と・思うが

薬事法の功罪の功をコンピューターの世界へ??! 2007年8月30日  

新薬の認可の問題で、日本の薬事法が取り沙汰される。 本人や家族に重大な病気を持っている人がおり、その治療に有 効 な手段は全て使いたい。 これは極めて自然な欲求だろうし、当然の事だと思う。  ご承知のように、日本ではまだ認可さ れ ていない、許されていないとの理由で、欲するベストな手段を利用できないケース多くあると聞く。特に、抗がん剤では良く 聞 く。 医療分野で 私がPictureTelの時代、慶応病院と連携して仕事をした事があった。 内視鏡手 術の遠隔支援・指導で あ る。 これは薬事法ではなく、何らかの医療分野を司る法律によるのだと思うが、 ”遠隔からの医師 による指導は良いが、 医 療行為は許されない”と言う事実を知った。 ようするに、遠隔地から専門家が現地にいる専門家にア ドバイスをするのは 良い が、実際の施術や治療を行うのは、現地に居る医師のみに許されているという事。 当時は、手術室 用にカスタマイズし た最 高のテレビ会議システムでのリアルタイム&インタラクティブな指導にフォーカスを合わせていたが、技 術的には、同時に マジ ックハンドを使って遠隔地に居る指導者が直接手を出す事も可能であった。(そんな物は作らなかった が)。  例えば、 遠隔 から指導を受けながらの手術中、思わず、遠隔地の指導医が手をだした方がより良い結果になる場合 が想定できても、 その 行為は許されない(違法)なのである。 勿論、技術的に空間を異にしている所での画面を見ての操作が どれほど、忠実 に実 際の操作と同じであるかと言う、Virtual対Actualと言う、永遠の課題を引きずっており、これは解らない話 ではないが。    さ て話を薬事に戻すと、どの国でも新薬は権威ある組織から認可されるものだと言う事だ。 今ででも原始的 な生活をして いる 場所では、この限りでないだろうし、山に一人で入り、薬草を自分でかってに使う事は麻薬で無い限り問題視 されないと は思う が、近代国家に於いては、新薬の認可は実に大きなテーマであり、一製薬会社の新薬開発がその国家の経 済にも多 大な影 響を与える。 同時に新薬でのトラブルは、その企業だけでなく、国の信用問題にもなりかねない。 余談だが 私の住 んでいる 町にP社の役員がおり、立派な家を建てられ、V御殿とも言われているが。  さてそんな背景は理解できる事 とし て、何故、米 国と日本での認可基準、認可期間が違うのか? それが理解できない。 特許のように、一国で認められた 物 は、その国と国 際協定を持つ他の国でも、申請費用を支払えば、連座制で認可されるようにすれば良いのではないか。  
このテーマはまだまだ先のある話であり、私は、人の人生、命にかかわるこれらの事を多くの知者が時間とリソースを使って  真 剣に考えている結果であり、これを否定する立場ではなく、むしろ人間社会が正しい認識取り組みをしている良い例として こ こ に登場させた ????    

