和合亮一さんの詩を聞きました 林花子
4月29日、和合亮一さんの詩集による遊戯空間公演「詩×劇 世界が脳になってしまったので少年は左に回らない」を聞きました。 四ッ谷の駅を降りると、雨が降りだし、会場まで走っていきました。コア石響の入り口で、嵐のなかをありがとうございます!と和合さんは言った。 2004年現代ハイツでのedgeのイベントで、詩「・(ピーチ)」。2005年神田三省堂での討議戦後詩番外編での詩「Q」を聞いたときには、コトバをキカン銃のように打ち鳴らしている、その激しさに驚いた。2005年早稲田での「いん・あうと」で司会してたときもその話し方の印象は変わりませんでした。 けど、遊戯空間の人々が和合さんの詩の言葉を声に出して読むと、素朴なことですが、和合さんが声に出して読むときと違う魅力があり、一言一言が、やわらかい感じとか、ゆったりとした感じがしたのでした。 例えば、蝶、熱帯魚、白鳥、水母(くらげ)…詩に出てくるそれらの生き物のゆったりと、やわらかい感じが言葉から触れられるように伝わるのでした。 一人一人がライターを持ち、声を出すときに火をつけ、その火をリレーして、読む人を照らしては消えていった、一篇め「手紙」と最後の詩「熟睡」との、統一感ある照明が印象的。引用した詩は、役者の人が、すべてを暗記していた。 家に帰ってから、第一詩集『AFTER』と、『RAINBOW』『誕生』『地球頭脳詩篇』を手にした。和合さんの、メタファーに満ちた言葉は、文字で読んでいるのと、人の声を通して聞くのとでは、残ってくる所がすこし違う。 |
*はやし はなこ 『詩学』06.2/3合併号に評論「永瀬清子と麻生知子の魅力・魔力に沿いながら」、舞踏誌「激しい季節」第9号に舞台評「他者に触れる『可能無限』」を発表。 |
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午後の夜明けの柔らかな、 バックシートで、僕は生む、僕が生むの。 (「COME」『AFTER』思潮社刊) |
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という所、文字だけで読んでいると「僕は生む」が気になるのだけど、遊戯空間の人々が読んだ「COME」は、「午後」「の」「夜明け」「の」「柔らかな、」「 」「バックシート」「で」「僕」「は」「生む、」「僕」「が」「生む」「の。」という一つ一つが親密な感じがして、一行の全体が残っている。 声に出して読むと、詩は、ひとかたまりのようにして体にのこる。この日聞いた13篇の詩(「ハンディ」はペアの男女が一回ずつ読んだので2篇としました)を通して、そのように思いました。 2006.07.21 |
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