声と恋 / 前20020708
「大石くん、ちょっと、イイ?」 昼休みに、遠慮がちに、でも思いつめた目をして話し掛けてきたのは、確か去年同じクラスだった女の子だった。どこか不穏なモノを感じ戸惑いながらも、大石は、うわべだけはいつもの笑顔で快諾する。彼女にしたがい席を立つ大石をいぶかしげに見たクラスメイトは多かったが、哀しいかな、色恋ざただとは誰一人考えなかった――人望がありすぎるのも憐れな大石である。 もっとも、彼らの認識は全く正しいものだった。 大石も花の中学3年生。青学男テニの母、など言われもするが、昼休みに可愛い女の子と屋上で二人きり、なんて場面ではその気がなくてもドキマギしたものだった――過去形。大石が予想した通りに、今回もまた、自分とは関係の(あまり)無い恋愛ゴトの御相談であった。幾ら一部で公認の恋人がいるとはいえ、ちょっと寂しいんじゃないか15才、とぼやきたくなるのを許してほしい。 先にたち階段を下りる彼女の肩はまだまだ大きく上下していて、しゃくりあげる声は抑えようとしているだけに悲痛な感じだ。目と耳に痛い状況が、大石の思考まで暗くする。屋上に着くや否や、アルトの声を半ば詰まらせるように彼女が訴えた内容に大石は深くため息をついた。 『ちょっと前まで、スゴイ、スゴイっ、優しかったのに……!最近、全然、会ってくれなくてお昼とかまで別々になっちゃって、理由聞いても答えてくれないし!もお、どおしたら良いのか分かんなくなっちゃって……大石くんて、英二とスゴイ仲良いんでしょう?何か、ちょっと、聞いてもらえないかなぁ……?』 後はもう嗚咽だった。去年それほど親しかった訳じゃない。その自分に泣きつくのだから、余程追い詰められているのだろうと、大石は彼女に同情してしまう。 しかし、実はこの手の相談はコレが初めてではない。4月からこちら、もう3回目になる。大石は再びため息をついた。大石は、基本的にオンナノコには優しくしたい。だから、あんまりに移り気で彼女達を、そして自分を振り回す菊丸が、時々理解出来ないと感じてしまうのだ。 5・6限の技術の時間、大石は当然のコトに全く作業に身が入らなかった。 いつ菊丸に話を切り出すべきか、そればかりを考えて部活が終わった。 まず不二が声を掛けてきて、その後も乾、桃、タカさん、越前と聡いヤツラはそろって様子がオカシイと言ってくれたものだ。そして最後の最後、練習後の部室で菊丸が、ジャージのまま寄ってきた。周りのヤツ等は着替えで騒がしい。 「おおいしー?何か今日へんじゃない?」 体調悪いなら無理しちゃだめじゃん、と言って体に触れてくる。シャツの上からペタペタと肩と腕を確かめられ、仕上げに両手で頭をはさんで額を額に押し付けられた。 「熱はナイよ?」 間近にある大きな目に覗きこまれる。まさか『お前のせいだよ』とは言えず言葉に詰まった。彼が自分を心配してくれるコト自体は、とても嬉しいものだったから。 だから、頭に添えられている菊丸の手をとりぎゅっと握った。そして菊丸に告げる。正面から、まっすぐ目を見て。 「ちょっとね、話したいコトがある。ココに、しばらく残ってもらえるか?」 「いいよ?」 でも何?と聞きたげな菊丸から緩く手を放し、大石は自分の着替えに戻る素振りを見せた。それに素早く反応し、菊丸も体を放す。 「じゃ、ま、後でね!」 二コリと笑って自分のロッカーに戻っていく。その悪意のない明るさに、大石はまたため息をつきたくなった――別に、ソレが問題な訳ではないとは分かっているのだが。もうちょっと、自分の行動の意味を知って欲しいなと思った。 彼の無意識の人懐こさは、ヒトに特別な感情を期待させる。 