切り立った崖は、かなりの高さがあったが、私達は無事だった。
王子を受け止めるように地に転がり落ちたが、厚い雪の層と、銀色の光が私の身を護ってくれたのだ。守護の腕輪の力を期待した咄嗟の判断だったが、誤りではなかったようだ。
「ホーク!・・・ホーク!」
真っ青な顔をした王子が、金色の杖を抱え込んで、心配そうにしがみつく姿に、自分の身体がそれでも擦り傷だらけになっていることに気付く。
「心配ありません・・・セティ様。貴方は大丈夫ですか?」
「私は平気だ。まってて、今治すから・・・。」
そういって王子は、抱えていた杖を振りかざし、精神統一に入る。淡く杖が輝きだすと、それを軽く振って私の方へかざした。すると柔らかい光が私へ乗り移り、優しい癒しの風に包まれて、身体の傷が瞬く間に消えていく。治癒の術は、日頃から王子が慣れ親しんだものではあるだけに、それはまるで本物の司祭のように自然な動作だった。
「大丈夫?」
「大助かりです。」
言って立ちあがると、身体にまとわり付いていた雪塊を手で払う。
崖の上の喧騒はすでにやみ、野盗によって乗っ取られてしまったであろう商隊の荷車が立ち去る音が、がらがらと荒々しく響いて遠ざかっていくのがわかった。
「何とか、助かったようです。」
思わず安堵の溜息がでてしまった。
守護の腕輪の力に感謝だ。これならば、また何かあったときにも、身を盾にして王子を護ることが出来るだろう。
「無茶はしないでくれ・・・。」
弱々しく呟く王子の声には、襲撃のショックがありありと滲んでいる。
「あなたの身の安全が第一です。それだけは御自覚下さい。」
「すまなかった、ホーク。お前の機転のおかげで助けられた・・・。」
「いえ・・・逃げるのに精一杯でした。世話になった商隊の者達を見殺しにしてしまったのは、全て私の力の至らぬせいです。」
「・・・。」
にわかに生じた沈黙の空間を、ごおと、強い風が吹きぬけていった。
確かに、精一杯だったのだ。多少の魔法力を行使できるとはいえ、所詮は子供に過ぎない己の力を痛感する。
武器として魔法を扱うことなどは今までなかったことだ。それでも、今の非力な私達にとっては、この魔法力こそが身を護る最後の切り札であることも確かではあるが。
十数人もの野盗を相手に、攻撃に転じる隙はなかった。いかに強力な魔法力を行使出来ようとも、囲まれ、多人数を相手には成す術はない。戦闘訓練された詠唱技術を持つならば別だが。
立ち止まっている暇などない。
辺りはすでに夕闇に包まれはじめ、崖下の視界は周囲数m範囲で閉ざされている。
ぎしぎしと、森のざわめきが不快な音をたて、樹木が壁のように私達の行手を遮っていた。
「ここは、一体・・・?街道には戻れないのかな?」
「シレジア山脈の西北の山のふもと付近です。心配ありません。私の村も近い。ここいら辺りの地理には詳しいですから。」
「じゃあ、日が暮れる前に急ごう。夜闇の中では獣に出会ってしまうかもしれない。」
言いながら、王子は再び杖を構えると、十字に印を切るように動かした。
すると、杖はまるでトーチのように、明るく、辺りに光をもたらしたのだ。
「セティ様!」
「みてホーク!やれるかなって思ったら出来てしまった。」
出来てしまった・・・ではない。灯りをもたらす光の呪は、確かに難度の高いものではないが、それでも”何となく”完成してしまう類のものではない。
思わず溜息をつきながら。崖下にばらばらと散らばっていた荷をまとめなおすと、王子の前に立って歩き始めた。
「では、私の後ろに、離れずついてきて下さい。まだしばらく歩くことになります。足元に気を付けて。」
深い森の獣道を進むのは確かに困難ではあるが、それでも街道をいくよりも、随分と近道となった。
日は既に暮れてしまったが、強い風に晒されても消えることのない、呪の光を頼りに進むうちに、村の教会の尖塔の影が木々の彼方にうっすらと見えた。
「あそこが、きみの故郷?」
「そうです。小さな村ですが、あの古い教会だけは辺りでも一番立派なものです。ほら、水車の音が聞こえるでしょう?この辺りは運河の支流となる河がいくつも走っていて、長い冬にも河は凍ることがありませんから、水力を利用した紡績機や粉引機が、多くの家にあります。村一番の大きな水車は教会の鐘とも仕掛けで繋がっていて、毎朝決まった時刻に鐘がなります。」
