フェイク・ファイターズ列伝 Fake fighters story

「あるパイロットの手記」

Tragicomedy about Messerschmitt Bf109W-3
「水の泡と消えたドイツの水上戦闘機-Bf109Wこぼれ話-1」2001.12.16


<こちらの話の出所は、、、>

今から3年ほど前、私は目白の東山書店で、ひょんなことから元JG77パイロットのハンス・フンデルトワッサーの伝記を入手した。フンデルトワッサーは東独に住んでいたので、ベルリンの壁崩壊後、自費出版で出した伝記がイギリスの戦記出版社の目に留まり、英語版として発刊されたものである。しかし店主の話によれば、何か肖像権からみで出版差し止めになり、極少部数が香港の印刷所から出荷されただけに終わってしまったらしい。しかし高名なエクスペルテンでもないため、好事家の間でも特に話題になることなく、今日まで至っている。

●1940年5月3日 
 また事故が起きた。ホルストの乗った機体の翼が折れてしまった。これでもう3機目である。ホルストは脱出し、運良く墜落した機体から救命ボートを引っぱり出したので、数時間後ドルニエ飛行艇に救われた。北海に落ちて助かったのは、彼の幸運の守り神ミッキーマウスのおかげかもしれない。
 これを聞いたアラド196の整備隊の隊長が「そんなに飛ぶことより、海にもぐるのが好きなら、まるでうなぎですねえ。」と言ったものだから、誰とも無しにそのうち「うなぎ中隊」の名前が通り名になってしまった。

●1940年6月7日
 ハンナが俺の部隊に来た。DFS(ドイツ・グライダー研究所)からの依頼だそうだ。昔からのグライダー仲間だが、どうも俺は彼女が苦手だ。明るく積極的で何に対してもものおじししないその姿勢は、普通の人にとっては好もしいものだが、俺はあの先輩風を吹かすところがどうにもたまらない。隊長のランゲに早くも取り入っている。そういう社交性は昔よりもさらに磨きがかかったようだ。(訳注:この時点ではll/JG7の中隊長はまだランゲでは無いので、フンデルトワッサーの記憶違いか、もしかしたら「うなぎ中隊」の小隊長としてランゲが赴任していた可能性もある。)




「3年ぶりに会ったハンナとの記念撮影。この後彼女はこの2番機で墜落してしまう。」

●1940年6月9日
 ハンナが欠陥機に搭乗した日だった。なんでもDFSの仕事で、こいつの航続距離を延長する飛行方法の試験だそうだ。翼のアスペクト比がグライダー並なので、エンジンを切って滑空するらしい。それでグライダーではドイツ一との評判のハンナに白羽の矢が当たったらしい。急降下爆撃機の減速器(訳注:ダイブ・ブレーキのこと。この時点ではパイロットにはまだ言葉が一般化していなかった)の実験は大成功で、我らが親分のウーデットやもちろんグライム将軍の覚えもめでたくなったという訳だ。
 ハンナに「フロート付きの飛行機の経験はあるのかい?」と聞くと、ちょっとムッとしたような顔で「あなた、知らないの?私はねえ、DFSで一番最初の大仕事がゼーアドラーっていう水上グライダーだったのよ。あの時はボーデン湖の水をたっぷり飲んだわ。」と言い返してきた。
 確かにハンナは慣れた手つきではしごに登り、2階建ての操縦席に納まった。下から見上げると小柄なハンナの姿は全く隠れれしまい、まるで無人機のようだった。ハンナの乗った「緑の3番機」はさざ波の海面を長い間滑水し、かなり遠くになってからやっと離水した。
 その後は指令室で無線連絡が時たま入るだけだった。デンマーク方面はトミーのボーフォートやブレンハイムが飛んでくる可能性があったし、味方のFLAKに誤認されるおそれもあったので、ベルゲンに向かって内陸部を北上、その後海岸線を逆コースで戻ってくる予定だった。30分ほどたった頃、ハンナの声が聞こえた。「高度6000メートル、これからエンジンを切るわ。」20分後また入電。「すばらしいわ。おおきなバナナのをぶら下げているのに、信じられない滑空率だわ。」それを聞いてベテランのトロイチェが「俺はメッサーで被弾し、高度3000メートルから滑空して胴体着陸したことがあるぞ。」と言った。2時間を過ぎるとハンナから「これから帰投します。低高度でリッジ・ソアリングを試すわ。」これを聞いて俺は いささか心配になってきた。アルプスの山の稜線を辿って飛ぶリッジ・ソアリングなら経験があるが、フィヨルドの稜線は複雑で気流も悪い。しかも本当のグライダーではなく重いエンジン機でリッジをやるのは、山肌に衝突する可能性が高いのだ。生意気なハンナではあるが、俺にとってかけがいの無いひとであることには違いない。まだ高校生だった俺に、グライダー学校で、プライマーからセカンダリーまでの手ほどきをしてくれたのは彼女だし、童貞だった俺の初めての女性もまた3歳年上の彼女だった。小柄だが、筋肉質のハンナの水滴でも跳ね返すような弾力のある肌の感触を数年ぶりに思い出した。
 さてしかし彼女はこの難関のリッジをこなしたのだ。無線が入り、エンジンを全力にして帰投すると言ってきた。この調子ならメッサーW型の航続距離を今までの倍以上に伸ばす記録が達成できそうだった。荷物をうらさげた機影が見えてきた。
 突然絶叫が聞こえた。「アハトゥング、撃たれたわ。どこからか分からない。機影も見えないの。ペラが振動してる。ますいは、このままじゃエンジンが外れるか、機体が分解しちゃう! フロートを切り離すわ。」双眼鏡で探すと、ハンナがエンジン切りフロートを飛ばして滑空してくるのが見えた。サイレンが鳴り響く。救急隊員がボートを準備しているので、駆けていって無理矢理乗り込んだ。湾のすぐ外でハンナを拾い上げる。「いきなり撃たれたの。でも後ろからじゃないわ、真っ正面から来たの。全然見えなかったわ。ああどうしよう、飛行機をだめにしちゃったわ。」自分が墜落したといのにハンナは任務のことしか頭に無い。まして心配の余り、彼女を抱きしめている俺のことなんか眼中にない。なんという女だろう。「でもね、ハンス。これは結構いい飛行機よ。あの邪魔なフロートを取っ払えば、どんな遠くでもどんなに高いところでも飛んでいけるわよ。」 全く彼女と来たら、男の気持ちなんて全く気が付きやしない(;_;)


私も乗ったことがある緑2番機。最初はハンス・トロイチェが乗っていた。

上空を飛行中He115から撮影した写真。翼が長いのは良好な飛行性能を約束してくれたが、海上では操作が難しくなった。すこしでも波が高く左右に傾くと、翼端が海面に触れてしまい、水没の危険性をはらんでいた。

●1940年6月15日
 ハンナが帰ってから、約1週間後に墜落の原因が分かった。敵襲などではなく、かもめかあほうどりのバード・ストライクだった。この機体はやっぱり鳥にはなれないのか。うなぎのように海の中をもぐる運命なのか。しかし試験飛行の結果はメッサー110の長距離型と同等の航続性能が記録され、大成功であった。もっともこれがW型の量産につながるかは不明だが。

  


参考文献:ハンナ・ライチェ著「大空に生きる」(朝日ソノラマ、現在絶版)