>>> 思い出の夏 summer in '78

         

どうしても忘れられない、夏がある。
僕が初めて働いて、お金をもらったのが高校一年の夏休み。マクドナルド原宿竹下通り店でだ!今から23年も前の話になる。当時の時給は310円。なぜ、今でもそんなこと覚えているかというと、買いたい目的がはっきりしていたからだろう。フェンダーのギターとアンプ。当時の価格で三十万ちょっと。つまり、1,000時間働けば買える計算だった。今と違って高校生がバイトできる場所は少なかった。【高校生不可】と言うのがほとんどであったが、あそこは高校生も歓迎された(さすが、藤田田。人を使うのにもたけていた。その当時でも極めて低賃金だった事もはっきり覚えている)うちの高校は私立だったのでアルバイトは許可されなかったが、校則など形だけで、僕のバイト先にも同級生が3人いた。当時のマクドナルドは今では考えられないが、花形バイトで、特に女の子はまぁ、安心と言うのもあるのだろうが、バイト競争率も高かった。とにかく夏休みはいつでも入れるという事をアピールし、店の中でも最年少(早生まれなので)で、夏のバイト生活が始まった。仕事は正直、きつかった。朝5時には店に入り火入れと言ってフライヤーなどすべてに火を入れる。その後シェイカー・マシンの組み立てをする。100以上ある部品をマニュアル通りに組み立てる。その頃は、覚えも早かったのだろう。すぐ覚えて誉められた記憶がある。今から覚えろと言われたらお手上げだろうが、今でも少し時間を貰えれば組み立てられる自信がある。それだけあの頃の頭の吸収力と記憶力は良かったのである。そして、営業時間中は裏方の仕事。同じくらいの高校生の女の子が笑顔で接客してる時(まぁ、それはそれで大変なのだが)僕は店からだいぶ離れたバック・ルームというところから、食材を運ぶ。ハンパな量じゃない。一日中何往復もして、仕事内容は建設作業員がセメントを運ぶのと変わらない(あとから知ったのだが、時給も建設現場の方がずっといいらしかった)まぁ、場所柄周りは夏休みで遊んでる学生だらけ。それを横目で見ながら、羨ましいとは思わなかった。楽器を買う目的があったのと、ぶらぶら遊ぶより、ノリが、学校の部活みたいなところでおもしろかった。男女を問わず友達も大勢出来た。学校こそ違うが同じ職場と言うことで一種の連帯感が生まれた。隣の芝生は青く見えるではないが、女子校の子などと話してると、違う世界の高校生という感じがして新鮮だった(ちなみにうちは共学だ!それも女子比率が低い中途半端な学校だった)そして、最年少と言うこともあり、大学生のお兄さん・お姉さんに未知の世界に連れていって貰った。まだ、伝説のセントラルアパートが健在の時で、そこのパティオになってるカフェで初めてキャシュ・オン・デリバリーなどという支払い方も知ったし、レオンも毎日のように通った。夜のお誘いも断らない律儀な好青年?だったので、当時のあの辺の店はほとんど制覇した。毎日がお祭りのような日々だった!そんなとき、「いらっしゃいませ!ポテトもご一緒にいかがですか?」と笑顔を振りまく、3つ年上の綺麗な短大生と出逢う。僕が16の夏の出来事だ!思い出の夏のストーリーはここから始まった。(これ以上聞きたい人は本人に直接問い合わせて下さい 笑)

今日(8月1日)も東京は猛暑。こんな暑いにはなぜかあの年の出来事が蘇る。甘く切ないあの年が。それほど多感だった思春期の出来事は強烈なのだろう。暑さのあまり、たまたま入った代官山の<One's Diner>でクリーム・ソーダを飲んだ。気分は23年前のあの頃に戻った。

■上の絵は映画『アメリカン・グラフィティ』に出てくる<Mel's Drive-in>今日行った代官山の店がイメージぴったり。映画もルーカス監督コッポラ製作の傑作だ!一夏の高校生の物語。まだ見ていない方には超オススメの作品。そして、たぶんその時の履歴書で使われたと思われるスピード写真。こんな時もあったんだ!若い!というか青いぜ!

 

 
 
 
 
 
 

 

   

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