日が昇り始めたばかりにも関わらず。早朝というよりも夕刻に近い不穏な天候の中で私達は簡単に身支度を済ませると、村を出た。
荒れ狂う風は、夜半より落ちついてきてはいたが。時折訪れる突風に、重い樹氷の森はぎしぎしと耳障りな音を立て、狭い谷間を吹きぬける風は、遠くで人の叫び声のように甲高い音を上げながら山裾を渡り歩いている。空は地平から天へ向かって、鈍錆色の赤と暗灰色の薄縞に染められていた。
風の強さの割に晴れぬ薄暗い靄により、視界は前方数十mで断ち切られ、地理に詳しくなければ道に迷ってしまうだろう。
本当に、このような天候にも関わらず、従者の一人も付けずに放り出されてしまったが、王子は、幼い子供二人で旅路を行くことに何の違和感も感じていないようで、私の先に立ってどんどん歩いていってしまう。
戦争と混乱の中で乱れた治安は、他国ほど酷くはないとしても、なまじ帝国の監視の目が届きにくい地であるだけに、野盗やならず者が野に山に跋扈しているのだ。丸腰の子供二人で旅をしているところを見つかれば、捕まえて売って下さいと言っているようなものだ。
・・・とはいえ、必要以上に心配ばかりも出来ない。形ばかりに下げた腰の帯剣を、見えやすいように外套の外側へ回して手をあてておく。
興味を引かれたらしい王子が、振りかえって剣と私を見比べた。
「にあっているな、ホーク。まるで騎士見習いのようだ。」
そう言って、後ろ向きに、軽やかに歩きながら小さく笑う。
確かに、私の背は同年代の平均よりも幾分か高めで、若干実際年齢よりも上に見られがちだ。 こうした時は、例え気休めでもその方がいい。
「そう見えた方が良いのです。何も持たぬよりはましでしょう。」
「ホークは、騎士になるつもりはなかったのかな?」
「何故です?」
「だって、やっぱり。憧れるじゃないか。」
そう言って、肩を竦めて笑って見せる。
・・・これは意外な事を聞いた。
貴方はその騎士から守られる立場ですよ、などと無粋なことまでは言えないが。
「母上は、父上をお護りする騎士だった。わたしは・・・剣は振れぬけれど、憧れはする。」
剣を振るう騎士の勇壮さに憧れているのか、無私に努め主君に尽くす精神に憧れるのか、それともまた別の理由があるのか、言葉からは定かに出来ない。
ここ、シレジアの伝統は他国と比べて特殊なところがあり、男が剣を握ることは無粋なこととされている。ゆえに、一般兵ならばともかく、近衛の騎士団は女性によって構成されており、才のある男の多くは、書を取るものなのだ。ゆえに、王子の場合も、剣術や槍術は、本人が望まなければ儀礼用の型でしか学ぶ機会もないだろう。
「では、旅路の間、私は王子を守る騎士ということですから、くれぐれもお傍を離れませぬよう。」
「剣など扱えぬくせに。」
そう言って二人で笑いあっているうちに、幾層にも厚い石の城壁に囲われた、城塞都市トーヴェの姿が薄暗い靄の狭間、なだらかな丘陵地帯の木々の遥か彼方に蜃気楼のように見えた。
シレジアの国土の大半は深い針葉樹の森に覆われているが、トーヴェのような最北の都市近郊では、樺類などの低木に代わり、更に北辺は苔や潅木だけの荒涼とした大地となる。一度街道に出ると、遠い最北の岬の切り立った断崖の線まで見ることが出来るのだ。
赤茶けた煉瓦によって舗装された街道に出ると、遠くから荷を積んだ商隊の影がこちらへ向かってくる。
厳しい冬の直中では、都市間を結ぶ正規の街道でさえ、厚い雪によって閉ざされてしまうが、春の訪れも遠い未来のことではなくなると、この主要な街道だけは整備され、商業活動の再開と共に、荷馬車の往来が始まるのだ。
