第二八日目


2000年2月19日(土) 43k

 6時出発 〜 第六十五番 三角寺 〜 民宿岡田 15時45分到着


 最近の寝つきの良さと比べたら、昨晩はいまいちであった。枕が北枕がだったのが影響したのだろうか。今日は恐らく最後である6時〜12時のノンストップ歩きになるのではないかと思い,気合を入れて歩く。心配された雨もなく、ひたすら歩く。伊予三島市前で国道11号を歩いていると、70歳ぐらいのおばあさんが「旧道の方が早いよ」とおっしゃってた。このおばあさんは八十八ヶ所を「区切り」で3年かけて満願し、今度は高野山まで歩いてお礼参りに行くと言っていた。1日40kも歩いたそうで、今でも6k歩いているようだ。言われた通り、旧道で向かう。

 第六十五番の前に道に迷うが、すぐに復活。遍路道の山道に入ると、遍路姿のおじいさんが座って休んでいた。このおじいさんは横浜の港北区で、一県を区切りにして歩いていて、今日は最終日であった。バナナチップを頂き、話しながら会話に夢中で、道を間違う。すぐに正規の道に戻り、思ったより早く第六十五番に到着。

 休憩所には2人の女性が会話していた。後から分かったことだが、1人は区切りをしている方で、もう1人はその元会社同僚であり、今はここの寺の奥さんをしているそうである。この人たちがうどんを食べていたので、つい「食べれますか」と聞いてしまったが、無理だった。だが、お饅頭とお茶を頂き、おじさんと話しながら下山を始める。おじさんは今は植木職人をしていて、今年の秋にまた来るそうである。名刺交換をして別れる。 あの女お遍路は同じ宿に泊まると言ってたので,いつか抜かすだろうと思い歩いていたが、結局会わずに宿に着いてしまった。このトンネルを抜ければ香川と思い込んでいたところ、徳島県の池田町であり,ちょっとがっかり。香川は雲辺寺付近からみたいだ。

 民宿岡田は一見これがと思ったが、中は心も体も温まるところであった。しかし、主人の奥さんが20日前に亡くなられてしまったにもかかわらず、葬式の翌日から、民宿を取り仕切っているそうである。インターネットから多くのお悔やみの言葉が届いていた。あの女お遍路も遅れてきた。食事のときは3人で会話が盛り上がる。女の人は名古屋の近畿ツーリストで3年前から区切りで巡って、今回一気に結願に向かっているそうだ。

 おじいさんも、いろいろなお遍路の方や、NHKが取材しに来た時の話など会話が弾み、これがお遍路の面白みの1つだなと感じた。料理人から電話が宿にかかってきて、三角寺の前のところで泊まっているそうで,声はちょっと怒っていたようである。きっと彼なら追いつくであろう。今日は雪が午後から降っていたが、夜になるとやんでいるが、明日がちょっと心配。今日は早く着いたので、久しぶりにゆったり寝れそうである。  20時35分記


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