コトン、コトンと、耳を澄ますと風の彼方に心地よい水車の音が聞こえてくる。
支流沿いにしばらく南下し、森を抜け、眼下に街道が見える、岩場まで出たところで。
王子が立ち止まって、「あ!」と小さく声をあげた。
「どうしました?」
「音、近づいてくる。聞こえる?」
言われて、注意すると、確かに強い風の音に混じって、遠くから複数の蹄と車輪の音のようなものが近づいてくる。
「!!」
「まずい!ホーク!」
慌てたように王子が私を見た。
霧のせいで、かなり至近に近づくまでわからなかったが。間違いない。
眼下を駆けぬけた荒々しい男達の姿には見覚えがある。
あの、盗賊達とまさか再び巡りあってしまうとは。
商隊を襲った彼らが、略奪の手を近郊の村に広げるのは、考えられない流れではない。
この時期、村の男達は、街道整備や物資輸送などの出稼ぎに出ていることが多い。
村には、女子供など、力を持たぬものが取り残されている。
冬の直中であれば、雪に閉ざされ、自然の要塞に、護られることが出来るが、今この時期が一年を通して一番危険でもあるのだ。
不自由な視界のせいで私達の存在には気付かないようだが、村の守備兵にも、かれらの奇襲は知られていないだろう。
「村の人達は!大丈夫?」
「村の者で、戦える者はいません。近隣のいくつかの村と共同で、守備兵をやとっていますが、多くが常駐しているわけではないので、すぐには対処出来ないでしょう。」
「どうするの?!」
言われるより先に、身体が動いていた。
岩場を滑り降りて、村に向かって駆けだす。
「”私”が、闘うしかありません!」
無茶だとわかっていたが、そうするより他に無かった。
それは私の使命であり、義務でもあるだろう。
村にいない長の代わりに。村を護れなければ、自分の存在すら否定することになる。
先程とは状況は違う。囲まれれば終わりだが、一対一づつ相手が出来ればなんとかなるかもしれない。それに陛下から渡された、あの守護の腕輪を持っているのだ。
王子を巻きこみたくはなかったが、回復の杖を振れるその存在が、今はどんなに有難いことか。
駆けながら私は必死で、最悪の事態に光明を見出そうとしていた。
だが。
すぐ直後に。
私は思い知ることになったのである。
最悪の事態の上に。
更に救いようの無い悪夢が折り重なることもあるのだと・・・。
The Secret Horizon 3
村に近づくにつれて、霧はより、深く濃くなっていく。
コトン、コトンと水車の音だけが、道標のように大きくなる。
おかしい・・・と、気付いたのは、故郷の村に足を踏み入れてからだった。
静か過ぎないか?
夜半とはいえ、野盗の来襲を受けても、混乱の悲鳴も聞かれない。
家々の扉は堅く閉ざされたまま、人の気配は全く感じられない。
道には確かに、車輪の跡が生々しく、雪道にぬかるみをつくっているのに。
盗賊達は、教会に向かったのだろうとはわかった。
このような村では、まず、金目のものは、教会に集められているからだ。
教会にいる妹の身が案じられたが、あまりの違和感に私は当惑して、立ち止まってしまった。
後から追い付いてきた王子が、裏返った、悲鳴のような声を出した。
「ホーク!」
「・・・。」
言葉を紡ぐことなど出来なかった。
夢ではないかと、自分に言い聞かせようとする。
悪夢ならば、醒めてほしい。
事態がどのような状況にあるのか、混乱して理解できない。
村の入り口から少し入ったところにある、小さな広場の中央。
それは、私が良く知る、村の教会の司祭の、変わり果てた姿だった。
状況は、あまりに、普通ではない。
白い法衣の間に覗く皮膚は紫色に変色し、身体中に拳大の水泡のようなものが出来ている。
一部の水泡は破けて、中からドロリと闇色の体液がこぼれ出ていた。
法衣がかろうじて人であった姿をとどめているだけだ。
ショックで、放心してしまったのは、むしろ私のほうだった。
幼い子供が見てしまえば。一生のトラウマにもなってしまいそうな、目の前の悪夢を前に、王子が後ろで、静かな声をだした。
