その後日談 All's well that ends well.
百合が原高校を震撼させた事件はこうして幕を閉じた。
これは後日の話である。
学園はまるで夢から醒めたように、もとの平穏な風景を取り戻した。
学園中を覆い尽くした薔薇の蔓は、あるものは自然に枯れ、あるものは移植され、あるものは焼き払われた。もし薔薇に口があったなら、一番の犠牲者は自分たちだと主張したに違いない。
「薔薇と十字団」は即時解散を余儀なくされた。
他の生徒たちの強い要望もあったが、ほとんどのメンバーが自主的な退団を望んだのである。
何故あんなことをしていたのかわからない――と彼らは口を揃え、自分たちはむしろ犠牲者だと主張する。
事件の主犯、榊春洋は入院中である。
書類上、彼はすでに百合が原高校の生徒ではない――とは、生徒会長・朝倉みずほが語るところである。
事件の遠因であったとされる相原一実、他二名は、一週間の入院を経て学園に復帰した。何故かすっかり大人しくなってしまった彼らが、語ったところはほとんどない。ただ自分たちは単なる犠牲者だったのだと、控えめに主張するのみである。
そして、百合が原高校とは関係のないところで、「俺たちは犠牲者だっ!」と声高に叫ぶ連中がいた。
――さて、とゆーわけで。
新宿は真神学園高校。
東京でも屈指の奇人・変人が集う、人呼んで『魔人学園』である。
「あーっ、いってえ……」
「まだ腫れひかないわね……」
蓬莱寺京一の後頭部に触って、美里葵は呟いた。
「ね、龍麻」
緋勇龍麻、無言。彼は机に向かい、何やらしきりに計算している。
ちなみに、頭にできたタンコブは、京一より彼の方が大きい。多分この話題には触れられたくないのだろう、と美里は勝手に判断した。そうこうするうちに、
「よし」
と一人頷き、彼はシャープペンシルと電卓を置いた。
「それ何なの、龍麻?」
「慰謝料の計算だ」
「……慰謝料?」
「だって腹たたないのか、おまえらはっ」
拳握って龍麻力説。
「俺たちはごく善意で薄倖の少女を助けに行っただけなのに! 怪しいタンビ軍団にはからまれるわ! 迫力なおねーちゃんには睨まれるわ! 今にも崩れそうな建物を徘徊させられるわ! 何か臭う奴らはいるわ! 巨大薔薇に血は吸われるわ! どーして俺たちがこんな目に合わなきゃいけないんだ?! これは絶対ツケを払わせるべきだろう!」
「そうだッ!」
我が意を得たり、とばかりに京一も握り拳。
「なあひーちゃん。このコブもやっぱ慰謝料払わせるべきだよなッ」
「当然だろう!」
深く、強く頷き合い、ついでにがっし!と手を握り合う二人。
――自分たちで勝手にすっ転んだんでしょ?
とツッコミを入れるでもなく、美里は小首をかしげた。
「でも、あんまり如月くんを責めちゃかわいそうよ」
一瞬の沈黙。
龍麻と京一は揃って彼女を振り返った。
『――如月?』
「あら? 違ったかしら?」
「いや、俺たちは榊に……」
「でも榊くん、まだ入院中よ。それにお金持ってなさそうだし」
――やはり払わせる気じゃねえか。
とツッコミをいれるでもなく、龍麻と京一、今度は揃って腕組み。
「……如月か?」
「だな。あいつ、戦利品転売して、結構儲けてるって話だし」
「そもそもアイツがドジ踏まなきゃ、榊があの薔薇を手に入れることもなかったわけだし」
「あんなあやしー宗教(←違う)にはしることもなかったわけだし」
「そうだな、榊だって犠牲者なんだッ」
再びがっしと手を握り合い、
「というわけで如月だなッ」
「如月だな。榊との話し合いは退院するまで待ってやることにしよう」
「……あ、やっぱ榊にも慰謝料払わせんのね……」
「それはそれ、これはこれだ。行くぞッ、京一!」
「おう、ひーちゃん!」
美里とクラスの連中がぽかんと見守る中、彼らは手に手を取り合い、教室から飛び出していった。
「…………」
ややあって。
サロンパス(色も臭いも目立たないサロンパスハイ)つきの肩をそっと抑えながら――
美里は聖母の如き笑みを満面に浮かべる。
「うふふ……うふふふふふ……」
「…………」
怖いぞ、あんた。
一斉に顔を青ざめさせた級友たちは、しかし、賢明にも何も言わなかった。
さて、その頃――所変わって、北区・如月骨董品店。
如月骨董品店店主・如月翡翠は、じっと目の前の植木鉢を見つめていた。
間違いない。如月家の家宝(のうちの一つ)「練樹鉢」である。
「まさか本当に見つけてくるとは思わなかったな……」
「――やっぱ確信犯だったんスね、如月サン」
雨紋雷人がため息をつく。いつもならここでぎゃあぎゃあとうるさい男なのだが、どうも今日は様子がおかしい。
挙句に、「んじゃ、俺はこれで」と、さっさと出て行こうとするではないか。
――まさか雨紋の分際で、怒ってる、なんてのじゃないだろうな。
ちょっぴり心配になった如月は、彼の後ろ姿に声をかけた。
「雨紋、どうかしたのか?」
「如月サン……」
背中を向けたまま震える雨紋。
何時の間にか取り出したハンカチで、目元を抑えていたりする。
「実は……いや、やっぱ言えないッス。俺様だって命は惜しい……」
「は?」
「如月サン、どうか元気でッ……!」
一目散に雨紋退場。