「丁度良いですね。トーヴェに寄ろうかと覚悟していましたが、途中まで乗せてもらえるよう頼んでみましょう。」
商隊は大きな幌馬車と、3つの二輪荷車による小規模なもので、トーヴェからセイレーンへ、果実酒などの嗜好品や織物を運ぶ道行のようだ。
子供の二人連れである以上、この時世ならば親を無くして盗人となった孤児とも間違われかねない。杖を抱えた王子を、郷里にある教会の司祭の子だと仕立てあげて、適当な理由をつけて説明をしたところ、同情を買ったのか、親切にも、駄賃を取らない上に、道行の途上、目的の村の近くまでも寄ってくれることになった。
有難く言葉に甘えて、大きな幌馬車の荷の隅のほうに場所をとる。
考えられる最短の道行に恵まれたにも関わらず、私の心は不安と焦りに苛まれていた。
何故、もっと早く、動けなかったのだろうか。
もし、間に合わなかったとしたら。
何も打つ手が考えられなかったとしたら・・・。
私の不安を感じ取ったのか、隣に座り込んだ王子が私の顔をちらと見上げて沈痛な面持ちで呟いた。
「ホークの気持ちはよくわかるよ。・・・わたしにも、たいせつな妹がいるから・・・。」
王子の小さな妹、シレジアの幼い姫君であるフィー様は、幼いながら既にたいそうなお転婆ぶりを発揮しており、皆の注目を引きつける大物の才能を如何なく発揮していた。何より村の中で起こる事件の大半の主犯として、火の無い所に煙を立たせる台風の目なのだ。
親の手を多少離れられる年頃になったものだから、王妃様が目を離したスキに姫君が失踪するという騒ぎが週に1度は必ず起こる。
大抵、お目付け役代わりの、小さな天馬のマーニャがすぐに探し当てるから大事には至らないが。
王子はこの小さな姫君のことを、それはそれは大切にしているのだ。
私の妹が、元気になったら。たくさんの土産話を聞かせてあげたい。
もちろん、あの、・・・自由な翼を持った天馬の姫君のことも。
「暗黒神の呪いだなんて、本当にそんなものがあるの?」
王子が下を向いたまま、小さな声を出した。自らに語りかけるように。
「信じられないのも、無理はありません。私も妹のことがなければ、御伽話のような古き伝説を、現実に我が身で体験するなど考えもしなかったでしょう。」
「いや、わたしはきみを疑っているわけじゃないよ・・・。ただ、いろいろとわからないことが多くて不安なんだ。」
「暗黒神とは人の心に巣くう闇だと言われています。人の血と魂を狩る凶神ですが、一方でそれを信奉する人々もいます。本来は土着の自然信仰、つまり自然や人の生死に対する畏れや崇敬を象徴する両義的な意味を持っていた神だったのかもしれませんが。伝説に語られるような歴史的な背景から、ロプト教は暗黒教と呼ばれ、長く迫害の対象となり歴史の裏へ葬られたのです。」
「ではどうしてホークの妹が、呪いを受けなければいけなかった?」
湖水の静けさを湛えた、深い翠色の瞳で見つめられた。
問われて。遂に語らないわけにはいかなくなった。
そう、あれは、運命の分岐点。
闇の胎動は、まだ誰にも気付かれず。
悪夢が、静かに世界の裏で沈黙を守っていた頃の話だ。
The Secret Horizon 2
それはまだ私が、今の王子ほどの年頃の時だった。
私達は家族揃って、シレジアの王都にでてきていた。
理由は、私を王立の伝統ある魔導学院で学ばせるためだ。
私達家族、そして村の者にとっても、それはある意味で賭けでもあり、私の存在は村の希望でもあった。
私は決して、王宮の宮廷魔術士になるような出世道を歩むことを期待されていたわけではない。貴族の家柄でないにも関わらず、幼くして由緒正しい学を得ようとすること自体、考えられないような贅沢だった。
