不思議な人だ。



 その俗世離れした雰囲気だけじゃない。
 ・・・実際この人の周囲は謎に満ちている。
 もっと良く知りたい。
 ・・・追いかけて、追いかけて。遥か雲の上にいる父と、自分との距離を知る。
 天使のような、なんて妙な形容をするのは私ぐらいなもので。
 理解できない、得体がしれない、人間離れした、近づきがたい印象を多くの者が受けるようだ。



 変わってしまった。と、皆が言う。



 かつての父は、人懐こくて、身近な者から、シレジアの国民まで広く慕われていたらしい。
 明るくて、人を食った性格、機微に富んだ才能。少々、型破りすぎて、問題を引き起こすこともあったようだが。
 
 変わっていないのは、その放蕩癖くらいのもの。
 皆、あのバーハラの惨劇と、シレジアの落城が王を変えてしまったのだと言う。
 母だけが異を唱えた。
 あの人は、変わっていない、と言いきった。

「レヴィン様は、変わっていないわ。・・・変わったように、”見える”だけ。」










 眠っている、俯き加減の顔を覗き込んだ。
 白い肌、長い睫毛が影を落とす切れ長の目許。薄く、引き結ばれた唇。
 綺麗だな。
 間近で見て、どきどきと、胸が高鳴った。
 物心ついた時から、当り前のように、追いかけていた気がする。



 歌声の、独り占めが終わって、たくさん、話したいことがあったのに。
 疲れたから眠る、と言ってあの人は寝てしまった。
 昨日から、ずっと、私について、起きていてくれたのかな。
 ・・・ちょっと嬉しい。
 
 寝台を綺麗にして空けると言ったけれど、椅子でいいと、断られてしまった。
 ・・・一緒に寝れるかと思ったのに。
 お前も休め、と言われたけれど。さっき寝たので充分だ。・・・夢見は悪かったけど。

 それに、折角、一緒なのに。寝てしまったらもったいない。





 もっと近くで顔を見ようと、少し行儀が悪いけれど、寝台の上に立ち上がってみた。
 こんな機会、2度とないかもしれない。そう思ったら、無駄に勇気が出てきた。

 もう少し、・・・もう少し。

 心臓が弾けそうなくらい、音を立てている。
 うんと背伸びして、つま先立ちになって・・・。
 ・・・そして。



 ・・・時間が止まってしまったような、瞬間。



 柔らかな触れあい・・・。



 しばらく、その幸せな刹那が続いて。












「・・・お前・・・。」
「うわっ・・・。」






 起きていたなんて!
 驚きと狼狽のままに、足を踏みはずして転げ落ちた私は、片手で受け止められて、膝の上に横抱きにされてしまった。
「何をしている。」
 呆れたような声が降って来た。
 恥ずかしくて顔が上げられない。
「あ、の・・、おやすみの、キスを、・・・・ははうえはいつも、わたしに、してくださるから・・・。」
 膝元にしがみつきながら、目だけで見上げて、上ずった声で、言い訳をする自分が情けない。
 案の上、ため息とともに、寝台の上に投げ返された。

「向こうで寝る。」
「ご、ごめんなさい・・・。」

 恥ずかしさの上に、拒絶の言葉に、打ちのめされる。
 呆れられて、嫌われてしまうんだ、・・・きっと。
 やっと、少し、触れあえるくらいに、優しくしてくれるようになったのに・・・。



 しかし、去り際に、その手が私の顎を捕えた。

 上向かされて、クイと、引き寄せられて。
「・・・・・?」
「ちなみに・・・。」










 何が起こったのか、わからなかった。
 頭が真っ白になってしまったから。


「大人のキスは、そうするものだ。」
 腰が砕けて、動けなくなってしまった私を残して、あの人は部屋を出ていった。
 一晩中、身体のほてりが消えそうにない。
 頭の後ろが痺れて、平衡感覚も怪しい。



 前言撤回。
 やっぱり、あの人は。



 ・・・悪魔みたいな人だ。

















ほしをつぐもの 後編


















 身体の痛みは、まだ確かに残っていたが、もう気にする程でもない。
 ”大人のキス”の破壊力にやられて、結局夜明け間近まで、寝台の上で転がっていた。
 一生忘れられそうにない体験だ。



