11/16/99〜12/31/99

トップへ

 

雑想ノート目次へ

 過去のタワゴト10 10/13/99〜11/14/99  過去のタワゴト12  1/ 2/00〜 2/28/00
12/31
  えらく久しぶりである。   コミケも終わってあとは新年を待つばかり。   しばらくネットでの活動を控えようと思う今日この頃。   新年からはこの日記と八曲板以外での発言はしないことにする・・・ってこの日記読んでる人  にとっては同じことか。頻度が少なくなると思いますがご了承ください。   ベルセルクのカレンダーを落札し損ねてブルー。締め切り日がコミケ3日目の午後5時という  ことでイヤな予感はしていたんだよな。締め切り30分前に最高額更新されちゃ手も足も出ない。   うーん、次の機会があるかどうか。   ああ、口内炎が痛い。どうしてくれようか。
12/20
  CMを知人に見せてもらってやっぱりベルセルクは黒いんだなあなんて間抜けな感想を抱いた。   たまにはショッキングピンクなベルセルクも見てみたい・・・。   ショッキングピンクな妄想、発動。   白泉社の公式ページの壁紙がピンクだったり。アニマルの巻頭カラーで扉絵がピンクだったり。  ガ×キャでそれこそピンクだったり・・・・・・・・・ぶはっ(はなぢ)。   ううっ、ピンクは体に悪い・・・。   現在において言葉は無力であり、事実は傲慢だ。   過去において言葉は絶対であり、事実は空疎だ。   故にペンはいつでも剣に対して最終的な勝利者となり、未来をつくるのだ。   剣は現実を変化させることはできるが未来をつくることはできない。   過酷で非情な現実の前にペンを持つ機会さえなく、剣を執らざるを得なかった人間は、未来に  何を残せるのだろうか。肩を並べて未来を語るべき友はすでに仇となり、守り育てて自分を伝え  るべき子供さえ奪われてしまったというのに。   それでも剣を執って足掻くのは、残された最後のかがり火を守るためなのか。すでに未来はな  いというのに。   ペンを取るものがいる。剣を執るものがいる。   ペンを与えられた自分を虚心になって省みるに、自身の虚勢と虚栄を連ねて虚文空文を書き散  らしているに過ぎないことに気づいて虚無感に襲われる。   今、ここに、俺はいるのだろうか?
12/19
  やべえ、明日の発表のレジュメがまだできてない。困ったぞと。   画家は「○○画伯」、映画監督は「○○監督」、編集者は「○○編集」。   そして漫画家は「先生」と呼ばれるが、正直漫画家に対するこの敬称はあまり好きじゃない。  先生というものにあまりいい印象を持っていないのが原因の一端かもしれないが、まあそれはこ  の際どうでもいい。   漫画家に対する適当な呼び名ってないものだろうか。   そもそも何故「先生」なんだろう・・・とつらつら考えてみるに、これは手塚治虫の影響がで  かいんじゃないだろうかと思いついた。   遠い過去の聖域、トキワ荘。手塚治虫を中心に石森章太郎、藤子不二雄、寺田ヒロオなどのメ  ンツが集まっていたわけだが、おそらくこの人たちは手塚治虫を「先生」と呼んだんじゃないだ  ろうか。実際、この人達にとって手塚治虫はまさに「先生」だったわけだから。   そしてトキワ荘に原稿を取りに来る編集者達も手塚治虫が「先生」と呼ばれているのにならっ  て同じく「先生」と呼ぶようになったんじゃないだろうか。   で、漫画雑誌に「手塚治虫先生の新連載!!」なんて広告が載るようになり、「先生」という  呼び名が定着してしまったと。   この習慣が他の漫画家に対しても適用されたと考えれば・・・うーん、無理があるかなあ。   でも、もしそうなら本来「先生」という呼び名は手塚治虫につけられたものであって漫画家に  対してつけられたものではなくなる・・・俺はそう考えた方が心が安まる。   どうせ定説なんてないんだろうし、この線でいこう。うん。   じゃあ漫画家をなんて呼べばいいんだろう・・・というと、全く思い浮かばない。   「漫」という字がくせ者だよなあ。漫画家に対する呼び名だということをハッキリ表すにはこ  の字を使わざるを得ないんだけど、「まん」という読みを使って言いやすい接尾熟語を作るのが  相当難しいぞ。   ・・・やはりここは穏当に「○○氏」で行くか。
