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ユーゴについて
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ユーゴスラビアの概要
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ユーゴスラビアの位置
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ユーゴスラビアの歴史
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参考文献
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・ユーゴスラヴィアの概要
国名 :ユーゴスラヴィア連邦共和国 (セルビア共和国、モンテネグロ共和国からなる連邦共和国) 首都 :ベオグラード 首相 :スロボダン・ミロシェビッチ 面積 :102173平方キロ(54あるヨーロッパの国々のうちで17番目) 人口 :1050万人主要言語:セルビア語(少数派にアルバニア語、そしてロマ語などがある) 宗教 :主にセルビア正教、イスラム教、カトリック 通貨 :新ディナール(モンテネグロはドイツマルク) 気候 :四季があり典型的なヨーロッパの気候民族構成:セルビア人・・・・65% アルバニア人・・・15% モンテネグロ人・・ 5% 他の少数民族・・・17.5% 難民の数:登録されている難民・・70万人 国内避難民(IDP)・・・33万人識字率 :98% 失業率 :約40%
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・ユーゴスラヴィアの位置
アドレナ海をはさんでイタリアの対岸に位置している
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・ユーゴスラヴィアの歴史
ユーゴスラビアとはそもそも「南スラブ」を意味知る言葉である。国としては 二度生まれ二度死んだといわれている。1918年12月に王国として建国され、41年 4月にナチス・ドイツをはじめとする軍隊の進行にあい、分割占領されて、消滅 した。もう一度は45年11月に社会主義にもとづく連邦国家として再建されたのだ が、91年6月にスロベニア、クロアチア両共和国が独立を宣言したことにより、 解体した。その昔、第二次世界大戦後のユーゴは”七つの国境、六つの共和国 (セルビア、モンテネグロ、クロアチア、スロベニア、マケドニア、ボスニア・ ヘルツェゴビナ)、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの 国家”といわれ、複合国家のモデルケースと呼ばれるような国であった。しかし、 先ほども述べたようなスロベニア、クロアチアの独立宣言をかわきりに、ボスニ ア・ヘルツェゴビナなどがユーゴスラビアから独立を果たすようになる。それと 共に内戦が行なわれた。そして多くの難民、国内避難民(IDP)が発生した。特 に92年の4月から始まったボスニア・ヘルツェゴビナ分割戦争では、二つの大戦 を除くと近代ヨーロッパでもっとも多くの犠牲者を出した戦争である。そして、 みなさんの記憶に新しいユーゴの内戦といったらコソボ紛争であろう。このこと については僕個人も意見があるので
他
で述べたい と思う。
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・参考文献
・柴 宣弘著 「ユーゴスラビア現代史」(岩波文庫 1996年) ・千田 善著 「ユーゴ紛争 多民族・モザイク国家の悲劇」 (講談社現代新書 1993年) ・ユーゴスラビア大使館ホームページ
http://www.twics.com/~embtokyo/home.htm
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