「これは・・・まさか。」
そのまま私の前に飛び出ようとして、すぐさま一歩反射的に身を引いた。
「ホーク、これは・・・。この・・・音・・・」
今度は明らかに、その声色が恐怖に震えていた。
「音・・・?」
私には、コトンコトンと調子を刻む水車の音しか聞こえない。
その時、霧の彼方で人の絶叫が聞こえた。
続いて、幾つもの叫び声、怒声、馬の嘶きが重なり、慌てた足音がこちらへ近づいてくる。
霧の中から、恐怖に歪んだ凄まじい形相で、4,5人の大柄な男達が私達の前に飛びだし、我々には目もくれずに転がるように村を逃げ去った。
先ほどの野盗たちだ。
ここでようやく、凍りついた思考の中で、私は状況を把握し始めた。
盗賊に村が襲われることよりも、より恐ろしく、より絶望的な事態が起こっているのだと。
「ホーク・・・!ホーク・・・。」
王子が消えいるような声で、私に注意を促す。
闇と、濃霧に遮られた視界の向こうがわに、いるもの。
風や、川の流れ、水車の音でもない。
闇の吐息のようにささやかなそれは、シュー、シューと鱗が擦り合わさるような音。
僅かに遅れて、ずる、ずる、と重いものを引きずるような音が近づいてくる。
「た、助けてくれ!」
もう一人、村の出口へ向かって一目散に逃げてくる影が見えた。逃げ遅れた賊の一人だ。
その背後、家々の軒の倍ほどの高さの位置に、二つの赤い光点が浮かび上がる。
足がもつれ、入り口の広場に通じる小さな木の橋の上で、雪に足を取られ転んでしまった盗賊の身体が、一瞬のうちに宙に浮いた。
巨大な影に喰い付かれたのだ。
血も凍るような絶叫と、骨が砕かれる、身の毛もよだつような音が辺りに響く。
男の絶命とともに、小さく淡く、弱い光がその身体を包み、徐々に闇に飲み込まれるように、消えていった。
まるでそれは、魂が闇に奪われたことを暗示するかのような光景。
気のせいか、大きな黒い影が、僅かに成長したように大きく揺らめいた。
私達は。
ただ、その場を動けなかった。
悪夢は、私達の前にその姿を現した。
それは、巨大な、黒い蛇だ。
鎌首をもたげた身の丈は、村の家々の屋根よりも高く、その胴周りは大木のように太い。
長い身体は、闇の彼方に消え、どこまで続いているのかわからない。
2本のその長い牙の間に、壊れた人形のように、先程の男の身体がぶらさがっている。
凍りついた時間の中で。
コトン、コトンと水車の音だけが時を刻んでいるようだった。
僅かな間をおいて。
巨大な闇色の蛇が首を大きく振った。
絶命し魂を奪われた抜け殻のような男の身体が投げ捨てられると。それは、川に落ち、木の葉のように流されていく。
しばらく後に、回る水車の音が。
ぎしぎしと何かを挟んだように、重苦しい音を立てて。
・・・止まった。
そして悪夢が、闇と濃霧の中で、爛々と赤い目を光らせながら。
首をもたげたのである。
凄まじい、牙の襲撃を、私と王子はそれぞれ左右に、転がるように飛びのいて避けた。
衝撃が雪と砂を飛び散らせながら広場を駆け抜ける。
「セティ様!」
地に転がった勢いで膝をつき起き上がると、黒蛇が既に狙いを王子に定め、首を巡らせ、再び小さな身体に襲いかかるのが見えた。
巨大な影の猛襲を、宙に漂う羽毛のようなステップでかわした小さな身体の、足元が最後におぼつかずにふらつく。
「白き閃光よ!」
慌てて呪を唱えながら間に飛びこむ。
ふらついて、足取りの砕けた王子の身体を庇うように身を割り込ませた瞬間。
背中を焼けつくような痛みが走った。
とっさに振り返り、至近から呪を放つ。
「闇を裂き、我が手に集え!」
一瞬、まばゆく辺りを白く染めた光の呪は、それ以上の力を持たぬものではあるが。
巨大な悪夢の化身は、驚いたように、身をくねらせ、鱗をシューシューと擦り合わせながら、急速に霧の彼方へと後退し始めた。
「ホーク!」
黒蛇の影が完全に闇にのまれ、辺りが静けさを取り戻した頃になって、ようやく腕の中の身体が小さく震えていることに気が付いた。
「す・・・まない。ありがとう・・・。」
「お怪我はないですか?」
「うん。・・・ごめん。・・・へびは・・・。」
意外なことだが、苦手なのだと、その全身が語っていた。