12/18
  明後日は発表。今日は大学に泊まり込み・・・。   とうとう発売されたし、ゲームについて書こうかな。   意外に思われるかもしれないが、ゲームに関してはアクションの方をストーリーよりちょっと  だけ重視している。   だって、あのアクションは三浦先生のチェックが入っているんですぜ?   つまり、漫画を描いている最中の三浦先生の中のガッツの動きがそのまま再現されているとい  うことでもある。あれは「本物のガッツの動き」なのだ。これってすごいことだと思いません?   「三浦先生がアクションのチェックをしている」と聞いたときから、ストーリーよりもむしろ  アクション面に興味が行っていた。何故かと言うに今までコマとコマのつながりから想像するし  かなかったガッツの動きが完全に再現されるかもしれないという期待があったからだ。   漫画原作のアクションゲームってたくさんあるけど、原作者がここまで深く関わって頭の中で  のキャラクターの動きを再現しようとしているというのはほとんど皆無なのでそれはもうすごく  期待していた。アニメでは裏切られたことも大きい。   そして遂に見ることのできたガッツの動きの完成度と来たら。   ユークスは「双界儀」で人間のアクションに関するノウハウは得ていたのだろうだが、それで  もあそこまで完璧にガッツのアクションを仕上げてくるとは。   感謝と尊敬の拍手を惜しまない。   きっとあのアクションを作りたかったからこそこのゲームが企画されたんじゃないだろうか。   俺は体験版に毛が生えた程度にしかやっていないが、剣を壁に当ててしまうわ単なる雑魚(そ  れもただの人間)の攻撃を食らってしまうわ。   あんなのはガッツの動きじゃない。せっかく「本当のガッツの動き」を再現できる手段が目の  前にあるのに無様にしか動かせないなんて自分が許せない。   少なくとも人間相手にはノーダメージ、剣を壁に当てるのも不可。これは最低条件だ。原作者  がもし漫画で描いたらガッツが人間相手にダメージを受けるわけはないし、まして剣を壁に当て  てよろめくなんてするわけはないからである。   俺にとってはこの条件を満たして初めて「ベルセルク」を見たことになる。   というわけで俺はアクションもやりこむ。   以上がアクションについての考え。   次はストーリーを「我慢する」ということについて。   ビジュアル&ストーリーFILEは当然発売日に買うが、しばらく封印することになるだろう。   そもそもゲーム自体、本誌の連載で「断罪編」が終わるまでやらないつもりだったから、まし  てムック本なんて最初から読むつもりはなかった。   ゲーム封印はもちろん卒論も理由であるが、最大の理由は「ゲームの内容が本誌の続きだから」  である。すでにやってしまった人にはすこし嫌みに聞こえるたとえ話かもしれないが、ゲームの  内容がコミックスの21巻と22巻にあたるとしよう(多分大体当たっている)。   19巻と20巻を読まないうちに21巻と22巻を読む気にはならない、そういうことだ。   当然、21巻と22巻を目の前にしての我慢は恐ろしくつらいが、「ベルセルク」という一生  に一つ会えるかどうかの傑作を楽しむときにストーリーが前後するのを我慢する方が俺にとって  は不可能なのだ。   できればゲーム情報誌も買わずに済ませたかったが、これはコレクターとして情報収集するた  めに仕方がなかった。ゲーム雑誌の特集のおまけとしてグッズをプレゼントするというのはよく  あることなので。