昨年(2010年)後半からビルのエレベータホールと廊下の側面の足元照明がLED照明に置き換わった。蛍光灯の色から違った白の照明に 変わる。LEDの光は少し違うだけなのに優れた演色性の照明と思う。少し緑色が勝つがこんな白さ明るさがあったのかと思う新鮮さで ある。この光に明るい蛍光灯の光との違いを感ずるのはなぜだろう、輝度だろうか。高い輝度は、白熱灯のフィラメントから知ってい たが、半透明なすりガラス電球、不透明な蛍光灯の時代を経て、懐かしいはずのこの激しい光は、その色が違う。凋落の豪華さの夕日 の黄金色でなく、強い太陽の光に照らされた新緑の葉の朝の輝きである。 (LED照明の自作から)
しかし、それがいま首都圏が大変な状況にあっている。節電である。全ての事業所に義務とされた25%節電は、50%がコンピュータの電力 である我々のオフィスは、それ以外の電力を半減する必要に迫られた。オフィスの天井の蛍光灯の3割点灯で机が暗くなった。朝、外から 室内にはいるとき、ほとんど休日のような暗い部屋である。そのうちに目が慣れる。それでなくても燻んだ紙しか使わない会社は文字が 見えにくいのに照明が暗くては目の負担が増える。そのなかでは仕事の能率を期待できないだろう。今年(2011年)は、5月からクールビズ である。例年は、4月は蒸し暑く5月にはいって冷房が入って涼しくなっていた。今年はクーラーを入れずに5月の暑さに苦しむ日々が起きる。 冷房でなくても換気ぐらいしてほしい。夏が昨年のような猛暑になれば、クーラーなしの仕事場は、あり得ない状態になるだろう。
節電は、真っ先に各階にあった喫煙室が閉鎖され屋外と地下の1部屋に喫煙者を集中させる口実であった。トイレの便座を温めないのはまだ よいが、最初コンセントから抜いていたウオシュレットから冷水がでるように改造されていたのは驚いた。それは体に悪いと思うからである。 50人からの部屋でコーヒーメーカをやめ、お茶のポットを使用禁止にした。PCのモニター2台の片側は必要なときしか使わず、使うプリンター を1/4に減らした。それは暑さを避けるのに役立った。震災から2ヶ月経って天井照明を垂直に制限していたバイザーが取り払われて暗さも ほとんど解消した。つまりは、どれほど無駄なものが折り重なっていたか知ったのであるが、窓の上方を開けて外気を採り入れ、昨年からの カード入構システムを止め、廊下と室内の間の扉を数日開放した。要するに、組み立てて来たものを外せばよいのである。外しても暑さに 耐えられるかどうか不安である。
3月11日の揺れは大きく危険なものでその前日も揺れがあったことを思い出させた。夕方、停電で電話連絡の取れない家に向かって、 夜銀座線が動き出してしばらく待ってから10:00ごろ混雑を押して渋谷から3時間半歩くことを覚悟して会社を出た。 駅に付くと半蔵門線も動き出したことを知る。地下鉄はとても混んだが、動いてくれれば十分だった。一駅ごと前の電車が出た確認ごとに動かしていた。 終バス時刻を過ぎていたが期待してバス停にいくと、溝の口からのバスは渋滞するからと先に運行を停止していた。 がら空きの道路を徒歩で1時間半、公共性の認識がないのだと毒づきながら、家に辿り着いたのは12:30だった。
それからの2ヶ月、駅は、ラッシュ時にもエスカレータを止めて、エスカレータのために半分の幅の狭い暗い階段を労働者がひしめいて登る。 最近、誰も明るい顔を見ないしできない。地下鉄の電車内は、蒸し暑くて汗が流れるとき窓を開ければ、大音響のなかで電車が走っていたことを知る。 たまには換気をしてくれるし、クーラーを弱くいれることもある。半減した照明によって薄ぐらい車内と密集した人々の前で席に座る者は、 顔を伏せじっと耐え目を閉じるしかない。これが永遠に続く現実なのだと知るかのようにである。