私は、貧しい村のために、知識と技術を持ち帰ることが期待されていた。
幼い私にも、村の者達の期待は痛いほど感じられたし、私自身、誇りに満ちていた。
振り向くことなど考えられなかったのだ。
私の意思は、村の意思。
私の未来は、村の未来でもあったからである。
挫折ははじめから理不尽なものだった。
手続きには当然、多額の賄賂が必要だ。
皆、そこまでは覚悟していたし、その為に村中から財産が掻き集められた。
だが多額の裏金を受け取った宮廷の官吏は、更に、入学許可を出すためには、試験が必要だと私達に告げたのだ。もちろん、貴族の子供の多くには、それは形ばかりのものだが。
しかしそれもまた、覚悟はしていたことだ。
私は村で、その為に、物心ついた時から、読み書きに始まり、貴族の子供達が得るものに劣らぬ教養を教えこまれてきた。村長であった父には、ある程度の財産があり、確かにそれは多大な投資であったかもしれないが、不可能ではなかったのだ。
しかし。
この時、私に与えられた課題は、古代語解読と、魔法実技。
幼い子供には不可能な、あからさまな無理難題を振られたのだ。
私達、・・・特に両親の落胆は大きかった。
伝統という名の、差別と、腐敗の壁は予想以上に厚かった。
試験を免除してもらうには、更に数倍の資金が必要だと告げられたが、それはもはや不可能なことだった。
だが、平民の子というだけで、門前払いをくらったことは、まだ煮え湯を飲んで耐えられることだ。
それ以上に。
汚い仕打ちを、私達は受けることとなった。
渡した資金を、試験を受けるための登録費用という名目で、そのまま搾取されてしまったのだ。
法の加護に護られた都市内部においても、賄賂である金は補償されはしない。強者の権力こそが法であり、時にそれは弱者の生殺与奪の権を伴うものとなっていた。
もともと貴族支配の伝統が色濃い国柄ではあるが、内乱に続く混乱によって、治安も秩序も大きく乱れ、理不尽極まりない腐敗が横行していた。
「地方出の平民の幼い子供が、書を紐解くなど、出過ぎた自惚れようだ。」
私達を見下し、嘲笑う声が聞こえた。
激昂して文官に飛びかかろうとした父は、最悪の事態になる一歩手前で家族によって止められた。
私もまた必死だった。このまま、村の金を失ったまま、おめおめと帰ることなど出来はしない。
失うものは村長であった父の栄誉だけではない。貧しい村の人々の生活、未来。
失った財産の代わりに・・・命をもって責が償えるだろうか。
私達家族は、一瞬にして、絶望の淵で逃げ場をなくしてしまったのである。
闇の中の一筋の光明という例えがある。
だが、その時私を救ってくれたのは、偽善に満ちた光ではなく、静かな闇の道標だった。
怒りと絶望による暗き呪いに追い詰められた心の闇が、本物の、闇を呼び寄せたのかもしれない。
王都の狭い、袋小路となった路地裏に、みすぼらしい身なりの男が一人、声をかけてきたのだ。
その時、私は3歳になる幼い妹と二人きりだった。
嘆く両親の姿を見ていられなかったから、事情をまだ理解できずに戸惑う、小さな妹と共に、ほんの僅かばかり子供二人で、連れ立って歩いていたのだ。
大通りの喧騒から離れて、少し脇の小道に入っただけで、そこは人気の無い薄暗い路地だった。
通りの喧騒はざわざわと、隔てられた石壁の向こう側に聞こえているにも関わらず、狭い路地はまるで別世界に入り込んだように、人一人いない、奇妙な静けさを湛えていた。
男は自分のことを占い師だと告げた。私達兄妹を呼び寄せ。そして。
やり場のない怒りを抱えた、私達家族の境遇、その心を見事に言い当ててみせたのだ。