実際、懸賞があったし。   だが、「順番」については実は違う説もある。   内容の順序ではなく、原作者の発表した順番が大切なのだという考えだ。   つまり、「千年帝国の鷹編 喪失花の章」は断罪編の完結前に発表されたのだから断罪編が完  結する前にストーリーを知るのが正しいのだということだ。   原作者は断罪編の完結前に知ることでもっともよく理解できるように、また最大の感動を得ら  れるように計算してストーリーを作り上げたのかもしれない。そう考えると俺のやり方こそ原作  者の意図をとらえていないことになる。   まあ、これは完全に二者択一なのでどっちを大切にするかによる。   ストーリーのつながりか、作者の意図か。   とこう書くと原作者至上主義のように聞こえるかもしれないが、要は自分が作品を理解し、楽  しむのに最大の努力をする、ということにすぎない。   さて、ゲームについては以上。   総括すると「ストーリーよりアクションがちょっとだけ上。内容的順序を重視して断罪編の完  結までゲームには手を出さない」というのが俺の立場。   しかし、たかがゲーム一つやるのにここまで構えるやつもいないだろうなあ。
12/17
  大三角。ベテルギウス・シリウス・プロキオンが綺麗だなあ。   冬の一等星は夏の一等星より硬く透きとおって見える。   モズグス、人間っぽいなあ。人間かあ。そーか、そーきたかあ。   パックがデフォルメなしでざっくり丸を持っている絵は多分初めてだな。   うーん、他には・・・ピコがファルをどう思っているか、気になるところ。   こんなところか。   なーんて。わざと短くしてみたりして。   ヤングサンデー増刊号のそっくりさん、見た。   うん、たしかにそっくりさんだった。ネームで失敗しているが、それなりに楽しめたから良し。
12/15
  漫画に限らないが、新しい作品を読むときはわくわくする。   各雑誌の漫画賞の入賞作品を読むとき、古本屋の「5冊200円」コーナーで適当な本を選ぶ  とき、まだ読んだことのなかった雑誌を買ってみたとき。   好きな長期連載の最新話を読むのはもちろん楽しいが、わくわくやどきどきは上のような時に  はかなわない。好きな長期連載は良くも悪くも安心して読めてしまうのだ。   だからデビューしたばかりの新人は大好きだ。   「驚異の新人!」なんて帯に書いてあったらもう俺の負けである。買ってしまう。あーうー。   で、「そういえば第○回××漫画賞の入賞作品がそろそろ発表だなー」とか「第△回□□小説  新人賞の入賞作品がそろそろ単行本になるなー」とか考えて日々を過ごしたりするわけだ。   ああ、素晴らしきかなこの人生。
12/13
  ブギーポップの最新刊をようやく買えた。さあ、極上の時間だ。   大抵の漫画や小説というのは抽象的なテーマを一般化したあと具体的なエピソードに結晶化し  たものだと思う(のだが、うー、この言い方自体曖昧すぎて結局意味はないな)。   できあがったエピソードの巧みさがすなわち作者の力量であろうか。   まあ、上のことにはあまり自信がない。が、一応これだけは言える、というのは「テーマその  ものを言葉にしていない作品の方が感動が深い」ということか。愛がテーマなら、作中に愛とい  う文字を一回もつかわず、かつ鮮烈に愛を描いているという作品がいい。   もちろん、文字になっていないテーマを読みとる読み手の力量も問われるわけだが、行間に描  かれたテーマに気づいたときには感動は倍加すると思う。   上記のエピソードの巧みさの点でブギーポップの作者、上遠野浩平は抜群だ。   逆に上記の点でCLAMPという作家はあまり好きではないのであるが、この作家は上記のこ  ともわかっていながら、あえて言葉にして具体的な形を与えようとしているようにも読める。そ  の形がまた非常に鮮烈なので作品として好きなものはある。・・・なんだか矛盾しているな。   