その晩は、眠るどころではなかった。
 身を裂かれるような激痛は、間断なく私を襲い、その度に治癒の術を唱えなければならないから、疲労はまともに思考することを不可能にした。
 どうやって、夜明けを迎えられたかも、定かではない。
 人が一人寝泊まり出来るだけの、小さな部屋の簡素なベッドを私が占領して、あの人は粗末な木の椅子に腰かけたまま、部屋に残されていた古びた書物を、大して面白くもなさそうにはぐっていた。
 吐血を繰り返す私の為に、小さな手桶に氷雪を砕いて入れたものを炎呪で溶かして、たまに、汚れてしまう手をぬぐってくれる。
 飛竜に引き裂かれてしまった外套は、寝台を汚さないように敷かれていたが、既に多量の血に濡れてしまっていた。
 いかに治癒を繰り返そうと、失われた多量の血液が戻る訳ではないから、貧血の負荷も加わって、指一つ動かすのも重く、だるく感じる。頭は、常に割れそうな痛みを訴えていた。
 それでも、夜明けが近づくにつれて、身の内で猛威を振るっていた嵐も、落ち着きはじめたようだった。
 重い身体に鞭を打って、寝台を降りようとして、予想以上に、自分の意思ではどうにもならない身体の状態を知った。
「・・・?何をしている!」
 寝台から転げ落ちた私の姿に、流石に、それは予想外の行動だとばかりに、少し驚いたようなあの人の声が聞こえた。

 だって・・・。

 食べ物とか、何か採ってこないと。昨日から何も食べてないでしょう?
 寝台も、綺麗に片付けないと。

 私は大丈夫だから、貴方は休んでいて下さい・・・。

 私は・・・大丈夫。
 ・・・・・・。

 ・・・・・・。






 ・・・・・・嘘だ、大丈夫じゃない。

 頭で考えたことが、声に出ていない。
 身体は、ぐったりとして鉛のように重く、視界もぼやけて霞んでいる。
 結局、呆れたあの人に、寝台に再び引きずりあげられた。

 離れ際に。
 
 乱れた前髪が、汗で額に張り付いているのを、右手で、鋤いてくれた。
 ・・・・・・・。


 もう一度。
 転がり落ちてみようかな。
 なんてしょうもないことを考えてみたりしていると。頭上から、あの甘い響きの声が囁いてきた。
「少し、落ち着いてきてはいるようだ。今のうちに眠れ。」
 この人の不思議な声は、魔力でも帯びているんじゃないかな、なんていつも思う。
 眠れ、と言われて、急激に睡魔が襲ってきた。

「ちちうえ。・・・。」
 離れていく影が不安だったから、とっさに、力無くも、服の端を握りこむ。
 振り払われるかと思ったが、影はそのまま止まってくれた。
「どうした?」
 ・・・・。

「もし・・・。もし、も・・・。」


 いつだって。
 やっとの思いで振り絞った勇気が、報われることはなく。





 ・・・・。






 ・・・結局。

 最後まで言えずに、私は眠りの淵に落ちてしまったのだ。





















ほしをつぐもの 中編
























 暗い。・・・それに寒い。













 見渡す限り何もない、漆黒の世界が、果てしなく広がっている。













 自分が立つ場所の、前後も、上下もわからなくなるような、濃密な闇が身に纏わりついてきた。

 ・・・私は何故、こんなところにいるのだろう?

 「父上!」




 ・・・・。
 呼んでみたところで、自分の声が虚しく響くばかり。

 「母上?フィー!・・・ホーク!」

 いつも傍にある温もりが、その存在がまるで感じられない。
 永遠にそれらが失われたかのように。

 例えようもなく、哀しくて、寂しくて、押し寄せる孤独に心が潰されそうになった。
 ・・・そういえば。
 私はこれまで、このように一人きりになることなどなかった。
 望めば誰かが必ず、傍に居てくれていた。
 十字に印をきって、光の呪を唱えると、発光する球体が出現し、自分の周囲がほんのりと照らしだされた。




 雪が降っている。でも・・・、他には何もない。




 立ち止まってもいられず、駆け出して。泣きそうになるのを、必死でこらえた。





 このまま。ここに永遠に、閉じ込められたら。きっと気がおかしくなってしまう。


















 その時、遠くから幽かな歌声が、聞こえた。



 ほんとうに、気をつけていなければ、失われそうなそれに、必死に意識を集中する。
 まるで、しんしんと舞う、雪の音のようなそれ。
 それでも、暗闇の中で、唯一の道標となってくれる。

