第二五日目


2000年2月16日(水) 43.1k

 6時出発 〜第五十二番 太山寺 〜 第五十三番 円明寺 〜 BHスガノヤ 17時到着


 昨晩は2回しか起きず、ゆっくり眠れた。逆に今までは何回も目が覚めていたので、ちょっと寝たりない気分であった。朝はいつもの通り起床から1時間で出発。まだ真っ暗な朝を、完全防具(?)で歩いていく。顔にタオルを巻くとだいぶ違う。市内の遍路道は分かりにくく,旅館のおばさんが教えてくれたとおり国道に出て向かうことにした。

 途中に遍路道に出会い,元通りになった。途中,中学生が自転車の行列をなしていて、駐輪場が混んでいると思っていたら、田舎道なのに横断報道を渡るのに、一台一台合図を出しているのを見て、驚いた。更に驚いたことに,正門で先生が「おはよう」と言ってるのに,誰も挨拶をかえしていない生徒達は異様であった。なぜ先生は怒らないし、生徒は返事をしないのであろうか。不思議である。

 第五十二番には8時15分に着いた。ここは本堂と納経所が300mぐらい離れ、本堂だけが山頂にあった。ここの寺は一目見て好感が持てた。壮大な感じがして、どこか威厳が感じられた。実際,納経所に行ったら、八十八ヶ所の本部という看板があり,それなりに格があるのだろう。しかし、行く時も帰る時も掃除のおばあさん達は声をかけてくれなかった。やはり松山は都市であり,よそ者にはなるべくかかわりたくないのであろう。それでも10人ぐらいいたから1人ぐらいは・・・。

 その後第五十三番のお参りを終え,第五十四番に向かう。残っている中では2番目に長い34.5kである。今日はもう着くことは無理だと思ったので、ゆっくり歩いていこうと思って楽勝かなと思ったら、そうでもなく結構疲れた。相変わらずの寒さの上に、冷たい強風が体にしみる。全国的な天候らしいが、特に今日は海岸沿いを歩いていたから、辛かった。

 夕方子供が「さいなら」と声をかけてくれた。予定の大西駅の近くで、普段着で托鉢しながら巡っているおじさんに出会う。この人は元旦に第二十四番を出発し、テントとシュラフを運びながらゆっくり歩いているようだ。阿波で3月下旬から修行するようだ。正直言って悪いが、今まで托鉢している中で、一番まともな人であった。休んでいた公園でテントを張ろうとしていたので、僕が地図を見て、野宿できる神社を教えてあげた。なぜ地図を持っていないかと聞くと、二冊同時発売が気に入らないと屁理屈を言う。またあの80歳のおじいさんとも第四十四番で会ったそうで、未だにアキレス腱が悪かったそうである。ただ日にちを覚えてなく、寒波が襲来の時だったと言ってたので、よくわからない。この人とは神社の前で別れたが、その前に近所のおじいさんから自筆の絵葉書を頂いた。

 その後一度断られたビジネスホテルに向かったが、やっぱり駄目だったので、別の宿探しに電話ボックスに入った。そしたら、向こうからビジネスホテルのおばさんが走ってきて、「今キャンセルが発生したから大丈夫だよ」と言ってくれたので、助かった。その後いよかんも頂いて、大変感謝の気持ちがこみ上げる。本当に偶然泊まれて、なんだか時のありがたさを感じる。  20時15分記


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