7/11/99〜 8/ 5/99

トップへ

 

雑想ノート目次へ

 過去のタワゴト5   6/ 9/99〜 7/ 8/99  過去のタワゴト7   8/ 6/99〜 8/29/99
8/5
  常連さんでこれを読んでいる人はおそらく少ないだろう。   アップされたときにはすでに過去のタワゴトに入ってしまっているのだから(笑)。   ここまで読んでいる人の特典。   裏日記の存在を教えて差し上げよう。   直接リンクはされていないけど、ヒントはHPの各所に散らばっている。   見つけたら行くもよし、行かぬもよし。   さて、肝心の日記だが。特に書くことがない。   一日中家で勉強してればネタがなくてあたりまえか。   仕方がないので思考してみよう。   タンスは大体上の面は化粧板を貼ってあるけど下の面には貼っていない。   なぜだろうか?よーく考えよう。   答え。   間違えて上下逆に置いちゃったら引き出しをあけたときに全部ぶちまけられちゃうからさ。   ・・・くだらねー。   知人のHPが一周年を迎えたとかで、ふと考えた。   「俺のHPはいったいいつからあるんだろう・・・?」   少なくとも現在の形であるのは今年の4月から。   一番最初、ホントにただ自己紹介しか置いていなかったのは・・・大学の情報処理の講義で作  ったのが最初だと思うから、3年前の6月くらいか。   なんだかすごくみすぼらしかったから、いろんなページのソースを見てまねしながら少しずつ  手作りしたんだよな。現在、使いこなせるタグは。   <html><title><h1><center><p><hr><font><img>   <pre><a href>   このくらいか。わー、<bg>も<body>も使ってないよ。   それでも自分にとっては十分なくらいお客さんも来ているので、これ以上勉強するのもめんど  くさいなーなんてことを言ってるといつの間にか飽きられるんだよな。   そしたら方針を180度転換して完璧なる自己満足HPを作るという手があるな(いまでも十  分自己満足でしょーが)。   自己満足か(お、とりとめない思考が始まったぞ)。   自己満足というのは要は「自分が一番大事」という姿勢のことだろう。ということは・・・あ、  思考がめちゃくちゃヤバイ方向に向かいだした。やめておこう(いきなりかい!!)。   そうだ、7/31に羅列したキャラクターの元ネタを書いておこう。    シャルル&ディーン・リーガル      「ツーリングエキスプレス」    英二&アッシュ             「BANANA FISH」    ウォル&グリンディエタ・ラーデン    「デルフィニア戦記」    ヤン・ウェンリー&ユリアン・ミンツ   「銀河英雄伝説」    中村麻子&蒼月潮            「うしおととら」    クリスタル&アルド・ナリス       「グイン・サーガ」    アウクソー&ダグラス・カイエン     「Five Star Stories」   さて、いくつご存じかな?   やはり3番目がネックかな。小説だし。
8/3
  暑い。痛い。かゆい。肌が火膨れ・・・。   やはり日焼けはしない方がいいな。   今日も今日とて勉強三昧。受験生の夏は戦争だ。   少し前にやった中絶論議。M君に再び話を聞いたところ、「中絶に罰則をつけるべきでは」と  いう意見をいただいた。というのは不正確でホントは前にもこの意見が出ていたのを忘れていた  だけなんだが。   悪くはないと思うが・・・。実際には難しいだろうな。   
7/31
