第十四日目



2000年2月5日(土) 41.1k

 7時出発 〜 第三十六番 青龍寺 〜民宿あわ 17時20分到着


 朝は順調に進み、歩き出す。第三十六番に向かう途中は気分は良く,楽しく歩けている。塚地トンネルを使い、昔ながらの遍路道(山道)を避けてしまう。本当は行きたかったが、足の調子もあるので止める。少し気持ちが暗くなる。トンネルを抜けると海岸沿いになり、宇佐大橋を渡る。淡々と歩く。

 第三十六番の近くの田んぼで80歳のおじいさんが見える。遠目からみて明らかに左足を引きずっている。話を聞いてみると,無料接待所は暖房がなく、大変寒く、夕食も遅く、なにやらお経の時間があり,居づらくなったみたいである。これからはバスを乗り継いで行くようである。

 第三十六番に着くと、絵のおじいさんがいた。僕の名前を聞かれたが、僕もおじいさんの名前をチェックしていなくて恥ずかしかった。寺は風情があり,階段も良い感じである。絵のおじいさんと本当に別れ、歩き出す。80歳のおじいさんと会い、第三十七番の宿坊に泊まることを薦める。

 ここからひたすら歩き出す。海岸沿いの小さな町を歩き続ける。日が出てるが、風が冷たい。そして3日前から痛み出す左肩が気にかかる。久しぶりに3時間ぶっ通しで歩き続けた。一旦休憩して歩き出すと、今度は右太腿が痛み出す。ここまで来ると色々故障がでて来るのであろう。

 須崎市内に入ると車が多くなり、店と人も多くなる。ここでカメラの電池、シップ類を購入して、公園で休む。ここで手袋をなくしたのに気付き、500mぐらい戻って探す。道の真中に落ちていた。見つけた時は大感激であった。ここからの6kは歩き疲れた。結構上り、トンネルも多く,足も痛く、宿に着くのが待ち遠しかった。

 宿に着くと,民家を改造した宿屋のようである。お上さんは大変良い人であり,自分が脳卒中で倒れたときの話などしてくれた。今は見た目には後遺症もなさそうで、元気で働いていた。ショー健もここに泊まり、連泊して外科医に行ったそうである。ここでドクターストップがかかったそうである。(3回目)しかし頑張って第三十九番まで行ったのだから、僕も負けられない。
 
 最近日記を書く時間が遅くなってきている。そういえば宿の直前で、ポンカン3個の接待を頂く。頂いたおばさんはくるまで3回回っているそうである。明日泊まる予定していた佐賀温泉が泊まれず大ショック。前後10kにしか宿がなく、明日は無理が出来ないので、第三十七番の宿坊かな。そのため朝は少し遅めにしてもらう。

 ・ 昼食休みの浦の内で1,000円の接待を頂く。
   21時25分記  


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