しばらく呆けて開けっ放しの戸を眺めていた如月だったが、
「よぉ、如月」
「邪魔するぜッ」
「こんにちは、如月くん。うふふっ」
「……ヒスイ……」
入れ違いに入ってきた面子を一瞥し、彼は何となく、事の経緯を悟ったのだった。
ここで再び場面は変わる。
壬生紅葉は驚いていた。
とゆーか呆れていた。
目の前に立つ男の姿にである。
二メートル近い長身、それに見合った逞しい体躯を、白い空手着に包んだ男。
そこまでは、彼のよく知る「紫暮兵庫」に近しい。
ただ、
「紫暮さん、何ですそれは……」
彼は時代遅れも甚だしい、『セガ〇サンシロ〇』のプラスティックお面をつけていた(筆者注:別にセガサ〇ーンに隔意はありません)。
「実は、これから如月の所に行こうと思う」
「はあ」
「用件はだいたいわかるだろう」
「はあ、まあ」
「そこでだ。さすがの如月も、友人に面と向かって責められては傷つくだろう。そこで俺だとわからないよう顔を隠して行くんだ」
「なるほど」
壬生は頷いた。
世間一般ではそれを『闇討ち』というが。
――ま、これじゃ変装にも何にもなってないし、別にいいのか。
「じゃ、僕はこれで」
と踵を返しかけた壬生の肩を、がっしと紫暮が掴んだ。
「まァ待て、壬生」
「何ですか」
「おまえはどうする」
「どうする、と言われても……」
実は彼も、はた迷惑な某骨董品店店主に、ちょこっと正義の制裁を加えてやろうかな……などと思わないでもなかったが。
でも、セ〇タサン〇ロウと組むのは嫌だ。
「じゃ、僕はこれで」
「まァ待て、壬生」
再度踵を返しかけた壬生の肩を、再度紫暮が掴む。
「何ですか」
「ちゃんとおまえの分もあるぞ」
壬生は相手が差し出したモノをみつめた。
しばし沈黙。
「……マジですか」
「俺はいつも本気だ」
「今回報奨金も獲得金もなかったんだよね。方陣技まで使って、みんながんばったのにさ。あれくらいの働き、旧校舎でやってたら、結構な稼ぎになったと思うな。いや、旧校舎と言えばさ。最近仲間も増えちゃったし、装備とか回復アイテムとか馬鹿になんないんだよね。どっかの強欲店主は仲間だっつーのにちったあまけてやろうという気配すらみせないしさ。今時、せめてポイントカードつけるくらいの気遣いはあってもいいと思うよ、不況なんだからさ。財布を預かる身としては、色々気を使ってるんだよ俺も」
滔々とまくしたて、にっこり天使の微笑を浮かべた、その男の名は緋勇龍麻。
別名、真神の大蔵省。
如月は暗い目で彼を見上げた。
「立派な心がけだが……要するにそのこころは?」
「慰謝料よこせ」
どきっぱり。
「本当だったらヒヒイロカネと言いたいところだけど」
「それはちょっと高すぎると思うわ」
「うーん、ま、友達だからな。燕青甲で勘弁してやるか」
「……そもそも、何故だ。何故僕が」
「わからねーとは言わせねえぞ、如月」
すでにしっかり木刀構えて詰め寄る京一から、如月は目をそらした。
確かにわからないわけではないが、「わかる」などと言ったら何をされるものやら。
龍麻、京一、美里。すでに包囲網は完成している。
あてどもなく彷徨う如月の視線が、後ろで所在なげにしている少女にとまった。
「まさかマリィ、君まで……」
「ヒスイ……」
同じ四神の仲間だもんな。
まさか君まで僕を責めたりしないよな。
無理だと思うけど、助けてくれたりすると嬉しいなっ。
期待のこもった視線から、マリィは悲しげに目をそらした。
「ごめんネ、ヒスイ……でもマリィ、毎日ちゃんとご飯食べたいし、あったかい布団で眠りたいの……」
「マリィ……苦労してるんだね……」
「ウン……」
妙な共感を瞳に湛えて見つめあう玄武と朱雀。
その間にぬっと割って入る菩薩な微笑み。
「うふふ……人の同情してる場合かしら如月くん?」
「……うッ」
「さっさと出すもの出さないと、この店全部燃えてしまうわよ。うふふ」
察するにアポカリプス・ケルプ。
しかし、それは「燃える」じゃなくて「燃やす」ってゆーんだけどなー……。
心中ひそかにツッコミを入れる若旦那をよそに、美里の纏う鬼気は、すでに臨界点に達している。
「ひーちゃん、俺たち出番なかったかな」
「そーかも」
「そこっ、さっさと安全圏に逃げてるんじゃないッ!」
「――さあ、返事をきかせてもらおーかしら、如月くん?」
如月翡翠、絶体絶命。
その時。
「しばし、待てい!」
勇ましい叫びが不穏な空気を裂いて響き渡った。
戸口には二人の人物が立っていた。
救いの神か!と期待したいところだが、よもやこんな救いの神もあるまい。
如月はぽかんと口を開け、呟いた。
「壬生、何だそれは……」
いや、何だというなら隣のセガ○サ○シロウも十分に何だ、だが。
気になるのは彼の方だ。
すらりとした長身、隙のない身のこなし、ついでにちょっぴり生え際が危ない前髪(←あっ)。
そこまでは、彼のよく知る「壬生紅葉」に近しい。
「拙者は壬生などというものではないでゴザルよ。ニンニン」
彼は何故かくるくるほっぺな忍者のお面をつけていた。
「いや……壬生だよな?」
恐る恐る京一が口を挟む。
「だからそんなものでないでゴザルよ」
「いや、でも……」
しかもそこはかとなく台詞棒読みだし。
やっぱり壬生だよな?
