9/25/99〜10/11/99

トップへ

 

雑想ノート目次へ

 過去のタワゴト8   9/ 9/99〜 9/23/99  過去のタワゴト10 10/13/99〜11/14/99
10/11
  この連休は金遣いが荒かった。   が、嬉しい出費でもあった。   10/8のこと。大学から帰る途中、普段なら通過する駅に用事があって降りた。   ふとここ2年くらいご無沙汰している古本屋があったことを思い出し、寄ってみることにした。  そしたら見つけてしまったのだ。「鉄腕アトム」サンコミックス版全21巻+別巻。多少色あせ  があるが十分美本。これが一万円ですと!?即買いだ、即買い・・・あ、金ねえや。   内金を払って取り置きをお願いするも「うちではやってないんですよ」とのこと。   仕方なくその場は「悪女聖書」全27巻三千円を買って帰る。   で、今日。まだ売れ残ってた。よかったよかった。   これで初版だったりしたらハッキリ言っておかしいんだけど、さすがにそれはないみたい。   ほかにはまんだらけで坂口尚の単行本とAKIRAの1巻の初版を発見。これも即買いした。  AKIRAはこれで初版がそろった。そろえるまでにかかった費用は3200円。これも破格だ。   ・・・そういえばこのAKIRAも上記の古本屋で6巻2500円で買ったら1巻以外初版だ  ったんだよな。本もやたら綺麗だったし、地味だがかなり穴場的書店なのかもしれない。   結局、通学定期を買ったこともあってこの連休で五万円が消えた。仕方ない出費ではあるが、  消えた額の大きさを思うと一介の学生である自分の胸に少し涼しすぎる風が吹くのは仕方ないだ  ろう。   さて今度は何を売って凌ごうか。
10/9
  世間では3連休らしい。   まずはアニマルの感想でも。   ベルセルク。   本編に入る前にゲームサントラのパッケージイラストを見てため息。   はふーん。こわいよー、くらいよー、かっこいいよー。   炸裂弾が強い。炸裂弾というと爆発とともに内部に仕込まれた金属片をまき散らして殺傷する  キケンな弾丸だ。が、これは先年話題になった対人地雷とほとんど同じ原理。   リッケルト、現代社会にいたら「非人道的な武器を生み出した張本人」とかいって糾弾される  のではなかろうか。   セルピコが上手い。が、こいつを排除するのは簡単だ。   戻ればいい。洞窟まで。確かに戦場を選ぶセンスはすごいが、惜しむらくはガッツの後退を押  さえる手段がなかったのが残念だ。   もしガッツが冷静なら気づくはずだが・・・キャスカも気になるだろうし、無理だろうな。   さて、あとはセルピコがどの程度の使い手かによるだろうけど、あいにくガッツはああいう細  身の剣の使い手としては最強と思われる人物と対戦したことがある。ガッツの負けはまずないの  ではなかろーか。   目。現時点ではどんな風にも解釈できるし、しかも解釈するだけ無駄。   その他は特に言うことなし。どうせバンジーするならコードレスでやって欲しいものだ。   蛇足として、今回は明らかな間違いが2つある。   ハネムーンサラダ。ついてない日は本当についてないものだ。しかし、後日になってみるとそ  ういう日が良かれ悪しかれなにかのターニングポイントになっていることがある。   ふたりエッチ。最近のHOW TO漫画の中ではブッちぎりの売り上げのようだ。いつになっ  たらネタ切れになるんだろう。いつの間にかアニマルでは4番目の長寿漫画だし。   ペルソナ。帰ってくるとは思わなかった。   スポーツ道楽快道。毎回結構楽しみ。ぷろとんさん好き好き。アンモちゃん描いてください。   なつのロケット。スピンモーター??なんだろう。単純に考えればロケットの直進性を増すた  めの装置だけど。ちょっと調べてみよう。   まさか宇宙まで飛ばすつもりじゃないだろな。   エアマスター。キャラクターに個性を持たせるのがうまいなあ。   いわゆる「プラスワン・マイナスワンの魅力」というのはキャラづくりの基本だというが、す  ごく典型的な成功例だと思う。   飛脚のナガレ。前回シリーズは面白かった。今回も面白そうだ。   藍より青し。げ、キャラクターがこなれてきてる。さすが文月晃。長期連載になりそうだな。   VF。いつも思うが、いったい何の略なんだろう。   たびてつ友の会。わーい、復活だー。って前号からしてるか。ちなみにアニマルで3番目の長  寿漫画。おもしろいし、根強いファンがいるからね。   トバクチ。作品としてはいいと思うが、致命的なミスが一つ。麻雀では自分が捨てた牌で他人  からアガる(ロンする)ことはできない。   298ページ、荘司の捨て牌に四萬がある。300ページ、四萬捨ててロンされず、ホッとす  るみどり。ってそりゃおかしいだろ。むしろ残念がるところだぞ、ここは。   ロンって言ってくれればチョンボで満貫払いなのに。   コイズミ。コメントに困る回だなあ(苦笑)。   飯の時間だ。今日のメニューはなんじゃろな。