他方、コンピューター及びOS、ソフトの世界を見てみた時、。 誰かが真剣に、制限をすべき、否論を展開しているのであろう   か。  医療と違って、人命にかかわらないのが、ITやコンピューターなんて声が聞こえてきそうだが、それはとんでもない浅 知 恵。 今の医学でコンピューター技術にサポートされない技術は無に等しく、薬にいたってもその開発、製造、出荷過程全 てに FA,SCM,ERP,BI等々多くのコンピューターによるシステムが存在した上で実需者の手に届く。  
病院のカルテも、薬局での処方箋も、薬の相性も全てコンピューターの処理能力に頼っている。  そんな今の社会の多くの  場 で太いバックボーンになっているIT技術だが、そこには、自制的な制約はあっても国家、世界レベルでの制約は極めて限ら  れ た部分を除き、存在しない。(通信にはITUと言う、国際連盟の下部機関が統制をしている)。 だから、自社内で簡単なテ ス ト をした新製品・商品は、直ぐに市場に投入が可能だし、成功すれば巨額の富を短期間で築く事につながる。 特にOS、ソ フト は ワープロに文章を書くようにコンピューター専用の言語でプログラムをつくるだけで出来上がるから、巨額をかけた工場と か、 生 産設備を必要とせず、実に低い材料費で開発と製造が可能である。 優れた作家が高額の印税を得る事ができるのと 同じ で、 素晴らしい文章(プログラム)を書く人財そのものは高額だがその額はたかが知れている。 ようは、1億円のソフトも 千円 のソフ トも、数枚のDVDに納まるだろうから、その製造コストは数百円でしかない。 余談になるが、私がEngage社と言 う、今的 に言う とGoogleの検索エンジン的なソフトの会社の社長をしていた時、数千万円のシステムソフトを納入するのに、紙 製の箱 での納 品では余りに寂しいので、秋葉原でしっかりしたアルミのケースと、銀座の伊東屋で数千円のバインダーを購 入し、合 計コスト1 万円をかけて恭しく納品した事があった。 また同様にPictureTel時代、NTTにPhoenixテレビ会議システ ムの最初 の納品を行 った際、ゼロハリバートンのアルミケース(5万円位だったか)に同じく恭しく納めて納品した。 それほ ど、ソフト自 体の価値は、 物的な次元には無く、その中味自体に価値があると言う事を示すわかり易い例だろう。 この点は薬 とも似ている かも知れない。 薬と違うのは、効能がわかり難いし、それだけブランド力のある会社の言う事を信用してしまう点 にある。 いや 薬でも同じ傾向 にあるかも知れないが、すくなくとも薬事制約があるからかってな事ができるわけではなく、そ こが大いに違う 点だ。  
だから、MSも、目先を変えた新しいOSを定期的に上市し、Intelもこれに呼応する、逆も真。 そして多くの人がこの新薬なら   ぬ、新ソフト、新CPUの謳い文句にのせられ、使える物を捨てて競って購入するのである。  
私のかねてからの提案は、 新型OSや、新型のCPUを、世界的な基準で認可するシステムをつくるべきとの事である。そこで  は、人間的に優れた識者がその効能と問題を専門家を交えて綿密に調査分析した上で、基準を満たしたものを認可する。    おそらく、許可が下りるのに数年はかかるだろうし、とんでもない費用も かかる。 その結果、安易に新しい物を出さなくなる。   ⇒ エコロジー 

皆さんにお聞きするがXPからVistaに乗り換えて、誰が得をしたのだろうか? 多くの人は、MSの、またIHV(コンピュータ製造   販売企業)の乗り換えの誘いに応じなかった。 何故ならば、その事により短期的に得られる利得をほとんど感じる事ができ   ず、でも、間違いなく、乗り換えればトラブルに会う事 = 金と時間の無駄 を多くの苦い実体験の中で知っていたからであ ろ う。  経験の無い、これからのユーザーを考える時、 私のささやかな提案は一考に価すると考えるのだが。  そうすれば 使 い捨てのような今の華奢なものでなく一生使えるようなPCだって出てくるだろう。 古くなったCPUやDisplayをUnit交感した り修 理したり。 

新しいOSには新しいCPU、新しいPCが必要なんて事に歯止めをかけることができ、一つのOS、PC、アプリを5年も10年も快 適 に使い続ける事ができると思う。 勿論、認可され次第、新しく、総合的に価値有りと認められたソフトが、OSがPCが世に出 て 来るのは大歓迎であり、一般市場 へ投入する以前の研究使用、なんてのが医事と同様に、行われるのは結構な事だと考 え る。  

そろそろ、IT、コンピューターの事は、その領域の専門家に任せるのではなく、世の中のCriticalなインフラだと認識し、誰でもが   理解できる統制管理の領域に入れないと大変な事になると・思うが・・・・・ 




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