白い顔を真っ青に染め、いまだに震えがおさまらずに、足元が頼りないその姿は、珍しいことにやたらと子供じみて見える。
黒蛇と対峙した時間は僅かなものであったが、よくぞ二人とも無事だった、と思考が冷静さを取り戻して冷や汗が出てきた。
「ホーク!・・・ホーク様じゃないか、やっぱり!」
潜めた声で自分を呼ぶ声に振りかえると、広場に面した民家の戸口の影から、小柄な女性が青い顔で手招きしている。
「早く!こっちへ!」
強い風に煽られながらも、慌てて王子と一緒に家の中に滑りこむ。その人は幼い頃から良く見知った、村一番の紡ぎ屋であるおかみさんだ。
死んだように静まり返っていた村の中に、顔馴染みの姿を見とめて私は少し心が落ちついた。もしや村の者が皆、犠牲になったのではないかと、不安が脳裏をかすめていたからだ。
「・・・ああ、本当に予言通りになった。私達の救い主様、光の賢者様が、帰ってきたよ!あんた!」
がたがたと震えながら、すがりつく女性の後ろから、今度は足を引き摺るようにして、一人の男がでてきた。村の評議会の議長を務め、村長のいない現在の村の中では、実質的な村の長となっている元商人の主人だった。
「何が救い主様なものか!そんな子供が。」
疲労を深く顔に滲ませたまま、主人は会うなり私を責めたてた。
「村の危急のときに村長家族はいない。お前を王都の学校だか何だかにいれるために、村の者の金を騙し取り、口封じに魔物を呼んで村ごと滅ぼすつもりだったのか?!。」
「な、何を・・・。」
「ホーク!今更戻ってこられても、もう村は終わりだ!見ての通りだ!悪魔がやってきて破滅が訪れた!」
声色からは深い絶望が感じられる。思いをぶちまけるように、捲し立てられ、私は言い返すことが出来なかった。
「王都で賢者の称号を得たと聞いた。村のものは皆、一刻も早く、お前が帰還するのを待っていた。堕落した都の貴族どもの中で、村のことなどどうでもよくなったのか?!」
「ちがいます!待って!彼は、事情があって・・・。」
私の前に飛び出たのは王子だ。
「何だこのガキは。」
「わたしは、司祭見習いとして、彼の付き人をしてます。ホークは、賢者としての知見を広めるために、1年の旅に出ることを求められました。決して村の人達を見捨てたわけじゃない!」
珍しく声を高く張り上げるその様子に、王子が自分のことに責任を感じているのだということがよくわかる。
「ホーク、そりゃまた大層お偉くなったもんだな!なまっちろい人形みたいな貴族のチビをお供につけて。見ろよ、この宝石飾りのついた黄金の杖は金持ちの親からお誕生日のプレゼントか?」
「あんた!何て事言っているんだ、この大変な時に。今、村で何か出来るのはホーク様しかいないんだよ!」
「何が出来るというんだ。化け物相手に、頭の中だけでかくなった子供が!いや、こいつも奴らの仲間かもしれないぞ。何せ、こいつの妹があの化け物を身体ん中に飼っていたんだからな!」
「妹が・・・?!フェミナは無事なのですか?!一体何が・・・」
「知るか!村の子供が皆連れて行かれちまった、こんな時に何も出来ないとは・・・。」
「教えて下さい、一体何が・・・。」
言葉を続けようとして、目の前が揺らめいた。
「・・・!!」
突然、膝をついた私に、驚いたように王子が駆け寄ってくる。
「ホーク!背中、怪我している。」
そういえば、先ほど大蛇の牙を背に受けたのだった。強烈な一撃は、銀色の守護の光さえ簡単に突き破って私を傷つけたのだ。
極限の緊張感に張りつめた気持ちは痛みを感じさせなかったが、身体のほうが音をあげたのだ。
皆が慌てたように私を隣室の木の寝台に運び、王子が黄金の杖を振り上げて治癒の術を唱える間、誰も何も言わなかった。
「すみません。」
「ううん、思ったより深くなくて良かった。」
糸巻き屋の夫婦が席を外し、治癒の術の力によって、痛みが和らいだのを確認して私は溜息をついた。牙の傷は実際かなりのものであったはずだが、それは跡も残さずに完治してしまった。先程より、連続して杖を振って魔力を消耗している割には、王子は疲労感を感じさせず、顔色一つ変えずに、治って良かったねと息をついている。