10/6
  このページを訪れた人は多かれ少なかれこのページの画像を取り込んでるんだろうなあと自己  満足な今日この頃。次はなんの画像を取り込もうか。   そうだ、YAの表紙になった時のイラストを取り込もう、と思いついたのはついさっき。   雑誌や本の表紙については二次利用が認められた判決がたしかあったはず。   昨日、友人に高田馬場に行ってもらった。   ベルセルクの原画展が行われている本屋でオリジナルしおりをプレゼントという便乗商売をし  ていると聞いたので早いとこ確保しようという算段。   自分は多分普通よりはるかに頻繁にベルセルクの単行本を引っぱり出している。読み方も特殊  で、1コマ1コマを舐めるように見て検分している。もちろん本の取り扱いには十分気をつけて  いるが、それでも少しずつ本が傷んでいくのは避けられない。一応初版本をそろえているので、  できるだけこれは避けたい。   そこで以前から考えていたのだが、単行本をもうワンセットそろえて閲覧用にすればいいのだ。  いままでそれをやらなかったのはまさに今回のような事態に備えるため。白泉社主催か書店が独  自に行うか、それはわからないがいずれ「単行本お買いあげのお客様にプレゼント」という奴を  やるだろうと考えていたのだ。   以前そのような例を見たこともあるし、まあ急ぐこともないので今まで待っていたわけだ。   その推測はまさに今日当たった。   さあ今こそ進め、しおりをゲットせよ!!・・・というわけで友人に購入を依頼したのはベル  セルクの13巻と14巻。   が、PHSにかかってきた一通の電話が姑息な俺のもくろみを撃破した。   「おい、しおりは8種類あるんだけど、どれにする?」   ・・・ちょおおおっと待ってくれ!!情報では確か2種類のはずだが!?   「いや、絵柄は2種類。それぞれの絵柄で色違いのが4種類」   がびーん(古典的表現)。   ・・・わかった、11巻から18巻まで買ってきてくれ。   「手持ちがそんなにない。せいぜい6冊だ。しおりの在庫はまだまだあるみたいだから、自分    で買ったらどうだ?・・・あ、そうだ。例の奴、2冊ほど見つけて確保したが」   (しばし考える)じゃ、11巻から14巻とその2冊。しおりの種類は任せる。   「わかった。調査代金もちゃんと払うように」   プツッ、ツー、ツー、ツー、ツー・・・。   かくて今目の前にしおりが6枚。絵柄は画集の表紙と13巻の表紙。色は赤、青、緑、黒。フ  ルカラーかと思っていたらそれぞれの色でモノトーンだった。   まあ、しおりは単行本をそろえるついでだと思えばいいんだが問題は「例の奴」、すなわち手  元に(以前買ったのと併せて)4冊もある18巻・・・。2冊は保管用と閲覧用にするとして、  残り2冊をどうするか。2冊とも友人に売りつけるか。   話題は変わって読書。   綾辻行人を読み進めている。「迷路館の殺人」まで読了。   水車館よりはるかに面白かった。十角館には劣るけど。   昨日はさらに自分でも漫画を買った。    八房龍之介「宵闇眩燈草紙 壱」メディアワークス/主婦の友社   内角高めに直球ストライクというぐらい好みの内容。   なお、現在ど真ん中は言うまでもなく「ベルセルク」がでんっ、と占めております。   今一番好きな漫画は「ベルセルク」。これはいまさら言うまでもない。   が、一番面白いと思う漫画となるとまた変わってくる。ベルセルクより面白いと思う唯一の漫  画は「MONSTER」である。その次に「ベルセルク」と、同率で「残酷な神が支配する」と  「ヒカルの碁」が並んでいる。   このように「好き」と「面白い」を分離して考えると、つまり面白いというのは「続きが気に  なる」ということとほぼ同義だということに気づいた。そう、今一番続きが気になるのは「MO  NSTER」なのである。   人を殺せない脳外科医。兄の影から抜け出せない妹。犯人の輪郭さえつかめない警部。一人の  娼婦を忘れられない富豪。   ヨハン・リーベルト。511キンダーガーテン。   そして「なまえのないかいぶつ(バリバリグシャグシャバキバキゴクン!)」。   なんて魅力的なストーリー、なんて個性的なキャラクター!   ああ、気になる。気ーにーなーるーぞー!!   ・・・ふと、あのメロディーが頭をかすめる。これは日立の陰謀か。
