2度目の鐘の音を合図に。
 私は教会の扉を思い切り良く引き開けると、中に飛びこんだ。


 生木の架構が剥き出しに組まれた、2階建ての教会の内部は、実際それ程広くはなく、悲鳴をあげて混乱する子供達で騒然としていた。
 正面の祭壇を覆い尽くすほどに、巨大な大蛇の魔物の影が踊る。
「早く!皆逃げるんだ!」
 踏み込んですぐに呼びかける。まずは、子供達を全て逃がしてしまうことが大切だ。
「ホーク?!」
「ホークさまだ!」
 中の子供達は恐怖のあまりパニック状態に陥っていたが、私の姿を見とめ、扉が開いたことを知ると我先にと外を目指した。
 子供達のことは、外で待機する大人達に任せ、自分は教会の長椅子の間を縫うように走る。
「セティ様?!」
 見上げると、教会の正面、祭壇の上部付近の入り組んだ、鐘楼へ続く木組みの足場付近で、既に鎌首をもたげた大蛇が、逃げる子供達には全く気を向けようとはせずに、執拗に小さな姿を追い込んでいる。予想以上に素早い動きで、蛇は狭い教会いっぱいにその身をくねらせ、油の入った樽を押し倒して抵抗する小さな身体めがけて牙を剥く。
「光よ!」
 駆けながら、威嚇するように閃光を放つと、眩しさに大蛇は一瞬その身を怯ませた。
 足場へと通じる階段の半ばまですでに駆けあがっていた巨大な体躯の番人が、この混乱の事態に怒り狂ったような獣の唸り声をあげた。
 ・・・唸り声。
 はっと気付いて、恐怖に私の首筋を汗が伝い落ちた。
 巨大な鋼の斧を持ち振りかえった男の形相は、鬼のように歪みその全身には異様なほど血管が浮き上がっている。
 その目は、蛇と同じように暗闇の中で赤く爛々と異常な光を放っている。
 
 あれは狂戦士、バーサーカーなのだ!
 
 王子が手元の縄に体重を乗せ3度目の鐘を鳴らした。
 時間がない。まともにこの二体の化け物と戦っても勝ち目は無い。早く火を付けて逃げなければならない。
 振り仰いで私は叫んだ。
「セティ様、火を放ちます!鐘はもういい!逃げてください!」
「待って!まだ、君の妹が!」
 見ると、祭壇の前に取り残された細身の身体が苦しそうに身を捩じらせている。
「お、おにいちゃん?!」
「フェミナ!!」
 妹の元に駆け寄ろうとする私の頭上で、蛇が王子に喰らいつこうと、入り組んだ足場に全身を絡ませて、逃げ場を封じようとしている。
「セティ様!あの書物を!蛇を封じるのです!」
「ホーク!きみの妹の身体と、蛇が繋がってるんだ!切って!」
 蛇に追い詰められ、まるで悲鳴のように高い声が頭上から響いた。
 はっと目を向けると、大蛇の丸太のような胴は尾に近づくにつれ、細く黒い霧状に実体が掻き消え、その影が妹の身体へ続いている。
 
 ・・・切る?
 実体ではない、霧のような身体を?どうやって・・・。









 ・・・そうか!


 ”心を断つ魔法の刃”






 閃いた私は、陛下から与えられた腰の魔法剣を抜くと頭上に振り被った。
 この剣ならば、呪いの化身たる、蛇の影を断つことができるかもしれない。
「おにいちゃん・・・。」
「フェミナ・・・やっと、お前を救える、これで・・・。」
 剣を扱うことは不慣れと言う以上に、触れた事すらほとんどなかったが、今一度祈るように心を集中させる。揺らがぬ心の光が蛇を断つ刃となる。・・・かつて聞いた予言のような言葉を胸の中で繰り返して。
 握りしめた剣をまっすぐに、黒い霧めがけて振り降ろす。
 す、とそれは何の手応えもなく、最後に教会の祭壇の石床に思いきり打ちつけて、剣は私の手を離れて吹き飛ばされてしまった。
「・・・!!」
 腕が衝撃にじんじんと痺れていたが、それどころでない。
 失敗したのか、と不安に思った次の瞬間だ。
 
