*** SCENE 09 ***
 



 これ以上食べたら死ぬ。蒼にやろう。

「悪いが茶山,寝る前に甘いものはちょっとな……蒼,良かったら食べないか?」
「いいのか? じゃあもらう」
 即答。そして語尾の「う」が消えないうちに俺の皿からシュークリームは消えていた。優雅に,しかしかっきり2口で拳大のシュークリームをたいらげる蒼。なんか純粋にすごいと思った。
 フェルマーの最終定理を証明したタバコモザイクウィルスを見ているかのような目で血をわけた双子の兄を見る晟(←長い)を尻目に,俺はあてがわれた2階の部屋へ行くことにした。


「所長,お届けものなのです。開けてくださいなのです〜」
 独特のほえほえした声がそう言った。ドアを開けてやると,白地に水色のピンストライプのパジャマを着た遙が立っていた。そう言えばいないな,と思っていたが,どうやらさっきまで風呂に入っていたらしい。髪をバスタオルに包み,桃の実のように頬を紅潮させている。(というか,遙ってうさぎさんとかぞうさんとかぱんださんとかうーぱーるーぱーさんのパジャマを着てるとばっかり思っていた。意外)
「何だこれ?」
 彼女が両手で捧げもっていたのは,琥珀色の液体に満たされたグラスだった。甘酸っぱい,いい香りがする。
「何? 梅酒?」
「そうなのです。お母さんのお手製なのですよ」
「あ,そう」
 受け取ったはいいものの,一瞬,それを口にするかどうか迷った。茶山のことだから,梅の実:氷砂糖が1:100だったりしないだろうな。
 すると遙が,俺の持っていたグラスをひょいと傾けて一口飲んだ。
「……だいじょうぶです。甘くないのです」
 いや,キミの「甘くない」はおじさんちょっと信用ならないなぁ。
 しかし,シュークリームのノルマを果たせなかったうえ,これまで断ったらさすがに悪い。
 一口口に含む。……少々甘め。でも,許容範囲だろう。疲れてるし,これくらいの甘さがいいのかもな。
「……うん,うまい。遙,お母さんに礼を言っておいてくれ」
 それじゃおやすみ,と続けようとして気づいた。
 遙。おまえ,目が,なんかヘンだぞ?
「……遙?」
 遙はとろんとした目で俺を見上げている。嫌な予感がした。恐る恐る遙の肩に手を伸ばし,
「所長! そこに座るのです!」
 甲高い叫び声にぽかんと口を開いた。
「……は?」
「は,ではないのです! そこに座るのです!」
 床をびしい!と指して叫ぶ遙。本格的に目がヘン。
「まさかとは思うが遙,梅酒一口で酔ったのか……?」
「だいたいですね,しょちょー,ダメですよあんなのは!」
 さらにびしっ!と床に指をつきつけながら,遙。目線も床。俺はまだ立ったままだから,どうやら床に正座した俺の幻影を見ているらしい。
「おーい,遙さん?」
「虐げられても虐げられても,目の幅涙を流しながら皆の幸せのために粉骨砕身! これぞ漢の道! というか大谷道! 大谷さんの通るべき道なのです!」
 大谷道ってナンだ。というかどっからツッコんだらいいんだ今の発言。
「それがなんですか!? 今さら復讐に走るんですか大谷さん!? そんな大谷さん,大谷さんじゃないわっ! きっと背中にチャックがついていて,開けると咲耶榎さんが出てくるんだそうに決まってるじゃねえかボブ! わーおアニキ,スプーン一杯で驚きの白さダネ!」
 うわ,すでに口調すらヘンだよコイツ。
 ため息をついてその脇を通り過ぎ(ちなみに遙は幻影に向かってしゃべっているので俺本体の行動はスルーである),階下の松山たちを呼ぼうとして――俺はあることに気づいた。
 復讐? 復讐ってなんだ?
 残念ながら,虐げられても虐げられても皆のために粉骨砕身,が確かに俺の行動ベースである。復讐なんてしていない。というかできるくらいなら苦労しない。
 すると,廊下にADがいた。
 講座やってるとタマにでてくる彼だ。
 なんで松山家にこいつが!?と思う間もなく,彼は必死の形相で首を横に振りながら,ホワイトボードを掲げてみせた。
 曰く,

『遙さんは第4部の内容をバラそうとしています! マジやばいです!
 止めてください大谷先生!』

「…………」
 ゆっくりと振り返る。幻影の俺に向かって説教?を続ける遙は,怒涛の勢いで,
「ああ,なんてことでしょう! 冒頭から(ピーッ!)んと(ピーッ!)を騙し討ち! しかもそのうち2人はリザレクトも許さず(ピーッ!)血多量でじわじわ(ピーッ!)マスよ大谷さん! しかも『どういうことだよ』と訊かれて『おまえらが(ピーッ!)』ときたよ驚きだねママン!? それに(ピーッ!)はともかく(ピーッ!)『役にたたないことは(ピーッ!)』ってヒドクないですかそれ!? さらには(ピーッ!)なんてナパームで焼(ピーッ!)ですよ! そんなに(ピーッ!)が妬ましかったんですか大谷先生! ほとんど有無を言わせてねーよわーひでー! 許せない! さらには(ピーッ!)も役立たず扱い! 非道! こんなことを許していいんでしょうかいやそんなはずはない! しかも,(ピーーーーーーッ!)
「う,うるせーっ!?」
 鳴り響く警告音に俺は頭を抱えた。当局も必死だ。おかげで遙が何を言っているのかほとんどわからない。
 わからないが,しかし――
 ふと,遙が口を閉ざした。同時に警告音も止んだ。
 凍てついた瞳が,じっと俺を見つめている。
「……許せない」
「え?」
「こんな非道,許しておいていいはずありません」
 静かに,冷たく遙は呟いた。思わず一歩後ずさる。周囲の空気が急速に暖かみを失っていく。気のせいなんかじゃない。これは,
「――――!」
 視界が歪む。五感が消失する。俺の身体は,一瞬にして氷の棺に囚われた。


「ふー。これでひと安心なのです」
 少女は満足げに呟く。廊下に突き立った2本の氷柱を,特別な感慨も持たぬ目で眺め,
「裏切り者には,死を」
 「100t」と書かれた古式ゆかしげなハンマーを振りかぶった。

 ――かしゃん。

 澄んだ音を響かせ,宙に舞い散る氷の破片が――

END


《管理人からヒトコト》
 ……う,うわ。いつにも増して遙が黒い。
 遙プレイヤーよ,マジですまん。許せ(今のうちに謝っておこう……)。
 しかも謎のAD氏までとばっちり……。

 

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