  なんやかやで一週間ぶり。   京極夏彦の名前は5年ほど前から、すなわちほとんどデビューと同時に知っていた。今回初め  てその作品を読んだ。「姑獲鳥の夏」というデビュー作。   感想は。まあここに書くくらいだからつまりは「よかった」と言うことなんだが、この作品に  対してこれを言うのはなかなか感慨深いものがある。なぜならこれが推理ものだからだ。   推理小説や推理漫画は本来あまり面白いとは思わないタチなのだ、俺は。   過去を暴いて予定調和を作る(この言い方がまた非常に不正確で恐縮だが)というのがあまり  面白みを感じない。「事件」はすでに過去にあった予定調和。それを暴いていく「推理」も予定  調和。予定調和を演出するための予定調和。うーむ、またどーも不正確で恐縮だが。   とにかく推理ものというのがあまり好みではなかったのだ。   だから神林&キリカシリーズとかパズルゲームハイスクール(いずれも題名の記憶が不正確。  ひょっとしたら同一作品か?)とかも面白いとは聞きつつも読んでない。   金田一少年もコナンもよほど暇なときでないと読まない。読んでも面白いとは思わない。コナ  ンはまたちょっと別物だけど。   小学校時代にみんなが読んでいたのでつられて何冊か読んだ明智小五郎とかホームズとかポワ  ロとかもあまり好きじゃなかった。あ、でもエドガー・アラン・ポーは好きだったな。   「踊る人形」って「黄金虫」のパクリだよな。   その俺がようやく「面白かった」と言える推理ものを読めたというのはなかなかに事件である。  まあそういうことです。   とはいえ、どうやらこれはある意味で非常に異端な推理小説らしいから、はたして本当に推理  ものを楽しめたことになるのかはやや疑問だが。   なにはなくとも2作目を読んでみよう。   合宿に行って来た。伊豆2泊3日。先輩の運転する車で行ったのだが、完全に乗用車のみの旅  行というのは初めてだった。   我が実家には車がない。俺だけは普通免許を持っているが、車がないので免許取得後一回も運  転してない。今年の誕生日には更新もしたんだが。   つまり、免許取得のための講習を除き、自分で車を運転したことは皆無なのだ。それどころか、  生まれてから今まで22年と24日、車というものに乗った回数からして100回とか200回  とか、そんなもんである・・・ちょっと誇張してるか。でも500回は乗ってないぞ。バス・タ  クシー含めて。   そうするとどうなるか。車の動きそのものにたいして免疫ができないのだ。   運転したことがない人でも、車がどのように動くか、中に乗っているとどういう風に感じるか、  そういった雰囲気のようなものは車に乗っていさえすればわかるものだそうだ。それが俺にはな  い。   マニュアル車のクラッチ。これはいい例だ。車に普段乗っている人なら、それの原理的な仕組  みは知らなくてもそれがどういうものか、どんなときに使うかはなんとなくでも知っている。   しかし、俺の場合はたとえ原理を知っていたとしてもそれをどういう場面で使い、どういう役  割を果たすかはわからないのだ。実際、クラッチを理解できたのは仮免許を取得する直前、講習  がもうすぐ半分終わるというときだった。あのとき同乗していた指導員はすごく説明がうまかっ  たなあ。   いわゆる「乗っていないとわかりにくい」という代表ではないだろうか。   俺の車に対する不信感はとても強い。   まず、スピードが速いこと。それからおよそ地球上に存在する一般的な乗り物の中で、乗用車  ほど死角の多い乗り物はないということ。この二つから来る恐怖感がある。   車は徒歩や自転車に比べて一桁速いスピードで走る。にもかかわらず、乗員はあまり速さを感  じない。これはおそらく風が当たらないからだと思うが、典型的な例は高速道路だろう。あれは  怖い。風が当たらないからスピードを実感するには周りの風景が後ろに飛んでいくのをみるしか  ないが、道幅の広い高速道路は風景からスピードを実感できない。   これは怖い。時速100キロで走っているのにわからない。スピードメーターで表示されている現  実を実感できない。怖すぎる。体温計が40℃を示しているのに本人は元気いっぱいで走り回っ  ているのと同じだと思う。   しかも、前方はボンネット、後方はトランク、左右はドアに邪魔されて非常に死角が多い。   これほど危険な乗り物がほかにあるだろうか?   何より危険なのは、そのように考えない人間がいるということだ。   もらい事故ほどいやなものはない。生死に関わるようなものは論外として、物損事故の賠償責  任は事故をもらった方にもふりかかってくる事が多いのである。   