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トゥールスレーン収容所
トゥールスレーン収容所



 カンボジアでは1975〜1979、たった四年の ポルポト時代の間に200万人の人々が強制労働、 また共産主義を押し付けるために殺されたりした。 トゥールスレーン収容所は以前は高校として使わ れていたが、ポルポト時代に強制収容所として使 用され、ポルポト時代が終わった今では、そのこ ろ何が行われた方か伝えるため、博物館のように なって一般に開放している。このように学校が収 容所に使われたところはカンボジア全土に幾つか あり、それらの多くは、忌まわしい過去があると いう理由で、今は学校としては使われていない。  左の写真はベットで拷問されたときの写真である。教室には一部屋一個づつ ベットがおいてあったが、これらは決して本来の用途では使用しておらず、拷 問を行う上で、手足を縛り付けておくものとして使用されていたようである。 収容所の中には教室の壁をぶち抜いて大部屋にして、それをレンガで仕切り、 個室が沢山あるようなところもあった。レンガの高さはそれほど高いものでな く、背伸びをすれば、外側が見れるような状態になっていた。隣の人とも話を できるぐらいだからあんまり個室の意味がないのではないのかと思ったが、実 はそこで話などをした場合、すぐに連れ出され、殺されるという事が行われて いたらしい。  次の写真はポルポト時代が終わり、収容所が開 放されたときに中で生きていた人たちを写した写 真らしい。ほとんどの人がろくに食事もあたられ なかったせいか骨と皮の状態になり、おそらくみ な虫の息だったのではないかと思う。ポルポト派 によって、多くの人たちを殺害されたが、ポルポ ト派の中にはこれらの写真に写っている人たちの ように拷問をされ、生と死の選択を迫られ、ポル ポト派に寝返って自分がされていたことを今度は 他の人たちにしていた人も多くいたという。これ らの悲しい事実もカンボジアの現状である。  最後の写真は収容所内にあったものである。こ れを見たとき、本当に背筋が凍るような感覚を覚 えたが、これはポルポト時代に作られたものでは なく、その後、カンボジアの政府によって作られ たものだということがわかった。日本では骨をこ のように扱うことは罰当たりとかいう風に考えら れるが、カンボジアではあまりそのような事がこ とはないらしい。
 
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