 どの方角から、聞こえてくるのかすらわからなかったが、必ず辿りつける、何故かそんな確信を持って、私は歌を追った。












 ・・・・と。

 突然。









 左手前方に、柔らかな光が出現した。



 暗闇の中では、僅かな灯りでも随分と眩しく感じられる。
 何かと思って、立ち止まって目をこらすと、光の彼方に、良く見知った光景がある。
「母上!ホーク!みんな・・・。」
 トーヴェの村の、あの館の一室だ。暖かな暖炉の周りに、皆が集まって、楽しそうに語り合っている。

 出口かもしれない!・・・そう思って、光に踏み出そうとして。





 ・・・・。







 見えない壁に、遮られた。













「・・・!」
 再び湧きあがる不安。
 たまらず、壁を叩きながら、叫んだ。
「みんな!わたしはここだよ!」
 聞こえていない。誰も振り向いてくれない。
 




 母上だけが、私のほうを見た。

「母上!・・・助けて」
 楽しそうに笑っていた母が、急に、いつものあの、哀しげな瞳で、・・・泣きそうな瞳で、こちらを見た。
 私の方へ歩み寄ってくる。
 

 助かる・・・、そう思ったのも束の間。




「・・・・!」
 私のほうへ手を伸ばした母に向かって、闇が、その触手を伸ばしたのだ。


「!ダメだ!母上!こっちにきちゃいけない!」
 暗闇が、光を纏った存在を飲み込もうと、牙をむく。
 蠢く闇の、すぐ手前まで来て、母は歩みを止めた。
 何がそこで起こっているか、わかっているようだった。

 すぐ近くに、互いがいるのにも関わらず、決して触れあえない。


「母上・・・。」






 ・・・と、その後ろから、小さな影が飛び出したのを見て、私は驚きの声をあげた。

 小さな影は・・・、私自身だ。




 越えてはいけない境界を、戸惑うことなく乗り越えて、闇の中に飛び込んできた。

「ダメだ!いけない。戻って!・・・喰われてしまうよ。」
 鏡の中の自分に話しかけるように、私は必死に壁の向こうの自分を諭そうとした。
 闇は次々と、その身体に絡みつき、光を奪っていく。その中で必死にもがく自分は、それでも抵抗しながらこちらへ手を伸ばしてきた。
 でも、こちら側の自分は見ていることしか出来ない。

「戻って!早く、戻って!」

 助けを求めた自分を呪った。
 光の中でまどろむ幸せを、壊すべきではなかった。
 闇に蹂躙されて、力なく弱っていく自分を、光の中から成す術もなく見守っているホークの顔が苦しげに歪められている。
 妹の泣き声が後ろから、聞こえる。

 馬鹿な自分・・・。

 どうして、身近にあった、暖かな、大切な光を打ち捨てて、こちらへ飛び込んできたのだろうか。



「嫌だ!もういい!私は・・・。」
 叫んだ瞬間。





 壁の向こうの光が掻き消えた。











 ・・・辺りには再び、闇の帳が降りた。


「・・・。」
 自分で自分の、最初で最後の逃げ道を断ってしまったのだろうか。



 また。

 遠くに、歌声が聞こえた。




















 幽かな歌声は、先程よりもはっきりと、その輪郭を強くしている。
 ・・・女性の声ではない。




 私は、弾かれたように顔を上げた。
 これは、・・・あの人だ!
 父上が、どこかで、歌っている。
 全力で、声を追って駆けた。
「ちちうえ!どこ?!」
 あの人に会えたなら。ここから出る術が見つかるかもしれない。



 あの人に会えたなら、もし・・・ここから出られなくても。
 ずっと一緒にいられるなら、それでも・・・。



 ・・・いや、だめだ。



 皆のところに帰らないと。

 待っていてくれる人達のところへ。

 暖かい光の世界へ、帰らないと。

 私を光だと思ってくれている、多くの人の声に、応えなければならないから。
 私は、私のわがままだけで生きることは、許されていないのだ。

 

 ・・・先程の、光景が頭の中に蘇る。







 とても美しくて、柔らかく、哀しい響きを乗せた歌声は、今やはっきりとその方向を知覚出来るほどになっていた。

「父上!」

 焦がれる人の、輪郭が、闇の彼方にぼうと浮かび上がった。
 せりあがった、小さな岩の上に腰かけて、何故か幻のように淡く、光を放っている。

「ちちうえ!」

 僅かに、・・・違和感を感じた。

 消えてしまいそうなその姿が怖くて、歌を邪魔しないように、静かに、ゆっくりと近づく。
 いつも、その長い髪をゆるく結わえているのに。
 気のせいか、短めの髪が風に乗ってふわりと舞った。

「父上?」

 思わず、その足元に駆けよってしがみついた。

 歌声がやんだ。

 私の存在にまるで気付かなかったのか、驚いたようにその人は顔を上げて私を見た。
 驚きで、私は言葉を失ってしまった。









 ・・・泣いている。







 父上が、泣いている?

