>>>【対談】徹男の部屋

         

白柳徹男(以下T):今日は遊び人の広告プランナー、デコ・カフェ(以下D)さんにおいで頂きました 。

T:あなた、なんで趣味でサイトなんか作っていらっしゃるの?

D:だって仕事だったら、いやでしょ?お金貰っているから当然ですが、締め切りあるし、責任あるし。でも、力の入れ方は広告1ページ作るのと、サイト1ページ作るのと変わりませんよ。スポンサーの規制が無い分、サイトの方がいいけど。最近、糸井重里さんの気持ちがよく解ります(笑)

T:わたくしも、親善大使とか偽善いや、慈善でやってるからよく解りますわ!おっほほほ(笑)でも、あのダイアリーだかコラムだか存じ上げませんが、中途半端なヤツはどうやってお作りになってるの?

D:その日の思いつきです(笑)ダイアリーにすると毎日更新しなくちゃいけないでしょ?コラムだったら自分の思ってることタイムリーな話題に合わせられるから。ストックはないので気分次第です。サイト内のフォトはすべて自分が撮った物です。デジカメにはまってます。すでに、カメラは体の一部ですね!

T:ときどき書くショートストーリーは、いかがされてるの?

D:本は基本的にはノンフィクションしか読みませんから。あれも思いつきです。小説家じゃないから、アイデアが出たときだけ書きます。

T:おっほほほ、まぁお気楽でいらっしゃるのね!で、あの『COOL NIGHT』長編は?

D:あれは、ポール・ディビスというカントリーやってた人の曲から思いついたんです。81年の当時、全米トップ10にも入らなかった曲なんですが思い出深くて。その思い出というのが長くなりますが・・・

T :ここでいったんお知らせです。

(徹男さんがプロデューサーを呼びつける。「だから、素人は困るのよねー!まったく!」プロデューサーは僕にこれはフリートークという形を取ってるが、台本通りにやって貰わないと困るとのこと。徹男さんは台本以外のアドリブは利かない。とのことだった。僕はそういうものなのか?と思いながらも指示に従う)

T:お知らせで途中になってしまいましたが、先程の『COOL NIGHT』についてお聞かせ下さいますか?

D:あれだけは有言実行なんです。当初はインターネットで、こんな企画は面白いかなぁと。でも、やっぱり無理だなぁと判断して自分で書いてる次第です。でも連載は大変ですね。作家を職業にしなくて良かったなぁと思ってます(笑)

T:まぁ、それはあなた無謀を通り越して、頭がお弱いのねぇ!おっほほほほ(笑)それにしても、なんでカフェにしたのかしら?

D:フォーカスをわざとぼかしたんです。専門サイトやマニアックなサイトはたくさんあるけど、カフェやサロンだったら、色んな人が集まって、色んな話か出来るかと思いまして。しいて言えばコンセプトがないのがコンセプトです。でもカフェが今のような本格的なブームになったのはサイトを作った後からですよ。

T:あら、わたくしは、あなたミーハーそうだから、てっきりブームに便乗しようとしたのかと思いましたのよ。あなたのサイトにはカウンターは付いてないそうですけど。どうしてなのかしら?

D:何人見てるかは興味ありませんから。読みたい人だけ立ち読みすればいいと言うような感覚ですね。でも、BBSだけは、真剣にレスしてます。勿論ジョークを交えながらですが(笑)

T:あらっ!わたくしと同じ。わたくしもテレビ・リサーチとかニールセンとか未だに何のことだか解りませんのよ!おっほほほほ。それで、どんな方に発信されてるの?

D:老若男女すべてですね。若い人にも読んで欲しいから、大人の人には青いと思われてもしょうがないです。

T:ここが難しいと思うことはありますの?

D:言葉のニュアンスですね。例えばさんまが「おまえ、アホちがうか?」といって笑い取れるでしょ?あれは間の問題なんです。0.1秒ずれていたら、ジョークにならない。ネットは字面の問題だから、その辺のニュアンスを伝えるのが難しい!「あっ!そう」も強い理解なのか、聞き流しているのか?みたいな。その辺は皆さんの判断にお任せします(笑)

T:最後にこれからの抱負をお聞かせ下さい。

D:続けることしかないですね。それが精一杯です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あと、すみませんが自分の私生活のことも話したいんですけど。いいですか?

