えこし見聞録 0013 Knowledge Record of EKOSI  2006.10.16UP        <<0012      0014>>

 道造の道 −えこし研への途 鯉渕史子


「道造の道」と、わたしが勝手に呼んでいる道があります。えこし研に通う路です。

2003年春、えこし会が勉強会や
えこし通信の編集をおこなう場として、練馬区豊玉南にえこし研究所があたえられました。わたしは江古田のアパートから自転車で10分程(漕ぎまくれば最短6分!)のこの道のりを日々えこし研に通っています。ある時は苦しく、ある時は嬉々として、雨の日も風の日も、あるいは真夏の炎天下のなかを、この道造の道に自分のいろんな思いをかさねてきました。

江古田からえこし研まで、大通りを角々と辿るタダシイ路もあるのですが、わたしはどうも、へんな路地やら苦しい坂やら、どこかブキミな気配も漂うこの道を走るのが好きなようです。

道造の道というその道は、ちょうど江古田の一丁目にあたるながい坂道です。自宅からえこし研まで、この坂を登りつめ、平坦な道がひらけ、またなだらかに降って行く、峠か橋のようでもある道です。

バス通りを折れ、緑のなかを穴のように延びる坂道を登りきると、かつては江古田の森と呼ばれていた鬱蒼とした森がひらけます。坂のてっぺんの平らかなアスファルトの路はだだっ広く、そこだけ空もぽかんとひらいています。森の手前の空き地にはフェンスがめぐっていて、基地のように立入禁止になっています。そのせいか、昼間もひとけが少なく、寂れた風にもみえます。フェンスの中のひろい空き地には、昔、東京市立療養所の病棟があったそうです。立原道造が昭和14年春、24歳で亡くなったのはこの地でした。

フェンスの向こうにひろがる空き地の中には、季節ごとに様々なものが見えます。もみの木のような三角のおおきな一本の針葉樹、冬暮れの暗い木立にとまる一匹の野鳥、おおきなお化け柳の春の日のやわらかなそよぎ、あるいはギラギラした夏陽のなかのそのずっしりとした影の重量…、照りつけるアスファルトのいやな臭い、道際で除草されてもされてもはびこる雑草の青さ…。

68年前、道造がこの地で人生の最期の日々を生きたその数ヶ月。おそらくは当時から、枯れては萌えて、幾度もの季節をめぐりそこに生えているのだろう黒々とした木々のすがた。年月が経ち、今では環七の走るこの街の空の色も、雲の色も、道造のみたその風景とはすっかり変わっているのだとは思います。けれど、この道に息づくその一片一片の何かは、もしかしたら道造の生のひとときをよぎっていたかも知れないと、坂を登りきるたび、みつめました。


  愛し 愛されたこと
  ことの
  記憶としての橋

  
……(中略)

  膝頭を陽射しが舐め 雨粒が踊る
  わたしの脛やふくらはぎに沸き立つ熱い時間
  思いはしかし いっしゅんのことだ

  
……(中略)

  「虹と虹の橋を忘れよ」
  
……(中略)
  消えていく猫たちがささやく

  「夢は そのさきには もうゆかない」
  わたしの眼窩に
  出来事としての 温もりがあふれる

  ほころび、ほろびゆく「こと」の感触が
  たんたんとした情熱の川のようなものとなって
  冥い波音をたてている

  寄り添い歩いた はるかな夏の道
  道造や 中也のまだ涼しそうだった林のむこうに
  とけあう白くやわらかな雲

  青い 空を 漂う わたしたち
  つかのまの「ひとつのもの」その幻へと四肢をからめた
  わたしたちが 夏だった

  抽象や比喩 そのひんやりした嘘をいま雨粒がたたく
  ほら「泣いてもいいんだ」
  それから かるがると ぼろきれとして落ちていく

  悲鳴がいくたびも銀鱗のように光り
  かきむしるようなあらあらしい遡行がはじまる
  夏のばか

  もっと鼓動を もっと体温を
  わたしたちの川が動き その身をくねらせる
  生も死も そこから何度も何度も


道造を敬愛する詩人飯島章さんのこの大好きな一篇*に出会ってから、そこに書かれていることのその豊かな意味をわかってもいないのに、ただ「夏のばか…!」と、坂を登りきるたび、渇いた喉でこの一言をつぶやきました。(何度つぶやいてみても、未だにうまくはつぶやけませんが…。)

きつい坂を登りきるたび、けれどまだ何にも辿り着けず、どこにも行きつけてもいない自分の、そんなやり場のない思いが、錆びたペダルのきしみの奥で、いくつもの夏の底に通じ、また、それが私の今を支えてくれているようにも思えたのでした。えこし研に通う日々の中で、遠く私を支え続けてくれている何か…その自家発電機のようなちいさな思いをたしかめることの中で、すこし、かろやかになった下り坂を、えこし研までまたいっさんに走っていくことができたのです。

今、この道造の道に大きな建設物が建てられています。木々の間には鉄塔のようなレーンが覗き、目印にしていた大きな木が一本、二本と倒れ…。あのだだっ広い空き地の夕暮れや朝、夜の不気味で豊かな暗闇が失われてしまうのは、個人的には悔しくイタイのですが…緑を活かした公共のあかるい施設だそうです。

えこし研の周囲には、病院や老人ホーム、古い教会や修道院、神社なども多くみられ、浄風園というその呼び名にも、何かこの土地のもつ袋小路のようなその小ぐらい地史が、のこされているようにも思われます。

アパートの一室からえこし研まで、旧EGODA村から旧NUMABUKURO村くんだりまで、「遅れるぅー!!」と日がな慌ただしく、焦りまくり飛ばしまくりの軋んだペダルを前のめりに漕ぎまくって、今日も自己最短記録を塗り替えながらえこし研に通っております。

それでもあの坂の、登りきったときの一瞬の心地をもとめて、のぼりくだりを含んだその地形の面影をとおく踏みしめながらふっとみえる何かをさがして、この道造の道をえらんでしまっている私がいます。

2006.10.15


*こいぶち のりこ
 中右史子の名で詩、鯉渕史子の名で評論を発表している。第一詩集『
夏の庭』を7月1日に発刊。
*飯島章『夢はそのさきにはもうゆかない』表題作より(ミッドナイトプレス・2004年刊)
「夢は そのさきには もうゆかない」は立原道造の「のちのおもひに」よりとの註あり


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