 あの人もまた、寝ると言ったまま実際には寝ないで、祭壇の間を所在なげにうろついているようだった。
 ・・・隣の部屋のことなのに、何故かわかる。
 ”最後の日”だ。
 そう思うと居てもたってもいられなくなった。
 ・・・あの人はまた、行ってしまう、消えてしまう。必ず。
 わかっているのに、止められない、また母上が悲しむ、何も良いことなどないのに。
 寝台から飛び降りて、祭壇の間を覗いた。

 巫女の彫像の前で、父は何か物思いに耽っているようだった。









「かつて、この神殿も巫女によって護られていたのでしょうか。」
 何を考えているのですか、と聞いても答えてくれないだろうから、当り障りのない言葉できっかけをつくる。
 返事はない。
 それも予想の範囲だったから、そのまま近づいて、横に並んで、像を見上げた。
 そのままで10分。
 一歩だけ、近づいて、そっと服の端を握って、また見上げたまま5分。
「このような、狭く小さな世界に閉じ込められたまま、生涯を縛りつけられる彼女達が哀れだとは思わないか?」
 突然、話しかけられた。
「一生を、贄にして捧げ、神聖の象徴で有りつづけることに何の意味がある?」
 巫女の話をしているようだった。
 私に問うているようで、独り言のようでもあった。
「それは神が望んだ事ではなく、人が彼女達に求めたことだ。・・・形骸ばかりの、規律の犠牲になって、彼女達は自由を奪われた。」
 何故か饒舌な父。
 あまり、その考えを聞く事もなかったから、じっと耳を傾ける。
「だから私は、彼女達の鎖を断ち切ったはずだった。天を舞う自由な翼を与え、外の世界に連れだした。」
 
 知っている・・・、人間のことを話しているようだった。

「だが、結局彼女達は殉教の道を選ぶ。」
「・・・。」
「巫女達だけではない。人を縛るあらゆる”神の鎖”を断ち切ろうとしてみたところで、縛られるのを望んでいるのは人自身だと知った。」
 ため息のような声。・・・囁き声のように小さく紡がれる。
 こんな静かな空間でも、その音を聞き取るのに、風の力を借りねばならなかった。
「愚かな人間達・・・。」
 まるで自分が人ではないとでも言うような言葉。
「大切に思っているのですね。」
 反語を、読み取って、わざと曖昧に言葉を返すと、顔を向けられた。僅かに目を細めて見返される。

「お前は神と呼ばれる存在を、どう思う?」

 今度は、確かに、問いかけられた。
 答えを、誤る訳にはいかないと、とっさに理解出来た。何気ないその問いが、どれほど重要な意味を持つのかを。
 目をそらさずに、ゆっくりと、答える。
「神話の時代から、人に多くの知恵と力を貸してきたとされる存在が尊ばれるのは当然でしょう。力あるものの恩恵を受けたいと願うのは、利心においても保身の意味でも、当り前です。況や、象徴的な存在は道具としても都合がいい。政治的な意味でも思想的な意味でも。」
「優等生だな・・・。お前は。・・・子供に聞いて返ってくる答えではないな。」
 少しおかしそうに、喉の奥でくつくつと笑われた。
 中央の祭壇の方に去り行く背中に向かって、慎重に言葉を選ぶ。
 ここからが、賭け、だ。

「しかし、・・・実際は、その存在もまた、抗えぬ鎖に縛られているのではないでしょうか。それは例えば”人の力”。」
 
 歩みが、止まった。
「人はその大いなる存在を万能だと信じている。けれども、本当は彼らは、”神”などではなくて、人と同じようにこの世界に在る一つの存在、”種”であるかもしれません。」
 振り返って正面から見据えられた。私の、真意を探っているようだった。
「何故そう思う?」
 強い瞳の光に飲み込まれないよう、注意深く、答える。
「歴史を逆から紐解けば、神様なんていつも人間に振りまわされているじゃないですか。」






 しばしの沈黙。
 重い緊張感は、父の柔らかい笑い声でかき消された。
「お前は賢い子だ。・・・私を楽しませる術を知っているな。」
 核心に、触れる一歩手前で、あやふやな答えを返したのは、そこが危険域だと本能的に感じたため。
 厳しく問い詰められるかと思ったけれど、むしろ違った意味で興味を引いたようだった。
「・・・おいで、セティ。いい機会だ。最後に、お前が知りたいと思っている問いに、いくつか答えてあげよう。」
「え?」
 優しい声。夢みたいだ。本当に?
 嬉しかったから、”最後に”の意味なんて、考えもしなかった。
 神聖な祭壇を椅子代わりに、ふわ、と腰かける父の元に駆け寄った。
「何でも聞いていい?!」
「3つまで・・・。聞くだけならばお前の自由だ。」
 たくさん、知りたいことがありすぎて頭がまとまらない。
 大事な、大事なチャンス。慎重に考えないと。

