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ユーゴでの体験記
ユーゴでの体験記



  1. モンテネグロの独立意識NEW
  2. 戦争の傷NEW
  3. 憎しみの根源NEW
  4. NATOの空爆についてNEW
  5. 自分が見た民族意識NEW



・モンテネグロの独立意識  今ユーゴスラビアというのはセルビアとモンテネグロからなる 連邦共和国です。しかし、モンテネグロの人たちにはすでにユー ゴスラビア人というよりモンテネグロ人という意識が生まれて きているように感じました。2000年9月24日の大統領選挙をひかえ て、色々な人に選挙について、独立への考え方について聞きました。 ほとんどの人がその質問に対して”独立した方がいい”、”ミロシェ ビッチ(現ユーゴスラビア大統領)が当選したら独立するべきだ”と いうふうに意見していました。 旧ユーゴでクロアチア、ボスニアなどが独立した背景には民族意識、 というものが影響していたように思いますが、モンテネグロでモンテ ネグロ人となのっている人たちはもとをたどればセルビア系の人です。 だからセルビアとモンテネグロは民族で考えれば同じなのです。なのに 独立を国民が意識するというのはやはり現大統領に対する不満、不信感 からなのかと僕は感じました。(2000.9.13に書いたものです)   目次へ ・戦争の傷  僕が今回ユーゴに行った理由の一つとしては、内戦で傷を負った人の 手伝いを少しでもできればということからでした。実際難民キャンプに 行ってみると元気な子供達が出迎えてくれたのにはすこし驚きました。 しかし、他の場所であったコソボから非難してきた親子は、またちがっ た印象を受けました。二人の娘さんと一人のお母さんと会ったのですが、 お母さんの話でも旦那さんはコソボで殺されたそうです。そのせいか、 最初子供達は僕達と会ったとき、にこりともしませんでした。母親の子 供達に対する愛情の表現も体全身で表し、思いっきりだきしめたり、顔 にキスしたり、なにかそれが僕には二人分の愛情を一生懸命注ごうとし ている様に思えました。それが反対にあの人たちの心に負った傷なので はないかと感じました。僕達はその子供達が笑わないままだと絶対に嫌 だ、何が何でも、どんな手段を使ってでも笑わして見せつと決心し、折 り紙で風船や鶴などを折って彼女達にプレゼントしました。めずらしか ったのかそのうち顔もほころんできて、最後には笑ってくれたことで本 当に胸が一杯になりました。  またある難民の保護施設に行ったとき、彼らが本当に職がない、お金 がない、ということを切実に僕らに訴えてきました。だからその暇つぶ し、お金を作るために編物をしているといって沢山の彼女が作ったもの を見せてくれるお母さんもいました。  僕が、今回行って感じた戦争の傷。それはもちろん心の傷、身体的な 傷もそうだけれども一番は社会の傷でした。戦争によって住居を失って もとの家には帰れない、だから学校にも通えない、戦争で工場などが破 壊され、海外からも経済封鎖を受けているから職がない、お金がない、 暮らせない。心の傷を忘れて打ち込めるものがない。これらが僕が今回 行って感じた傷でした。 目次へ ・憎しみの根源  コソボの紛争はセルビア人とアルバニア人のいがみ合いから発展した紛争 だという解釈がされるときが時々あります。しかし、僕個人の意見としては そうは思いません。もちろん、本当に心の底から違う民族を嫌う人もいるで しょう。でもほとんどの人はそれほど民族を意識はしていないのではないかと 僕は思います。しかし、今回のコソボ紛争もそうですが、”民族浄化”などと いう本当に愚かな政策のせいで強引にも民族意識を押し付けられるときがあり ます。そして、信用している人から”あっちの民族は野蛮だ”とか権力のある 人から”あっちの民族とは戦うぞ!”と言う風にいわれたらどうなるでしょう? 理性で人を憎まないようにしようとしても、実際すり込み効果のように意識の 中に他人の憎しみが染み込んでいきます。本当はそうは思っていなくても自然に そのように思わされてしまうときもあります。しかし、その感情というのは本当に その人が心から思っていることなのでしょうか??ただそう思わされてしまって いるだけではないのでしょうか?人の感情ほどいいかげんで影響されやすいものは ないと僕は思います。今の民族間の憎しみを時が解決してくれるのを願うばかりです。 目次へ ・NATOの空爆について  1999年、NATOがミロシェビッチのコソボに対する民族浄化政策を批判するとともに 空爆を開始しました。ベオグラード(ユーゴスラビアの首都)に行ったときも本当に 町のど真ん中に空爆で破壊された建物がありビックリしました。しかし、現地の人の 話だと、まだ首都はよかったといいます。田舎のほうでは本当に適当に空爆を行い、 多くの民間の建物、そして民間人を犠牲にしたとのことでした。  今回、ユーゴの行ったときも、選挙の話と同時にNATOの空爆のことについて、何人 かの現地の人に話を聞きました。”NATOの空爆についてどう思うか?”と。 ほとんどの人の答えは”あれは最悪だった。”ということでした。しかし、一人の人 だけ”空爆という手段は別に悪くない。ただ時期が遅すぎた。NATOはコソボで虐殺が 起こってから空爆を始めた。”っと行っていました。今回の空爆で一番の利益を得た のは、ユーゴの市民ではなく、アメリカでしょう。今アメリカの大使館はユーゴスラ ビアにはありません。ナチのマークや悪口の落書きで一杯になった建物が残っている だけです。本当にアメリカのしたことが正しかったのなら市民はアメリカの大使館に 落書きをしたりするでしょうか?今、ユーゴスラビアの選挙が終わり、ミロシェビッ チが行ってきたことについて国内法廷、国際法廷で裁かれようとしています。しかし、 悪いことをしたのはミロシェビッチだけでしょうか?僕は正直、あの時、最後まで 話し合いという策をとらず、空爆に踏み切り、多くの尊い市民の命を奪ったアメリカ、 そしてNATO諸国にも問題があると思います。彼らの理由がどうあれ、ああいう結果を 生んだ空爆を僕は許したくはありません。  目次へ ・自分が見た民族意識  今回、ユーゴスラビアに行くにあたって、ある程度ユーゴの歴史を勉強して いきました。その中でユーゴという国は”モザイク国家””民族紛争”という キーワードを置かれ、正直、民族問題、宗教問題の難しい国だという先入観を 持ちました。実際、最初のうちは会う人会う人に ”あなたは何人ですか??”と質問していました。正直、コソボから来ている 人たちが民族のことを気にしていると思い、僕たちなりの配慮のつもりでした。 しかし、話をしていく中で、例えばアルバニア人の人に”セルビア人のことを どう思う?”というような質問をしても”別に。セルビア人の友達とも電話で 今も話したりするよ。”というような答えがたびたび返ってきました。 確かに、今も民族を気にして、相手の民族を許さないという人もいるでしょう。 しかし、僕たちが見た印象を率直に言うと、ほとんどの人が民族を気にしていない というということです。むしろ、他の人の話を聞くと、”民族意識より土地意識 の方が高い”とのことでした。コソボならコソボで同じ土地のセルビア人となら なんの違和感も無く生活できるが、セルビアからきたセルビア人は嫌だ、といった 感じです。僕たちは日本にいる限り、メディアなどのニュースからしか、現地の 情報を得ることができません。だからどうしても情報、見方も偏ってしまいます。 僕は今回の旅をきっかけに、自分の目で見るのがどのメディアより真実に近いと 確信しました。 目次へ

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