 今まさに、王子に喰らいつこうとしていた蛇が、鱗を擦り合わせて苦悶にのたうち、その長い尾を狭い教会の中で暴れ回らせた。
「・・・っ!!」
 避ける事も叶わず、私は自分の胴程の太さもある尾に弾かれて十m近く吹き飛ばされ、床にしたたかに身体を打ちつけてしまった。
 腕輪の加護を受けていながらも体中が痺れ、麻痺してしまう程の衝撃だ。
 4回目の鐘が鳴った。
 妹の身体から蛇を断ちきることに成功したのだ。あとは・・・。
「セティ様!」
「わかってる!」
 王子が襲い来る大蛇の前に書を盾のように掲げたのを確認して、私は追い立てるように閃光の呪を繰り出した。
 私達の意図した通り、失った寄り代の代わりに、最初の住処であったろう、黒い魔導書に蛇が吸い寄せられるように近づいたその時だった。




 宙に巨大な黒い魔法陣が突如現出すると、青い炎と黒山羊の幻が黒く光を放ち、瞬いた。
「!!・・・セティ様!!」
 私にはそれが何かすぐにわかった。悲鳴のように声を上げ王子に注意を促すが、遅かった。
 一条の閃光のような黒い光。
 鍛えられた大人でさえも一撃のもとに即死させることが出来る、高位の闇魔法フェンリルの呪いの光が。



 まっすぐに。小さな身体を貫くのがはっきりと、見えた。






「・・・っ!」
 王子の身体がぐらりとかしぎ、間をおいて、崩れ折れる音が聞こえた。
 吹き飛ばされた、闇色の書物が裂け散って、ばらばらと、高台となった足場から、吹雪のように舞い落ちる。
 思わず手を伸ばした私の目の前で、それは、一つ一つ、青い炎を放ち燃え始めると、地に落ちる前に消し炭となった。
 大蛇を封じるはずであった、因縁の書物が、目の前で失われ。
 
 事態が、最悪の方向へ暗転したことを、私は呆然と理解した。




 
 こつこつと、悠然と近づく、黒いローブの裾。
 低い、含み笑い。
 見上げる私の視界に、細い筋ばった腕に刻まれた、あの黒い薔薇の刺青のような印が映る。
 
 黒薔薇・・・。
 あの時の・・・4年前の、悪夢をもたらした占い師を名乗る悪魔の使い。
 忘れようもないその姿が。
 
 再び目の前に現れた。
 
 




 因縁の再会は、絶望的な状況の最中で実現したのだ。














The Secret Horizon 4


















「これは、随分と、勇敢な子供達だな・・・。素晴らしい。」

 低く、しわがれた魔法使いの声が近づいてくる。
「この辺境の地で、大蛇に次ぐ良い手土産が出来たようだな・・・。」
 奇妙な唸り声に顔を向けると、赤く狂った目を光らせた獣戦士が階段から飛び降り、舌なめずりをしながらこちらへ近づく姿が見えた。
 しゅるしゅると、大蛇が鎌首をもたげる姿が影のように、空間を覆い尽くす。
 絶望的な事態。もはや生きて帰ることなど考えられない。暗黒の光を受け倒れた小さな主の姿が脳裏に焼き付いたまま、凍える心と怒りに熱くなる身体が同時に暴走しそうだ。
 せめて最期に。
 炎を放ち、命に代えても、この悪魔達を道連れに出来るだろうか。