いくら司祭見習いなどと理由をつけても、幼い子供が魔法を扱うこと自体不自然極まりないが、幸いにも怪しまれずに済んだ。
王子のことは、今は例え見知った村の人達であっても明かすわけにはいかない。
「セティ様、先ほどのことは、申し訳ありません。どうか気にしないで下さい。」
「わたしは大丈夫だよ。それより、きみが・・・、わたしのことで、村の人達に責められることになるなんて。」
「それは良いのです。先程の主人は商人であったゆえに村の中で都を知る数少ない人物ですが、反面、都の人間を快く思っていないのです。村長である私の父がいない今、色々と苦労をかけていることは知っています。今回のことで、恐らく責任を感じているのです。何とかしなければ・・・」
「・・・。」
「とにかく、今は事情を知ることが先決ですね。」
「うん、どうやら問題は君の妹のことだけじゃなくなった。私達の想像以上の何かが、起こっている・・・。」
「ええ・・・。」
かたんと木戸が開いて、おかみさんが水をいれた手桶を持ってきてくれた。
「ホーク様・・・、すまないね。だが、今はあんただけが頼りなんだ。どうか、村の悪夢を都で学んだ魔法で払ってくれないかい。」
朴訥な村人達は、そもそも魔法使いの能力を過信しすぎているきらいがある。
とはいえ、その切実な期待を裏切れる状況ではない。
「村の皆は?無事なのか?」
「ああ、皆、家にひきこもって、息をひそめているよ。子供達は皆、教会へ連れていかれちまったがね。」
「どういうことなんだ?一体何が起こっているのです?!」
「私達にも何が何だか・・・。突然黒いローブを纏った胡散くさい男が来たと思ったら、いきなり恐ろしい大蛇が現れるは、司祭様や兵士達が殺されるわで、村中パニックさ。」
「子供達が連れていかれたって・・・。」
「その男が子供達を皆教会に集めろと脅したのさ。言うことを聞かないと、村中皆殺しだってさ、そして司祭様が見せしめに殺された。あの人は悩んだ挙句、仕方なく言う事を聞いて子供達を差し出す選択をしなきゃならなかったのさ。だから苦しんで自棄になっている。村の全滅を覚悟で抗うべきだったのかってね。」
「そうか・・・。」
心に暗雲がのしかかる。これは私の手に負える事態なのだろうか。
「・・・司祭様は、暗黒魔法をその身に受けていた。」
恐るべき禁断の魔術を操る黒き、闇の魔法使い・・・。かつて出会い、私と妹の運命を変えたあの邪悪な使徒と記憶が重なる。
子供達を集めて、どうするつもりなのか。
また・・・自分や妹のような犠牲者がでるのだろうか。
「こうしてはいられない。」
何とかしなければ。だが、冷静に考えても、事態が私自身の能力を遥かに越えた次元で進行していることがわかる。
「ホーク、教会に行ってみよう。様子を見て、村の子達を助けだすんだ!」
「ええ。ただ、判断を誤れば、重大な悲劇が起こりかねない・・・。慎重を期しましょう。」
「村のものに出来ることがあれば何でもいっておくれ。皆、いざとなれば子供達のために命を投げだす覚悟は出来ているさ。」
「ううん、とりあえず今は、子供ふたりの方が、逆に動きやすいよ。ね、ホーク。」
へたに相手を刺激をするのはまずい、と目で告げられる。
確かに、残された村の人々が、一旦は素直に言うことを聞いたのは、最善の判断だったろう。
少なくとも、戦う力をもたぬ女子供、老人達では、あの大蛇と闇の魔導士が相手では無駄な犠牲以上に得られるものはない。
「今、この村で、戦えるのはホークだけだ。」
あえて、確認するように告げられた。覚悟を決めた私も頷き返す。
こういう日が来ることを、私は薄々と感じてはいた。
いつか自分に再接触してくるだろう闇と、命を賭けて闘うために、望んで光の魔法術を学んできたのだ。
その為に自分の命が危険に晒されることに迷いはなかったが、護らねばならない多くの者を抱えて戦うことは、何と困難なことだろうか。
「一つだけ、教えてください。」
王子が突然、女主人を振りかえった。
「ホークが戻ってきたことを、・・・今回の件を全て、予言したものがいる?」
「ああ、つい2日程前さ。随分と浮世離れした吟遊詩人が、村を訪ねてきてね・・・。」