10/5
  花粉症がつらい・・・。ブタクサらしい。あーもう死にそう。   去年までは春だけだったのに今年は秋にも発症した。やばいな〜。   花粉症対策、どなたか伝授してくだされ。   ケミカルドラッグは逆に鼻の粘膜が乾燥してつらいんだよね・・・。   検索してみました。     「モズグス」・・・8件     その他・・・・・・0件   つまらない結果だなあ。ちなみに「モズグス」8件のうち、4件はこのページの過去のタワゴ  トだったりした。   東京大学一番の名物といえば安田講堂だが、この時期には学内の銀杏並木にその座を譲る。   今年もそろそろ緑色を失いはじめ、黄ばんできた。もうすぐ、おそらく今週末にはすっかり黄  色くなるだろう。   銀杏は個体ごとに雄株と雌株に分かれているのだそうだ。端的に言えばギンナンをつける方が  雌株、つけないのが雄株ということ。「動物のお医者さん」にギンナンを巡る熱い戦いの話があ  ったように記憶しているので参考までに。   彼ら、あるいは彼女らはこの大学の一番古い住人である。最低でも樹齢50年、一番大きいの  は200年くらいありそうな大樹。そういう銀杏の大樹が延々と続いている。   その並木が全て黄色くなった様は壮観である。ふと強風が吹けば一面の銀杏嵐。言葉を失うほ  どに鮮やかである。見るたびに感動して「大先輩」に最敬礼をする。   だから、東京大学に行くのならこの時期がいい。安田講堂も黄色い銀杏並木も見ることができ  る。運が良ければ銀杏嵐が歓迎してくれるはずだ。   さて、普通は散り終わったあとの落ち葉が問題だ。   ちょっとでも雨が降ればぐちゃぐちゃになって汚い・・・が、学内ではそういう心配は無用。   なんと、ほぼ毎日清掃されている。あちこちに積み上げられた東京都指定の半透明ゴミ袋は黄  色くすけている。これが結構グロくて怪しい。これを持って公共の交通機関に乗ったら一発で職  務質問されそうなくらい。   だが、そのおかげで学内の落ち葉は少なく、紐緒唯奈さんも大満足のはずである。
10/4
  うーん、まだ頭が研究用に切り替わらないなあ。   こうやって大学のデスクで日記を書いているのがいい証拠か。   さっきGooで検索してみたら(うわ、切り替わってねぇ)、     「三浦建太郎」・・・274件     「三浦健太郎」・・・260件   うっわー、間違えられまくってる。   「三浦建太郎」のほうは白泉社のページで重複して検出されているはずだから、実質的には間  違えているページのほうが多いってことじゃないだろうか。   そのうちやりたいのは「モズグス」「モズクズ」「モズグズ」「モスクズ」「モグズス」かな。   全部見たことあるんだな、これが・・・。
10/3
  ベルセルクテレカ新着〜♪   お早いお着きでなにより。明日支払いしなきゃ。   白泉社のフェア。約?00冊調べて?枚あたりが出た。当選率は大体1/100くらいかと思  われる。これを高いと見るか低いと見るかは人それぞれか。   いいけどね。どうせあたりのしか買わないし(邪笑)。   新刊本屋でハガキを調べる片手間に古本屋で本を買った。    綾辻行人「水車館の殺人」「迷路館の殺人」「人形館の殺人」。    ウィリアム・ゴールディング「蠅の王」    日本棋院編「すぐ打てる囲碁入門」   最後の本がのめり込むと果てしがないという自分の性格をよく表していて笑える。   昨夜、知り合いの家にインターネット接続のお手伝いにいった。   最終的に上手くつなげた。大学のメールを自宅で読めるようにもできた。重畳この上なし。   パソコンは習うより慣れろ、とよく言うが、慣れる前に少しは習う必要があるよなあ。   さて、秋休みの名残の二日間が終わった。本格的に研究開始だぁ。
10/1
