新しい古書店○ブックダイバーで手にした本 林花子
11月7日あたたかかった一日、クリハラさんと神保町古書店街を歩きました。 えこし通信とえこし文庫を手に、古書店を歩いては探し歩いては探ししたすべての時間を書くことはできませんが、神保町で手にした一冊の本のことを書きたいと思います。 そうそうたる老舗が立ち並ぶ靖国通りから、一本北側の細い道に入ると、古書店・ブックダイバーは、あります。(古書がらんどうの女性が、地図に載っていない、ダイバーまでの道筋を教えてくださいました。) 2006年春、店主の方の蔵書をもとに始められたというダイバーの店内は、明るくもこじんまりとし、扉を開けると、いくつかのイスらの奥に本棚が整えられています。 えこし通信をデスクに広げる店主の方が気になりつつも、整えられた本棚を見つめていると、『イヨマンテの花矢 続・アイヌの碑』萱野茂…という本がありました*1。 アイヌ語を母語として守った、萱野茂(かやの・しげる)さんの声をNHK ETV特集ではじめて耳にしました。 私自身にとっては、小さいときから書道を習ってきたり、戦中世代の祖父の影響が根づよくあり、日本語への愛着はやはりある…。けれど、日本語が国語化した時、むかしから北海道に住む人々が大切にしてきたアイヌ語を迫害していたことは、私が愛着を感じてきた日本語とのギャップを感じ、気になってしょうがなかった。 アイヌ語には、日本語の文字では表記できない音があると言います。テレビでアイヌ語を耳にしたとき、ロウソクの炎が揺れているような感触でした。アイヌ語に文字などなかったということは「有史以前からアイヌが持っていた」良い面なのであると萱野さんは言います。 萱野さんは、日本人が定めたアイヌに対する法律のために、罪人とされた父への複雑な思いがあって、自分がアイヌに生まれたことに対し、複雑な感情を長い間持ってきたと言います。 しかし、萱野さんの4才の時の記憶……イヨマンテ(アイヌ語で熊送り)の儀式で、父が「花矢」を作っている、夜の囲炉裏の風景…また、チカラカラペ(刺繍をした着物)を着て、雪の中で矢を放つ父の姿こそが焼きついていて、アイヌへの複雑な感情が内側から変わった時があったのだと言います。 萱野さんの本を手に、テレビで見た湿原の風景を思い返していると、ブックダイバーの店主の方が、前に文庫になっている本がある、と、さっと『アイヌの碑』を取り出して来てくださいました*2。 道沿いに落ちている大きな大きな葉っぱをかさこそいわせながら、神保町をあとに、クリハラさんと地下鉄の駅に入りました。 2006.11.22 |
*はやし はなこ 『詩学』06.2/3合併号に評論「永瀬清子と麻生知子の魅力・魔力に沿いながら」、舞踏誌「激しい季節」第9号に舞台評「他者に触れる『可能無限』」を発表。 |
|||||||||||||||
|
||||||||||||||||
*1...『イヨマンテの花矢』萱野茂(朝日新聞社刊) *2...『アイヌの碑』萱野茂(朝日文庫) |
|