 大蛇の尾に弾かれた衝撃で、倒れたまま起き上がることも出来ない私のすぐ手前まで、黒いローブを纏った魔導士が悠然と歩み寄る。
「・・・ん?いや・・・お前を、私は知っているぞ。・・・そうかなるほど、あの書物・・・!」
 低い笑い声が降ってきた。
「憶えているぞ少年よ!そうだ、かつて私はお前に闇の秘術を授け、黒蛇の呪を託した。お前のお陰であの煩わしき北の守神の追跡を逃れ、蛇をここまで育て上げることが出来たのだ。」
 そう。まさに目の前の人物こそ、妹に呪いをかけた諸悪の根源。呪いは幼い妹の生きる力を奪いながら実体化するまで成長した。そして人の魂を喰らう魔物となったのだ。
 この闇の魔導士は、魔物と転じた呪いの化身である大蛇を回収に来たのだ。そして私の故郷の村までも巻き込み、次々と、私の大切なものを奪い去ってゆく。
 だが私の感情など知る由も無く、魔導士は哄笑を響かせた。
「お前の眠れる能力と少女の身体を媒介に我が闇の蛇の呪は解き放たれた・・・。実に都合よく妹のいるこの村に戻ったものだな。さあ選ばれし子よ・・・今また迎えの扉を開こう。黒薔薇の印に誓いを捧げよ。」
「・・・一体何故・・・何が目的なんだ?!どうして皆を巻き込む?!」
 
 自分だけが。
 そう、・・・自分だけが犠牲になれば良かったのだ。
 
 激情が心を震わせ、溢れ出た。

「・・・私は!大切な人を護るための力が欲しかっただけだ!村の皆を・・・家族を・・・あの方を・・・護るために・・・呪いを力に変えるつもりなどない!!」
「どうした?よもや、我らが与えた救いの手を忘れた訳ではあるまい?蛇も充分に成長した。試験体となる子供達の回収に手を貸すのだ。成果を見せれば大司教様にも認められよう・・・。神の目覚めは近い!」
「暗黒教団とは伝説に謳われるように、本当に、このような邪悪な魔術を正義と称しているのか?!お前は・・・一体、何者なんだ!」
 魔導士の言葉も、話す中身も、まるで熱に浮ついたように現実的ではない。暗黒神の目覚め。本当にそのような馬鹿馬鹿しいことを成そうと、人の生命を贄として奪っているのだろうか?

「我らは、”ベルクローゼン”。」

 私の言葉に、魔導士は大きく両腕を広げるように天を仰いだ。
「・・・真実の神の僕にして、神の尖兵たる黒薔薇の使徒・・・!新しき神の御世のために我らは望んで血と屍を積み重ねよう。全ては世界の浄化の為なのだ!」
「・・・ならば私は!この命も力も、お前達を止める為に使う!!」
 額をじわりと汗が伝った。
 私があくまでも、抵抗の意を示すことが伝わったようだ。周囲の空気が邪悪な意志を湛えて濁る。火を放つ為には詠唱の隙を何とか探さなければならない。だが、3方から睨まれて身動き一つ取る隙すらない。
「・・・愚かな。我らの救いの手を払い、破滅への道を歩みたいというならば、我が蛇の贄とでもなれ。」
 魔導士の言葉に大蛇が首を振り上げた。
「?!!」

 だが。







 突如としてそれは起こった。
 轟音と閃光が頭上で弾け、続いて瞬く間に炎が木造の教会を取り囲む。
「・・・!!」
 何事かと振り仰ぐ目の前で、炎の帯を纏わりつかせた大蛇が、身を捩るように暴れている。
 牙をいからせながら、足場のある鐘突き場に、猛烈な勢いで首を突っ込み。尾をのたうちまわらせると、高い足場を横に薙ぐ。
 油に濡れ燃え盛る、足場の木組みが、炎と共に降り注いだ。
 教会が炎に包まれ。
 