その言葉に私と王子は互いに視線を交わし合った。
その楽師が、何者であるか。・・・私たちには思い当たる存在があるからだ。
「それは信じられない程綺麗な声で歌を歌うから、皆取り込まれたように聞き入っていたよ。でも黒薔薇の魔物と大蛇が災厄をもたらすとか何とか、不吉な内容の歌だったね。」
王子は心を痛めたように顔を歪めた。小さく独り言のような呟きが聞こえた。
「そうか、”あの人”は、君の妹を・・・おとりに使ったんだ。何てことを・・・。」
「・・・。」
少しづつ、背景が読めてきて私は愕然とした。陛下が私の妹をトーヴェの村に呼び寄せることを許さなかった理由を、今理解することが出来た。
黒薔薇の魔物・・・。それは私が出会った闇の使徒を暗示する言葉。
あの方は、一体どこまでの真実を、知っているというのか。
だが呪いをもたらした、諸悪の根源を断つ為に、あえて妹をおとりに悪夢を村に誘い込んだならば、そのやり方は無茶苦茶だとしか言いようが無い。そして私達の前に現れた時、陛下は既に起こるべきことを知っていたのだ。もし、我々が生き延びて、妹を救えたとしても、これ以上、村に犠牲者が出たとしたら、私はそのやり方に、疑念と怒りを一生拭い去ることは出来ないだろう。
「それで・・・その人の歌では、最後はどのような結末を迎えることになっていたの?」
「光の賢者が現れて、5つ鐘の音と共に悪夢を鳥籠に閉じ込める、ってね。・・・ホーク、この”光の賢者”ってのはあんたのことに違いない。さっきあんたが、光の魔法で大蛇を追い払う所を私は見ていたよ!」
あの、魔物のような詩人の、思惑通りに物語が展開することを予言というのならば、確かに自分は村の救い主ということになるのだろう。自分が、伝説の聖戦士のような魔人の能力を持っていたとしたら、それは可能であるかもしれないが。
王子が深刻な顔して、思い含んだように2,3度頷いたのがわかった。
私は、開き直ったように決意の宣言をしたが、その声は乾いて擦れたものになってしまった。
「わかりました、必ず・・・私が何とかします。子供達、皆を助けて・・・村を救ってみせる。」
まずは様子を見てくるだけ、と二人で外に出ると、村は濃霧に包まれて僅かな先の視界も定かでない状態だった。強い風が霧を払っても、すぐにまた視界が閉ざされてしまう。
「セティ様・・・どうか・・・。」
「わかっている、無茶はしないよ。でも私にはこの杖があるから、少しは君の助けになれるはずだ。」
私の心配を先回りして、王子が小さく頷いた。
「ホーク、あの蛇は君の妹の身体から出てきたと言っていたよね。それにうなされる時に見る夢のことといい。あの黒蛇は・・・、君の妹にかけられた呪いの化身なんだと思う。」
「私もそうだと思います。」
私達の前に現れた、大蛇の正体には既に気付いていた。
「ホーク、これは仮定だけど、この黒い魔道書にはもともとあの蛇が封じられていたんじゃないかな。」
そう言って、王子は再び背負っていた荷から書を取り出した。
風に煽られてはたはたと、書が捲れあがる。
「君が見た、白紙の頁は、呪いの抜け殻、蛇の棲家だった。だから、もうこの本からは何も魔力はかんじられないけれど・・・。」
そう言って、私へ向かって差し出された、本の半ばあたりに、再び白い頁が姿を現していた。
「ほら・・・ね。普段は見えないけれど、君の妹が悪夢を見るたびに、つまり蛇が出現するたびに、感応して出てくる。」
そう、解決の糸口は、この因縁の書にあったのだ。
「ええ、つまりは悪夢を鳥籠に封じると歌った陛下の予言どおり、この書に再びあの蛇を封じればいい。」
「うん。」
大蛇に対する対策はこれしかない。再び現れた時がチャンスだ。
上手くこの黒い書物の中に誘い込むのだ。
私達は今一度、顔を見合わせて頷きあった。
教会は村の中心から、少し外れたところにある。
丸太を横積みに重ねた校倉造の、素朴な木造の教会だが、高い尖塔が鐘楼を兼ねて聳え立つ。教会自体は小規模なものだが、その背後には丘の斜面に沿って修道院の施設が付随している。その為に、この村は外部から巡礼の来訪者も多いのだ。
