■■■モンゴルの春祭り ● 林花子
えこし通信10+4号の編集が大詰めの夜、急用ができ、練馬区光が丘図書館に向かいました。 地下鉄大江戸線の地の底深くにある改札から、階段を駆け上がって、駆け上がって、光が丘公園の中を走ってゆきます。新興住宅地…日大病院…そんな、まっくらな道を走っていると、はっきりと思い出すことがあります。 モンゴルからの留学生チョルモンさんが、ちょうど去年の今、モンゴルの春祭り「ハワリンバヤル2007」に誘ってくださった。春祭りの日、光が丘公園は、イチョウ並木の若葉がぴかぴかぴかぴか光って、まぶしいような明るいような一日でした。 モンゴルの建国800年というこの年、お祭りは、モンゴルの民族衣装を着た長袖の人たちや、力士たち、モンゴルの踊り手や歌い手で賑わい…。屋台では、モンゴルの子供たちが描いた画や、古くから伝わる物語、草原に暮らす人々が履く靴などに触れられ、モンゴル式の紅茶や、肉饅頭などを食べることができます。ゲルという、モンゴル式の建物が並んでいます。 「スーホーのゲル」で、馬頭琴の音を聴きました。 モンゴルの民話『スーホの白い馬』を、子供のころ読んだことがあります。羊飼いスーホーの白い馬が、ある時とのさまに連れ去られます。馬は、やがて、とのさまの元を出て、体じゅうに追っ手の矢が刺さるのですが、大好きなスーホーの元に帰っていきます。物語の最期、スーホーは死んだ白い馬を、馬頭琴という楽器に作り変えたということでした。 音楽が分からないことにかけて、えこし会の人たちの中で一番の自信がある私も、馬頭琴とは、ひねるような高い音や、毛むくじゃらの動物の胴体に触れるような音がすると思いました。 ゲルに居合わせた一人の男の人が、歌い始めました。 その歌は、おなかのなかに息を溜めて、顔が真っ赤になるまで吸いこみ、風が唸るような音や、昆虫がぎしぎし鳴くような音を出している。おなかを洞窟の壁のようにして、入れないはずのそこに彼自らが入っていくような感じがする。私なりにしか言えないが、おなかという内にあるはずのものと、彼というその外にあるはずのものを、ひっくり返して、そこからつかみ出すような声に、驚く。 モンゴルの歌を歌いあげ、そのすごい人はゲルから出ていったのでした。 個人的には、「モンゴル書道のゲル」で手渡された、ウイグル式モンゴル文字が気がかりとなった。どうしてモンゴル語の音を文字にしようとすると、くねくねして複雑に見えるのかと、その時私には思えた。日本語にとってのひらがなだったり、中国語にとっての漢字だったりといった、母国語と文字との関係が、モンゴル語にとっての文字をくねくねした複雑なものにしているのだろうかと、今は思う。 お祭りの舟皿のような白い皿を水路に流して、裸足で、流れを追いかけて遊ぶ子供たちがいた。 チョルモン家の、明るいテッサエンさんと、長男ナルメくんに初めて会ったのも、この日のことでした。遊ぶ! ということに全時間・全体力かけるナルメくんに驚き、しかし、馬頭琴を前にすると不思議に感じ入っていたというナルメくんに、やはり驚きます。 春祭りの帰り道、カラスノエンドウや、春の花が道なりにずっと足元で咲いていた。驚き疲れて(?)帰った同じ道を、今は全速力で走ってゆきます。 2008.5.25 |
*はやし はなこ 『詩学』06.2/3合併号に評論「永瀬清子と麻生知子の魅力・魔力に沿いながら」を発表。第一詩集の発刊を準備中。 |
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