 同時に、5回目の鐘が鳴り渡った。




 熱風に煽られるように、私はその隙を逃さず駆け下がって魔導師達との間に距離をとる。次の瞬間、炎が河のようにその間を流れて壁となった。
 火を放ったのは私ではない。
 その小さな姿は、崩れる高い足場から衝撃と共に吹き飛ばされたようだが、その勢いのまま、宙でくるりと舞うと、私の真横に風を纏わせ柔らかく着地した。
「セティ様!・・・無事だったのですか!」
「・・・聖水・・・ははうえから、もらった・・・。」
 そうか、王妃様から託された、あの子瓶・・・。
 良かった、と私は王妃様に心の底から感謝の祈りを捧げたい気持ちだった。
 聖水による強力な魔力障壁が、フェンリルの死の閃光から王子を護ってくれていたのだ。
 王子は苦しげに、肩で息をし、膝をつきながらも、炎の河の向こう側を、き、と見据えたまま横に並んだ。
「ホーク、光の魔法を!詠唱時間はわたしが稼ぐ!」
 目をかわし会わせると、私はすぐに詠唱に入った。一時も気を緩めるわけにはいかない。
 炎が相手の足止めをしている間、今しか機会はないのだ。
 大蛇を書に封じることが出来なかった以上、闇を払う光の魔法を持って、倒す他ない。
 今の私には、魔法の発動には完全詠唱を果たさなければならない。迷いを抱く暇はなかった。


 眼前に両手を組み合わせると、右手を水平に払い、左手の人差し指を額から垂直におろす。
「炎、風、雷、3方の原理を頂になし・・・、」
 そのまま左手を前方に突きだし、右腕を後ろに振って、印を描き始める。
「12の鍵を紡いで光を刃と成す!光の言葉・・・それは一に聖剣、二に天槍。」
 描いた印が次々と、魔力を帯びて円陣を形作るように空間に現出しはじめる。
「愚かな・・・死を選ぶならば、その魂、迷わず贄としてくれよう!」
 炎の壁の向こう側から、怒りにかすれた、おぞましい叫び声が聞こえる。
 炎の熱さと、緊張感に背筋を汗が伝い落ちる。
 熟練の魔術師の詠唱技術と、自分のものでは、圧倒的な差がありすぎる。
 光の呪が完成する前に、攻撃をうけることは免れない。
 それでもせめて、詠唱を完遂させて、大蛇だけでも、道連れにしたい。

「8なる竜の牙、9の天馬の翼・・・!」
「死の祝福よ、闇の杯に集え!」
 炎の向こう側に、瘴気が集まり始めた。
 たった一言の詠唱で、魔力の波動が空間に蓄積されていくのがわかる。
「叫びを呪いと変えて我らが敵を討ち・・・」
「大気の鳴動よ、ささやかな衣をまといて、静寂をもたらせ!」
 第三の詠唱が重なった。
 見ると王子が金色の杖を拾い取り、掲げている。
「・・・詠唱妨害?!」
 ひきつった叫び声が聞こえてきた。
 詠唱妨害・・・魔力波の鳴動をとめ、術師の能力を封じるサイレスの呪文。
 それは高位魔法の一つだが、互いの能力差、つまり魔力と精神力が直接結果に反映される。
 相手の魔術師は、この場にこの呪を唱えられる者が存在したことに驚愕し、次に杖を振る幼い姿を見とめて信じられないといった表情を浮かべた。
 だが、能力の差と、付け焼刃の詠唱では、もとよりかなうべくもない。
 目に見えはしないが、両者を隔てた空間の狭間に、強い歪みが生じ、今にも断ちきれそうな張りつめた糸の緊張を持って均衡したのがわかった。
 そしてその歪みは、次第に王子の側へ向けて爆発的に膨張をはじめた。
「煩わしい!去れ!!」
 相手が、鋭く右手を一閃させた。

 反動が、来る!

 完全に守勢に入り、ぎりぎりまで、震える腕で均衡を保とうとしていた、小さな身体が猛烈な勢いで吹き飛ばされた。
「・・・っ!!」
 受身もとれずに、壁に叩きつけられた身体が、くぐもった呻き声と共に床に落ちた。
「くっ・・・!」
 庇いたくとも、私のほうは、詠唱を今更止めるわけにもいかない。
 見上げると、大蛇が身に纏わり付く炎を振り払い、今まさに我々に襲いかかろうと、首をうず高く持ち上げている。
「12の扉、我が元に光を集め・・・。」
 あと少し!
 王子が身を盾に稼いでくれた僅かな時間を無駄には出来ない。
 マジックリングの力も加わり、蓄積された魔力が私の全身を発光させ、オーラのように取り囲んだ。
 
 その時だった。




 凄まじい咆哮が、頭上で耳を裂くように響いた。
 巨大な影に振り向いた私の目の前に、今まさに狂気の斧を振り降ろそうとする狂戦士の姿が映った。

 しまった!

