■ 第一章  夏のはじまり ■


暑い午後だった。

体力だけには自信がある僕は、フレンチレストランの食材を運ぶバイトを、夏の間だけしていた。
大学4年だというのに、来春の卒業見込みはない。すでに、もう一年大学に籍を置くことが決まった僕は、せめて、学費だけでも稼ごうと、このバイトを始めたのだが、正直、きつかった。東京でも有名なフランスレストランだったので、軽く見ていた、僕の明らかな誤算だった。
「ワインなど酒類」「冷凍食品」「輸入品のビッグサイズの缶詰」など、どれもが重い物を倉庫から店の厨房の裏口まで、ひたすら運ぶ。
7月だというのに例年にない暑さだ。屋外の仕事なので、冷凍物の食材をは抱えた時の、手にヒヤリとした感触だけが、唯一の救いになる。汗が体中から流れた。冷凍食材が入った段ボールが見る見るまだら模様になった。気分はリフト車だ!あまりの暑さに意識ももうろうとしている。同じ年頃の学生が遊んでいるのを横目で見ながら、僕には余計なことを考える余裕もなかった。

そんな時、「君!そこの君!」不意に声を掛けられた。
(誰だ?)振り向くとがっしりした体格の男が腕組みして立っていた。男の風貌は髪型はポーマードで整えられているが、無精ひげを生やし、彫りの深い顔立ちをしていた。丸メガネ越しに鋭い眼光が光っていた。
「暑い中、毎日大変そうだね?」ニャリと顔に似合わない表情で聞いてくる。
(ホモかこいつは?)と思いながらも「仕事ですから」と笑って返した。
「もっと、割のいいバイトがあるんだけど。やってみないか?」
(やっぱりホモだな!)と思い、すかさず「いやあ!この仕事気に入ってるし。僕には似合いですから」と、わざと、忙しい事をアピールするため段ボールの数を数えるふりをする。
ほんとはこんなバイト気に入ってるはずもない。店は有名でいつも雑誌などに取り上げられているが、所詮、学生バイトの身。安い時給でコキ使われ、おまけに、店の連中はプライドだけは高い。人間扱いされたことなど、今まで一度だってなかった。
「まぁ、その気になったら、ここに電話してくれ」と男は僕に<原宿パラダイス・ダイナー>と書かれたマッチを渡した。マッチにはピンクのフラミンゴとペパーミント・グリーンのヤシが、フィフテーズタッチの二色刷で描かれていた。
(同業か!どうせ同じような仕事やらせる気だな!)と思ったが、暑すぎるせいもあり、リゾートを思わせるそのマッチに、なぜか興味をそそられた。「電話するかどうか解りませんが、マッチが気に入ったので貰っておきます」
同じ、食材運びならこっちの方がいいかなぁ?と内心思った。
「一度、遊びに来てごらん。たぶん気に入るよ」男は渋い顔をくずして、微笑みながら言った。
「なんなら、夕飯でも出すから。飯でも喰いながら話そう。あっ!俺がオーナーだから遠慮はいらないよ」とまたニヤリ。
相手の身元が判れば、そんなに警戒する必要もないか!それにしても笑顔が似合わない男だ!
とりあえず、タダ飯でもご馳走になるか。断るのはその後でもいいし。
「じゃ、近いうちに行きますよ」と、わざとめんどくさいなぁ!という表情で答えた。
「ああ。待ってるよ」と言い男は陽炎の街に消えていった。

僕は、その日もチーフ・コックに怒られた。「おまえが、のんびりしているから食材が溶けていたぞ!」
(うっるせえんだよ!)と思いながらも「スミマセン」と頭を下げた。
大体、この暑い日に溶けない冷凍物なんかあるもんか!こんな立派な店構えで冷凍物なんか出しやがって!この詐欺師!!