 いつもどこへ旅立って、何をしているのか。

 神器の継承のこと。

 そして、何より、不思議な父自身のこと。

 でも、一つ、絶対、どうしても聞きたかったことがある。
 ・・・答えを聞くのはとても怖いけど・・・。
 今しか、それを知るチャンスはないと思ったから。















「では父上は、私のこと・・・。家族のこと・・・。母上やフィーや・・・。皆のことを、・・・どう思って・・・いますか?」



 声が震えてしまった。
 ぎゅ、と目をつぶった。
 ずっと、・・・ずっとその冷たい後ろ姿ばかり見てきた。
 哀しそうな母の横顔ばかりみてきた。

 それでも・・・。





「大切に思っているさ。」
 言葉は予想に反して、あっけなく、たやすく返された。
 一瞬空耳かと思ったくらいだ。
「え・・・。」
「一つ目の問いには答えた。さあ、二つ目は?」
 待って。待って下さい。
 どうして?
 ずっと、望んでも得られないとばかり思っていた、家族への言葉。
 嬉しいはずなのに何故だか哀しくなった。
「本当に?ちちうえ!ほんとうに?」
 しがみついて見上げると、ため息で返された。
「くどいな。嘘でないなら本当だろう。」
「もう一度言ってください。私達のことは・・・。」
「必要以上の言葉は、求めるだけ無駄だ。」
 矛盾しているのは言葉?嘘のような本当?
 ・・・信じているのに、信じられない。
「問いに答えるのと、お前の望む言葉を紡ぐのとでは、意味が違う。」
 これは拒絶なのだろうか。それとも・・・。
「さあ、二つ目は何を問う?」

 結局、先を促されて、何も言えなくなってしまった。








 ・・・。
 あと、ふたつ、知りたいことに答えてくれる。
 それなら・・・。

「・・・父上。」
 ゆっくり言葉にしてみる。









「神様を、手に入れる方法を、教えて下さい・・・」










 沈黙。





「お前は・・・。」
 ため息。



「答えられることと、そうでないことの区別が出来んのか?」
「・・・だって、何でも聞いていいって・・・。」
「残念ながら。まるで雲を掴むような問いには、答えようがない。」
 そして、静かに、ゆっくりと、問われる。
「何故そんなことを問う?力が、欲しいのか?」
「違います。存在が欲しいだけです。」
「意味がわからんな・・・。」
 少し、困ったような顔。
「お前はここに来て、神の力と呼ばれる理力を継承しただろう。」
「そうじゃなくて・・・。」
「それは一種の”盟約”だ」
「”盟約”・・・。」
 ・・・何か、とても重要な何か、を答えてくれた気がする。
「そこまでで満足しておけ。触れあえないものを求めることで、世界の理を乱し、身を滅ぼしたくなければな。」
 静かに、柔らかく響く声が、明らかに、私に警告していた。そこに、踏み込んでは、いけない、と。


「さて、最後だ。何を問う?」
 最後・・・。もう最後。
 聞かなければならない、大切なことが、たくさんあったはずなのに。
 でも・・・。















「では、父上が、・・・欲しいもの、何ですか?」



 小さく、消え入るような声になってしまった。
 顔をちらと見上げると、まさかそうくるとは予想していなかったとばかりに、揺れる瞳とぶつかった。
「何だと?」
「父上の欲しいもの教えてください。それが最後の質問。」
「そんなことを聞いてどうする。」
 言わないといけないのかな・・・恥ずかしいけど。
「それ、プレゼントします。・・・私が。」
 言ったあと、顔がほてってきたので、見られないようにくるりと背を向けて、うつむいた。



「・・・・・。」
 ちょっぴり、強気に出てみた気分。プレゼント、なんて言ってしまった。
 でも、”大人のキス”だってした仲だ・・・。からかわれただけだけど。
 思いだして思わず、口元に手を当ててしまった。
 この人に、求められた、はじめての、経験。
 
