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西にっぽり小さんぽ 鯉渕史子
梅雨ぐもりの午后、用あって訪れた西日暮里の地を歩きました。
開成高校の男子高校生らに囲まれて改札を出て、急勾配の坂を曲がりながらせっせと登りきると、木々が青々と茂る公園のかたわらに、高村光太郎の母校の小学校がありました。
紫陽花の並ぶ校門の奥からは、プール開きをしたばかりなのでしょうか、小学生たちのかん高いヒメイが割れるように響いてきます。
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*こいぶち のりこ
中右史子の名で詩、鯉渕史子の名で評論を発表している。第一詩集『夏の庭』を7月1日に発刊。
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そしてほんの何歩かすすむと、ふるい美術研究所のアトリエがあります。
ここは光太郎の奥さんだった智恵子さんの通っていたアトリエです。
古びた木造の室内はほの暗く、裏手の小学校の音楽室からは、リコーダーの音色がすこしもの悲しい曲を届けてきます。智恵子さんもこんな午后の光暗のなかで画布に向かっていたのかも知れません…。
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アトリエの向かいには古くて大きな神社があります。いったいいつからそこに生えて居るのか、巨木が一本、二本、三本…と、青い影をこんもりとつくって、境内の階段では野良猫のおなかでチュッチュク、ちゅっちゅく、仔猫がお乳を吸っていました。
こんな地べたがのこっているなんて、東京もまだまだ捨てたもんじゃないなあと、神社の丘で山手線とラブホテルを見下ろしおにぎりをモグモグしながら、下町のゆたかさを感じた小さんぽでした。
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