  前漢末期、揚州の古寺に保林児という小僧がいた。   たいそう書を好み、修行と説法以外の時間は書庫にこもって一日中をそこで過ごしていた。   十四にして寺の蔵書を読破してしまい、退屈を持て余していた保林児に、ある日寺の住職が使  いを頼んだ。荊州の寺まで手紙を届けよという。   早速支度して出かけたが、用事を済ませて揚州に帰る直前、林の中で迷ってしまった。    苦労して藪をかき分けながら進むと、薪を背負った老人に会った。鬱蒼とした林の中で人に会  えたのでほっとして道を聞いたが、老人は耳が聞こえないらしい。身振り手振りで意志を伝えよ  うとしたが、うまくいかなかった。   苦心する間に日も落ち、すっかり夜になってしまった。困り果てた保林児を見かねた老人は自  分の家へと招いた。   老人の家には娘がいた。美しい娘だったが、目が見えないらしい。   娘に道を聞くと、明日林の外までお送りしましょう、今夜はこの家でお休みください、という。   厚意を受けて泊まることにした。   その夜、物音に目が覚めた保林児があてがわれた寝室を出ると、老人と娘が泣いていた。   「何故お泣きになるのですか」と問うと娘は答えた。   「ごらんの通り私は目が見えません。七年前に流行り病にかかり、見えなくなってしまいまし    た。父とはお互いに助け合って生活していますが、あなたのような目も耳も健康な方にお会    いすると自分たちの身の上が思われて悲しくなるのです」   続けて娘がいった。   「悲しいのは目が見えるときに見ていた何気ないものを思い描くことができないことです。こ    の住み慣れた家の中の様子でさえ、正確には思い出せません。ありふれた道ばたの草花、林    の小鳥、そして父の顔。なぜ目が見えるときにもっとよく見ておかなかったのかと・・・。    父も私に『お前の声が思い出せない。なぜ耳が聞こえるときにもっとよく聞いておかなかっ    たのか』といって泣いているのです」   そして娘はまた泣き崩れた。   翌朝、老人と娘に林の外まで送ってもらい、保林児は無事に寺に帰ることができた。   それからというもの、保林児は書庫に一日中こもるということをしなくなった。頻繁に町に出  て人を見、旅に出て世間を見、会う人と話して見聞を得た。   後に寺を開いた保林児は、弟子達に「よく見、聞き、そして考えよ」と教えたという。   ・・・などというでっち上げ(作成時間1時間)を信じてはいけない。   メールが来たのだ。テレカ買ってくれと。   いい値段だったけど買った。即決で。   やっほう。難物の一つが片づいたぞ。   しかも、品物が届いてからの支払いなのでものを確認できる。嬉しい。   そして18巻。   「あたり」はすでに出した。一発である。ふふふ。   ある意味で当たり前なんだけどね。   一発で当てるヒミツが知りたい人はメールを出してみよう。さーて、何通くらい来るかな?   さーて、「あなたの知らない〜」のネタでも拾うか、と思って読んでみたらあるわあるわ。   ざっと見ただけで削除・描き直しがざくざくと。   まずは掲示板で告知しよーかな・・・と思ったら先を越されてる〜(泣)。   あう〜、それは僕の仕事なの〜。とっちゃやだ〜(だだっ子モード)。
9/30
  知識を得る、というテーマの3日間。   ラストは思考の基礎となる知識獲得ステップ、体験ということにする。   学生の理系離れが危惧されるようになってすでに長いが、未だに理系の学問を嫌う学生は多い  ようだ。就職難の今、理系のほうが就職に有利、とのことで理系を目指す人が多少増えたそうだ  が、焼け石に水。ましてや本質的な解決にはなっていない。   これの理由として、幼少期における自然科学的な体験の減少が指摘されている。   体験は極めて容易に知識となる。直接知識にはならなくとも興味につながる。興味は知識を得  るために不可欠だ。   幼少期、旺盛な知識欲の権化である子供には体験が必要だ。   もちろん、これは自然科学的な体験に限らない。文系に進む人間の半分以上が「理科ができな  いから」「理科に興味を持てないから」という消極的理由である現在、人文科学的な体験も不足  していると考えるのが妥当だろう。   とまあいつもながら偉そうに書いたが、発端は何気ない体験も思考も知識も全て非常に貴重な  宝であるという思いつきである。書いている内容もあっちゃこっちゃからかき集めた「情報」を  羅列しただけのものだ。自分なりの「思考」はしたが。
9/29