「…おあい・あすくゆ・ふぉ・いつこみゅに・けーえしょん………いつあ・こみゅに・けーえしょん.」 途切れ途切れに、微かに聞こえるのは、大石を待つ菊丸の声。音楽で頭をカラッポにする彼が時々呟くハナウタ。彼が好むにしては穏やかな、少し切ないような曲調に大石は何故か覚えがあった。メジャー好きな桃城とは対照的にマイナーばかりを聴く菊丸の選曲は、たいてい大石は歌い手の名前すら知らないものだから、その彼のハナウタが判るなんて事態は初めてだった――尤も、菊丸は、いつも大石に何かしらのMDをよこしてきているが。 部室の外から聞こえてくるソレは、普段の菊丸の声と違って少し高い。微妙に鼻に掛かったような、時折裏声混じりの声は知らなければ女の子のモノようだ。女性の作であるらしい可愛らしい感じの曲。 「……いし?聞いてる?大石?」 「っ、あー……、悪い」 呼びかけてから三拍ぐらい。眼鏡越しに、ジイと大石を見上げていた乾は、ようやく意識を引き戻したことに満足してノートパソコンに視線を戻した。ぼーっとしてた、と大石が言うと、乾はちょっと笑ってトントン、と指で机を鳴らす。大石にも画面に意識を戻すよう促した。 副部長・大石が菊丸を待たせてまで乾と居残っていたのは、夏合宿計画の手直しのためだった。乾お手製パワーポイントで概要を掴みながら、横からの付けたしも聞いて時折質問や異論を挟む。そうやって全部員の技術と体力の向上、全国で勝つためのレギュラーの練習メニューを考えるのも役職持ちの仕事だ――乾は、純粋なるボランティアだが。一番その手の仕事を引き受けなければならない手塚はしかし、生徒会会長などという役職にもあるため、文化祭準備が始まり全く時間が取れない状態だ。 「んー…と、大石。三日目まで。ソコまでやったら今日はオワリにしよう?」 「え?」 大石が、乾の別の顔を覗かせるカラフルでポップなスライドに目を通していた時。出し抜けに乾が言った。聞き返す大石に、眼鏡の端からチラとだけ視線をくれる。大石には、こころもち口の端が上がってるように見えた。 「コレ、明日中に竜崎先生に提出だろ?」 「んー、まあ、そうだけど。どうせ明日の朝に手塚にも見せるしさ。何とかなるでしょ。なんだか大石は気になるコトがあるみたいだし?」 ね?と笑って乾は窓の方を指す。途切れ途切れに聞こえる声は続いていた、が、注意して聞き取ろうとしなければ到底聞こえるものではない。一体どこまで知ってるのやら、と大石の笑顔は少し乾いた。 「気を使わせて、悪いな」 「いーええ。ウチのもよくお世話になってますから」 乾はアッサリと流した――の割に、シッカリと自己主張していたが。年下の恋人をしっかりと宣言して早々にこの話題を切り上げた。そして再び三日目までのメニューと日程等の調整具合を説明するのに戻ってしまう。 話の流れに置いていかれた大石は、あわてて今の部分を聞き返した。 「じゃあ、今日はコレでオワリー。残りは明日見せるけど、一応メルで送っとこか?」 「ああ、頼むよ乾。迷惑かけるな」 「まーそー思うんなら、とっとと仲直りしてくれや」 乾がノートパソコンを片付けるのを手伝おうと、コンセントの方に行きかけた大石は怪訝な顔で振り返った。 「仲直りって…悪いけど俺等、ケンカなんかしてないよ」 「してないから問題なんでしょ」 大石の少し不機嫌な声に、全てを知ってる、とでもいうように乾は返す。口調は柔らかいながらも断定されて、大石は一瞬たじろいだ。パソの電源を落として閉じてしまい、乾は机に肘をつく。ちょうど蛍光灯を反射して眼鏡に表情を隠したまま、彼はニヤリと笑った。 「英二待たせてるんだろ?早く行ってやりなって」 「……わるい。」 手伝いなんてイイから、と乾はヒラヒラ片手を振る。