 3番目の敵の存在に注意が向いていなかったのだ。
「ホーク!」
 悲鳴のような王子の声が聞こえた。
 動けない。
 
 斧をかわすことは無理だった。
 眼前に迫る刃を前に。時間が秒刻みに流れていくかのような錯覚に陥る。
 私は成す術もなく。
 死を。
 覚悟しなければならなかった。

 だが。









 斧は私の眼前で止まった。




 腕を震わしたまま、狂戦士は、赤く血走った目を更に光らせて、獣のような唸り声をあげている。
 何が起こったのか、わからない私の目の端に、小さな傷が映った。
 狂戦士の脇腹に走る、小さな、小さな傷。
 それは、まるで赤く発光するように、奇妙な光をたたえている。

「わたしだって・・・たたかえるよ。おにいちゃん。」
 小さな小さな声。







「わたしだって!戦えるんだから!もう、護られてばかりじゃない!」

「・・・フェミナ?!」
 力を振り絞った妹の叫び声に、私は驚きを隠せなかった。
 寝たきりの生活が続いた中で、弱り果て震える足腰を必死に立たせて、妹が。
 狂戦士の巨大な体躯の後ろに、剣を両手に、振り降ろした格好のまま、立っている。
 
 剣。
 ・・・それは、陛下から託されたあの魔法剣。
 ”心を断つ刃”
 肉体ではなく、精神を切る力をもつそれは。

 俗にバーサクの剣とも呼ばれる魔法剣なのだ。









 それはまるで奇跡のようだった。
 妹の渾身の力をこめた、まるでかすり傷のようなその一撃は、事態を再度逆転させる、決定的な岐点となったのである。


 牙を剥いて歪んだ口元から泡を吹きながら、狂った獣のように、大男は斧を掲げたまま叫び声とともに、今度は炎の向こう側へ突進していった。
 同時に私の、光の呪が完成した。
「裁きをもたらす光よ、闇を断て!・・・ライトニング!」



 魔導具により増幅された魔力と、完全詠唱による魔法の力は、それを放った私の想像以上に爆発的な力となった。空間の一点から巨大な力の波動が膨れ上がり、次の瞬間、轟音とまばゆく視界を染める閃光が辺りを覆い尽くす。
 巨大な黒蛇が光に包まれ痙攣するように震え、次の瞬間、光の渦に身を切り裂かれるように砕け散る。教会の中は一瞬、熱と旋風、稲光のような光と、あらゆる現象が同時に起こったように錯綜した。



 そして。
 光が消え、呆然と息をつく私達の目の前に、静寂が訪れたとき。
 あの、恐るべき悪夢は、姿を消していた。
 黒き闇の魔法使いが、唯一人、怒りに肩を震わせて立っている。
 あの狂戦士が、その足元で、全身を紫色に変色させた憐れな姿で骸となっていた。その身体の表面が、所々水泡のように膨れ上がっては弾けている。
 私達に向け、放たれるはずであった暗黒魔法を、バーサクの魔力に混乱した獣戦士に向けねばならなかったのだ。
「おのれ・・・。」
 憎々しげな声が発せられる。


 
 あの絶望的な状況から、まるで奇跡のように脱したのだ。
 もう、この魔術師しか相手はいない。



「おのれ・・・。」
 もう一度、低く、呪わしげな唸り声。
 私達のような子供に追い詰められたことにどれほど自尊心が傷つけられただろうか。
 だが油断はならない。私は魔術師を目で睨み据えたまま、入り口近くに今にも崩れ折れそうに震えて立つ妹のもとに近づいた。
「フェミナ・・・外に出て、皆の応援を頼む。早く!」
「うん!おにいちゃん」
 魔法使い相手ならば、数に勝負を賭ける方が有効な場合が多い。村の人達の援軍を期待して、一気に決着を計るときだ。
「おかしいな・・・、鐘5回鳴らしたのに、何も起きない?」
 小さな呟き声に、見ると王子が思案に沈んでいる。
「5回・・・5つの鐘・・・、この鐘を基点として、5つの星を描くと・・・水車?・・・そうか水車だ!」
「セティ様?」
「早く!村の人たちに、水車を・・・止まった水車をもう一度、回してくれるように頼んできて!」
「う、うん・・・。」
 意図がわからないまま、妹は頷くと炎に荒れた教会から、外へ目指して走り始めた。
 その足取りの危うさについ、気を取られてしまっていた。
「・・・!!」
 振り返って気が付くと、あの暗黒魔導士が、祭壇の裏手の階段を駆け上がっていくのが見えた。