  27日の雑想で知識を得ることが偶然に満ちていると考えた。   知識の元になる情報が氾濫している現代で、ある一つの情報について考え、知識とするという  ことが非常な偶然の産物であるということだ。   情報の海に埋没しているその情報を、ひょっとしたら見逃してしまうかもしれない。他の情報  に覆い隠されて目に入りさえしないかも知れない。見つけたとしても興味を持てないかもしれな  い。興味を持っても日常に忙殺されて考えられないかもしれない。疲れていて考える気力がわか  ないかもしれない。   ・・・思考というものが奇跡のように思える。それは時間と手間ときっかけと興味のいずれが  欠けても成立しないのだ。   だから、思考の結果得た知識は各人にとっての宝物となる。   宝物は多ければ多いほどいい。   だから新聞を読んで、テレビを見て、ネットサーフィンして、なにより漫画を読んで。   そして深く考えるのだ。
9/28
  三唱五考七論九答。   問いを三たび唱え、五度考え、論理の筋道を七つ組み立て、九つの答えを得る。   そして一意、あるいは一行。   結局、最終的にとらざるを得ない自分の意志、あるいは行為も一つだけだ。   三唱五考七論九答一意。   現代社会は情報社会だ。ラジオ、テレビはもちろんだが、何よりインターネットというまさに  情報の海が形成されている。   その現代社会において、ある一つの情報に出会うというのは極めてありふれていて、そして数  歩進んだ段階においては偶然に満ちている現象ではないかと思う。   数歩進んだ段階、というのは情報を元に理解を得たということでつまり情報が身に付く、とい  うことを意味している。この段階を普通知識を得る、という。偶然云々に関しては明日。   現代はいうまでもなく情報過多の時代である。ただ生活しているだけで膨大で雑多な情報が耳  に、あるいは目に入ってくる。それ自体は別にかまわないのだ。   問題は、垂れ流しの情報をただ受け入れているだけの段階でひけらかす連中がいることだ。   こういう連中は見苦しい。鵜呑みにしただけの情報を自分の知識だと勘違いしている。   知識をひけらかすのは見苦しいが、情報を知識と勘違いしてひけらかすのはさらに見苦しい。   知識を得るには考えることが不可欠だ。思考をおろそかにする人間はなんの知識も得ることは  できない。   そして、思考の結論として得られた知識がこの世の中を動かしてきた。   このありふれた、全ての人間に可能で、かつ全ての人間に保証されるべき「考える」というこ  とのなんと奥深く、偉大なことか。      三唱五考七論九答。練りこまれた思考の方法だ。   一意、もしくは一行。思考の結論としての決意と行動に対する自信だ。   そして人間は知識を得る。
9/25
  自宅のデスクトップパソコンがクラーッシュ!!Windowsが起動しなくなってしまった。   HPデータはすべてノートパソコンに入れているので助かったが、メールが失われてしまうこ  とになるので背筋が凍った。   一応コマンドプロンプトは開くのでハードディスクが死んだ訳ではなさそうだが・・・。   パソコンに詳しい友人・通称「ハロゲ」に電話して指示を仰ぐ。   どうやら前回シャットダウンするときにレジストリの保存に失敗していたために起動できなく  なってしまっていたらしい。以前のレジストリを最新のレジストリに上書きしてやると復帰した。   友人に感謝することしきり。   「十角館の殺人」読了。   本格推理モノというジャンルを知るための一冊だったが、結論からいうと肌に合わない。この  一作をもって代表させるのは危険ではあるが。   すくなくともこの作品はトリックが命だろう。トリックそのものは見事だし、文章も巧みで飽  きなかった。   が、何回も読み直す気が起きない。   ストーリーそのものはよくある復讐劇に過ぎないのが大きい理由だろう。これは仕方ないこと  かもしれない。トリックに必要なのは事実関係であって、ストーリーは必要ないからだ。   犯人の動機は恨み。それで一貫してしまっているためにストーリーが薄っぺらい。   しかし、残念ながら俺は種の知れている手品を何度も楽しめる人間ではない。   これは十角館には当てはまらないかも知れないが、俺はトリックの一般的な「解明」が嫌いだ。   トリック解明というのは例えれば国語の問題であって、決して数学の問題ではない。その違い  は答えが一意的でもなければ絶対的でもない、というところにある。作者によって与えられた回  答は、十分条件を満たしているが必要条件は満たしていないのだ。   国語の問題、特に長文を読んで答えるような問題には多様な解釈は存在するが一意的な解答は  存在しない。