T:今日は時間なのでそれは次の機会にということで。

D:私生活のことも話したいんですけど!

T:(僕を無視するようなカメラ視線で)明日のゲストは石田純一さんといしだ壱成さんに正しい親子のあり方と教育論を熱く語っていただきます。
それでは、明日も徹男の部屋でお逢いしましょう。

D:ちょっとだけでも・・・。

エンディングテーマからCMへ。

台本にないことを言おうとした僕は、徹男さんの逆鱗に触れた。もちろん、またの機会などあるはずもなく【テレビ夕日】も出入り禁止になったのは言うまでもない。


 


 

 

 
 
 
 
                           

>>>平成13年『新宿考』(PART 1)

         

BIC CITYと言えば真っ先に浮かぶのが新宿だ!果たしてどこまでが新宿と呼ぶのか?僕の定義だと、東は四谷、南は代々木、西は中野坂上、北は大久保と位置づけている。
「新宿詳しくなくて」これは渋谷とテリトリーとする僕の常套句なのだ。今だから言えるが、新宿は夜遊びを一番した街だろう。銀座・赤坂・六本木など夜遊びゾーンは東京にはたくさんある。でも、『エキサイトな夜』と言う意味では新宿が他とはまったく違うのはご存じの方はご存じだろう。20代の頃の僕を知ってる人なら僕のイメージは間違いなく『夜の遊び人』と答えるはずだ。常連扱いされてる店も多かったが、今回は新宿に限って話そう。まず、僕が新宿の東の端と位置づけている四谷。ここは四谷荒木町という、時代から取り残された、しかし味のある歓楽街がある。青山でファッション雑誌の広告の撮影が終わり、クライアントとスタッフで打ち上げを『モルツ・スタジアム』という期間限定(バブル当時は企業の金あまりのせいだろう。やたら、こういう建物が多かった)でやっていたのだが、アパレル業界の人とお洒落な会話に疲れた僕は、青山で別れ、うちのスタッフだけを引き連れタクシーの運転手さんに「場末の飲み屋さんどこか知ってますか?」とまるで東京は初めてのような態度で行ったのが、四谷荒木町なのだ。確かに別世界だった。風流な昔ながらの歓楽街。僕もそれまで、四谷や四谷三丁目の消防署周辺には顔を出していた。しかし、一歩路地を入るとこんな世界があったなどと知らなかった。それから、会社のみんなを荒木町に連れていったり、僕も通うようになった。ある日、行きつけの一件の店で、お客さんのポラロイド写真をふと見ていたら、知ってる顔ばかり。なにやら、みんな荒木町フリークとなっていた。実はそのちょっと前に六本木での会社の飲み会を断ったんだが、前から六本木で遊ぶ約束があったためだった。しかし、あの街は狭い。何軒目かのオールディズ・ライブハウスでみんなに遭遇!「丹下さんは私達とは遊ばないのね」と、明らかに裏切り者と言う目で見られた直後だった。ちなみに、そのライブハウスも僕が開拓してみんなを連れていった店だった。
とここまで来てタイトルに偽り有りになってしまったが、新宿はそれほど奥が深い。次は、新宿御苑のお話を書こう。2丁目、3丁目、ゴールデン街、歌舞伎町、のんべい横町、新大久保異国タウンなどは今度の機会に書きます。アド街ック天国になってきた(笑)

ちなみに、新宿荒木町はあの天才アラーキも最近写真集を出したそうなので、そちらで風情をお楽しみ下さい。

台風も去り、余りにTVで新宿南口の様子ばかり流してたので、昨日(8/23)は家族で新宿へ!夏休みも無かったに等しいので、TAKASHIMAYAデパ地下などで買い物したり、東急ハンズでE-karaで遊んだり、ファミリー・ライフをエンジョイ!まるで夜の新宿など知りませんという顔で(笑)バージンメガストアで、ポールディビスの『COOL NIGHT』をGET! 当然CD化されないものだと思ってたので AOR Light MellowというBMGレーベルのオムニバス版だったが、一曲のために\2,548も出すほど思い出深い。何故かというと・・・字数の制限があるので今日はここまで(笑)

 
 
 
 
 
 
 
 
       

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