「しまった!」
 私達は一瞬の内に、その行動の意図を理解していた。王子は既に後を追うべく駆け出している。
 祭壇の裏手の、修道院へと続く石造りの霊廟に、この魔導士は、転送用の魔法陣を準備しているはずなのだ。
 そこへ辿り着けば、逃げ帰ることも出来るであろうし、援軍を呼ぶことも可能になるかもしれない。それにもし仲間に連絡されれば、例え現状を乗り越えられたとしても、村の命運は危うい。恐るべき未来が訪れることは間違いないだろう。
「待て!」
 私も慌てて後を追う。身軽な王子は既に、炎を纏いつかせる木造りの階段を舞うように駆けあがり、開け放たれた扉から背後の回廊に消えた。後に続く私が、階段を昇りきったところで。
「!!」

 がらがらと、燃える階段が、炎の中に崩れ去った。
 
 ・・・まずい。
 背後を断たれ、援軍が期待できない状況になってしまった。猶予がない今は、二人だけで立ち向かわねばならない。
 二人・・・、王子を完全に危険の最中に巻き込んでしまったが、もはや引き止められる状況にはなかった。
 炎に煽られた熱さの中から、石造りの狭い回廊に出ると、ひやりと冷えた空気が頬を鋭く撫でる。そのまま息もつかずに、私は霊廟となった小部屋に駆け込んだ。










 6つの石棺が壁際に並べられている狭い小部屋には、今は大人2人分の大きさはゆうにあるだろう、巨大な魔法陣が部屋一杯に描かれていた。赤く発光する線によって、様々な文様や、象形模様が円陣の中に所狭しと描かれているそれは、私も見たことがない類のものだった。
 中央と、円陣の周囲に6箇所、等間隔に、黒い蝋燭が青白い光を放って燃えている。随分と手が込んだものであるそれは、つまり、強力な敵の結界にもなるということだ。闇色の瘴気が部屋を覆い尽くし、邪悪な気配を肌で感じて、私は心も凍りつくような心境だった。この状況下での圧倒的な力の差異に気付いたからである。
 先に部屋に飛び込んだであろう王子もそれは感じたようで、立ち竦んだまま、強張った面持ちで魔法陣の種別と性質を把握しようと状況を伺っている。
 ・・・逃げてください、と喉まで声が出かかったところで、それが不可能なのだという事実に気がついた。瘴気が足元に絡みついて動けない。
 くっくっと、喉を震わす笑い声と共に、魔導士が振り返った。