 確かに、私は見たのだ。

 静かに、はらはらとその頬を伝う雫を。

 美しい、そのヒスイの瞳から、それはこぼれ落ちていた。音もなく。






 ・・・ヒスイの瞳?












 違和感。














「父上?!」



 これは幻だ。

 私は認識した。

 先程見た光と同じように。私の目の前で、ゆっくりと姿が掻き消えていく。
 まるで、その存在が、失われた過去の残照であったかのように・・・。

 消える口元が、最後に、なぜ、と動いたのがわかった。


















 辺りに再度、闇が降りて。

 私はとうに理解していた。
 ・・・これは、夢なのだ。
 私が閉じ込められてしまったここは、意識の世界。
 
 しかもただの夢ではない。

 これこそが、恐らく父の言った継承の試練の一つ。
 ”魂を喰らう意思”と闘わねばならない、とあの人は言った。



 神器には神の意思が宿るという。

 それは決して邪悪なものではないが、その絶対的な意思の存在は、弱い意思を簡単に飲み込んでしまう。
 自分が自分であるためには。答えを示さねばならない。
 何故自分が力を必要とするのか。自分は何を求めているのか。
 風の力の支配者にならねば、逆に心を支配されてしまう。

 永遠に、この醒めない夢の中で彷徨わねばならないだろう。








「フォルセティ・・・?」

 シレジアの守護神と言われる神・・・、その名を呼んでみた。
 話が、出来るだろうか?ここから出してくれ、と。

「フォルセティ!・・・でてきてくれ!」

 呼びかけた。

 神と話をするならば、言葉を、慎重に選ばねばならない。
 言霊が、力を持つのだ。絶対的に。

「私は、セティ。正当なる紋章の継承者だ。貴方と意思を交わす、権利がある。」
 左手首の聖痕を掲げて見せる。
 古い、太古の書物を、ホークと一緒に解読して、知っていた、一つの盟約の言葉を告げてみた。
「弥高き、天なる力の翼にして、光導く風の守護者。我、汝の真名を呼び言霊を力と成す・・・。」

 ・・・出来るかな。本来、必要な品も揃っていないけれど。


「”フォルセティ”!盟約に従いて我が召還に応えよ!」






『何故、お前が、”それ”を知っている。』














 突然、背後から声が聞こえた。驚いて振り向くと。

「父上?!」

 それとも、神が父の姿をとって、現れたのだろうか。
 静かに、佇むその姿。
 驚きとも、苦々しげとも呼べる複雑な表情を、その面に宿している。

「セティ。お前には魔導書の力を継承してもらわねば困る。お前の意思は関係ない、それは私の意思だ。」
「父上・・・。どうして?」
 時を待つ余裕がないと、貴方は言った。
 だから、私は半ば強制的に、この試練にさらされた。
 貴方がそれを望むなら応えたい。
 いや、私自身も、叶うならば力を得たい。・・・だけど。
「答える必要もないだろう。・・・お前が、夢から醒めることは、ないのだから。」
「・・・え?」

 白い手が、す、と差し出された。
「おいで、セティ・・・。」
 呼ばれた。
 抗えない。・・・この魔法のような声に。


「案ずることはない。魂が戻らずとも、”道具”は使える。・・・むしろ、扱いやすいくらいだ。」
 
 残酷な、言葉と裏腹に。そのしなやかな手が私を引き寄せて、驚くほど優しく、私の頬を撫でてくれた。
 両手で、私の頬を包んで、優しく優しく、額に、キスされた。
「ちちうえ・・・。」
 泣きそうだ。嬉しいのか哀しいのか何がなんだかわからなくなった。
 身体中が熱くなって、溶けてしまいそうな感覚。
 抱きついてしがみついたら、柔らかく抱き返された。



 ずっと、傍にいたい。私が本当に望むことは、それだけなのに・・・。



 これは、試練なのだろうか?
 ・・・でも。



「夢の世界で、お前が望むことを全て叶えてやろう。・・・さあ、何が欲しい?」
 貴方が、いればいい。
 
 きゅ、と首に手を廻してしがみついたら、そのまま抱き上げられた。
「・・・無欲だな。」
 ・・・嘘だ。わたしは、とても、貪欲だ。


「では、私の添人として、永遠に時の傍観者となるがいい・・・。」
 甘い、甘い誘惑。
 頭の片隅で鳴り響く、警鐘。

 いけない。・・・このままでは、いけない。

 身体の弱い母上。小さな妹のフィー。いつも私を気遣ってくれるホーク。
 大切な、村の人達。シレジアの人々。
 皆の姿が、光の奔流となって押し寄せた。

「・・・どうした?迷っているのか?」

 優しく柔らかい声。
 私の迷いを打ち消すように、もう一度、頬に口づけられて。

「わたしは・・・。」

 声が震えた。求めてやまなかった姿が、すぐ傍にあるのに。



「わたしは。」









 歌が、聞こえた。
















 私は、優しいその腕を、振り払って、飛び降りた。
 
 心音が、耳元で響いて、息苦しくて肩で息をしなければならなかった。
「それが、お前の選択か?」
 苦しい。
 拒絶の視線を受けて、後悔が押し寄せる。
 違う。わたしが選ぶのは・・・。

