こんばんは!!パンチョスたんげです。一段と寒くなってきましたね!
今日は皆さんまたかー!と思う古いネタになってしまいました。
今では真面目な人間を絵に描いたような僕ですが、実は遊んでいた時期もあったんですよ!皆さんは信じられないでしょうが!今日のお話は意外なところから当時を思い出してしまったという話です。
ほんとに今では真面目な人間を絵に描いたような僕ですが!
(しつこい?異論のある方はメールでのみ受け付けます 笑)

最近のノアとの会話で僕が『この間、DISCO FIVER2買ったんだけどサー!僕が学生の時、BEST TAPEを作ったのと曲順は違うけど 、ほとんど同じ曲が入っててね。つい嬉しくて!』『ああ、懐メロね。お得意の』とノアに〈またかよ、こいつは青春引きずりやがって〉と言う表情をされた。確かに音に関してはノアとは7年の開きがあるので、しょうがない。この7年というのはすごいジェネレーションギャップなのだ。こと音に関しては。まぁ、僕が大学生の頃、彼女は小学生だったわけで、考えてみると当然なのだが。『でも、不思議なんだよね!あの頃も 一部の世界でしか流行ってなかった曲ばっかりなんだよ』『あーあ、おぢさんはいやだ。忘れてるのよ。単純に。私の誕生日とか結婚記念日とか言える?』『あっ!仕事しなくちゃ!』などという、どこにでもある一般夫婦の会話(ほんとかー)が交わされていた。

 
80年代の街はこんな感じだったかなぁー?イメージ的には!カフェバーとディスコ(共に死語)がいっぱいありました!
そこでライナーノートなどをパラパラっとめくると【パパイヤ鈴木のディスコライフ】なるものを発見!以下一部引用文『時は1982年、学校が終わってからディスコに行くのはすでに僕の日課になっていた。月曜日から土曜日まで週6日、もう無意識に通っていた、それほど好きだったディスコ、それが渋谷のキャンディーキャンディーだ。』と当時渋谷にあったキャンディーキャンディーの話が延々と続くのだが、何?1982年?キャンディーキャンディー?・・・・実は僕も毎日顔を出していたのだ!
当時、僕は大学四年でキャンディーキャンディーの近くの日焼けサロンでバイトをしていた。僕はバイトと言いながらも店長などをやってたので、今だから言えるが友達はタダで焼かせてやっていた。キャンディーキャンディーのDJとは友達だった。そんな関係でキャンディーキャンディーはフリーパスで入れたのだ。まだ、フリードリンク・フリーフードの時代だったので飯を食ったり酒を飲んだりetc...と青春の一ページを送ってた場所なのだ!
そして、全作はヒットチャート上位になった曲が中心だが、今回のDISCO FEVER2はディスコの空間で実際にかかりまくった曲が中心となっているとの事。
そして、監修は当時のキャンディーキャンディーのDJ。
謎が解けた!僕が学生時代に作ったBEST TAPEはキャンディーキャンディーのDJに作ってもらったものなのだ!
しかも、踊れるために全曲つないでもらった特別なヤツだ!
しかし、あの空間にパパイヤ鈴木君がいたと思うと僕もおやぢになったものだ。しかも僕の方が彼より年上なのであった!4つぐらい!
当然、その頃の僕は、渋谷のキャンディーキャンディーで満足するはずもなく、DJや女の子達と毎晩六本木に繰り出していた。
店を出る頃は朝日が眩しかったのを昨日のように覚えているのであった。

 

 

 

  

と『DISCO FEVER2』があまりに懐かしすぎる為、コラムにあげてしまったのでした。
今では真面目な人間を絵に描いたような僕ですが、
そんな時代もあったのだと!と言うことで次の更新までSEE YOU!!

(注:本文中の赤文字の部分はちょっと疑惑が含まれています。あしからず!)

 

>>>DISCO復活委員会はパパイヤ鈴木君をCLIKしてねー!おもわず腰がうごいちゃう!!
       

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