 知りたいことはたくさんあったけれど、何よりも。

 ほんの少しでもいい。
 ・・・こころに、ふれて、みたかったから。









「・・・・?」
 いつまで待っても返事が返ってこないので、振り向くと。


「父上?!」
 様子が・・・おかしい。
 そこには、明らかに、苦悶の表情を浮かべている、父の姿があった。
 首を振り、口を何かの形に動かそうとして、声になっていない。
 額に冷や汗まで浮かんでいる。
 慌てて膝元にしがみついた。
「ちちうえ・・・どうしたの!」
「・・・なに、も・・・。」
「・・・?」
「・・・いや・・・」
「・・・・・父上?」
「・・・光を・・・。」
「光?」








 振り払われた。








「やめなさい。そのような・・・、考えの及ばないことには、答えられない・・・。」
 
 考えが、及ばないって・・・?
 そんなに、苦しませるようなことを聞いたつもりじゃなかった。
 どうして?

「・・・・・。」
 息を整えて、顔を反らせたまま、数刻。
 紫玉の瞳が複雑な色を絡めた。
「さあ、もはやお前と話すこともない。継承を見届けた以上ここにも用はない。」
「父上!」
「帰るぞ・・・。」
 祭壇の上から身を翻して、去る姿に、手を伸ばす間もなかった。
 まるで私の姿を振り払うように、遠ざかる。
 何度呼びかけても、振り向いてさえくれなくなった。
 
 最後・・・。
 
 嫌な響きの言葉が蘇る。
 3つの問いに答えてくれると言った。
 少し儀式めいた、不思議な今のやり取りに、あの人は、何かを伝えてくれようとしたのだろうか。















 そのまま神殿を出ていく後ろ姿を追って、外に飛び出て、世界が変わってしまったことを知った。
 いや、正確に言えば、変わって見えたのだ。
 朝日が穏やかに雪面を照らしだす、白銀の世界。冷たく澄んだ空気が香り、流れる風さえ色づいて見えた。
 自分の身体は、僅かな風にも簡単に乗って、まるで羽毛のように軽く感じられる。
 今までも、風を自分の意思のままに自由に操ることは出来たが、その比ではない。五感を研ぎ済ませば、遠い、山間の谷に鳴く鳥の声も、せせらぎの音も聞こえた。
 ささやかな風の流れを、意思の力だけで自在に紡いで、見えない織物を編めそうだ。
 使い物にならなくなった外套を、神殿の寝室に置いてきてしまったけれど、風を操って、体温を逃がさないようにすれば寒くはない。

 世界の全てが見渡せるような、世界の全てが意のままになってしまいそうな、そんな感覚。
 ふわりと地を蹴って、一瞬のうちに向かいの氷壁の上に降り立った。






 風を読んで気配を探る。
 僅かな間に、あの人はまるで逃げるように、その姿を遠い谷間の果てに霞ませていた。
 慌てて、地を蹴って、まるで天を駆けるように、突き出した氷壁の頂を次々と渡った。
 ここに、導かれた時は、どう足掻いても追いつけなかったその姿。
 遠く小さく消えようとする影を追って、最後には、その歩みの眼前に、ふわりと舞い降りた。
「置いていかないで下さい。」
 追いつけたことが嬉しかったけれど、少し、拗ねた声で文句を言ってみた。
 私の姿を見とめて、僅かに苦々しげな表情を浮かべて、あの人は目を反らせた。
「・・・神器の力を持つお前からは、流石に逃げられないか・・・。」
 もし、追いつけなかったら、そのまま消えてしまうつもりだったのだろうか。
 再び歩み出したあの人の脇に並んで、我慢出来ずに、その手をそっと取った。
 転移の術などを使われてしまったら、と思うと怖かったのだ。
 それに、少しでも長く、傍にいたかった。触れて、いたかった。
 振り払われると思ったけれど、その暖かい手は、一瞬僅かに戸惑いをにじませて。

 ・・・ゆっくりと、握り返してくれた。





 父の中の、迷いを見た気がする。
 私はもう、何も言わなかった。
 そうすることが、一瞬でも、長く共に居られる最善の方法だと、わかったから・・・。






 私達は、ただ、黙々と、冬の道無き道を渡った。
 手から伝わる互いの温もりは、離れがたく暖かで。
 私達の事を大切だ、と言ってくれたあの言葉を、唯一、証明してくれていたかもしれない。