一番好きなのは言うまでもなく「東京バビロン」だが、これに出てくるある母親のせりふが非  常に鮮烈だった。先天的な疾患を持っている娘を抱えた彼女が叫んだせりふは   「健康だけがすべてじゃないわ。でも健康じゃなければすべてがないのよ!」   というものだった。   久しぶりに漫画の話題でも書こうかな。   浦沢直樹。娘さんが生まれたのはいつだったかなあ。親になるということで作品になにか影響  は出るのだろうか。興味深いことだ。「MONSTER]に「20世紀少年」、面白すぎ。   甲斐谷忍。あああああああ、ALLMANで新連載なんて始めてる場合じゃないだろ。はやく  「ONEOUTS」の続きを描いてくれ。   望月峰太郎。「ドラゴンヘッド」完結。・・・結局、恐怖も安心も幸福も不幸も個人の心の中  にある。しかし、それらを他者と共有することによって軽減したり、あるいは増大させたりする  ことが可能である、ということかな?一度全編通して読み直さないと。   あかほりさとる。開き直るか身を引くかどっちかにしてくれ。「MOUSE」の中途半端さは  見苦しくて不快だ。物語の前半と後半のギャップは一体何事?開き直ってどっちかに絞れば面白  くなりそうなのに。ちなみに絞るなら○半の方希望。   大西巷一。「女禍」(アフタヌーン)はいい。これはいいぞ。四季賞デビューから2年、俺は  待っていたのだ、この人の連載を。ふふふ。   ひかわきょうこ。「彼方から」は間延びした展開と呼ばれる一歩手前でじっくりとストーリー  を展開しているようだが、たまにはこの人の短編が読みたいよ〜。「女の子は余裕!」レベルの  傑作、描いてくれ。   マツモトトモ。スタイリッシュという言葉の権化だ、「キス」という作品は。   津田雅美。「彼氏彼女の事情」ってアニメが駄作だというのは本当だろうか。まあ傑作漫画を  元ネタにした駄作アニメなど星の数ほどあるが。存在しないはずのブラック有馬の存在感は思い  出すだけで背筋がぞわぞわする。   冬目景。うわあ、今度はゲーム批評の表紙か。ものすごい売れっ子だな。この前はゲームのキ  ャラクターデザインもやっていたし。でも「羊のうた」はもうちょっとページ数が増えてくれた  方がうれしい。あ、ゲーム批評はたしか毎号表紙テレカプレゼントをやっていたな。応募せねば。   高橋ツトム。全読者をうならせ続けた「地雷震」がついに完結。最後まで魅せてくれたなあ。  総集編になった「Aキラー」の衝撃は忘れられない。   曽田正人。今度はスピリッツに登場。すっかり小学館の漫画家だな。相変わらず新連載第一回  目から鳥肌もんだ。並じゃない。   篠原千絵。「天は赤い河のほとり」はいい加減ダラダラしすぎだろ。登場人物の最終目標が見  えないというのが最大の原因だが、作者の頭の中には最終回のビジョンはあるのだろうか。ま、  面白いのは相変わらずなんだが。   新井英樹。「The World is Mine」も間延びしすぎ。先々週号読まなかったけど先週号はまるで  違和感がなかったぞ。   高屋奈月。「フルーツバスケット」は痛くて気持ちいい。現在、その他の著作も読破中。   岡田芽武。「ニライカナイ」はあいかわらず大風呂敷を広げているという表現がぴったりの世  界観だが、この人の作品で世界観が完全に説明されたものってないんだよな。っていうか、完結  した作品がそもそもほとんどないんだが。「影技」は今度はアフタヌーンの増刊号で連載か。こ  れで掲載紙が変わるのは2度目だな。忙しいことだ。   榎本ナリコ。もう野火ノビ太名義で描くことはないのだろうか。ちとさびしい。「スカート」  はよくわからないのだが、よくわからないことが寂しくなるような作品だと思う。   熊倉裕一。「King of Bandits JING」・・・マガジンZでの連載開始まで名前しか知らなかっ  たことが悔しい。   rit.「傷歩」から始まる痕シリーズはこのジャンルの最高峰だ。最近人気が出ちゃって本が手  に入りづらくなった。厄介なことだ。   小説についても一つだけ。「アルスラーン戦記」の続きが出たというのはハッキリ言って今年  最大級の驚きだったっす。アンゴルモアの大王が降臨したとしてもこれほどは驚かなかっただろ  うってくらい。