たとえ駐停車可能区間で停車中にぶつかられたとしても、自分の車の修理代を相手に払わせる  法的な強制力はさほど期待できない(実際には違うのかもしれないが、すくなくとも俺の印象は  このとおりだ)。   百万円の物損事故で自分対相手が1:9の賠償責任だとしても十万円を払わなければならない。  法的には「たとえそれが正しい行動だったとしても、あんたがそこにいなければ事故は起こらな  かった」ということらしい。腹が立つことこの上ない。   以上のことから、俺の自動車、とくに普通乗用車に対する不信感は非常に根強いのである。   で、話を伊豆に戻そう。   そんな俺が伊豆半島を車でぐるっと回ったのだ。それも3日間も乗りっぱなしで。   疲れた。ほんっとーに疲れた。緊張感から眠りは浅くなるわ腹の調子が悪くなるわ。一応念の  ために書くと車に酔ったわけではない。   もう金輪際乗用車での旅行は願い下げだ。   観光バスやワゴン車なら視点が高いから大丈夫なんだが。   将来はワゴン車を買うぞ。絶対。   さて、そういえば最近のベルセルクについて何も発言していないことに気づいた。   ここ2号分くらいほっといてしまっている。これはいかんということで感想。   っていうか・・・ムッキーーーー!!   多くの人が悶えたであろうニーナの行動!!俺も煩悶した。あーーー!!   くしゃみが出そうで出ないというか。「ハッ、ハッ」と息を瞬間的に吸い込むところまで行  ったのにその後の「ハックショーン!」という爆発が来なくて死にそうだというあの感じ。   魔王が降臨できないぞ、このままじゃ。   ニーナ。結果が悪かっただけで動機も行動も理解はできる。仕方ないと認めもしよう。   それでも・・・!!それでもあとせめて四半時!!待って欲しかった!!   ルカ。ベルセルク史上最もソフィスティケートされた、よく言えば自立している、悪くいえば  世間ずれしている女性。いい女・・・と言うよりは本気で「姐さん!!」と叫んでついていきた  くなるような女性である。ほめすぎか。   そしてガッツ。なぜ三番目か?だって最近のストーリーを構成しているのは明らかに上の二人  だからさ。パックの本宅にして黒鉄の城。体調万全なら聖鉄鎖の全軍かかってもまあ抑えられな  いだろうな。今回のストーリーに絡んでいるキャラクターで対抗できそうなのはバーキラカ一族、  それも若様ことシラット率いるターパサくらいか。   はやいとこキャスカを見つけてくれ。   パック。いいから伝令に走れ。例の「バカ反応」とやらでガッツを見つけることはできるはず。  しかし、「人がうじゃうじゃしてれば普通見えなく」なる、というのはどーゆーことだろ?   イシドロ。・・・君はヒジョーにまずい考えをいだいているね。キャスカを人質に?   シャルルを人質にされたディーン・リーガルと英二を傷つけられたアッシュとウォルを傷つけ  られたグリンディエタ・ラーデンとヤン・ウェンリーを殺されたユリアン・ミンツと中村麻子を  人質にされた蒼月潮とついでにクリスタルを陥れられたアルド・ナリスとアウクソーを侮辱され  たダグラス・カイエンを同時に(順不同)敵に回すようなもんだ。瞬殺されるぞ。   全部非常にメジャーな作品ばかりだよ。3番目がわかるかどうかが鍵だな。   モズグス。最近出てこないけど、実はみんなが一番気になっている人物の一人だろう。今、何  をしているんだろう。   両眼。どこかから全てをみている両眼。さてさて、正体が割れるのはいつのことやら。   ゲームが出るのが年末、もしくは来年の初頭。原作の進行とリンクするとしたら、それまでに  は現在のエピソードが終わっているはずだけど・・・望み薄。   今のストーリー、宗教が害悪にしかなっていない典型例に見えるが、現実の世界ではあれなん  かまだマシと思えるくらいひどい害悪を宗教が成したことがあるんだろうなあ。   ヒジョーに長くなってしまったけど、実はまだ続く。   アニマルがエロ本かどうかの議論はひとまずおいて、ベルセルク以外の漫画がつまらないとい  うのは非常に不幸だ。そういう人たちはもっと広範な漫画の楽しみ方を知ってもいいんじゃない  かと思う。   