 ・・・気のせいか、トーヴェへの道のりを、少し遠回りしている気がした。



























 トーヴェの村はずれ。
 春になると広い草原一面に、小さな青い花が溢れるそこは、今は一面、目の痛くなる程の銀世界。
 辿りついた時は夕暮れで、遠い山裾を染める夕焼けが、長く、平坦な地に黄昏た色を落としていた。
 
 よく私はここに来る。
 しんしんと雪の降り積もる冬。小川がせせらぎを取り戻す春。撫でつける風に草花が揺れる夏。
 見えることのない人影を追って・・・。帰ってくることのない姿を待って・・・。



 例えば、年相応の、子供のように駄々をこねて、泣き叫んでみたらどうだろうか。
 それとも、手に入れた大いなる力を用いて、力づくで引きとめられるものだろうか。
 例えばどこかに閉じ込めて、出ていかないように、逃げられないように、かせに繋ぐことが出来たなら・・・。



「いかないでください・・・。」
 
 それだけ言うのが、やっとだ。
 震える手で、服の裾を握りしめて、絶対離さないと決めた、無力な子供でしかない自分。
 何も言わず、自分を見下ろす影を見上げることさえ出来ない。

 せめて、母上や、フィーのところに顔くらい出して下さい。
 せめて、一日だけでも、家族皆で夜を、共に過ごしたっていいでしょう?
 私に、王家に伝わるこの力を継承させたのはどうして?
 何か、話してください。皆を納得させる理由を下さい。
 
 貴方は、この国の・・・・王でもあるのに・・・。






 ゆっくりと、影が降りてきた。
「いずれ、世界がお前の力を必要とする時が来る・・・。」
 髪を2度、3度撫でつけられた。
「セティ・・・。風の聖戦士は、光を導くのがその役目。・・・わかっているな?」
「ちちうえ、こんどは、いつ、かえってくる・・・のですか?」
「もう、お前達のもとに戻ることはない。」
 宣告された。
 心臓が締めつけられて、止まりそうだ。
 涙が。止める力も無く溢れて、頬を濡らした。
 いやだ。いやだ。
 失う恐怖に心が震える。
「さあ、手を、離しなさい・・・。」
 白くしなやかな、優しい手が、私の頬の涙をぬぐい、魔法の声が、耳元で命じた。
 固く、握りしめていた指が、力を失って、離れた。
 それが、別れの合図。
「さらばだ。セティ・・・。」

 ・・・フュリーと、フィー、そしてシレジアを、頼む・・・。



 一陣の風が雪を巻き上げ、見上げたそこには。
 もう、父の姿はなかった。



 私は、唯独り、夕暮れの雪原に取り残された。




























 独り、泣き濡れた顔を誰にも見られぬよう、館に帰りついたのは、陽が既に暮れてからのこと。
 扉を開けた途端に、母の腕に抱きしめられた。
「は、ははうえ・・・」
「ああ、セティ・・・。セティ・・・よく・・・帰ってきてくれたわね。もっと良く顔を見せて。よく、頑張りました。まだ小さな貴方が、どんなに苦しい思いをしたのか・・・。」
 暖かい腕。・・・全てを恐らく知っていたのだ。
 信じている、と言ってくれたけど、とても心配をかけただろう。
 父が、一緒に戻らなかったことについては、当り前のように一言も触れなかった。
 母の前では泣くまいと決めていたのに、自然と、再び涙が溢れた。
 安堵感。喪失感。父と過ごした時間。交わした言葉。
 全てがごちゃまぜになって、感情が制御出来ない。
「・・・ああ、セティ、貴方が・・・、泣くなんて。大丈夫・・・、もう大丈夫。」
 柔らかい母の手が、優しく涙をぬぐってくれた。
 暖かい、光の世界。・・・帰ってきたのだ。
 実感して、身体から張りつめていた力が一気に抜けた。
 ろくに、休みも取らず、物も食べず、試練を越え、蓄積した疲労のせいだ。
 階段を駆け降りてくるホークの声。そして、フィーが自分を呼ぶ声が聞こえたけれど。
 そのまま私は母の腕の中に倒れこみ、気を失ってしまった。