12/8
  今、恐ろしく脳天気で元気で明るい曲を聴きながら悲しみに沈んでいる。   米国の歌手、スキャットマン・ジョンが亡くなった。57歳。死因はガン。   53歳でデビュー後、半年で日本のヒットチャートを席巻したスキャット(早口)が大好きだ  った。50年間コンプレックスの源であった吃音を長所へと転換させたその前向きな人生に憧れ  た。以前、歌を好きということと歌手を好きということは別だと書いたが、スキャットマンこそ  は人間として尊敬し、歌手として敬愛した歌手だった。   少し、紹介などしよう。   スキャットマン・ジョン(本名ジョン・ラーキン)は元々ホテルのピアノ弾き。吃音(どもり)  障害を持っており、しゃべり始めるのに6,7回どもってしまうという悩みを50歳前後まで抱  えていた。が、歌うときにはなぜかどもらないことに気づいた。   ここで、彼はとんでもない発想の転換をした。吃音というのは、本人も意識できないほど高速  で口が音を発してしまう、という状態だ。ということは、普通の人には不可能なほど早口で歌う  ことができる!   そうして生まれた「スキャット」という歌唱法でデビューした。   実際、スキャットマンの歌は常人には発声不可能なほど早口だ。が、聞き取れないことはない。  逆に、その早口がとても心地よく聞こえるのだ。   そして日本とドイツで大ヒットを飛ばす(日本ではアルバムが240万枚売れた)わけだが、  それはあくまで結果である。すごいのは、50年間悩まされ、コンプレックスの源であったもの  を武器に転換してしまったという勇気だ。   なんという勇気か。   「欠点こそ個性である」とよくいわれるが、それを成すのには非常な勇気が必要だ。しかも当  時53歳、何か事を始めるには決して早い年齢ではない。その年齢で、それだけの勇気を出し、  そして成功した。・・・なんという勇気か。   ゆえにスキャットマンには最大の敬意を払っていた。   そして、俺は今も底なしに脳天気で元気で明るい曲を聴いている。
12/6
  東京で主婦が知り合いの娘さんを殺害したとやらで最近世間が騒がしい。   大学に入り浸りで世間のニュースから切り離されていたのでよくは知らなかったのだが、ふと  したことがきっかけでちょっと調べてみた。というのは、あの女の子が書かれている探し人のビ  ラを大学の近くの町内会掲示板で見かけたからだ。   ちなみに大学があるのは文京区本郷。例の「お受験」地域は文京区音羽。目と鼻の先・・・と  までは行かないが、数キロも離れていない。   全国紙で事件についての特集が組まれ、多くの投稿が紹介されていたが、事件の犯人と同年代  の母親からは「殺人は決して許せないが犯人が追いつめられた理由はよくわかる」と言う趣旨の  投稿が7割くらいを占めているそうだ。   子育てのストレスというのはかくも一般的で深甚なものなのかとすこし驚いた。   人間のストレスというのはほとんどが他者との関わり合いから生まれてくるもののように思わ  れる。近しい人間なら近しい人間であるほど大きいストレス源になるであろうことは想像できる  が、それに耐えられないような人間に・・・いや違う、それに耐えられなくなったときに捌け口  が他人に向かうような人間に近づいて欲しくない。っていうかこの世に存在して欲しくない。相  談所くらいいくらでもあるはずだ。   世間体?たかが世間体と他人様の命とどっちが大事だというのだ。   犯人は少なくとも3人の子供の未来を奪った。被害者の女の子と、犯人自身の子供2人。   目に浮かぶようだ。