濃霧の中、巨大な蛇が通り抉れた雪道を進むのは、まさに夢と現がわからなくなるような悪夢の世界だった。点々と先程の盗賊たちや、村が雇っていた幾人かの守備兵、そして馬と、魂を奪われた骸が道の端々に転がっている。これ程の者の命を奪った化け物相手に、今から自分達は立ち向かおうというのだ。
薄く姿を現した教会の影は、不吉な風を纏わりつかせて見える。周囲には人の気配もなく、ただ奇妙な静けさが漂っていた。
私たちはゆっくりと、気配を殺して教会の脇に近づいた。
「何も音がしないね。」
教会の裏手側に、僅かに横積みの丸太の隙間を見つけて中を覗こうとしたが、あまりよく様子が伺えない。小さな人影がちらちらと見えはするが。
「ホーク、わたしにまかせてくれ。」
そう言って、王子は僅かな隙間の壁に、目ではなく、耳を当てるように様子をうかがいはじめた。
「セティ様?」
「・・・12,13・・・15人の子供達が真ん中辺りに固まっているよ。皆怖がって震えているけれど、無事みたいだ、それと・・・、入り口のところに、ずいぶんおおきな、斧を持った怖そうな番人が見張っていて・・・黒いローブを来た、魔法使いらしい人が何か命じている・・・。、あ、あれはきみの妹じゃないかな・・・祭壇の近く、・・・大きなへびが・・・周りでとぐろを巻いていて・・・。」
そこまで囁いたところで、王子は青ざめた顔で壁から耳を離して、2度3度、息を整えるように深呼吸をした、
「わかるのですか?!セティ様。」
「うん・・・、風を、読むんだ・・・、ごめん・・・、へびは、風を乱すから、気持ちが悪い・・・。」
そう言って、胸元を押さえ込む足元がよろめく。
「セティさま・・・!」
「大丈夫・・・」
まるで自身を奮い立たせるまじないのように、王子は何事か小さく呟くと、再び、壁に耳をあてる。
「ホーク、今から風を、君の元にも呼ぶから、壁に近づいて・・・。」
言われたとおり、近づくと、中の話し声が途切れ途切れながらも、まるで耳元で囁かれるように届いた。
「・・・帝都に、移送の・・・準備はすぐに完了する。・・・子供達を・・・・・・マンフロイ様と、ベルクローゼンの御印を刻む栄光の・・・。」
「帝都へ・・・?皆を連れていくのか?一体どうして、何の為に・・・。」
「準備ということは、転移の術を使うのかな・・・。」
空間を瞬間移動する転移の術は、数ある魔術の中でも最高位のもので、それを行なうということは、中にいる魔道士はかなりの遣い手だということだ。
「あれだけの大人数を帝都まで飛ばすなど無理です。中継地を設けて可能にさせるとしてもどこかに強力な魔法陣を準備して。それに余程の魔力を持つ者が到着点で次元を誘導して協力しないと・・・。」
「ホーク・・・、あの魔法使いどこかへ・・・」
「祭壇の裏手には、鐘楼と、丘の修道院施設へ繋がる階段があります。途中に霊廟を兼ねた石造りの小部屋がありますから、恐らくそこに転送用の魔法陣を準備しているのでしょう。ちょうどいい、チャンスです。」
私達は顔を見合わせた。
正面から、まともに勝負を挑んだところで勝ち目はなく、犠牲は避けられない。
知恵を働かせて、相手の裏を掻くしかないのだ。
「入り口は魔法で施錠してあるようだよ。ホークはアンロックの術は扱える?」
「大丈夫です。どうするおつもりですか?」
「うん、とにかく、皆を逃がすことが先決だから、あの斧を持った番人と大蛇をわたしがおとりになってひきつけようと思うんだ。」
「危険です、セティ様。」
「大丈夫だよ、裏手の崖から鐘楼へ飛び移って、そこから中に入り込む。そうして教会の中で鐘を鳴らすから、5回。」
「鐘?どうして・・・。」
「5つ鐘の音が鳴るとき、ってあの人の言葉には、きっと、必ず意味があると思うから。夜明けに鐘が鳴る時まで待っていられない。」
「しかしそれだけでは・・・。」
「大蛇は、引きつけてこの書物の中に閉じ込めればいいよね。それと・・・。」
口元に手を当てながら思案すると、王子は顔を上げた。
「そうだ、村の人達に手伝ってもらってわたしが鐘楼の中で、上から油を流そう。頃合を見計らって君が教会の中に入り、皆を逃がして、火をつける。」
「セティ様は?」