 再び状況は逆転していた。
 私達は、狭い籠の中に、誘い込まれ、閉じこまれてしまった鳥のように無力な状況に陥ってしまったのだ。








「随分、楽しませてくれたな。子供ながら・・・その能力と勇気には敬意を表しよう・・・。」
「逃がすものか・・・。」
 余裕を含む魔法陣の主を睨み付けながら、状況を計る。
 この魔法陣の内部では、相手が圧倒的に有利だ。恐らくは意志一つで逃げることも可能なのだろう。
 無駄だとわかっていながら、私は両手を再び構えた。光の呪で結界を打ち壊すことが出来るか、賭けてみるしかない。だが、詠唱を開始する私を無視して、魔導士は笑った。
「愚かな民には、やがて審判が下るだろう。貴賎をわきまえず、牙を向く獣を粛正するのが、ベルクローゼンの尊い使命・・・。」
「一体何故、こんなことをする?わからない・・・。罪のない命を奪って・・・」
 王子が哀しげに呟いた。
「罪の無い?迫害と冤罪の歴史の影に我らの存在を抹殺した民が、罪がない、だと?」
 魔導士は中央の燭台を掲げもつと、それを掲げ持った。
 と、魔法陣の中から巨大な黒い手が2つ出現し、私と王子をそれぞれ捕らえると、石壁に叩き付けた。
「・・・っ!!」
「・・・うっ!」
「我々は真なる神の御許に、理想郷を造る尖兵となる。血塗れた審判の歴史もやがて、清く生まれ変わる日がこよう。」
 ぎりぎりと黒い瘴気の塊である、巨大な手が私達を締め上げる。情けないことに何も事態を打開する策が浮かばない。せめて、王子だけでも逃がさなければならないのに・・・。
「4年もの歳月をかけて魂を喰らわせ、実体化に至るまで育て上げた私の蛇を失った代償は払ってもらおう。少年よ、我らが与えた恩を仇で返したお前が、今尚その意志を曲げないとしても、その類稀なる能力を失うには惜しい。我らベルクローゼンの御許で、魔戦士として教育し、育て上げてやろう・・・。」
「ま、せんし・・・?」
「このような子供二人が土産など、我らが名折れなれど、仕方あるまい。すぐにまた、私に恥をかかせてくれた愚かなこの大地の民に思い知らせてくれるわ!」
「・・・?!」
「ホーク!」
 巨大な手に引き摺られるように、魔法陣の中央に引き込まれる。
 ずぶずぶと、地にのめりこむように私の身体は闇に飲まれはじめた。
「待って!待ってくれ!皆を・・・ホークを助けて!」
 王子が慌てたように叫ぶ声が聞こえた。

「”わたし”が、身代わりになるから!!」









 ・・・なんだって?

 引き込まれる動きが一瞬止まった。
 魔導士の注意が王子の方に向いたからだ。
「・・・ほう?お前も子供の割には随分と・・・。」
 突如、私の身体が放り出され、壁に叩き付けられた。
「・・・っ?!」
 魔導士が慌てたように、巨大な手に拘束されて宙吊りになった小さな身体の方へ駆け寄る。
 王子の左手首が乱暴に取り上げられた。

 ・・・まずい!
 背筋を冷や汗が伝う。



「これは・・・何と言う事だこれは!」
 驚愕の叫び声が石室に響く。





「これは・・・”フォルセティの聖痕”?!」








 ・・・最悪だ。

 ・・・知られてはいけない事実を、最も知られるべきではないだろう相手に知られてしまったのだ。
 天を仰ぐような哄笑が響き渡った。
「そうか!・・・そういうことか!・・・おかしいとは思ったが!」
 哄笑と共に魔導士が燭台を掲げると、拘束された小さな身体がその眼前に吊り上げられた。
「・・・うぅ・・・」
 締め付けられる力に、王子は小さな呻き声を漏らす。
「この痣、この容貌、この力!お前は失われし、風の王国の力を受け継ぐ神子。12の使徒の一人。亡国シレジアの幼き、王子!・・・今再び、めぐり合う日が来るとは!」

 ・・・再び?

「・・・?わたしは・・・お前など知らない・・・。」
「・・・あの時、そうだ・・・あと・・・少しで、我々はお前を手に出来たのだ。だが!風王の怒りは我が同胞を一瞬にして塵と吹き消し、私に忘れ難い恥辱の証を残した。・・・そして2年前も、大司教様、御自ら煩わしき北の守神を討ち果たす為に、その身に長きに渡って癒えぬ傷跡を残された・・・。」
「一体・・・何のこと・・・。」
「だがついに、多大な犠牲が報われる日が来た!この北の大地が、今尚、風の加護を得て我らを退けようとも、風王亡き今、脅威とはならん。これほど大きな土産を持ち帰れば、マンフロイ様も喜ばれよう。」
 興奮したように魔導士は叫ぶと、骨ばった細い腕で王子の顎を取って、手に入れた品を定めるように眺め回す。
 ちら、と、王子が私に目を向けた。その瞳が何かを語っている。
 そうか。
 王子が、”わざと”正体を明かしたことに戸惑う私は、視線の合図でその意図を解した。
 ”時間を稼げ”と。そう告げているのだ。