「良かろう。意思あらば、去るがいい。・・・それもまた一つの答えだ。」

 私には私の意思がある。迷いさえない強固な真実。
 貪欲な、自分。

 ・・・どちらか、なんて選べない。

 ・・・だから。必ず。







 歌が聞こえる。





 私は振り向いて、全力で駆けだした。
 この歌は道標。夢の出口を指し示している。

 ・・・根拠もなく、そう感じた。

 もしかしたら、泣いていた、碧の瞳を持つもう一人のあの人が、今度は確かに意思を持って私を導いている、そんな気がした。
 美しい、とても美しい声。
 迷って、振り向いたら捕われる。
 息苦しさは限界に達し、身体のあちこちに痛みが走る。



 光が見えた。



 今度は、見えない壁に遮られることもない。





 迷わず、その中に飛び込んだ。

































 暖かい風が、す、と頬を撫でた。












 いや、頬だけじゃない。額を、目許を、顔の輪郭を確かめるように、幾度も、幾度も辿っている。
 とても、心地よい。

 ・・・風?

 それは、唇の上を、ゆっくりと、なぞって。
 今度は、髪が、柔らかく、掻きあげられた。



「う・・・ん・・。」
 声を上げると、その優しい感触は離れていってしまった。



 僅かに身じろぎすると、全身に激痛が走った。
 そのせいで、意識がクリアになる。
 目を開く。

 私は・・・!



















「帰ってきたか。」





 紫玉の瞳が私を覗き込んだ。
 ここは神殿の小部屋の、寝台の上。

「ちちうえ・・・。」
「これで、もう何も問題はないだろう。・・・予想よりも早く、結果が出たようだな。」
 神器の継承が、無事に済んだ、とその言葉は告げていた。
 私は、どうやら試練に、打ち勝てたようだった。
「まだ、身体の内の傷も、体力も回復はしていないだろうがな。」
 よくやった、と優しい手が頭を撫でてくれた。
 信じられない。
 ・・・これは夢の続きじゃないだろうか?

 振り払った、暖かいあの手を思いだす。





「さあ、明日までに、出来る限り身体を休めておけ。」
 外の様子はわからなかったが、既に夕暮れ時だと、何故か理解出来た。
「父上・・・」
 たくさん、・・・たくさん聞きたいことがある。
 いつも冷たい父が、不思議と、柔らかい瞳で私を見返してくれた。
「これを食べるといい。有り合わせのものしかないが。」
 そう言って、赤い小さな甘酸っぱい実が詰まった、固い木の実をナイフで割って渡してくれた。それと塩漬けして乾燥させた、旅の保存食用の干し肉が数切れ。
「父上は?」
「私はもう食べた。」
 自分の身を気遣え、と呆れたように返されたけれど。

 たった二人きりの空間。
 ・・・こうして一緒にいられるなら、もっとずっと、試練が続いても、良かったかもしれないとさえ思う。
 甘い実をかじると、喉の乾きも癒されるようで。
 今なら。少し。
 わがまま言っても、聞いてくれる、かな?






「ちちうえ・・・。・・・うた、きかせて下さい・・・。」





 その、天上の美声を、独り占め、なんて贅沢だ。
 なんて思いながらお願いしてみたら。

「駄賃も払わずに聞くつもりか?」
 なんて、いじわるな答えで返された。・・・この人は・・・。
 何か言い返そうと顔を上げると。
「まあ、お前の努力と、寝顔の可愛さに免じて、サービスしてやろうか。」



 私の方を見て、・・・笑った。












 はじめて、みた、かもしれない。





 ・・・いや。遠い、記憶の中で、知っているような・・・。

 すぐに、きっとまた、失われてしまうのだろうけど。
 明日にはいつもの、冷たいあの人に戻っているのだろうけど。

 ・・・残酷な悪魔。




 その表情も。紡ぐ言葉も。
 
 まるで別人のようだ。















 気のせいか。

 光の加減で、その紫玉の瞳が碧色に揺れて見える。
 母上と同じ、優しいヒスイ。







 そして。





 ああ、やっぱり。













 ・・・何だか泣きそうになったのをごまかして、果実にかじり付いた。













 ・・・・その歌が。



 夢の中で聞いた。

 ・・・あの歌だったから。







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