それでもやはり、これらが無意味な行き過ぎであることが分かってきて、1週間前ぐらいから復活した武蔵小杉の駅のあと、最後にやっと今日(5/26)、 溜池山王の南北線のエスカレータが復活した。一律15%節電が、病院や駅は0%削減になって、データセンターは10%まででよいとなった。 そう、これで夏を迎えられるはずがない。仕事にならないのである。快適な環境が能率を決めることは、昔から分かっていたことである。
今年の夏は、10月に入って突然終わる。昨年はというと10月半ばまで猛暑で突然の冬になったことを思えば、まだ天国である。今年は10月終わりまでは、 スーパークールビズでネクタイ着用がいらないのはよいが、この会社は、昼休み照明半減でいやだなと思ったのは2年半前だったが、今は昼休みは、 照明を一斉消灯し、真っ暗で闇鍋を食べさせる。労働者の人権、快適な職場環境、全ては一瞬に消えた。エレベータホールは、いま真っ暗である。 とても民主的だった上司から「この国難」という言葉が出るように、全てそのために犠牲を強いる精神的な仕組みが構成されていた。
こういうことはある。時代が逆行していく。悪いことが分かっているのに、それしかできない時である。"1984年"という SFを私は高校時代に恐がって 読んだものだが、いまがそれ以上であることを私は、恐らく誰にも十分に言えないだろう。最近読んで嫌な気分になった"五分後の世界"(村上龍)という 小説のように。現実の背後に(もうひとつの世界)をみる作家は、これを予期しただろうか。いま生きている誰がこの災厄を予想しえただろうか。 あのリングワールドを描いたラリー・ニーヴンの別のSFでは、原発は世界の大津波のなかで救命所になっていた。 現実はそれの反対で、大変な火薬庫だったし、水素爆発をして放射能を拡散させた。原発に肩入れした人には、こういうべきかもしれない。 「心配することはない、誰もあなたを本気で裁かない責めないだろう、あなた以外は。」
結局私は、忘れたいだけなのだ。あの、子供のときに見た絵入りの津波の物語の恐怖をまさに現実に見たことを。まさか起きないだろうことが起きるとき、 呆然としてなすすべを失い日常のことしかできない状態になる。おそらく現実は、これだけではないだろう。想像を絶することはつねに現実に起きる。 原発の事故は、どういう未来が手招いているのか、私には何も分からない。ここ で ーゴーストタウン-チェルノブイリの映像ー エレナのチェルノブイリへのバイク旅 にリンクした私は、まだ対岸の火事だった。(*)
震災は天災であり、原発事故は大きな人災であることははっきりしているが、多大な被害を招く首都圏の帰宅困難、どうしてあの当日、 電車は徹底的に止まったのか。線路に故障が少しでもあったのか。計画停電と節電の強制はすこしでもまともな理由があったのか。 これらは人々の人権意識の軽さが招いた人災だと思う。我々は、こういう社会に暮らしている。
2012年10月1日、会社のエレベータが全て動き出した。これまで半分以上を止めていた。震災前にも、悪いプログラミングでエレベータが人を待たせる ことがあることをこの会社にきて初めて知って驚いたが、私にどうしようもなかった。もちろん、社員のだれも歯向かえないのである。 部長はプログラム修正に2000万かかるとその必要のない入社したての私に言い訳をされた。エレベータのために毎回5分とか10分無駄にする。 人の不便にはお金が掛からない? そんなことは決してない。機械が人の能率を下げてよいことなどあるはずもない。
悪いプログラミング以上に非道である、エレベータの半分以上を止めたのは、人の節電意識だった。それでも、もちろん我慢をすればできる。 人が不快を我慢をすることは、できる。不可能ではない。そんなことは知っている。「国難」と言われる前から。しかし、つまらないストレスが 人の仕事を台無しにするかもしれない。快適な環境でよい結果がでる、不快な環境でも、可能かもしれないがあまり期待できない、 という当り前のことをどうして優先できないのかと私は嘆く。これこそ逆行の時代である。
(*) ーゴーストタウン-チェルノブイリの映像ー エレナのチェルノブイリへのバイク旅 http://web.archive.org/ にあった。(2017/5/15)