何も知らなかった幼い私は、驚きとともに男の話に引き込まれた。
占い師は言った。
「絶望を知る者の中に、真の力は宿るもの。お前に救いの道を示してやろう。」
そして、黒光りする皮表紙の、一冊の書を私に渡した。
「やがて訪れる、黒き神の御世に、お前は選ばれし民となろう。闇は弱者にも等しくその偉大なる御力を与え給うものなり。」
占い師の口元が笑みを湛え歪んだ。
書を差し出した、ローブに隠れた骨ばった細い腕に。
黒い薔薇のような。
刺青に似た印が、見えた。
促されるままに、渡された書を開いた私は、驚きに興奮した。
それは古代語で書かれた魔導の書だ。
にも関わらず、何故かすらすらと中身が読めてしまうのだ。
しかも難解な魔導の原理が、直感的に理解できる。幼い子供であった私にもだ。
知識をまるで、綿に染み込む水のように吸収し、世界が開ける興奮に、私は夢中になって書を手繰った。
「よめる?どうして!」
「それは、闇のもたらす奇跡。お前の魂に、直接知識を擦りこむ秘術。・・・その幼き女児の魂を代償に。」
「?!」
言われて初めて、自分の隣にいた妹が、吐血して地に伏せ小さく震えているのに気付いた。
「フェミナ?!」
私は慌てて妹を抱き起こした。
「おにい・・・ちゃ・・・」
妹の身体を巻きこむように、黒い霧のような瘴気が渦を巻いていた。小さな身体が苦しそうに痙攣し、口から血を吐いて妹は呻き声をあげている。
路地裏の空気は一変していた。
黒い闇が霧状に辺りにたちこめはじめ、男の言葉が呪詛のように響き渡った。
「妹はその魂を暗黒の神に捧げよ。お前はその知を尽くして、新たな世界の臣民として仕えよ。」
「ま、まって!いやだ、まって!」
「我らが救いを受けず、一家共々破滅の道を歩むつもりか?・・・お前は選ばれたのだ。2度と訪れぬ救い手を裏切るつもりか?」
愕然とした。迷いが心を引き裂くような苦しみを伴って私に襲いかかった。
書を手繰れば、労することなく知識が手に入る。古代語を読み解き、魔術の原理を知ることができる。
そうすれば、王都の学院の試験にも難なく受かることが出来るだろう。
いや、それ以上の、特別な、選ばれた者にしか与えられない幸運を、手にすることが出来るかもしれない。
何より家族は名誉を失わず、村に希望の知らせを持ちかえることが出来る。
私の得た知識は、貧しい彼らに富と、救いをもたらすことが出来るだろう。
妹。
ひとりの犠牲によって。
皆が救われるのだ。
目の前が闇に包まれたようだった。鼓動が異常な高鳴りを示していた。
私は、書を手放すことが出来ずに次々と頁を手繰った。
そのたびに、周囲の霧は深く、濃くなり、暗き霧の影の中に、私達の身体は成す術も無く埋もれていく。
男の声は、脳裏に直接響き渡り、徐々に抗い難いものへ変わっていった。
「さあ、我らと共に来るが良い。黒き薔薇の印に誓いを・・・新しき世界の子供達よ・・・。」
もしも。
そのまま闇の誘惑の渦中にいたならば。
幼い私と妹は、抵抗する術も、道も見出せないまま、成すがままに貶められていたに違いない。
だが、黒き魔法使いは、突如、弾けるように空を仰いだ。
「・・・!おのれ、何と煩わしい・・・!」
何が起こったのか、急に慌てたように、身を翻したのだ。
周囲にたちこめていた闇は、急速に一箇所に収斂しはじめた。
袋小路となっていた路地の奥、苔むした石壁に集められた黒い瘴気の渦は、門のように口を開け、留まり。その前で、一度私達を振り返ると、占い師は苦々しげに呪いの言葉を紡いだ。
「闇より逃れることなど出来ぬ。時が満ちるその時まで、力を蓄え、待つのだ。選ばれし教国の子よ・・・。」
男は、そのまま漆黒の渦と共に消えた。
