神楽坂のキャピタリスト

神楽坂鳥茶屋への坂  2007年9月7日(金)の台風一過の日、今日は、藤巻君を訪ねて、神楽坂の「鳥茶屋」別亭にお伺いしました。
今回は職場訪問ではなく、神楽坂という花街でのインタビューになりました。
鳥茶屋は、神楽坂通りを登って、路地に入り、ムードある照明の中、坂をすこし下がったところにあり、案内されたのは、畳の個室、床に季節の軸も掛かり、よい雰囲気です。

神楽坂鳥茶屋への坂→

<地元神楽坂について>
○(48net)このお店を選んでくれたのは藤巻君で・・素敵なお店をありがとうございます。さすがに地元で詳しいですね。
◎(藤巻君)はい、せっかく皆さんに来てもらうということで、路地に入った、神楽坂らしいお店を選びました。神楽坂は坂と路地に特徴があります。またいつかゆっくりと散歩していただければと思います。
○賑やかな神楽坂通りから一歩奥に入りますと、静かな料亭街という雰囲気になり、不思議な感じがしました。

○藤巻君はいつから神楽坂にお住まいですか。
◎住み始めてから21年になります。最初は社宅に入りまして、この街が気に入って家を買いました。

○21年前と変化がありましたか。
◎昔は人通りが少なく、土日は閑散としていました。でも、南北線・大江戸線が次々と開通し、人の流れが変わりました。高層マンションも増え、人口も増えています。
また、最近では二宮和也主演の「拝啓、父上様」や井上真央主演の「ファースト・キス」のドラマ撮影の舞台になり、年輩の人達に加え、若者も来る街になり、賑わうようになってきました。



ベンチャーキャピタルについて説明する藤巻君

←ベンチャーキャピタルについて説明する藤巻君、左は渡辺君

<目黒11中まで>
○出身を聞いたことがないような・・どちらですか。
◎山梨県の大月市で生まれて、5歳まで大月にいました。 その後、東京の中野に引っ越しまして、本郷小学校に入学しました。
○中根小学校には何年のときに転校しましたか。
◎4年の3学期に転校しました。中野の方が賑やかで、目黒に来たときは、牧歌的な印象を受けました。
最初が信国先生で、その後、吉田先生、田口先生に教えていただきました。 卒業時のクラスは仲が良く、先日も4年ぶりのクラス会を行いました。田口先生もお元気です。
○そして11中へ・・ソフトボール部/野球部のキャプテン、エースとして活躍しましたね。
◎野球部については、ホームページに書きまして・・ぜひご覧ください。
 →06.10.22「目黒11中野球部同期会にて」

<高校から大学まで>
○高校はどちらへ。
◎都立新宿高校に入学し、そのタイミングで小金井へ引っ越しました。

○高校でも野球で活躍されたのでは。
◎それが、剣道と軟式野球部に所属していたのですが・・新宿高校は繁華街の中にあったこともありまして、何というか・・自堕落な生活を送っていました。
○でも、今、ベンチャーキャピタリストとして活躍されているということは・・
◎高校二年でヘルニアで一ヶ月ほど入院しまして、自分を見つめ直す機会があり、このままではダメだということに気がつきました。これが転機となって、哲学や歴史や文学の本を手当たり次第に読みまくりました。

○大学は一橋大学とお聞きしました。
◎はい、一浪して、一橋大学の商学部に入学し、大学ではワンダーフォーゲル部に所属しました。
○一橋のワンダーフォーゲルとは、硬派なクラブですね。
◎その頃、新田次郎の小説を読んでいたこともありまして・・夏は20kg、冬は40kgの荷物を担いで、北海道から八甲田山、南・北アルプス等日本中の山々に登りました。この時期に体力はかなりつきまして、痩せ型だった体型もすっかり頑丈になり変わりました。
この頃、今日来てくれた渡辺君たち野球部の仲間と一緒にスキーに行ったことがあります。