帰りがてら、近くの公衆電話からさっきのマッチを見ながら電話をした。
若い女の声で「はい!パラダイス・ダイナーです」
「先程、バイトをしないかとマッチを貰ったものですが!」
「話は、オーナーから聞いています。今日はこちらに来られますか?」
それまで、半信半疑だった僕は、その女の子の対応でなぜか安心した。腹も減ったし、場所も近そうだし、
「大丈夫です」と言い、店の場所を教えて貰う。僕は店に向かった。

近くに騒然とした通りがあるとは思えないほど、閑静な場所にその店はあった。マッチ箱そのままの、こじんまりとした外観もCOOLな感じだ。
ペパーミント・グリーンとフラミンゴ・ピンクのタイルのマイアミデコ風の店の中に入ると、南国リゾートを思わせる、雰囲気が漂う。天井にはファンが静かに廻り、ビーチ・ボーイズのサーファー・ガールがレトロなジューク・ボックスから流れる。アレカヤシの隙間から、バドワイザーのネオン・サインが、チカチカと薄暗い店の中で点滅している。
客は、一人もいなかった。
黒のバーテンダーの格好をした、スレンダーな女の子が、グラスを丹念に磨きながら、僕のほうを振り向き
「あっ!大野さんですね。オーナーがお待ちしていました。今、呼んできますので」というと、プライベートという真鍮のプレートが貼ってあるドアに消えた。(客だったらどうするんだ!こんな店でちゃんと金払ってくれるんだろうな?)などと、単純に思った僕は、次の瞬間(なんで、僕の名前知ってるの?さっきの電話では名乗らなかったはずだし、第一あの男にだって名前は言ったはずないのに)首を傾げたくなる雰囲気の中、あの男が現れた。

「よう!よく来たな!」
(人のこと呼んだ人間の聞く口か?馴れ馴れしい男だ!)男は続ける。
「悪いが、君のことは色々調べさせて貰ったよ。そこに座って話をしよう。大野誠くん!」
(なんなんだ!この男は!)と驚きながらも、勧められた席に着く。
男は手にしたファイルを机の上に置いた。あごで、僕にファィルをめくるように促す。
ファイルをめくると僕の写真が!しかも、どっかの面接で出した履歴書や成績表のコピー。高校時代に優勝したサーフィン大会の雑誌の切り抜きまである。
「どういう事ですか?」僕は本能的に出口のドアをチラッと確認しながら聞いた。
「バイトをやって欲しいんだ。金は君が一生楽して暮らせる位は渡せる。保証するよ。」
間違いなくヤバイ話だ!逃げるにもこちらの身元は握られている。いつものケンカの要領で行こう。ナメられたらおしまいだ。
「それで、何をすれば?そんな大金貰えるんですか?殺しですか?」男の目を見据えて僕は聞いた。
「あせるな!ワカゾー。」
男はただでさえ、鋭い眼光を一段と光らせ、野獣のような目で僕を睨んだ。(役者の格が違う!本物の悪だ!)
男は、机の上に置いてあるシガーの木箱をおもむろに開けると
「吸うか?キューバ産の極上ものだ!君の3日分のギャラだ。30分で灰になる。」といいながら、おもむろにシガー用のカッターで、先端を切り、シガー独得の長いマッチで火をつけた。
「なんなら、年代物のドンペリも開けるか?あれは、君の半月分ぐらいのギャラになるかなぁ?」 男はそう言うと静かに笑った。
(悔しいが、この男の言うとおりだ)ほんとはシガーも吸ってみたいのだが、それでOKと思われるのも困る。
「 いや、遠慮します」と僕は、くしゃくしゃになった、キャメルを自分のGパンから取り出しさっきのマッチで火をつけた。(これが、僕流のNOの合図だよ!オッサン!!)
「じゃ、これならどうだ。」シガーの木箱から重厚そうな光るものを取り出した。机の上にゴンと置く。
(チャカだ!!ヤバイ!!)
「ワルサーPPKだ。こんなに小さくても精度はいいぞ!良くできたチャカだ。触ってみるか?それとも俺が試し撃ちしてやろうか?」
男は口元だけで笑い、目は鋭いままだ! 僕は固まった。触りたくもないし、試し撃ちもごめんだ!
しばし、沈黙が続いた。いや、ほんとは一瞬だったのかも知れない。僕にはとても長い時間に感じられた。
男はチャカをおもむろに手に取るとニヤッと笑った。(殺されるのか!)と思った時、銃口をダーツの的に向けた。
次の瞬間『バーン!』と大きな音が店に反響する。
男は似合わない笑顔を、僕に向け「安心しろ、空砲だ。」続けて僕に言う
「これが、今回の仕事の道具だ。」
バーテンダーの女の子は何事もなかったかのように、グラスを磨き続けていた。

あの、夏のストーリーはここから始まった。1980年の暑い夏。

 

                        

 
 
 
 
 

 

           

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