他の子供から指さしてささやかれる子供の姿が。    「あの子と張り合っちゃダメ。あの子のお母さんに殺されるよ」    話は少し変わるが、俺は子供が好きだ。少なくとも好きだと自分では思いこんでいる。   が、所詮自分で子育てをしたことがないから言えるのかもしれない。人一人狂わせるほどのス  トレスを背負い込むことになるのだとしたら、子供を育てることが非常に恐ろしいことのように  思われる。   ひょっとしたら、俺の「子供が好き」は動物園のパンダを好き、というのと変わらないのかも  しれない。飼育係がちゃんといて、自分では世話をしなくていい気楽さからかわいく思えている  だけかもしれない。   いつか自分に子供が出来たらハッキリするのだろうか?   最後に、事件を見渡して(といってもまだ全貌が明らかになっていないが)思うこと。   おい父親、あるいは夫、なにやってんだ。
12/5
  恐怖は暗闇とともに来る。   ノートパソコンの画面が真っ黒になったまままったく動かなくなったのは一週間前。   一週間で直ってしかもタダというのは嬉しい限り。   しかもHDDの中身が無事!!奇跡としか言いようがない。   とまあこれだけで嬉しいことこの上ないのだが、今日はそれ以外にも嬉しいことが目白押し。   まず、当分手に入らないだろうと思われていた「チャレンジテレカ」の入手に成功したとの報  告が知り合いから入った。交換にて入手確実。こちらの提供は「めぞん一刻」の響子さんのテレ  カ。ベルセルク以外のテレカの中では最も気に入っているテレカだったが、あのテレカのためな  ら放出もやむなし。むしろ嬉しい。   ちなみに、数日前に99年1号のガッツテレカも手に入れている。10月から12月までは3  ヶ月連続で一枚ずつベルセルクのテレカを手に入れることが出来たことになる。その前は半年で  一枚しか手に入らなかったんだが、最近の順調さはちょっとすごい。   抽プレはこれで19種類。20の大台も目前。なお、画像は明日アップする予定。   さて次の喜びの使者は白泉社からの封筒。   こんもり膨らんだちょっと大きめの紙袋には栗なアタマの妖精が住んでいた。   そう、パックストラップである。5000名プレゼントで2枚しか送っていなかったが、まあ  外れるとは全く思っていなかった。が、やっぱり送られてくると嬉しいものだ。   そして。予想外の収入がちょっと入って財政危機が当面遠ざかった。   今年二番目に良き日だった。   一番目?大学院合格の日さ。
11/25
  一昨日の雑想はちょっとしたことがあったので書いたが、別にベルセルクについてのことでは  ない。7年前から好きな漫画のグッズを買おうと思って3ヶ月貯蓄計画を立てていたら、明らか  ににわかファンな金持ちの知人にあっという間に買われてしまったのだ。   資本主義は無情だ。共産主義よりはマシだけど。   全ての人間が共産主義運動家と同じくらい勤勉だったら共産主義はある意味理想的だが、怠け  者というのはどこにでもいるものだ。全ての人間に勤勉であれというのは無理である以上、共産  主義の理想は絵に描いた餅だろう。
11/23
  じっくり楽しむオールドファンはエネルギッシュなにわかファンに駆逐される運命にあるのか。   コミック・アニメ・同人誌・・・オールドファンの既得権、というものが通用しないこの世界。   自分はまだ新参者の範疇だが、まだまだこの世界の綺麗な部分しか知らない。   汚い部分も知り、できれば利用したい今日この頃。   眠い。寝る。   スタジオ我画ってなんだろう・・・。
11/22
  いままでベルセルクのファンと言うよりは研究者チックなページ作成をしていた。   あまつさえ「突っ込みベルセルク」など、あら探しをして楽しむような「トンデモ」な楽しみ  方さえするというファンにあるまじきページを作っていた俺だが(と言ってもこれも全てファン  ゆえの行為であるが)、この度、ついにまっとうなファンのするような運動をする事にした。   詳しくはベルセルクページ参照。一人でも多い協賛者を求む。
