ラジコンは私の人生の大きな宝の一つだ。
最初の出会いは、50年程前、二子玉川にあった読売新聞の飛行場でのラジコン機、当時は真空管の原始的な装置と、なかな
か始動しないエンジンとの組み合わせ。 一日中、飛ぶまで待ったが、ほとんど飛ばなかった。きっと当時の大金持ちがここま
で来ていたのだろう。 依頼、憧れはあったが出来ずに大学時代に飛行機ではなくラジコンカーと偶然に出会う。 当時等々力
にあったスロットカーのメッカ、トドロキサーキットでの鈴木兄弟との出会い。 そして武田訓政。 このトドロキが全日本を、世
界を制するところまで私を連れて行ってくれた。その世界では伝説(レジェンド)となっている 等々力モデル ”Team Phoenix”:
日本初のラジコンカー、ワークスチームの誕生である。 因みに私は日本で始めてラジコンカー専用の送受信機の雑誌コマーシ
ャルに出た男である(なんとそれは後に強敵となったKyoshoの)。 チームは連戦連勝。 日本選手権もこのPhoenixのワークス
ドライバーがとる、そして1979年ジュネーブでの世界選手権へ我がTeam Phoenixからは(鈴木明、武田訓政、鈴木清史、桂伸
一、石原直樹、富田) またトドロキのマシンを使用したサポートドライバーは、花木、、水島、桝田賢二、等々、近藤勝則も京商
に変える前だったと記憶しているが。 日本からの参加者20名の内、14名がトドロキ製(武田訓政が設計したRoad Ace)を使
用。 石原直樹選手は、TQ(Top Qualify、予選一位通過)との偉業を成し遂げ、全員が40位以内(120人参加)という、チーム、
マシン、ドライバーの質の高さを世界に見せつけた。決勝では、石原選手がトップを快走するも、ラップ遅れのUSのアソシチーム
の体当たり作戦?!でマフラーが破損、ピットインを余儀なくされ、その後追い上げるも更なるブロックに会い、結果AATで決勝
進出を果たした我が親友 流石富士夫選手につづき5位で終わる。 この悔しさが、その後、広坂正美選手を日本人初のラジコ
ン・カー世界チャンピオンに富田がproduceするモティベーションとなった。
そうなんです、富田が世界の広坂の始まりを創ったのです。 決してヨコモでもアソシでもなく。 だから最初の彼の世界チャンピ
オンカーはシュマッハーだったでしょう、これは富田がODSトレーディングでPBと共に、総代理店として輸入販売していた車だっ
たのです。 この話はまた別の所で詳しく書きたい。 広坂RC世界チャンピオン誕生の秘話とか???
生涯楽しめ、生涯の友を得られるラジコンへの招待
ラジコンへ
富田が主催するラジコン電動カーレース
毎月第四日曜に開催(1月〜11月)。
川崎の夜光近くにある公園を借りて行われている。
参加希望者はメールにて連絡するか、BBSで書き込んでください。
特に、団塊の世代で未経験の方大歓迎です。
プロレベルの専門担当(ラジコン・コンシェルジェ)が何から何まで
親切指導します。 60歳を超えた富田が老若男女を問わず、
生涯楽しめるこの趣味(遊び)と通じて一生付き合える仲間を
見つける事が出来てます。 日曜の朝に全員でコースを設営し、
最新の技術によって、安くなり、使いやすくなった素晴らしいラジコンカーを
初心者クラスから全日本クラスまで、クラス分けした中で、それぞれの
観点で競い会う、レースです。下のボタンをクリックして、雰囲気を
見てください。