声と恋 / 中 20020823




I ask you for a communication,
It's a communication.


 例えばイヤなコトがあって、表に出すほどでもないけれど心がどこかささくれていたりして。そんなとき、大石と話すと楽になった。そのコトを彼に言ってなぐさめてもらう訳ではなくて(言えばしてくれただろうけど)、ただ彼と、取りとめのない内容を何時ものように話しているとほっとした。張り詰めていた糸がフト緩む感じがした。漂白したように真っ白な大石の笑顔が好きになった。隣にいると、自分も彼のように清廉な笑顔が出来るかもしれないと思えた。ずっと一緒に居たいと思った。
 それが恋愛感情に変わるのは、そう時間の掛かるコトではなかった。自分の抵抗もなかった。ただ彼が好きだなあ、と純粋に思えた。そしてそのまま伝えた――大石に断わられるとかは、全く考えなかったように思う。相手の感情まで考える余裕なんてなかった。だから、何で大石が所謂“おつきあい”を承諾したのかは実は未だに分かっていない。言葉を望めば「好きだよ」と言ってくれる。忙しいくせにいつも自分のコトばかりを優先してくれる優しい恋人。それだけに、彼の考えていることは分からなかった。
 だから、いつも、不安で。
 自分の不安に気付かない大石が無性に腹立たしくて。
「いっしょにいたい、だけなんだけど」
 ちっとも耳に入ってこないのに苛ついて曲を止めてしまった無音のヘッドフォンは、自分の呟きを大きく頭に響かせる。うわん、と回った自分の声に菊丸はよけいに苛立ちや淋しさを生々しく感じてしまう。目の辺りが熱くなっていくのが分かって、自分がもうちょっとで泣きそうなのを認めた。そして、ただ好きなだけなのに、なんでこんなに辛いんだろうと思って更に泣きそうになった。そうして体育座りの膝に顔をうずめた。彼はただ大石だけを待っていた。


「……菊丸、先輩?」
「…………あ?」
 低い声にふと気付いた。ああ自分、寝てたんだ、と分かって頭を軽く振る。ぼおっとしながら見上げた先には、まだトレーニング中らしい海堂が立っていた。いつも着ている黒のシャツが汗でベッタリと体に張り付いているのに、自分が鬱々としている間に海堂は強くなっていってるんだと少しヘコむ。大石ではないのが最初の呼び方から分かっていたのが救いかもしれない――一瞬だとしても、期待して裏切られるのはツライから。しかしそれでもと、期待してズボンの端を握っていた手の平はじっとりと汗ばんで気持ち悪かった。
 再びぎゅ、と布を握り直しながら、何となく笑える気分で海堂に応える。
「どーしたの、薫ちゃん。まだトレーニング?乾待ってるの?分かってるんだろーけど、ムリしちゃダメだよ?」
 沈黙を防ぐため適当に並べている言葉の一々に、海堂は律儀に頷き返す。どこか愚かしいが可愛らしい――見かけのコトだけでなく――海堂に菊丸は笑みをつられた。ニ、と笑った菊丸に常に強張ったような海堂の表情も同じく緩む。こちらが笑ってようやく警戒を解く人見知りっぷりが、菊丸にはいっそ愉快だ。
「で?薫ちゃん、何の用?」
 あくまで、優しく。別に用がなくてもいい、というニュアンスを込めて尋ねる――野良猫にエサをやるようなモノだと、頭の隅で思った。気まぐれに近寄ったネコが、逃げてしまわないように、オマエの好きにしてイイんだよと言いながら好物を差し出す。ピクリと指が震えただけでずり下がるネコ。
「え……いや、何でまだ居るのかな、と思って…んで」
「思わず声掛けた?そか、オレは大石待ってるの」
 菊丸はにこ、と笑いかけて自分の隣を叩く。座れという無言の先輩命令に海堂は軽く会釈して体温が伝わらないくらいの距離に腰を下ろした。ヒトとの距離は近い方の菊丸は、その離れ具合を新鮮に驚いて地面を叩いた自分の手をちょっと見下ろした。ココって言ったのに、と笑う。海堂は菊丸が笑う訳が分からなかったらしく不思議そうな顔をした。相応な幼さが彼らしくなくて菊丸はまたクツクツと笑う。
「…………大石先輩も残ってるんスか」
 海堂は、今日の菊丸を――彼はその日によって大分テンションが違うから――分かろうとするのを早々に放棄して、知りたいコトを聞いてしまうことにしたらしい。少しだけ柔らかくなっていた目が再び元の三白眼に戻った。その雰囲気が伝わって菊丸は、黒くて白いネコがフイと身を翻したのを理解する。テンション高すぎたかなあ、と少し反省して海堂に情報を提供してやる。
「そうそう、まだ乾と一緒に部室よ」
「何やってるんですか?」
「んー?あんまよくは知らないケド…夏合宿がどーとか、言ってたよ確か」
「どの位かかる、とか分かります?」
「んにゃ、オレが知りたいくらいよ?」
「そーッスか、どうも。」
 そう言って海堂は早々に腰を上げる。その切り上げの速さにダベることだ日常的な菊丸は驚き慌てて手を伸ばす。じっとりと、布地に染み込んだ汗が段々冷えてきている海堂のシャツを掴んで、立ち上がりかけた彼を無理矢理引き戻す。海堂は菊丸の行動に気付いていなかった。そのため、立ち上がりかけた膝立ちの状態で大きく体勢を崩す。コケそうになる寸前で地面に手をついて、衝動のまま菊丸をガッと振り返る。
「センパイっ、いったいなに…」
「お願いだから、もーちょっと傍に居て。」
 ひとりじゃツマラナイから。下から見上げるようにして菊丸が『お願い』すると、少しキレかけていた海堂は気が抜けたようにマジマジと菊丸を見つめる。そして、菊丸が引っ張るのに任せてもう一度座りなおした。