「裏手の崖づたいにすぐ逃げるから、大丈夫。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・わかりました。他に手段はない。」
私達は互いにもう一度、頷き合うと準備に取り掛かった。
冷静に考えれば、それはやはり子供の考える無謀な作戦ではあったが、お互いへの信頼感と絆ゆえに、私たちは未来へ幽かな光明を見出していたのだ。
信じる心、揺らがぬ光。不可能を可能に出来ると信じられる何かがなければ、道は切り開けぬのだと。追い詰められた心が、それでも今は闇を求めずに光であり続けられるのは、とても簡単な答えなのだ。
あの紡績商の主人に私が意志を伝えると、主人は村の皆を召集して協力してくれた。村中の油が集められるとそれを小さな樽に詰めていき、長い縄で幾つものそれらを繋いで、端を王子の小さな身体に括りつける。大人では入れない鐘楼の窓の小さな隙間でも、この子供の身体ならば侵入出来るだろう。
別れ際に、王子は、す、と私の傍に近づくと、細身の腕輪を私に手渡した。
「セティ様・・・これは?」
「ははうえが私に渡してくれたあの腕輪だよ。マジックリング。」
そうか、王子が治癒や光呪を大した精神力も消耗せず、苦も無く扱いこなしたのは、この腕輪の加護もあった為なのだ。
「ありがとうございます。」
受け取って、空いていた右手にそれを嵌めると、ふわりと、一瞬浮遊感のようなものを感じた。
守護の腕輪に、魔力の腕輪。希少で強力な魔導具の加護は、この上も無く力強い味方だ。
魔法の施錠を打ち破る為、私は王子から金色の杖を受け取り、教会の正面にまわった。
幾人か戦えそうな大人たちも、農具などの武器を持って教会の正面に陣を構える。子供達を保護し、そしてもしも、自分が戻らず、最後の事態に陥ってしまった時に後を託すためだ。
女や老人達は裏手の崖の斜面に立つ、修道院の屋根の上から王子の小さな身体と樽を繋ぐ命綱を握り、そろそろと小さな身体を鐘楼へ向けて降ろす手伝いをしてくれた。
今更、村人が一丸となってあの絶望を呼ぶ悪夢を前に戦いを挑もうとしていることまで予想は至らぬのか、それとも、圧倒的な力の差を過信しているのか。私たちの作戦は、迅速に障害も無く進められた。鐘楼の尖塔の小さな窓に王子の身体が消え、油を詰めた小さな木の樽が、長い縄に連なって次々と引き込まれていくのをみながら、私は金色の細身の杖を握り締めた。
合図は2回目の鐘の音。
王子の小さな姿が教会の中に消え、濃霧の中で凍りついたような静かな時間が流れる間は、異様に長く感じられた。今は、自分の、たった一人の小さな力が、村中の人間の命綱でもあるのだ。恐れ不安を抱いている場合ではない。
その時、ごぉん、と一回、低く重く、鐘の音が村に響き渡った。
途端に内部が騒がしくなった。頭上からの侵入者の存在に気が付いたのだ。
入り口を守っていた番人が、扉から離れる気配を感じて私は杖に意識を集中した。
「封じられし、時の守人は7つの鍵を持ちて、扉を開く・・・。」
教会の中で悲鳴をあげる村の子供達の声が聞こえてくる。続いて、空になった樽が、転がり落ちる音ががらがらと響く。
金の円環を持つ杖を立てて私は高らかに告げた。
「我、守人に代わりて開錠の鍵を捧ぐ。その一は眠る天の囁き。」
・・・開かない。
次に杖を横に寝かせる。
「その二は怒れる大地の咆哮。」
・・・反応はない。
焦りを抑えながら、杖を十字に動かし空を切る。
「その三は、猛る炎の舞い。」
瞬間、扉から、不思議な圧力が風となって、私を吹き飛ばしそうになった。
扉の開錠に成功したのだ。
同時に、合図となる二回目の鐘の音が鳴った。
意を決める。
私と妹を巻き込んだ、闇の触手から、今は村の全てを護る為に。
立ち向かうことに不思議と恐れを感じなかった。
これで、全ての悪夢に終わりを告げさせるつもりだったから。
ベルクローゼン。
ロプトの黒薔薇と呼ばれる恐ろしい闇の使徒。
この時彼らの存在は、未だ歴史の表舞台には現れていなかったが。
そう。
この鐘の音が。
私と王子と、彼らとの、長き因縁と死闘の歴史の、最初の幕を開ける合図となったのだ。
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