11/21
  「白泉社 秋の感謝祭」のベルセルクテレカが到着したとの連絡が友人からあった。住所を借  りて応募したものだ。締め切りは11/30だった気がするが、どうやら順次発送を開始してい  るらしい。   今日中に待ち合わせ、受け取ることにする。お礼に飯でもおごろう。   ちなみに、友人とは購買部長である。   取引所を改装し、取引を拡大した。   一応ポツポツと取引が来たので一安心。慢性金欠病はしばし解決できそうだ。   冬コミは卒論で行けない。   んが、ここ3回連続で落ち続けていた大好きなサークルが今回に限って当選している。神は試  練を与えたもうた。代理購入は・・・だめだ、絶対に頼めない。   だああ、どうすんだ。これは完全に予定外だぞ・・・。   しかたない、決心しよう。あえて結論は書かない・・・・・・ダメな俺(大ヒント(爆))。   さあて、購買部長との約束の時間が近づいた。そろそろ出るとしようか。   ・・・・・・・・・・   帰宅。   結果:いやあ、彼ほど日記のネタを提供してくれる人も珍しい。ネタ王の称号を与えよう。      渋谷のゲーセンで待ち合わせ、少し踊る。DDR3rdMixはエグい。ビックカメラで親父  に頼まれたメモリ(64メガ)を買う。なにもこの時期に買う必要はないと思うんだが。その後、  もう少しゲーセンで時間を潰してから夕食を一緒に食べることに。上記の通り、俺のおごりとい  うことで。   しかし、このときにはすでに事件は起きていたのだ。間抜けにもそれに気づかない我々をあざ  笑うかのように・・・・・・。   購買部長と一緒に夕食、というと最近はラーメンしか食べていない気がするんだが、今回もラ  ーメン屋へ。まあいつも店は変えているし、あまり飽きはしないんだが。   店がちょっと混んでいたので待機用のイスに座ろうとしたときに事件は発覚した。   ふと、購買部長がつぶやいた科白が発端だった。   「あれ、財布がない・・・」   あわてて列を抜け、急遽道を戻る。   ゲーセンで最後にゲームをやったときには確かに財布は持っていたはずだ。ゲーセンからラー  メン屋には直行したから落ちているとしたらその路上かゲーセン。   ということでゲーセンまでの道を探したが日曜日の渋谷の7時半、人人人人の流れの中で見つ  かるはずもない。路上探索もむなしく、あっさりとゲーセンに着いてしまった。   ゲーセン内でプレイしたゲームの筐体の周囲を探すが見つからない。   最後の手段、店員に聞くことに。地下にある受付に向かった購買部長をゲーセンの外で待つ。   ・・・ゲーセンから出てきた彼の手に茶色い財布を見たときには心底ほっとした。   彼は比較的汗をかきやすい体質なのでいつもタオルを携帯しているのだが、どうやらそのタオ  ルを財布と一緒のポケットに入れていたらしい。そのせいで財布が落ちてしまったのだろう。   ま、とにかく見つかって良かった。中身も無事だった。人の世もまだ捨てたもんじゃない。
11/19
  「蠅の王」を古本屋で発見したので買ってみた。   半分ほど読んだが、中学時代に読んだときの感覚を思い出した。   ものすごい不快感。ひたすらに苦痛。   イヤな記憶が再構成されている。   あまりの不快感に読むだけで酷王モードが全開発動。   不快感の理由は二つ。   まず一つ目。   目の前しか見えていないガキ共の好き勝手で非合理的な行動。その描写のたびに吐き気すら感  じる。どうにかしろ、この連中。目の前にこんなガキ共がいたら殴り倒すこと間違いなし。   が、なにより不快なのは自分の子供時代を顧みるにまさにこのようなガキであったことがわか  るということだ。これは俺にとって一番嫌いな感情である自己嫌悪を呼び起こす。   