取り残された私は、書を取り落としたまま、呆然と立ち尽くしていた。
目の前に、血を吐いたまま、ぐったりと蒼白な顔の妹が気を失っている。
空白の時は一瞬であったかもしれない。
が、時が止まったかのように、私には長く感じられた。
石壁を隔てた通りの喧騒が、ざわざわと響く音に、わたしが我に返ったのと、ひとりの青年が、路地裏に飛びこんできたのは同時だった。
「おい!何があった?!」
呆然自失であったためか、その人物に関しては不思議なことにまるで記憶が定かでないが。 確か、まだ若い青年だったように思う。
その人物は不審そうに辺りを見まわすと、イライラした様子で、私に厳しい目を向けてきた。
「お前達だけか?他に誰かいたんじゃないのか?!」
私はただ混乱して言葉も紡げず、怯えながら、占い師が消えた石壁に目をやった。
青年は私の視線にすぐ反応すると、石壁に駆けよって壁に耳を当てるように周囲を調べ始めた。
そんな事をしても意味はない、先程の人物は、消えてしまったのだ、と伝えたくとも言葉が出ない。
「逃げたのか。・・・俺を怒らせて、逃げられると思うなよ。」
何やら勝手に納得すると、再び身を翻して、駆け去ろうとする。
私はただ、必死で、助けを求めた。だが、伸ばした手は容赦なく叩き落とされた。
「助けてくれ・・・だって?助けろ?どいつもこいつもうるさいな!」
逆に、酷く責めたてられたのだ。
「助けられる訳ないだろう?自業自得だよ!仕方がなかった?皆そればかりだ!愚かな人間達!」
呆然とする私を前に一方的に怒鳴りたてると、今度ははっとしたように口元に手を当てて、目を泳がせながらぶつぶつと独り言のように呟きはじめた。
「まずいな。・・・制御出来ない。矛盾が止められない。くそ、何だってこんなことに・・・。」
妹のもとに座り込んで放心する私と、転がった黒光りする書を見比べて。
場にひととき、沈黙が訪れた。
私達を冷たく突き放した割には、立ち去ることが出来なかったのか、その人物は私達の前で小さく舌打ちをした。
「お前達に構ったせいで、奴を取り逃がした。その為に生じる犠牲の代償を、お前はどう支払うつもりだ?」
静かに。
言葉は私を責めながらも、ぐったりと気を失った妹の元に屈みこんで様子を伺おうとする。
「・・・たすけて・・・ください。」
「助けられない。」
冷たい言葉。だが、その手が妹の顔にかざされると、淡い光が小さな身体を包み、土気色だった顔に、僅かにほんのりと赤みが戻った。治癒の魔術を行使したのだとわかった。
片膝をついたまま、その人物は私を見据えた。
「闇の誘いに応えてしまったな?連中はお前達のような子供を狙っている。抵抗する術をもたない、弱き魂を生贄に・・・”奴”を蘇らせるつもりだ。」
・・・まるで夜語りに聞いた御伽話のようだった。
おそろしい、あくまのつかい、くろき、やみのまほうつかいのものがたり。
夢だと思いたかったが、目の前の、何者かも定かならぬ人物は、黒き書をとり、私の胸元に押しつけてきた。
「その書は、お前自身の”咎”だ。いかなる理由があろうと、開けた扉は元に戻せない。この子はお前が得た知識と引き換えに生贄の烙印を押された。解呪は容易ではない」
「いもうとは・・・。」
「選ぶのはお前自身だ。闇に応えるも、逆らうもお前次第。光の道は困難で数多の犠牲を伴うだろう。闇もまた然り。闇に選ばれた魂ならば、転じて光を識ることも出来るだろう。」
奇妙な力を持った視線が、私の心を測るように射抜く。
先程まで晴れあがっていた空は、いつのまにか、急激に暗く厚い雲をおとしはじめていた。
ぽつぽつと、重い雨滴が地を穿ち始める音に、青年は深い溜息をついて立ちあがった。