そう言いかけて如月は黙った。
ハッ○リ君の必殺龍落踵が(でも草鞋ではなくニケの靴)、見事にカウンターにめりこんでいる。
「とりあえず如月さん、出すもの出してもらいましょうかでゴザルよ。ニンニン」
「おまえ、それが仮にも『嬉しい味方♪』な忍者の台詞か?」
「最近は、水道代やガス代も馬鹿にならないんですよゴザル」
「だんだん言葉遣いが無茶苦茶になってきたね、紅葉」
さりげなく安全圏から復活してきた真神の大蔵省。謎の覆面忍者の肩越しにぴっと指をたて、
「税もらうのも忘れちゃだめだぞ」
「何を馬鹿な。慰謝料にかかる税金はもらった方が払うに決まってるじゃないか」
真神の大蔵省、まだまだ甘いな。
カッコつけてフッと微笑む若旦那だが。
いや問題はそーじゃないんだ。
慰謝料払うことを認めてどーする。
「んじゃまそーゆーことで」
「出すもの出してもらおうか如月」
「うふふ。さっさと出さないと」
「地獄を見ることになるよ……でゴザルよ。ニンニン」
じりじりとつめよる黄龍器とその相棒、菩薩眼に覆面忍者。
「ああ、ヒスイかわいそう……」
「泣くなマリィ。これも因果応報というものだ」
ついでに巻き込まれ型の朱雀と何しにきたかわからない○ガタサ○シロウ。
六対一。
「は、話せばわかる」
とりあえず如月はそう言った。
しかし――
古来、この台詞に対する返答は決まっている。
『問答無用!!』
雨紋がぼんやり空を見ていると、マリィがふらふらと歩いてきた。何と声をかけるべきかわからず、彼は手にしていたタイヤキの袋を差し出した。
「食べる?」
「ウン」
タイヤキをかじりながら、二人、しばし空を見上げる。
「如月サンは?」
ややあって雨紋が訊くと、マリィは沈痛な面持ちで首を横に振った。
訊かぬが花、言わぬが花。
彼らはまた空を見上げる。青い空に白い雲がゆっくりと流れる。平和な光景だ。
「おいしいネ、このタイヤキ」
「ああ」
実はときおり、かすかな悲鳴が聞こえてきていたりもするが、二人は頑なにそれを無視した。
平和だったら平和だもん。
そうでも思わなきゃやってらんねーし。
「あら、こんなところで何してるの?」
涼しげな声に振り向くと、いかにも才女といった雰囲気の美少女が、軽く手を振ってみせた。
「あ、ミズホおねえちゃん」
「先日はどうもッス。朝倉サンこそ、何してんです?」
「うん、実は榊くんが」
と話し出しかけ、朝倉みずほは怪訝そうに眉を寄せた。雨紋とマリィの立つ向こう側から、得体の知れない悲鳴が伝わってくる。
「……あれは、何?」
「気にしない方がいいッス」
即座に雨紋。
「で、榊がどうしたんです?」
「ああ、退院したのよ彼。でね、結局、神奈川の方に転校することになったんで……それで……」
再びみずほは言葉を切り、雨紋とマリィの背後を見つめた。嫌々ながら振りかえった二人の目に、いつの間にか背後に立っていた美里の姿が映った。
白い頬には涙。
美しい黒髪は風にそよぎ。
舞い散る桜の花びらをバックに。
(ちなみに、今は十二月)
彼女は空を見上げ、そっと呟いた。
「ああ、ごめんなさい、榊くん……結局貴方を救えなかった……」
何する気だ、あんた。
蒼白になった三人は揃ってツッコミを入れた。もちろん心中で、だが。
「うふふ……うふふふふ……」
美しい花びらとともに去って行く美里の背後には、固まったまま木枯らしに吹かれる三人と、まだ物騒な物音が続いている骨董品店が残された。
――『魔人』たちに護られた東京は、今日もおおむね平和である。
――了――