およそこの世に存在する感情の中で自己嫌悪ほど後ろ向きで非生産的で悲劇的な感情があるだ  ろうか?究極には自殺にまで発展するこの感情は大嫌いだ。   まあ、これはそういう思考に到達できる、と言う意味で意義のある不快感だが。   二つ目。こっちはもう本当に純粋に不快。   日本語訳が下手!!なんだこの直訳バリバリの壊れた日本語は!!少しは意訳というものをし  て欲しい。わざわざ日本語に訳して出版したんだろ?こんな訳じゃ誰も読みゃしないぞ。   辞書片手に英語版を読んだ方がはるかにマシだ。   あーちくしょう。早く読み終わって口直しに時計館の殺人を読もう。
11/18
  HPを改造しまくり。疲れまくり。   もう寝る。   明日のドラフトが楽しみだ。去年の松坂ほどの目玉はいないけど。
11/16
  「千年帝国の鷹」ミレニアム・ファルコン(・・・今めっちゃアホな変換しよった)か。   帝国、というあたりにすこし引っかかりを感じる。「ミッドランド乗っ取り」ではなく、むし  ろ新しい国の建国、ということか。で、帝政をしくと。   考えてみれば、今ミッドランドはすでにクシャーンに滅ぼされたも同然の状態かもしれないわ  けだから、占領中のクシャーンを追い出した後、あえて王朝を復興せずに新しい国を建てる、と  いうことも十分に考えられる。   新興国が支配の大義名聞を得るため、前王朝の直系の姫を迎えるというのも歴史上によく見ら  れるから、シャルロットの願いがかなう可能性は高い。   まあ、新しい国を建てるにしろ、前王朝を継ぐにしろ、シャルロットの願いがかなう可能性は  非常に高いわけだが。   ミレニアム。ここのところベルセルク以外でも聞く機会は多い言葉だ。   ミレニアムは「千年紀」という意味で使われる。十年がデケイド(decade)、百年がセンチュ  リー(century)と言われるように、千年を指してミレニアム(millennium)という。   転じて、千年続くような安定した政体を持った国のことも指す。日本語では「千年王国」とよ  く書かれる。この場合、千年というのは比喩的な表現で、実際には「永遠の王国」という意味で  使われることも多い。   また、キリスト教では、キリストが再臨してこの世を神聖に統治するという千年間のことを指  すらしい。   最後に注意。ミレニアムの英語綴りはmillenniumである。lとnは2つずつ。よく間違われる  ので気をつけよう。   うーん、ベルセルクの体験版は買ったけどドリキャスが・・・という人の多いこと多いこと。  確かに、ゲームをよくやるならともかく、あまりやらない人はベルセルクが終わったらただの箱  になる可能性の方が高い、あるいは確実だもんな。   ハードのレンタルをやっているゲームショップも探せばあるはずだけど。   そういえば、TSUTAYAがゲームハードをレンタルしたことがあったな。そのときのハー  ドはNINTENDO64だったような気がするが。   多分、ドリキャスもどこかにレンタルしているところがあるはず。   もし相手に送料を負担する気があるのなら、自分が貸し出ししてもいいのだけど・・・。   ただし来年から(笑)。   自分は、できればVGAボックスでやりたいなあ。   VGAボックスはパソコンのモニターでゲームをプレイするのに必要なパーツ。テレビ画面よ  りドットが細かいので精細な画像が楽しめる。大画面ではなくなるけどね。   でも、VGAボックスって高いんだ、これが。   いつの間にか過去のタワゴトも10までできてしまった。   容量にして約200KB、文字数だと100000文字分か。よく書いたもんだ。   ネットで日記ってよくあるけど、あまり過去ログが長いと読む気が失せるんだよね。   いっそ削除した方がいいか。
 

雑想ノート目次へ

 過去のタワゴト10 10/13/99〜11/14/99  過去のタワゴト12  1/ 2/00〜 2/28/00