にゃあああん、と。



 住宅街のど真ん中、家と家の隙間から。ハデに媚びた声が耳について、ついついソチラを振り返ってしまったのが運の尽き、だったのだろうか。
 どっしりとふてぶてしい、どうみても根性入ったノラの猫。ソイツがにゃあん、と媚びて媚びて、叫んでいた。ノラのわりに真っ白だ、とついつい長く見てしまったら、スルリと足に擦り寄られた。そして、にゃあああんと。ねだるというより脅すように、とがったキバを見せて鳴く姿が妙に可愛く見えてしまった。
 ゴツンと頭をスネにぶつけてくる(意外に痛いうえに制服に毛が付く。たまったものではない)のに負けて、しゃがみ込む。期待にますます媚びた声を出す猫をなだめて、バックから弁当箱代わりの重箱をとりだした。
「ほら」
 皮の脂が嫌で、たまたま残してしまったトリの蒸したの。
 それを手の上に乗せてやると、猫はきっちり5秒、ふんふんとニオイを嗅いで点検した後すごい勢いで食べだした。ほんの一瞬で平らげて、次の次の、と重箱に鼻をつっこむように催促。三切れあったトリはあッという間になくなった。
「……犬じゃねーんだからさ…」
 余裕なく一気に食べつくした白い猫にすこし呆れる。しかし、おわり、と重箱のふたを閉じた後も、しつこくしつこく手のひらを舐め続ける様子は何だかほだされるものがあった。重箱をしまって空いた片手で、そうっと丸い背中を撫でてみる。猫が怯えていないのを見て、その手を頭に移動させる。せまい額を指で撫でると、猫は首をあげてヒゲをピンとはった。ぐるぐる、と聞こえる低い音。
 かわいい。
 ついつい、こんなのが家にいたらいいな、と思う。玄関あけたら飛び出してきたり、食事をねだってきたり、ただその辺で丸くなって寝ているだけでもいい。小さい頃の葉末を連想させる小さい動物は、傍に居たら、とても良いだろう、と。
 しばらく猫の頭を撫でながら、そいつを飼う空想をぼんやりと考えていたら、ツン、と吊れる感じがした。
 ん、と頭を現実に戻して吊れた感じのする右斜め下を眺めやると、猫が釣れている。もとい、ひらひらとするストールにちょっかいを出したらしいネコが、左前足のツメを細い糸に絡め取られていた。前足をふって逃れようとしていたのが、吊れた原因だったらしい。
「バカだ…」
 思わず笑う。猫は時々ぶるぶるぶる、と細かく足をふってはツメから糸を外そうと試みるのだが上手くいかない。その仕草が可愛くて、ストールが痛むのも猫が嫌がっているのも分かっていたが放置してみた。指の腹で小さな頭を撫で続ける。そういえば、さっきから喉のぐるぐるは止まっていた。
 しばらく静かにしていた猫は、いくら片足ふっても糸が外れないことを理解したのか、もう片方、右前足も使ってトライする。すると左前足のツメにに引っ掛かっていた、細い黄色い糸は、スルリと素直に外れていった。しかし代わりに右のツメが別のところに引っ掛かる。それを外すために左をだし、右が外れ、そしてまた左がつかまり……と。猫は頭の悪いメビウスを描く。
 初めは笑ってみていたが、次第に猫はやっきになって外そうとする。点々とストールから糸がひっぱりだされて、放置している場合ではなくなった。コチラも焦って猫の足をつかむ。と。
「……っ!」
 いままでは、一応おとなしかった猫が、足を掴んだ途端に暴れだした。手の甲をツメでガリッとやられて、血の滲んだ、赤い線が出来る。しかし、いくら猫が抗ったところで止められる訳でもない。多少痛いのとみっともないのを引き換えて、猫をストールからひっぺがす。いきおい、猫を両腕で抱える形になった。
「オラ、取れたから、暴れんな」
 すこし強めに抱いて、猫を落ち着かせる。しばらくはジタバタと空中を蹴り上げていた後ろ足も、観念したのか、じきにダラリと垂れ下がる。次の瞬間に、猫はもう全身の力を抜いて、完全に腕と胸に寄りかかってきた。その変わり身の速さはいっそ見事。猫が力を抜いた途端、腕にズシリと重みがきて、慌てて後ろ足にも手を回す。安定した形に安心したのか、猫は再び、ぐるぐるぐるぐる、と喉を鳴らし始めた。
 そしてオレは。
「あったか…………」
 しっかりと懐かれて、丸い柔らかい暖かさを手放し難くて。
 どうしよう。





突発的に薫さん。「月に向かって昇る坂道」とリンクしてるかもしれません。 2002年12月16日 ナヴァル鋼


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