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カンボジア体験記
カンボジア体験記

 髪の毛の色  カンボジア二日目、僕達はキリングフィールドを見学に行った。 そしてその見学の後、近くにあるJHPが以前に建てたオグラ学校を 見学に行った。そこでは10人ぐらいの子供達がブランコなどで遊ん でいた。その中の多くは上半身裸で、何人かは何もきていない子も いた。そして遊んでいた子達のほとんどは髪の毛がメッシュがかか ったように茶色、または全体が茶色だった。服も着れないほど貧し いのになぜ髪の毛を脱色しているのかとお思い、あとで他の隊員の 人に聞くと、子供達は脱色をしているわけではなく、栄養失調のた めに髪の毛の色素が作られず、このようになったと聞いた。そうい えば、何人かの子供はおなかがプックリ膨れていて典型的な栄養失 調の様子をあらわしていた。この事実は自分にとってすごくショッ クだった。しかも、そういう子でも笑顔がすばらしく、僕達がバス で小学校を去るときにバスを走って追いかけてきてくれたことには 胸がいっぱいになった。                  目次へ
  カンボジアの雨  僕らがカンボジアに行った時期はちょうど乾期であった。なので 例年では12月から4月の間に3,4回ほどしか降らないらしく今回のよ うに遭遇することはかなりラッキーだと聞いた。 最初の雨に遭遇 したのはカンボジアに来て三日目であった。カンボジアの雨は日本 の雨とはまったく違い、スコールというもので、降っているという よりも打ち付けてくるという表現の方があっていたと思う。プノン ペン市内でもまだまだ排水設備などがしっかりしておらずそのせい かおよそ二時間ほどの雨で町の道路は川と化し、カンボジアの交通 の6割を占めているバイクは、エンジンに水が入ってしまうらしく、 そこらじゅうでとまってしまっていた。僕らの乗っていたバスも一 時、エンジンが止まり、”やばい!”と思ったが、煙を出しながら なんとか動く出すことができた。ほんとほっとした。    目次へ
学校に行けない子供達  カンボジアという国は一応義務教育をしいています。なので、本 当は学校に通うのにお金はかからないことになっています。しかし、 国自体がとても貧しいところなので、教育にかけるお金がなく、教 師の人もとても低い賃金で働いていて、とてもそれだけでは生活を 行うことができないので、表向きは授業料というものを徴収してい ないものの、補習代などという名目で生徒達からお金を集めている という現状です。なので、本当に貧しい人たちは学校に通うことが できません。僕達が学校で作業をするとき、多くの子供達と出会い ました。しかし、そのなかでとても仲良くなったことといえば、学 校に行っていないだろうと思われる子供達でした。なぜなら学校に 行っている子供達は僕達が休んで、現地の子達と交流しているとき は授業を受けているから。この事実はすごくショックで、僕達は学 校を作るために活動しているけれども、はたしてこれがこの子達の ためになっているかについてすごく疑問を抱きました。たしかに教 育が普及していけば国自体は豊かになっていくのだろうと思います。 だけれども、それによって学校に行けないかった子供達はよけい貧 しくなっていってどんどん貧富の差は広がってしまうのではないか、 そのことに対する対策が今度は大切だなっと感じました。    目次へ
骨に対する考え方  カンボジアに行って骨に対する考え方の違いを強く感じたのはソ ピー寺院、トゥールスレーン収容所にいったときである。 日本では遺骨というのはとても大切に扱われて、ちゃんと埋葬した り、供養したり、決して野ざらしの状態で放置しておくということ はない。しかし、私達がカンボジアで見たのは、お寺の一角に、供 養しているとは言いがたいようなただ積み上げた頭蓋骨の山、トゥ ールスレーンで見た、骨で作ったカンボジアの地図。しかもあの地図は ポルポト時代に作られてものではなく、収容所が解放されてから、 どういう目的かわからないが、政府が作ったものらしい。カンボジ アいう日本と同じ仏教国でも、骨に関してこれだけ違う考え方をし ていることに驚いた。           目次へ
NGOの重要性  NGO(正式名称NonGovernmental Organization=非政府組織)とい うのは日本で私達が通常生活している中ではあまり関わりのないもの だと思っていた。しかし、カンボジアでは、手足を失ったほとんどの 人たちに義足、義手などを無償で提供しているのは各国からカンボジ アに来ているNGOだったし、いまだ教育に国の資金を回せない国のか わりにカンボジアの各地に学校を作って教育を普及させようとしてい るのも私達の団体の”JHP・学校をつくる会”のようなNGO団体である。 今のカンボジアの状況下では義足を自分のお金で買うことのできる人 はほとんどいないだろうし、他の国、NGO団体に頼っていかないと国と して成り立たなくなってしまうかもしれない。しかし、同じ地球上に 生きる人間としてこのような助け合いは必要なことなのである。いつ か、NGO団体もカンボジアから手を引くようになって自立した国に発展 することを心から願いたい。                 目次へ
ゴミ拾いをする子供達  21世紀,一年ぶりにいったカンボジアではまた一年前とは違うものを 感じたと思う。その中で大きかったのは,ゴミ拾いをする子供達。 去年カンボジアに行った時は物乞いをする子供達がとても印象に残って いた。しかし,彼らはどの子も接してみるととてもいい笑顔をしていた。 それはプノンペンという裕福な地だからもしれないが。 しかし,今回ゴミを拾っている子供達と出会ったとき,あの子達にはそ のような笑顔はもっていなかった。本当に生活,生きる事で精一杯とい う印象をうけた。本当はもっとその子達とも接したかったが,彼らはす たすたとその場をさっていってしまったのでそれはかなわなかった。  カンボジアでは心の裕福さをつねづね感じていた。しかし,今のなお 経済的に貧困なのはかわらない。それを今年の3月思い知らされた。   目次へ
   プリンス  このプリンスというのは私達がバオットセイモン小学校という場所で ブランコ建設の作業をしている時に,どの子よりも一生懸命,手伝って くれた子である。本当の名前は違うのであるが,頭を分け目や,しっか りしたところから私達はそう呼んでいた。毎回,どの学校で作業をする も子供達が手伝ってくれる。しかし,その手伝ってくれる子供達の多く は学校に通う事ができていない。学校に通う事が出来ていないから授業 のある時間,学校の校庭でブランコ建設の作業を手伝う事ができるので ある。この事実を考えるととても心がしめつけられる思いがする。 プリンスも色々な事情で学校に通えない子であった。2001年カンボジア 3月隊でどうにかしたいと思った。何かかれにできることはないかとみん なで考えた。奨学金制度も考えた。しかし,お金の援助が本当の援助な のかなど色々と議論があった末,なんとか今プリンスを養っているおじ さんを説得して学校に通えるところまでたどりついた。 また,カンボジアの地で白いシャツに青いズボンの制服を来たプリンス に会う事が今の自分のなによりの楽しみである。    目次へ

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