「ほら雨まで降ってきたじゃないか。それもこれも全てお前のせいだ。責任をとれ。」
雨が降ることまで責められる。理不尽な思いばかりする日だった。
「まったく、泣くたびに、雨嵐まで呼ばれたらこっちがたまらない。子供があれほど厄介な生物だったなんて知らなかった・・・。」
不可解な独り言をぶつぶつと呟くと、そのまま背を向け、私達を置き去りに立ち去ろうとする。
「いかないで!・・・たすけて・・・ください。」
ぐったりとした妹を抱き抱えたまま、私は悲痛な叫び声を出した。
「無理だよ。残念だが。だがもし、お前が強き信念のもとに揺らがぬ光を見出せたならば、それは黒き蛇を断つ刃となるだろう。」
そのまま、振り返りもせず、青年は、風のように声だけを残して、消えてしまった。
「時代を動かすのは人の心に燈された光一つ。俺はただ、揺らぐ風の語り部に過ぎないから・・・。」
地を貫くような激しい雨は、その後しばらくして、嘘のようにぱたりとやんでしまった。
取り残された私達は、すぐに別の大人に発見されて、妹は近くの教会に運び込まれた。
私は遭遇した出来事を、教会の司祭様に細かく話したが、夢でも見たのだと取りあってもらえなかった。妹から何故か呪いの気配は消えていたのだ。
証拠に渡した、闇色の書物は驚いた教会の僧侶達に取り上げられ、それをどこから手にいれたのか、私はひどく叱られた。
書物からも、特別な魔力の気配は感じられず。
高熱を出してうなされる妹は、流行り病だと片付けられた。
だが、私が出会った不可思議な出来事が、夢ではなかったと証明できる証が、唯一つだけ残った。
私は、王都の由緒正しい、魔導学院の試験に、・・・受かってしまったのだ。
奇跡だ、神童だと、騒ぎ立てられ、私達を侮蔑した物達は皆、手のひらを返したように私を迎え入れた。
そして私の得た栄光と引き換えに。
その時から。
妹は、床に伏せ続ける生活が続いている。
それでも、おにいちゃん、気にしなくていいよ、と妹は笑う。
身体は不自由でも。
夢の中で、自分は天馬に乗って、自由に野山を駆け回っているのだ、と言って。
がたがたと、揺れる荷馬車の車輪と、蹄の音だけが響いている。
私の話を聞いて、王子はそのまま、顔を伏せ、ふさぎこんでしまった。
私もまた、これ以上、語る言葉をもてず、同じように、顔を伏せたまま、しばらくの時が過ぎた。
あの時のことを、改めて思いだして、心が痛む。
仕方がなかったのだ、と何度、自分に言い聞かせ続けたことか。
運命の分岐点。あの、恐ろしい闇の使徒と出会ってしまったために、今の自分があることもまた事実だけれど。
そして、あの時のことに関わる。更なる真実に私が気付くことになるのは、随分と先の事になってからだった。
私が出会ってしまった、真に恐るべき人物とは、あの黒き闇の魔法使いの方ではなかったのだと・・・。
それは点と点を結ぶように、単純な真実なのだけれども、何故か、そのことに思いを馳せようとすると、頭が霞みがかったように、全てを隠そうとしてきたのだ。
その理由を、十数年の後に、私は知ることになる。
「貴方には、・・・あまり、話したくなかった。妹の犠牲の上に今の自分があること。・・・あの、闇に捕われた過去を。」
ぽつり、と本音が出てしまう。
それでも、話したことで、何かが、ふっきれたようだった。
これは懺悔だ。
私は、誰かに、裁いてもらいたかったのだ。
「きみも、被害者じゃないか。自分を責める必要なんてない。」
小さな声で、優しい風が、私を気遣ってくれる。
「セティ様。私が得た・・・知識も、能力も、全て私自身の力によるものではないのです。」
