サターン、それは人類を始めて月に送ったアポロのロケット

小さい頃TVで見た月面探索車。


心臓部にあたるインストラメントユニットは、今では、PC一個のサイズに収まるとか。

ロケットブースターは5個。これが28,000トンの巨体を宇宙へと持ち上げる。

100メートルを超えるサターンX型ロケット
サターンのロゴがNASAのそれに似ている事にお気づきの方も多いだろう。 いかにも、サターンの名前は、人間を初めて月に送ったアポロ11号のロケット、「Saturn V」に由来するものだ。 GMの時の会長ロジャー・スミスは、1983年に全く新しい小型車を開発計画を発表する際、このプロジェクトにアメリカ人の夢とチャレンジの象徴である「アポロ」のロケットの名前を与えた。 発表当時、車だけでなく、工場やブランド、販売ネットワークまですべてをゼロから作るところまで構想があったとは思われないが、サターンプロジェクトは、その名前に相応しい規模を持ち、人間の意志とチャレンジ精神を掻き立てて進展していったわけだから、この命名は慧眼だったといえよう。 80年代を通じて指揮をとったスミス会長時代、GMはマーケットシェアを10%近く落とし、ハイテクを駆使した超自動化工場「ハムトラミック」は挫折した。 このハムトラミック工場の失敗やEDSやヒューズといった多角化経営の行き詰まりなど、流星のように登場したこの経営者の時代にGMはあまりいいところがなかったが、サターンを徹頭徹尾、社内外からの批判から保護し、GMの別会社として独立を守ったことは、スミスの最大の功績であったろう。 事実、90年7月のサターンの第1号車は、スミスがハンドルを握りラインオフし、これを花道に彼は引退している。

ケネディー大統領が1960年代初め、「Send first man to the moon within this decade」と宣言した時、まだ有人で地球軌道の飛行も達成していなかったアメリカにとって、それは如何にも大胆な計画に思えたことだろう。 有人宇宙飛行で、当時のソ連に先をこされたアメリカは、その後、マーキュリー計画、ジェミニ計画と矢継ぎ早に有人宇宙船による地球軌道の周回計画を実行した。
しかし、月への到達を目指したアポロ計画は、多難なスタートとなった。 最初の「アポロ1号」は、カウントダウン演習中に指令船内で火災が発生、乗組員3人が焼死するという悲劇的ものとなった。 その後、アメリカは、アポロ8号で月の周回を達成、1969年7月、Neil Armstrong, Michael Collins, Buzz Aldrinが初めて月面着陸に成功した。 まだ小学生だった私も、全世界に中継された月面への第一歩をテレビで見たことを記憶している。



NASA宇宙ロケットセンター(アラバマ州ハンツビル
サターンの工場から、I65を南に2時間ほど下がり、
アラバマ州内を東に行ったHuntsvilleにかつて
NASAの宇宙開発が行われていたUS Space& Rocket Centerがある。 ここには第二次大戦後のアメリカのロケット開発のUS最大の展示がある。戦争中、ドイツがイギリスに発射した「V-1」ロケットから、マーキュリー計画やジェミニ計画で使用されたレッドストーンやタイタンロケット、最近のスペースシャトルやスティルスまで、広大なパーク内に展示されている。
私は、ここで初めてサターンVロケットの実物を見た。 全長108メートル、推進力760万パウンド、総重量2万8千トンを超えるこの3段式ロケットは巨大である。 その直前まで開発されていた、レッドストーンやマーキュリーロケットと較べると、あたかも肥大化していった恐竜を思わせるほどだ。 

室内の展示には、日本にも70年の大阪万博の時に、長蛇の行列が出来た月の石や月面探索車があり懐かしいが、驚いたのはSaturn Vロケットのインストラメントユニット(コンピュータの集積回路)の巨大さだ。 この直径6メートルもあるリング状の装置がサターンの胴体に巻きつけてあったのだ。 解説ボートによると、今日ではこれがデスクトップコンピューター1台にはいってしまうそうだ。  その他、このスペースセンターには、スペースシャトルの現物(テスト機)があったり、アポロのローンチの模様や衛星から撮影した地球の映像を大パノラマ画面の迫力で見ることができるシアターがある。 テネシーにサターンを尋ねたら、ちょっと足を伸ばしてみたいところだ。

(US Space& Rocket Centerのロケットパーク)


サターンとアポロの関係は、今も切れてはいない。 1999年のBusiness conference(全米リテーラー会議)では、奇跡の生還を遂げたアポロ13号の船長だったJim Lovelと、NASAのフライトディレクターとして、このミッションの指揮をとった、Gene Granzがゲストスピーカーとして登場した。
ちょうどこの頃、アメリカでは7年以上好景気が続き、「New Economy」の神話の下、市場では大型のトラックやSUVが売れに売れ、小型車しか持たないサターンの販売が低迷していた時期であった。 トム・ハンクス主演の「アポロ13号」の映画は日本でもヒットしたので見た人も多いと思うが、発射後2日経過し月に向かう途中で、酸素タンクが爆発し、3つの燃料電池のうち2つを失い、電力と酸素の不足で、月面着陸どころか地球に帰還することさえ絶望的かと思われた。 このフライトミッションを奇跡的に生還させたドラマの主役二人が、最後まで諦めない強い意志と精神の象徴であることは言うまでもない。 サターンの精神の原点を想起することで、リテーラーの志気を高め、困難に立ち向かって行こうとする意欲を鼓舞する意図であった。 この会議では、フィラデルフィアで行われたが、それは4ヶ月後に発売を控えたLシリーズを生産する工場が近くにあるためで、工場のワーカーが200人以上が会場になだれ込み、自らの口でリテーラーにLシリーズを説明し、「生産はまかせておけ、販売は頼むよ」と激励しあったのである。 こんようにしてサターンは、工場から販売店まで、ひとつの気持ちでつながっている。 こんな粋な計らいができる会社を私は他に知らない。

 
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「アポロ13号」(J.ラベル/J.クルーガ−著、河合裕訳。新潮文庫)
Paperback "Apollo 13, (previously titled: Lost Moon, The Perilious Voyage of Apollo 13" (Simon & Shuster Inc. 1994)
著者の一人、ジム・ラベルは、ジェミニでの地球周回2週間、アポロ8号で初の月軌道周回を達成したベテラン宇宙飛行士だから、宇宙船とヒューストンのやり取りは詳細かつ迫力に富む。 飛行誘導、電気、環境、通信など宇宙船の飛行を支える数多くの部門が、フライトディレクター(Gene Cranz)の下で、チームワークと統率力を持って、地球帰還のための多くの困難を克服していく過程が詳細に描かれている。本書は、60年代のアメリカ宇宙開発の知識を得る上でも役に立つ。 
 


映画は、ドラマ性を高めるために一部脚色されているが、迫力があって感動的だ。(ユニバーサル映画。1995年。 監督 ロン・ハワード 主演 トム・ハンクス他)


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