まず最初に、自分がなぜベルセルクを面白いと思うのかを考えるといい。   それではひとまずおいたエロ本についての議論。   なんだか期待されているようなので書いてみよう。   まず、エロについて。   ほんの10年くらい前まで回教徒が多くを占める中東諸国のエロ本はどんなものだったか?   女性が顔を出している、ただそれだけのものだったのだ。マジで顔だけ。   アニマルのグラビアの、女性の顔だけ残してマジックで塗りつぶしてみよう。それがエロ本だ。   ひるがえってアメリカ。局部まで丸写しのものが無修正で売られている。日本ではその中間、  ヘアが出ている出ていないで議論の的になっている。その気になれば日本でも完全に無修正のも  のが手に入るらしいが。   これは国単位での規制の問題であるが、それでもこれだけの差異がある。ましてや個人単位に  おいてをやである。何をエロとし、何をエロ本とするかなど主観的にしか決められない。   ついでのことで書いておくと俺の主観では少なくともアニマルはエロ本じゃない。   次、エロ本を買うときの恥ずかしさについて。   そもそもエロが恥ずかしいのはエロがある種のタブーとなっているからだが、それはなぜかと  いう問題は、自殺が倫理上タブーとされるのはなぜかという問題と同じで答えがない。この二つ  の問題について、万人が納得できる答えを出せる人間がいるとしたらよほどの天才か詐欺師だろ  う。ゆえにこの点についてはおいておく。   以前、「王様はロバ」という漫画の中でだったとおもうが、なにわ小吉が書いていた。    「恥ずかしいという感情は相手がいないと成立しない」   エロ本を買うときの恥ずかしさは、他人の目を通して自分を見つめたときに自分が低劣な、あ  るいは品性の卑しい人間に見えるというところに、正確にはそう見えるだろうと考えてしまうと  ころにあるのだ。   最近みなくなったがエロ本の自動販売機はまさにこれを利用したものだ。相手がいないから恥  ずかしくない、すくなくともレジを通して買うよりは恥ずかしさが軽減されるのである。   ところが実際は、なんのことはない、自分で自分が恥ずかしいだけなのである。この辺、言葉  の上では矛盾するようだが、エロが主観的なものであるがゆえに成立する(と思う・・・)。   つまり、自分の主観(エロの基準)において他人の主観(同)を推測し、その結果として恥ず  かしくなっているのだから、結局自分で自分が恥ずかしいのと同じだということだ。   ジャンプを買うときに恥ずかしいと考える人間はあまりいない。ジャンプはエロ本ではないと  他人が考えているだろうという推測が立つからだ。ところが実際は「ジャンプを買うとはなんて  恥ずかしい人だろう」と考えているかもしれない。それは絶対に誰にもわからない。   わからないことで自縄自縛に陥って欲しい本を買えなくなるなどというのは損だと思う。   故に俺はどんな本でも(特に漫画であれば)買える。   「少年天使」だろうが「アムール」だろうが買えるぞ(胸を張る)。   恥ずかしくないとは言わないが、恥ずかしさを気にして買えないのはバカらしいと思うのだ。   もちろん、他人が自分の羞恥心に従って本を買い控えるのを非難する気はないけど。   なお、今おすすめのエロ漫画雑誌は「快楽天」および「ペンギンクラブ山賊版」そして「カラ  フル萬福星」である。非常に主観的でしかも男性的だけど(笑)、そのへんは男女のエロの質は  異なるらしい(某氏談)ので勘弁してください。
7/23