「それはちがう。きみが得たのは、ただの”きっかけ”だ。きみは、血のにじむような、努力をしてきた。才能だってあるし、とても、頼りになる・・・。」
慰める言葉に、心が洗われる。
はじめて、本当に、自分という存在が、他人に認められたのだと。
あの時から、凍りついたまま止まってしまった心に、このちいさな存在は、光を示してくれるのだ。
「きみは強いね。・・・わたしは、じぶんの無力が歯がゆくて仕方ない。」
「それはむしろ私の言葉です。王子。」
「ううん・・・。わたしは、皆に、護られてばかりいる。何も知らずに・・・、国のことも何も知らずに、好きな事をして暮らして・・・。」
「・・・。」
「もっと多くのことを学びたい・・・。わたしはわたしの出来ることで、何かを成さねばいけないのだと思う。」
「せめて私の前でぐらいは、・・・甘えてくださって良いのです。」
「ホークはわたしを、甘やかしすぎだよ・・・。」
こつん、と左の二の腕に重みがのって、少し驚いてしまった。王子が、頭を凭れ掛からせてきたのだ。
思わず鼓動が跳ねあがってしまう。
この人が、このように、人に甘えを見せることなど、滅多にない。
私は、それほどに、信頼されているのだろうか。
恐ろしい咆哮のような風の音が遠く、地の果てに響き渡っていたが。
この小さな小さな空間だけが、まるで揺り籠のように柔らかい風に満ちていた。
その時間は、長かったのか短かったのかすら定かではない。。
王子は突然起きあがって、私の正面に回ると、静かな、強い瞳で告げた。
「条件を整理しよう。ホーク。いくつか聞きたいことがある。」
幼子とは思えない、人を惹きつけて離さないこの知的な瞳の輝き。決意がみなぎるその輝きにひきこまれる。
私もまた、改めて座りなおすと、その小さな姿に真剣に対峙した。
解決の糸口が、既に私たちに与えられているとするならば、点を線に繋ぐように、それを突き止めなければならない。
「私に答えられることならば、何でも聞いてください。」
「では、まず一つ目。君の妹の症状を具体的におしえてほしい。」
「病のようでいて、似て非なるものです。身体に力が入らず寝たきりの生活が続いています。」
「呪いに生気を吸い取られているのかも。」
「恐らくそうでしょう。時折高熱を出してうなされます。悪夢を見るらしいのです。知りえる限りの解呪の法を試してみても無理でした。」
「悪夢・・・?」
「黒き蛇の夢だと本人は言っています。」
「蛇だって?!」
蛇、という言葉に意外にも、王子は、僅かに身を震わせて反応した。
「黒蛇は暗黒神の化身とも言われ、黒魔術を象徴する生き物の一つです。」
「それなのに、教会の司祭様には、呪いの気配がわからなかった?」
「黒蛇の夢を見ない限り、妹から呪いの気配は消えてしまいます。司祭様の側では、悪夢は現れません。それもあって、妹を教会に託しているのです。」
「・・・。」
王子はそのまま、まるで大人のように、口元に手をあてて考える仕草をした。
「黒蛇・・・。蛇を断つ刃・・・。」
「セティ様?」
「ホーク。それできみが手にいれた黒い、例の本はその後どうなったの?」
「王都の学院で、禁書として保管されていたその本に再会しました。研究の名目で調べつづけましたが、何も、妹の呪いに関わるような知識は得られませんでした。」
「その本を読むと、皆呪いにかかってしまう?」
「いえ、何も、魔力は感じられない普通の書です。私が経験したような体験は、後にも先にも、あの時ただ一度だけ。」