それなのに、推理小説のトリック解明部分はまるでそれが唯一の解答であるかのよ  うに語られる。一意性の検証が十分なトリック解明を見たことは未だにない。   極端な場合には「確かにそれなら犯行は可能だ。でも他のやり方もあるじゃないか」というこ  ともあるのだ。その場合、トリックそのものの意味も失せる。   この点がどうもひっかかる。気持ち悪い。端的に言うと「トリックの解明」が「解釈の押しつ  け」に感じられてイヤだ。   この辺の理屈はもし他人が言ったら絶対に揚げ足を取っているに違いないというくらい不完全。  自分でもなぜ推理小説が肌に合わないかわからないのだ。無理に言葉にしようとするのは難しい。   しかし、これだけはハッキリと言える。もし「十角館の殺人」が推理小説を代表するものであ  るのなら、推理小説は肌に合わない。   さて、京極夏彦の「魍魎のはこ」。こちらはすごく面白いと思う。   こちらは正確には推理小説ではないのだろう。これといったトリックは存在しない。   しかし、「十角館の殺人」との一番大きな違いは、主体性をもって事件全体をコントロールし  ている一貫した「犯人」が存在しないことだと思う。犯人の悪魔的な頭脳によってではなく、愚  かでちっぽけな凡人のそれぞれの思惑が絡み合うことによって事件が生じる。そのためストーリ  ー性、もしくはドラマ性が生まれるわけだが、それが面白いのだ。   なんだか推理小説というものを「トリックが全て」という風に解釈しているように読めるかも  知れないけど、そんなことはない。が、少なくとも「十角館の殺人」においてはトリックの巧妙  さ以外に見るべきところはなかった。これが推理小説の代表なら推理小説を語るのにトリック以  外の要素を論じることは俺にはできない。   と書いたところで思いついた。結局は俺がどこまでもストーリー重視の人間であるというのが  原因なのだ。   トリックは事実を記述するため(事件を可能にするため)の道具に過ぎないのだ。道具の出来  不出来は確かに重要だが、それ自体にストーリー性はない。それゆえ、どんなに巧妙なトリック  であろうとトリックそのものを重視する小説はあまり面白く感じないのだ。   ストーリー性を持ちうるのは、トリックという道具を使って記述された事実(事件)である。  そういうストーリー性を持つ作品であればであればその作品を面白いと思うのだろう。残念な  がらそういう推理小説を読んだことはないが、これは推理小説の読書量が少ないことが原因だ  と思われる。   おお、自分ではかなり納得できる理屈ができた。が、いつものこととはいえ極論だなあ。   ともあれ、さらなる読書が必要だ。   最近、コミックEyes(ホーム社。コミックス発行は集英社)という漫画雑誌のコミックス  をまとめて購入している。   「セルロイド・エイジ」央巳あゆり     時間の流れに置き去りにされた人々の話。空間と時間を共有している、という当然のこと     が人と人とのつながりにおいていかに重要であるかを考えさせられる。そして、音楽とい     うものが時間と空間を超えて人と人とをつなぐものであるという、普段は気づきにくいこ     とも気づかせてくれる。   「死神の惑星」明智抄     未来SF。第一話から極めて丁寧に出てくるキャラクター一人一人の掘り下げがされてい     る。まだ物語は序章に過ぎないが、一度ストーリーが動き出したら展開から目を離せなく     なるのではないだろうかと踏んでいる。チェックしておいて損はない。   「影の森 月の船」四位広猫     あえて言うのならばショッキング・サスペンスといったところか。かの傑作「残酷な神が     支配する」と似たような臭い。完結しないと正確な評は下せないが、今のところ面白い。   「ふしぎなジジ・ガール」榎本ナリコ     作者名につられて買ったが駄作。廃刊になった雑誌に掲載されていた作品を集めてコミッ     クスにしたもの。   「αテンション!」あもい潤     サイバーアクション?電脳空間という題材は扱いさえ間違えなければ俺にとっては魅力的。     もちろん代表的な作品は「攻殻機動隊」ということになるだろう。ノリは「攻殻機動隊」     より軽いが、この作品も面白い。   「キリコ」の4巻も買ったが、まだ読んでいない。これの感想はまた今度。
 

雑想ノート目次へ

 過去のタワゴト8   9/ 9/99〜 9/23/99  過去のタワゴト10 10/13/99〜11/14/99