 目を覚ました時も、母の腕の中だった。
 
 普段、あまり睡眠を取らない分だけ、随分と寝こんでしまっていた気がする。
「セティ?」
 優しい手が、目を覚ました私に気付いて幾度も、幾度も髪を撫でてくれた。
 ここは、母の寝台の中だ。外はまだ暗いが、夜明けまであと小1時間くらい。
 いつもなら甘えん坊の小さなフィーが、一緒に寝ているのだけれど。
 今日だけは、自分が母を独占していることを知った。
 久しぶりの、母の温もり。強がりも言えずに、抱きついて、・・・甘えた。
 この母ならば、自分の想いに共鳴してくれる。何故だか、いつもわかる。
 私達は、とても、近い存在なのだと。
 実際、良く似ていると、周囲からも言われる。
「お腹もすいているでしょう?夜が明けたら、暖かいスープをつくるわ。」
 まるで慰めるように、明るい母の声。

 父が、二度と戻ってこないと、言った、言葉は、伝えるべきではないと思った。
 もしかしたら、それさえも、知っているのかもしれないけれど・・・。

「必ず、また会えます。」

 唐突な言葉。・・・やっぱり。

 母の前では、私はいつも説明する言葉を必要としない。

「母上・・・、父上は、私達のことを、大切に思っていると、言っていました。」
 大事な報告。
 これだけは、伝えておかないと。
「・・・何ですって?」
 母の、驚きは。
 私の思うところとは違った所に向けられたようで。
「大切だって、言っていました。」
「・・・ああセティ。」
 頬に手を当てられて、確認するように、問われた。

「貴方はそれを、あの方から”言葉”で聞いたのね?知っていたの?」

「・・・・?」
「・・・そう。・・・知らずに、”鍵”に触れたのね。」
 母の言葉の意味がわからなかった。
「他にふたつ、何かに答えてくれたのではありませんか?」
 どうして?わかったのだろう・・・。
「何を聞いたの?もし良かったら話してごらんなさい。」
「あとは、その・・・神様を手に入れる方法、なんて・・・。」
「何て答えてくれたの?」
「答えられないって・・・、呆れられました。」
 母の真剣な瞳に押されて、思わず起きあがった。
 大きなヒスイの瞳が、私を覗きこむ。両肩に母の手がかけられた。
「いえ、”必ず”答えてくれたはずです。セティ、とても大切なことよ。忘れないで・・・。」
「盟約・・・?」
 母の肩が小さく震えた。

「・・・最後の一つは?」
「父上の欲しいもの・・・。」
 母の顔が、切なげに歪められるのを見た。
「苦しんでらしたでしょう?」
 
 どうして・・・、どうしてわかるのだろう。

 まさか・・・。

「父上は、何かを言いかけました。光を・・・って・・・。」
 母は顔を伏せてしまった。泣きそうな表情だ。

 光・・・、何のことだろう。光って・・・。



 光を導く、それが風の使命・・・。
 あの人の言葉だ。
 
 ・・・そうか。
 
 父の旅の目的。
 それは、その、”光”を求めてのものではないだろうか。

 では、その光とは何だろう。誰かのことだろうか。








 いや、それとも。







 瞬間。継承の試練の夢の中で見た、暗闇を思いだした。
 血の気が引く思いがした。
 もしかして、まさか、あれは、父の意識だったのだろうか?
 泣いていた、もう一人の父の幻を見た。
 光の世界、遮られた見えない壁。
 
 光・・・それは、まさか・・・。



 ありえない、と首を振って、考えを打ち消した。
 ありえない。






 気付くと、母が泣いている。
 まるで感応したかのように、私の不安をうつしだす。
「泣かないで下さい・・・。母上、どうか。」
 違う。母を泣かせているのは、私。私の代わりに、泣いているのだ、この人は。
「母上、いつか、必ず、私が、あの人を連れて帰ります。」
 だから・・・。







 いや、違う・・・。

「いつか、必ず・・・。」
 助けます。あの人を。・・・でなければ、貴方も救われない。誰も、何もかも。
 私の、力は、おそらく、そのためにあるのだ。私の存在も。



 母に抱きしめられた。言葉はなくとも通じ合える。









 光を導くのが、風の力を受け継ぐ私の使命。

 ならば・・・。

 貴方のもとにも。





 光は届けられる、はずだから。


 父上・・・。









 そう、いつか、必ず・・・。













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