「菊丸センパイ、なんかウチの弟に似てるッス」
 喋りまくる菊丸に適当に相槌を打ったり打たなかったりしていた海堂が、出し抜けに切り出した。話を遮られた形の菊丸は一瞬止まったが、すぐに海堂の話に乗って、後輩の弟と同列にされたことも構わずニコと笑う。
「海堂って弟いるんだ」
「ッス。なんか…大人じみてるんだかガキっぽいんだかよく分からないヤツで。ストレートにモノを言うかと思えば次の瞬間豹変するし」
「んで、その子がオレに似てるんだ?」
 にやりと笑って菊丸が海堂を下から覗き込むと、今更のようにその例えの失礼に気付いて海堂はあっと小さく声をあげた。ソロリと見てくる彼に菊丸はいいから、笑ってと手をふり、先を促した。海堂はしたんだかしてないんだか分からない位の会釈をして話を続ける。
「ウチの弟、割と人付き合い好きで。友達多いんスけど、その割いっつも何かしら問題起こすんです。でもその問題ってのが、何つーか、ワザと起こしてるとしか思えないようなヤツばっかで……」
「ワザと?わざわざ友達とケンカしたりとかしてんの?」
「ッス」
「そりゃ、訳の分からない…」
「そう思うッスよね」
 ハア、と大きく溜め息を吐く海堂が妙に『おにいちゃん』に見えて菊丸には新鮮だ。家族の中でも、親族の中でも一等年下の菊丸には到底あり得ない悩みを抱えた海堂が、大変だなあとは思いながらも少し羨ましく思える。そして、自分のコトを考えてみたら、海堂の弟の行動も、とてもとてもよく分かる気がした。
「ねー海堂」
「はい」
「いっつもウチで何してる?」
 唐突に変わった話の流れに海堂はあっけにとられる。菊丸は「え…」とまごつく海堂に質問を重ねて兎に角答えさせる。
「朝メニューして学校行って、帰ったら宿題してメシ食って夜メニューこなして寝ます」
「だよねー、薫ちゃん真面目だもんね。でさ、その間、弟くんが何してるか知ってる?」
「…………知らないッス」
「でしょ。」
 意味ありげに、チロリと見上げるて此方を伺ってから、視線を反らして芝生を弄る。そしてポツリと一言、「弟くん、淋しいんだよ」と諭すように言う菊丸に、海堂は妙にありありと葉末の気持ちが分かる気がして切なくなった。不意に、葉末に悪かったかも、と素直に思えた。同時に、断定の口調で言い切った菊丸が気に掛かった。そして、背を丸めて座り込む彼を何気なく見やった瞬間、ふとあるコトが思い浮かんだ。その考えは、決して的外れなもとではないように、海堂には思えた、が、あまりに菊丸のプライベートなことで、たかが後輩が口を出すようなコトでは無いような気がした。それでも、どこか弟に似た先輩の、自分こそが酷く淋しそうな様子が、海堂には放っておけない。相手が年上だと分かっていても、妙な庇護欲と責任を感じた――それこそ葉末に感じるような。
 しばらくの間、ひとり無言ででグルグルした後、海堂はおずおずと切り出す。
「先輩って……、あの、大石先輩と、うまくいってないスか……」


 求めたのは、コミュニケーション。
 出したのは貴方への信号。

 どうして、気付いて、くれないのかな。


庭球王子 /  / ネクスト......just a moment


お、終わらない。。