「そうだね、私が読んでも、何ともなかった。難しいし。闇の儀式に関する怖いことばかり書いてある」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・昨晩、読みましたね、王子。危険ですから、あのような書に触れるのは、もう少し大人になられてからにしてください。」
「・・・だって、きみが用意したのだと思ったけど。目の前に広げられていたから。」
「何ですって?」
「今も持って来ているよ。ほら。」
そういって、王子は背負った荷を解き、あの、黒光りする因縁の書を抱え広げた。
「!?それは・・・。セティ様、一体どうして・・・」
だが私が驚いた顔を見て、王子もきょとんと眼をしばたたかせた。
「あれ、きみの仕業だろう?」
王子の話では、用意してまとめた荷のなかに勝手に入っていたのだという。
私達は顔を見合わせた。
「ホーク!この本に関して、何かおかしなことはなかった?どんな些細なことでもいいから・・・。」
そう言えば、と。
つい今朝がた見た、白紙の頁のことを、私は話した。
「何も書かれていない?」
「そんな頁があった記憶はないのですが。」
王子は不審そうに、私の言葉を受けて書を手繰った。
だが、どこにも、そのような頁は見当たらない。
「おかしいですね。確かに、今朝見たときには・・・。」
「・・・。」
王子は、眉間を寄せて、思考に沈黙した。
私もまた、何かが、自分の中で繋がろうとしていた。
つまり・・・。
「ホーク。これは、わたしの仮定にしか過ぎないけれど・・・。」
深刻な表情で、私に向きあいながら王子が、語り始めた、次の瞬間だった。
ガタガタっと、大きな音と共に振動が私達に襲いかかった。
続いて馬が高くいななき、叫び声と共に、外が騒然となった。
「野盗だ!!」
男の叫び声と、剣を抜く金属音が重なる。
「!!」
「セティ様!!」
突然、幌を突き破って凪ぎ払われた蛮刃に、慌てて、王子を庇って転がりこむ。
「ホーク?!」
剣の重い刃は身体を僅かに掠めたが、瞬間、淡い銀色の光が私の身体を包み込んで、鎧のように身を護った。
陛下から渡された、銀色の腕輪・・・守護の腕輪(シールドリング)の力だ。
馬車の荷台から転がり落ちた、私達の目の前には10人前後の、荒々しい男達が商隊に襲いかかる光景が広がっていた。
「くっ!!」
こうした事態はある程度、予想していた。何より、護衛も少なく小規模で抵抗力のない商隊は野盗の格好の餌食となりやすい。
旅の安全は運と確率に頼るしかない時代。商人達もそれを覚悟のうえなのだ。
法も道徳もない、力のあるもののみが生き残る。それが厳しい現実。
多勢に無勢。既に護衛の剣士は切り倒され、荷を捨て逃げようとする商人達は、成す術もなく次々と惨殺されていく。
「な・・・。」
殺戮の現実を初めて目の当たりにしたであろう、王子はあまりのことに顔面を蒼白にして固まっている。
「おい!ガキもいるぞ!」
私達に気付いた男が声を張り上げる。
「ガキは捕えろ!高く売れる!」
「まずい・・・逃げますよ。王子。私に掴まっていて下さい!」
「商隊の人は?・・・たすけてあげないと!」
「もう無理です!王子、状況判断を誤ってはいけません。」
いいながら、強引に小さな身体を抱え込むと、崖際に走りこむ。
「白き閃光よ!闇を裂きて我が手に集え!」
途中、振り向きざまに、短い詠唱と共に呪を放った。
瞬間、まばゆい閃光が辺りを覆う。
それは簡単な光の呪法だったが、まさか私のような子供が魔法を行使するなど想像していなかったのだろう。
男達が一瞬ひるみ、足を止めたその隙に。
王子を抱え込むようにして。
私は。
切り立った崖から飛び降りた。
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