大島の思い出から─ 木村五郎資料館 クリハラ冉
数年前、私は約一ヶ月間伊豆大島に滞在しました。 港に立つ私の背後に三原山は白い煙をあげ、暗い海のはるか遠く、東京を襲う雷が赤く明滅しているのを見た夜。 大島でのいろいろなことすべては書き尽くせないので、ひとつだけ記します。 元町の港からすこし歩いて坂をあがると、ドーム型をしたグリーンのログハウスがあります。「木村五郎・農民美術資料館(藤井工房)」です。 私はここで初めて木村五郎*を知りました。 木村五郎は、明治32年東京神田に生まれた彫刻家です。山本鼎が提唱する「農民美術運動」に賛同。昭和2年に大島を訪れてから37歳で亡くなる昭和10年まで何度も大島を訪れ、島人に木彫りを教えながら、伊豆大島風俗彫刻を制作しました。 館内には数点の木村五郎の彫刻作品が展示してあります。作品は胸に抱けるほどの大きさで、大きな水桶や薪を頭にのせて運ぶあんこさんの彫刻や、遺作の牛の彫刻、雪のなか手をつないで歩く母と子の彫刻など、どれもしっかりとした肌触りのあるあたたかな表情をしています。木村五郎自身はとても力強い目をしています。数人と写る写真では彼だけがきっぱりと横を向いていることが多いのも印象的でした。 手ぬぐいを巻いた頭に物のせて運んだ当時のあんこさん。大切な水の重みを真っ直ぐに頭で支えながら、ゆったりゆったり左右にゆれる牛のようなまるい腰を想い浮かべます。頭で物を支えるせいか大島では挨拶の習慣がないのだと木村五郎は書いていました。そのような風俗は今はもう見られません。 また、大島には実に多くの文人、芸術家が訪れています。 大島を訪れた文人たちの作品を時得孝良氏がまとめた資料集があり、偶然藤井工房にみえていた時得氏から資料集をいただきました。宮沢賢治も大島を訪れ「三原三部」を書いています。萩原朔太郎も大島の波浮を訪れています。高田敏子は大島公園の鹿のことを書いた詩「動かない姿」を残しています。与謝野晶子も鉄幹と訪れ多くの歌を残しました。 今は高速船が東京から二時間弱で結んでいます。でも私は明けがたに島に到着する夜行船のほうが今でも好きです。 |
*くりはら なみ 『江古田文学』金子みすゞ特集を責任編集。評論「人間という名の喩」(『現代詩手帖』2004.11月号)ほか。近代女性詩人研究。 |
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*木村五郎の肖像、作品の写真は 「伊豆大島 木村五郎・農民美術資料館」の こちらのページで見ることができます。 ----------------------------------- |
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波浮港の夕焼け
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