撫でるようなハーモニーが広がる(23小節目)。その後、弦が流れるような旋律から激しい拒絶のような音形に変化し、緊迫感を与える。そして前出の音形が複雑に組み合わさり重厚な体をなすのだが、38小節目のトロンボーンのバスの旋律は重く心に響き、39小節目のト音からのオクターブへ落ちる部分は実に感銘深い。ひざまずいた死者たちの欲した上昇の旋律が"aeternam"(永遠の)という言葉とともに繰り返され43小節で、3度目のティンパニの音が鳴る。46小節目に急にpianoとなり、予感と畏れを見事に描き出し、次章〈キリエ〉につづいてゆく。
なんといっても、この〈イントロトゥイス〉の洗練された感には驚かされた。特に重要に感じるのは、弦による「ため息」や「むせび泣き」や「悲鳴」の表現である。『レクイエム』は、すでにこの曲によって、不滅であると私は信じて疑わない。
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