「さあ、村の者の始末など二の次だ。お前さえ連れ帰れば、他の全ての失態も拭い去って余りある手柄だ。」
 黒い瘴気が王子の身体をがっしりと握り捕らえ、魔法陣の中央に引き寄せようとする。
「光よ!」
 隙を見て私は閃光の呪を繰り出した。マジックリングの力によって、増幅された力は、数秒間、空間を白く染め上げる。
「今更、無駄なことを!」
 反撃に出た私を振り返り、共に始末しようと魔導士が燭台を高く掲げた。私に気が取られた分だけ、王子の身体を飲み込む闇の勢いが弱まる。
 閃光を目くらましに、手近にあった燭台を手にとって、魔導士に向かって投げつける。
 攻撃とも言えないような最後のあがきだ。魔導士はそれを腕をかざして防ぐと、何言か呪を呟いて、激しく燭台を動かした。青い炎の軌跡が空間に印を描く。


「!!」


 魔法陣全体が、強烈な黒い光を放って輝き出した。
 身体が宙に吊り上げられる。
 内にいるものを、全て強制転移させてしまうつもりなのだ。
「・・・くっ!」
 空間転送の強烈な次元の歪みに、体中が上下に引っ張られる感覚が襲った。
 抗いようも無い。
 もう、ダメかと思ったその時だった。













 コトン、コトンと、水車の回る音が聞こえた。





 遠くから。
 幽かに。
 ・・・調子を刻むその音。




「水車・・・5つの印・・・鐘の音・・・鍵は揃った・・・。」
 王子の呟きがまるで、耳元で囁かれるように聞こえる。
 ・・・これは?




「風の力、我が声に応えて顕現せよ!力をお借りします・・・父上!」





 瞬間。
 轟音と突風が、室内を襲った。
 それは燭台の炎を一瞬にして吹き消し、黒き闇の魔法陣の力を無に返すように掻き消していく。
 宙に吊り上げられていた私達の身体をふわりと暖かい風が包み、拘束が解かれるのがわかった。




「な、何が・・・。」
 突然の事態に狼狽する魔導士の前に降り立った私達の身の内に、不思議な力の波動が満ちてくる。・・・魔力が高まっているのだ。
 風が渦を巻くように、外でごおと鳴り響き、王子の小さな身体の周囲に、寄り集まるように舞うのを見て。私は理解した。
 明け方から、不穏なまでに荒れ狂っていた天候・・・あの嵐のような、”風”は、私達の護り部であったのだと。
 村を包み込む、強大な風の結界の出現に、完全に力場は反転した。
 そう。
 教会の鐘の音が鍵となって結界が現出するように、星の印を描く、村の周囲の5つの基点に仕掛けを施した、何者かがいる。それは、闇を誘い込み閉じ込める為の罠だ。

「くっ・・・こんな・・・。」
 慌てて、燭台を取り、それを杖代わりに詠唱を始めようとする魔導士目掛けて、王子が鋭く右手を横に払った。
「!!」
 詠唱も無く紡がれた、鋭い烈風が魔導士の手から燭台を弾き飛ばす。
「セティさま?!」
 風の加護を受けて、王子の能力が飛躍的に跳ね上がっている。

 しかし、その佇む姿は、荒れ狂う風とは逆に。
 いっそ静かな程に、そして清冽に。
 風を纏わせた幼君は、死と破壊をもたらした闇の魔導士に対峙した。








「わたしはお前を許さない。」
 王子が。他者に対して、初めて。
 死を運ぶ冷酷な王者の姿で相対するのを、見た。
 す、と右手が断罪者を指し示すように挙げられる。

 そして。
 怒りに激昂することも、哀しみに声を震わせることもなく。
 感情を排した口調で。
 幼い子供が・・・静かな審判の言葉をもたらしたのである。






「風王の御許・・・この北の大地を呪いに汚した罪・・・。父上に代わり、わたしが裁く。」




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