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アドレナ海をはさんでイタリアの対岸に位置している
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・ユーゴスラヴィアの歴史
ユーゴスラビアとはそもそも「南スラブ」を意味知る言葉である。国としては
二度生まれ二度死んだといわれている。1918年12月に王国として建国され、41年
4月にナチス・ドイツをはじめとする軍隊の進行にあい、分割占領されて、消滅
した。もう一度は45年11月に社会主義にもとづく連邦国家として再建されたのだ
が、91年6月にスロベニア、クロアチア両共和国が独立を宣言したことにより、
解体した。その昔、第二次世界大戦後のユーゴは”七つの国境、六つの共和国
(セルビア、モンテネグロ、クロアチア、スロベニア、マケドニア、ボスニア・
ヘルツェゴビナ)、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの
国家”といわれ、複合国家のモデルケースと呼ばれるような国であった。しかし、
先ほども述べたようなスロベニア、クロアチアの独立宣言をかわきりに、ボスニ
ア・ヘルツェゴビナなどがユーゴスラビアから独立を果たすようになる。それと
共に内戦が行なわれた。そして多くの難民、国内避難民(IDP)が発生した。特
に92年の4月から始まったボスニア・ヘルツェゴビナ分割戦争では、二つの大戦
を除くと近代ヨーロッパでもっとも多くの犠牲者を出した戦争である。そして、
みなさんの記憶に新しいユーゴの内戦といったらコソボ紛争であろう。このこと
については僕個人も意見があるので他で述べたい
と思う。
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・参考文献
・柴 宣弘著 「ユーゴスラビア現代史」(岩波文庫 1996年)
・千田 善著 「ユーゴ紛争 多民族・モザイク国家の悲劇」 (講談社現代新書 1993年)
・ユーゴスラビア大使館ホームページ
http://www.twics.com/~embtokyo/home.htm