  現在、某ネットの知り合いの家でこれを書いている。この家、ネットの知り合いなだけでなく  家庭教師先でもある。将来有望なご子息をお預かりする一方で原稿を見せ、編集作業を手伝う。  何とも疲れる話だ。   自分の原稿を書くための補足情報をいくつか仕入れ、ついでに漫画を借りて帰る。   大好物のホットケーキなどいただいてしまった。ごちそうさま。   夏休みはコミケ以外自宅勉強。6週間で一通り完成させる必要アリ。大変だのう。   幸せなことに、俺は今までの人生でしょっちゅうとある犯罪の被害者になっている。今夜もど  うやらその犯罪に遭いそうだ。その犯罪、名称を「時間泥棒」といい、夜に犯行が行われる場合  はとくに「睡眠時間泥棒」と呼ばれる。   犯罪者の職業は、俺の場合漫画家であることが多い。   連中のタチの悪さと来たらもう最悪である。奴らによってどれだけの時間が盗まれたことだろ  うか。モモもびっくりだ。   なにより恐ろしいのはそれが合法的な犯罪であり、被害者はむしろその被害に遭うことを喜ん  でしまうことにあるのだ・・・・・・。   今回の犯罪者は三原順、凶器は「はみだしっ子」である。   すごい。言葉一つ一つに込められた感性の鋭さがすべてを表している。   つまりそれは、以下のようなことなのだ。   自分が不必要な人間であると考え、沈み、そしてふと顔を上げると気づくのだ。そばに仲間が  いるのだと。   そのときの気持ちを何と言って表そう?   ああ、ああ、言葉が僕を置いていく。僕の中から消え去っていく。   ・・・・・・ほかのすべての言葉が消え去ってしまったから。   たった一つ残ったこの言葉を仲間に贈る。            「ありがとう」                           ーーーー「あてなき手紙・追記」第2節
7/15
  つい先ほど卒論研究の中間発表が終了した。   これで前期の山は越えた。あとは最終発表に向けて研究と考察を進めるのだ。   ああこの開放感、充実感。   この一週間で4回、大学に泊まり込みをしながら資料をまとめ、研究し、発表練習した。   そして今日。本番が終わった。ああもう何も怖くないって感じ。   忙しさで掲示板でのレスを返せなかったのが残念だが、この一週間でこのとりとめのない日  記に対して真剣な議論が繰り広げられる様子を見ていて管理人として非常にうれしかった。   ・・・しかし、あまりに重い話題で掲示板が埋まると新人さんが入りづらいかにゃ?   もちろん、重い議論を忌避するものではないのでどんどん語って欲しいものだ。   熱く、そして深く。   さて、最新号感想・・・といきたいところだが・・・今学校で手元にアニマルがない。   家に帰ってからだな。   この一週間中断したが、今ポポロクロイス物語というゲームソフトをやっている。PS。   すごく丁寧に作られていていまのところシステム面の不満は全くない。   セーブがやや時間かかるけど、些細な問題だ。   モンスター図鑑を完成させながら進んでいるため、まだ2章の初め。なのにファイヤーボー  ルが複数対象になっている。うふふ。   さーて、次は夏コミ原稿、それからレポート。家庭教師のアルバイトが月末までに二つ。   今日の苦労に比べればなんて楽なことばかりなんだろう。   がんばって予定をこなすとしよう。   そして2ヶ月後の院試に向けての勉強をはじめるのだ。   大学生は忙しい・・・。
7/11
  というわけで3日ほど前に22歳になったわけだが21歳の自分と何が変わるわけでもなく、  今まで通り漫画好きの大学生男子をやることになるわけだ。   「失って気づく」・・・まさに真なり。そしてすべての命題の対偶は真偽が一致する。ゆえに  「気づかないうちに得ている」というのも正しい。年を取るということはまさにそういうことな  んだろうと思う。   年を取って気づくのは「失ったなあ」ということばかりかもしれないが、その裏で気づかない  うちに得たものがたくさんあるはずなのだ。結果として個人差はあれ人間は大体年齢に応じたも  のを持っているのだろう。何かを失い、何かを得て、変化していくのだ。だから、年齢に応じた  人生の味わい方があるのだ。   今週、研究の中間発表会(教授たちの前でプレゼンテーションを行う)があるので現在鬼のよ  うな忙しさ。それでもいろいろと考えることはたくさんある。漫画も読むし。   友人のM君。中学、高校と同じで、彼も漫画好きなため非常に気があっていた。   しかも非常に学業が優秀。小学校時代通っていた日能研ではランキング20位以内の常連(ち  なみに母集団は10000人近い)。トップも少なからずとっていた。中学高校も常に成績上位  者の中に一席を占めていた超秀才だ。