<就職して>
○お父様も銀行員と聞いたことがあります。銀行に就職されたのは、お父様の影響でしょうか。
◎銀行というのは父を通してこんなところだと知っていたので、あまり行きたいとは思いませんでした。海外勤務がしたくて、三菱商事・三井物産といった商社を当初は希望していました。
ところが興銀の人と話をしてみて、ワールドワイドなスケールの大きな仕事ができるのではと思いまして、結局、興銀に就職しました。
当時の興銀は”社長輩出銀行”とも呼ばれ、企業経営を学べ、経営者養成所のようなところでした。

○入社して最初の配属は?
◎当時の興銀は本社配属で事務を中心に担当させるコースと、支店配属で銀行業務をフルラインで勉強させるコースに分かれていて、私は後者になり、新潟支店に配属になりました。独身寮で初めての一人暮らしです。

○それまで都会にいて、地方での生活は物足りなかったのでは。
◎いえいえ新潟は海に近く、夏は海水浴、冬は1時間ほどドライブするとスキーができて、それはそれは楽しい所でした。
◎それに、支店は、同期11人が女性で、ベテランの女性からも可愛がられ、とにかく女性が多く、もてました。

○そうすると、奥様は地元新潟の方ですか。
◎新潟の方とは縁がなく、音大を卒業してピアノの先生をしていた大学時代の彼女と、配属3年目の26歳で結婚しました。

○新潟支店の次はどちらへ異動しましたか。
◎新潟には5年ほどいて、ドイツに一年間語学留学に出ました。子供が一歳の時で、半年して家族を呼び寄せました。

○念願の海外勤務ですね。ドイツの思い出は。
◎ミュンヘン、フランクフルトにいまして、ビールとブルストが美味しかったです。それとBMW323iで、アウトバーンを200km/hで疾走し、ヨーロッパ中を旅してまわったのが楽しい思い出です。
ドイツから帰国して神楽坂に住むことになり、21年経ちました。

ちょっとご機嫌な藤巻君

ちょっとご機嫌な藤巻君→

<ベンチャーキャピタリストとして>
○ベンチャーキャピタリストになる前は、どのような業務を担当していましたか。
◎ドイツから戻って、在日外資系企業への融資営業を3年半担当し、海外本部で欧州担当を3年間しました。この頃は頭取とも近いところで仕事をしていました。そして1993年から興銀インベストメント株式会社でベンチャーキャピタリストになり、その後いったん銀行に戻りましたが、3行統合を経て、2003年から現在までみずほキャピタル株式会社に勤務しています。
2004年に銀行員から足を洗い、プロのキャピタリストに転じました。

○ベンチャーキャピタルという言葉は聞いたことはありますが、意味がよく分からず・・説明してもらえますか。
◎ベンチャーキャピタル(VC)とは、非上場のベンチャー企業や中堅中小企業を支援し、事業資金を供給する投資会社です。
◎ただ、支援するといっても、もちろんVCも私企業ですので、利益を追求することになります。

○利益はどのように得ることになりますか。
◎投資先が株式公開されるか、他の企業から買収(M&A)されることにより、投資額を上回る金額を回収できれば利益になります。これをキャピタルゲインといいます。

○投資先選びのポイントは。
◎潜在的に高い技術力を持つ企業、未開拓な事業分野のパイオニア企業、斬新な創意工夫により差別化された新事業・新サービスを提供している企業等です。Number Oneよりも、Only Oneの企業というのがポイントです。

○VCの業務イメージを教えてもらえますか。
◎まず、投資先の会社を発掘します。これは、みずほグループ経由が半分、残り半分が独自ルートで探したものになります。そしてその会社の経営陣の力量・技術力・収益構造・成長性等を総合的に調査・分析し、投資可否と投資額を決定します。
ここまでで、短いもので一ヶ月、通常二ヶ月、長いものではじっくり一〜二年間つきあってから決めます。

