ぽえむ・ぱろうるで出会った“言葉” 林花子
4月30日、池袋西武ぽえむ・ぱろうるがなくなった。 ここに、えこし通信は、3号〜10号まで置いてもらっていました。けど、そればかりではなく、ぱろうるへのこだわりのようなものが、私には今もある。 詩専門の書店ぽえむ・ぱろうるは、辻井喬(西武の堤清二)氏の発想のもと、思潮社小田久郎氏が経営。1972年3月「開店初日の18日夜、オープン・パーティーが開かれ、西脇順三郎、鮎川信夫ら詩人約百人が集った*1」と久郎氏は当時をふりかえっている*2。 開店から34年経った今も、黒で統一した店内の色彩は貫かれている。ぽえむ・ぱろうるの棚作りは、日本の、近代詩・戦後詩・現代詩の新刊とむかしから読まれている本、それらと共に、店内の半分を、短歌・俳句や外国の詩の翻訳、球体関節人形の本・小説・舞踏…とジャンルを超えて費やされていた。それは、「詩と芸術と若い精神との出会い*3」そこに足を運ぶ所を作りたいという、願いのようなものでできていたのだと思うのです。 そしてまた、大型書店の片隅に詩のコーナーがあるのではなく、独立して詩の店を立ててきた意味とは、日本語にとって、近代詩・戦後詩・現代詩は、短歌・俳句とその出所を同じくしていたもの…。“詩の言葉”とは単なる詩なのではなく、芸術に関わる、根底の所に降りていったとき、地下水脈のように待っていたもの…。そのような“詩の言葉の意味”だったかと思うのです。 1956年に思潮社ができ、1959年に現代詩手帖を創刊。その歴史を、私はよく知るわけではない。ただ1998年〜2001年までぱろうるでアルバイトした、それだけで嬉しかった。私の前にいたアルバイトの人も、私の後に来た人も、時給よりもぱろうるで働けるということを大切にしていたと思う。私たちが日常で取り囲まれている合理性とか、商業主義での意味のあるなしなのではない“詩の言葉の持つ意味”を大切に守っている所に、強く、憧れを感じた。それは、大手取り次ぎのトーハンとか日販のルートにのらない、詩の販売物に、一つ一つ手書きの売り上げ記録をつけた日々だった。 ぽえむ・ぱろうるで出会った言葉とは何だろう。私に全てが分かるわけではないけど、ぱろうるは、今、明らかなことの一つは、私には、現代の詩というよりも、近代詩と戦後詩の先人たちの言葉に触れたく、そこに行くべき場所だった…。 私がぱろうるに持ってしまうあるイメージがあります。それは、まっくらな棚のなかに、そこに立たないと見ることのできない光のように、ぽつり ぽつり、光のように大好きな本が開かれている所…。それらは、先人たちの内にあった“言葉”が、何かを照らしているのだと感じてしまいます。その未だないものを、現代に生きている私たちの内に“言葉”としてリレーしていきたい、その願いのようなものが、こめられた場所だったと思うのです。 2006.6.27 |
*はやし はなこ 『詩学』06.2/3合併号に評論「永瀬清子と麻生知子の魅力・魔力に沿いながら」、舞踏誌「激しい季節」第9号に舞台評「他者に触れる『可能無限』」を発表。 |
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*1 朝日新聞 1972.03.19 *2 読売新聞夕刊 2006.03.22 *3 読売新聞 1972.03.19 |
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