ことに理系科目の理解力、応用力たるやすさまじい。   大学に入って同じ学科に進めたのは幸運だった。彼には常に引っ張ってもらっている。   とまあ持ち上げるのはここまでにしておいて。いや、事実だけどね。   彼とはこの日記で書くような重たい命題についてよく議論するんだが、あまり議論が深化しな  い。理由は簡単、彼と俺の意見が食い違うことがほとんどないからだ。   議論というのは異なる意見の持ち主がそれぞれの意見を述べながら食い違いを検討し、すりあ  わせていくのが楽しいのであるから、ほとんど意見が一致する彼とはあまり長い間の議論はでき  ない。   しかし、何事にも例外はある。   「妊娠中絶の是非について」。これについては彼と意見が真っ向から対立。非常に熱い議論が  できた。延々4時間くらい?   そして今日の日記の本題もこれだ。いやあ、長いマクラだった。   あ、ヒジョーに重たい話題だから承知の上でどうぞ。   ベルセルク最新話はまた次の機会に。   俺は中絶賛成派。いや、賛成派というか、「なくては困るもの」だと思う。M君は反対派。文  字通り「ないほうがいい」という意見だった。あ、M君はクリスチャンではない。念のため。   M君の主張は、「妊娠したという事実の責任をとるのが当然」ということだ。正論である。   以下、俺の意見。   M君の意見は正論ではあるが同時に理想論であり、すべての人間が親としての責任能力を持っ  ているわけではないことを考えると、不幸な子供をわざわざ生み出す結果になる。   むしろ、決して親になるべきでない人間は決して少なくないのだ。この世の罪悪で俺が一番嫌  悪し、憎悪すらしているものがチャイルド・アビューズ。児童虐待である。   社会人としてのストレス、親としてのストレス、理由は多々あるだろうが自分の子供を虐待す  る親がいる。最低だ。他に言葉がない。   もちろん、反論が来た。   「親になると人間は変わる。社会的には人格者だと思われていた人間が児童虐待していた例も  多い。子供を虐待するかどうかなんて、実際子供ができなきゃ分からないんだから、それを理由  に中絶の正当性を主張するのはいかがなものか」   これも当然だ。未来は誰にも分からない。   しかし、実際問題として児童虐待をはじめ、不幸な子供が産まれている以上、選択肢の一つと  して中絶はあるべきだと思うのだ。   実はこの時点で少し議論が脱線して、出産規制の話になっていったので以下省略。   なお、M君が例外的に認めた中絶も勿論ある。一番極端な例を挙げよう。セックス&ドラッグ  という言葉がある。ドラッグを使用してトリップ状態のままセックスするということだが、性感  が高まって非常にいいんだそうだ。   これを常日頃やっている中毒者が、妊娠してしまったとする。これは中絶せざるを得ないだろ  う。障害を持って生まれることが予想されるし、麻薬中毒者に親としての責任能力があるとは思  えない。子供が不幸になる可能性が高すぎる。   また、出産するのは女性であるから、女性が傷つく出産の防止策としての中絶は必要だという  ことは当然ながら意見が一致した。とくに「性犯罪の被害にあった女性の望まない妊娠ほど悲劇  的なことはない」とはM君の言葉・・・だったっけ?まったくその通りで、まして望まない出産  などあってはならないのだ。   上記の例は論外として、一番問題になるのはごく普通の家庭を持った人が経済的な負担その他  の理由で中絶を選ぶ場合だ。これは難しい。「責任をとれ」というのも「やめておけ」というの  もそれぞれに正当性があると思う。   不幸になるかもしれない。しかし幸せになる可能性だって十分ある。さて、この場合の中絶の  是非はどうなるのだろうか。   生まれてくる子供の幸不幸が最優先命題として議論したのがこれである。   まず最初に不幸になる可能性がある子供であっても生まれるのが幸せなのか、生まれないのが  幸せなのか。そこから始めるべきだったのかもしれない。
 

雑想ノート目次へ

 過去のタワゴト5   6/ 9/99〜 7/ 8/99  過去のタワゴト7   8/ 6/99〜 8/29/99