○意外と短期間ですね。もっと検討を重ねるかと思いました。
◎個々の会社のステージ、状況で違います。この位のスピードでないと世の中の動きに間に合わず、また他のVCに遅れを取ってしまいます。

○投資して結果が出るまでの期間はどの位ですか。
◎だいたい3年から5年くらいでEXIT(結果)がでます。成功は、株式公開(IPO)での株式売却、または他社からのM&Aで、一般的に成功率は25〜30%です。失敗は破綻で15〜20%、残りはIPOも破綻もしないリビングデッド(植物状態)が50〜60%です。


藤巻君と取材陣 左から広瀬君、芹沢さん、藤巻君、田熊さん、渡辺君、栗山
←藤巻君と取材陣 左から広瀬君、芹沢さん、藤巻君、田熊さん、渡辺君、栗山

○ほぼ三割バッターということで・・藤巻君個人の状況は?
◎今まで60社ほど投資してきました。結果が出ているのは40社程あって、うち21社が株式公開しました。

○IPO打率5割とは驚きました。投資規模はどの位ですか。
◎平均は一社あたり4000〜5000万円ほどですが、昨年は8社で6億円、今年は半年で4社に4億円投資を実行しました。

○それも大きな金額で・・他のVCはどのような会社がありますか。
◎VCは、銀行系・証券系に加え、生損保系・商社系・独立系があります。みずほキャピタルは、投資社数では業界トップクラス、投資金額で5〜7位にいます。特にIPO関与率では毎年業界トップです。

○それでは成功した例を教えてもらえますか。
◎誰でも知っている会社で言いますと、ブックオフコーポレーションがあります。
○本の買い取り・販売をしていて、あちこちにお店がありますね。
◎ブックオフがまだ小さく、東京に一店しかないときに投資しました。成功して10倍程のキャピタルゲインを得ました。名古屋の中古車オークション会社への投資では100倍近くにもなりました。
◎ジョイントコーポレーションという、マンション分譲会社への投資も成功しました。ここは都心回帰の波にうまく乗りました。当時、銀行から資金調達のできなかった中堅不動産会社には成長のチャンスがあると思い、不動産キャンペーンを社内でリードし、数社投資した内の1社です。今まで不動産業では5社の公開を果たしています。

○では、失敗した例は。
◎空気清浄機の製造・販売会社に投資しまして、最初は業績も良かったのですが、松下等の大手家電メーカが参入してきて、うまくいきませんでした。DAPでもAppleのiPodにやられてしまいました。家電業界のようにベンチャーが参入してはいけない領域というものがあると思います。
その他にも、経営者に夜逃げされたり、有名な某大企業からは裏切られたり、いろいろと辛酸はなめてきました。
◎今、「失敗の分析」をしようと社内外で提唱しています。成功には偶然やフロックもあるが、失敗には必ず理由がある。失敗から逃げずに向き合うことで次なる成功の教訓としていこう、ということです。

東京国際大学で講演する藤巻君

東京国際大学で講演する藤巻君→

<最近>
○藤巻君のお酒好きは有名とか。
◎お酒は好きで、一番の友達ですね。時たま飲み過ぎてしまうこともありますが・・

○今年から大学で講師をされると聞きました。
◎東京国際大学の大学院で、社会人や留学生・院生を対象に「ベンチャーファイナンス論」の演題で、後期12回の講義を行います。今まで経験し学んできたことを伝えたいと思っています。学生との交流でこちらが学べることを楽しみにしています。

<皆へのメッセージ>
○それでは、同窓生に一言お願いします。
◎11中時代は3年間と短かったですが、中味の濃い、充実した時間でした。35年近い時空を経て、こうして今も皆と会えることができ、人生が深まるのを感じます。
これからも折にふれ、こうしたスモール同窓会でお会いできれば嬉しいです。皆さま、人生で一番楽しいと言われる50代「林住期」を楽しく過ごしましょう。

再会を期して、情緒あふれる神楽坂を後にしました。
(数名は神楽坂の夜に紛れたような・・)





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