根が生真面目な大石は再び一瞬戸惑ってから、もう一度、謝罪というか礼というか、を繰り返した。そしてコンセントではなくロッカーに向かう。その後ろ姿に、乾は、アイツも三年なんだから、一緒に考えたって良さそうなモンだけどねぇ、と笑って言った。軽く非難めいた内容な割に語の雰囲気はても楽しそうだ。 ガチャガチャ、とケーブル等を整理しながら、お先、と扉を開ける大石に乾はダメ押した。 「一方的に怒っちゃダメだけど、相手の言い分聞きすぎてもダメだからなー難しいよなー」 「…………お疲れ」 「がんばれな」 他人で遊ぶだけ遊んだように(大石には)見える乾は、ひどく楽しそうだった。なぜか酷く疲れたような気がして大石は部室のドアを閉める。そしてコートの一面だけついた照明を見てふと思い出した。 「そーいえば、海堂が居残ってるんだ……」 ぼおっとその照明を眺めたあと、乾は基本的にイイヤツなはずだ、と大石は思いなおすようにした。 夏至も過ぎて長くなった日が、それでも随分暗くなっていた。ほの暗い逢魔が時を、菊丸はひとりで過ごしていた。 「わんでい・ゆるび・あ・すぱ・すたあ・ああ…」 何時も誰かと一緒にいる事が多い菊丸に、ひとりというのは大分ツライ。何か起こったコトや思ったコトを、その場で共有できるヒトが居ないと、まるで自分ひとりが世界から取り残されたように思えてしまうのだ。とくに、今の時間は部活の終わった生徒の群れが、視界の端を次々と通り過ぎていく。にぎやかに、あるいは騒々しく。菊丸は、酷く切ない気分になった。 それでも、部室に行って大石と乾に交じるとか、まして先に帰ってしまうなんてコトは考えなかった。前者はその中でまた、二人の間に入れず疎外感の嵐だろうからで、後者は言わずもがな。菊丸は、ずっと忙しい大石と持てる時間を何とか探していた――絶対に、ソノコトを大石に気付かせなかったが。 「はうまっち・とぅのう・はう・ふぁに・がーある.すてぃどん・のう・ほゎと・なう…」 だから、ただ待っていた。 ひとりを感じたくないから、周りの空気に取り残されてしまいたくないから、自分から周りを遮蔽して。切なく剛く歌う女性の声で、自分の中を一杯にする。彼女に乗っ取られる。自分の思考を挟ませないくらいに。 「ひず・めいくみ・ふぃるぜ・あいむあ・すぺしゃる……He is making me feel that I'm a special?」 菊丸の声が、フツリと途切れた。そして、それきり黙り込む。 彼はあまり英語が得意な訳じゃない。だから、歌詞の意味が全て分かっている訳でもない。それでも、所々には理解できて――今も、ふとその意味が耳についてしまった。 He is making me feel that I'm a special. 8ビートのメロディーと、高い声。そんなものに委ねていた思考が自分に引き戻される。あまり、考えたくない自分のコトに。菊丸は表情を歪めて、軽く舌打ちした。折角、からっぽだったのに、と苦々しく思う。それでも思考は走る。ヘッドフォンは周囲から自分を切り離してくれても、自分から自分を切り離すことの助けにはなってくれない。 空が、暗くなっていた。向こうで一面だけ点いたコートの照明が、菊丸にも眩しく感じられた。視線は自然、その脇にある部室に向けられて。ますます止められない自分に菊丸は軽く嫌気がさした。それでも。 自分を待たせているヒトは、今、何を話しているのだろう。 これから、何を話すつもりなんだろう。 ……彼は、自分に何を言いたいのだろう(なんとなく分かる気もする)。 「てゆーか、気付くの遅いよ」 自分はこんなに彼を待っている。伝えられたら、ラクだろうなあと、菊丸は思った。 彼といると、自分が特別だって思えるんだ。 |