| 穂高連峰登山記(その2) | |
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7月28日(水) 朝4時過ぎるとご来光を拝もうと起き出す人の音がし始める。 私も4時半前には起きだして、外に出て東の空を眺めた。 日の出は、4:44だそうだが、東の空の水平線上のやや厚めに棚引く雲のためか、なかなかオレンジ色の曙光にならない。 再び北穂の頂上に上がり、次第に明るくなる奥穂の岩肌を何度も写真に撮った。 やがて完全に日が顔を出すと、曙の淡い光が昼間の光線に置き換えられていく。 それを見届けて小屋に戻ると朝食の用意ができていた。 朝食は、目玉焼きにソーセージ、ご飯と味噌汁にもう一品。 こちらも中々に美味しい。 水にも苦労する3000Mの小屋でこれだけ質の良い食事ができるのは驚きだ。 スタッフの志を感じる。 |
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食事を終えて間もなく三々五々宿泊者は出発し始めた。 私も新たな元気が湧いてきて涸沢岳から奥穂への縦走路に挑むことにする。 ゆっくり行けばなんとかなるだろうと考える。 南稜から涸沢に下りる道と「オクホ」と岩に白ペンキで書いた分岐に出る。 マイペースで縦走路を進みはじめると、例の一人旅の山なれた女性が足取りも軽やかに挨拶をして、あっという間に抜いていった。 その身の軽さはまるでカモシカのようだ。 道は滝谷側に回り、ドームや第一尾根と呼ばれる部分を巻いて続く。 岩に記された「〇」マークを追いながら、足元を見極め、素手で岩をつかみながら慎重に進んだ。 所々、滝谷への傾斜が急なところに出ると下を見ると足がすくみそうなので、とにかく目前の岩をだけ見て、登り下りを繰り返す。 途中、九州からの3人組に合流した。 この三人は、昨日槍から午後大キレットを縦走してきた兵だ。 一人だけ、50代中盤のベテラン風で、あとの2人はまだ20代の元気そうな若者だ。涸沢槍から涸沢岳、穂高小屋までこの3人の最後尾で同一パーティーとして行動した。 特に涸沢から見上げて矢尻のように切り立った涸沢槍の核心部は、長い鎖場と鉄杭で足場が打たれた急斜面の登りとなった。 これを逆ルートで下る方がはるかに恐怖をともなうだろうと感じられる。 それでも、それほどの困難もなくこの難所を通過し、涸沢岳頂上に至り、眼前に奥穂とそれに西に連なるロバの耳、ジャンダルムの岩稜を臨んだ。 あとは一気に眼下の穂高山荘に下りた。 |
| 穂高山荘は、歴史は古いが施設は新しくきれいであった。 規模も大きく北穂小屋のようなアットホームの雰囲気はなさそうであった。 涸沢から登山者がまず第一に目指すのは、奥穂だしその手前でこの穂高山荘に立ち寄るから必然的に賑やかになるのは当然のことだ。 穂高山荘で2個だけ残っていたという弁当の一つを昼食用に仕入れ、8時半すぎに奥穂登頂にかかる。 小屋のすぐ南からいきなり急な岩壁と鎖があってややびっくりした。 そのすぐ上では、岐阜県や愛知県からに就学旅行生と思しき、男子グループ、女子グループに出合った。 |
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| 約30分の登攀を経て、9時には奥穂山頂に至る。 3190m、本邦第三位の頂上からは岳沢から上高地のホテル赤屋根までクッキリ見えた。 南には、焼岳、その向うに乗鞍、御岳も見える。 東は富士や南アルプスも遠望され、西にはジャンダルムご聳える。 頂上で、ニュージーランドから来たという女学生風の人と友人で日本(三重県)に住むという外国人女性。そして2人のガイドの女性とおしゃべりをした。 9時20分、頂上のケルンの最高部にある穂田神社のミ二社に一瞥をくれたあと、東に聳える前穂への吊尾根の縦走にかかる。 先行したNZの学生の3人組みを長い鎖場の下りの手前で抜いたが、あの足取りで本日中に上高地まで下山できるのかと他人事ながら不安を覚えた。 鎖の下降を手助けすべきか迷ったが、結局下で見守ることしかできそうにないし、こちらも今日の歩く予定があるので、どしどし一人で尾根を下る。 誰も追っかけて来ないと思って、一休みしていると異様なハイペースで近づいてくるクライマーが一人。 見る間に近づき道を譲ると、こちらがペースを少し上げてもあっという間に引き離された。 短ズボンの下には黒く日焼けした逞しい足が覘き羨望を覚える。 山で鍛え上げたベテランであろう。 |
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前穂へのつり尾根の南側の斜面を段々下るが、中々難しいところもあり一筋縄ではない。 しかし、10:20分、紀美子平に到着。 歩いてきた方向を振り返ると奥穂、それに連なるジャンダルムから西穂高へのピークが聳え立つ。 ここから前穂頂上までは登り30分と地図にあり、まだ昼までにも大分あるので、前穂を目指すことにする。 登り始めると、これが岩場を直登する感じで、4本の手足を駆使しがんがん上るのだが、頂上はなかなか見えて来ない。 紀美子平の人影はどんどん小さくなる。 25分かけてようやく頂上に至る。 たっぷり300mは登っただろうか。 前穂の頂上は広くあちこちにケルンが積まれている。 眺めは圧倒的だった。 目下には、「氷壁」の舞台にもなった東壁が眞逆さまに落ちる。その向うはいわゆる北稜の2−6までのピークが連なりその向うに屏風の頭が見える。 その右には横尾の山荘も見える。 北には、涸沢を挟んで北穂から槍への稜線。 さらに西を向くと奥穂が圧倒的なマッスで聳え立つ。 誰もいない静かな山頂で感動にひたっていると、例の九州の三人組のうち、年配の人が一人「追い付きましたね。」と姿を見せた。 私は3人より一足先に穂高山荘を発ったのだが、若い2人は奥穂からジャンダルムに向い、それから取って返して追いかけてくる予定だという。 毎年、夏に槍、穂高に来るというこの人は柳川からきたという事しか知らないが、今回は天気が素晴らしいと感嘆されていた。 写真を取り合って一緒に紀美子平まで下りると12時前になっていた。 穂高山荘で仕入れた何とか寿司弁当を食べて、この柳川の翁と一緒に岳沢に向けて下りだす。 いきなり鎖場の下りを過ぎ、照り付ける太陽のもと、風もあまりなく一気に汗が噴出してくる。 水を補給するため立ち止まっていると柳川翁が軽い足取りで、先にくだり始めた。やはりベテランで体力があるのであろう、付いていくつもりがどんどん離される。 下りが不得手な自分はストックを使いながらゆるゆると下るためか直に翁は見えなくなってしまった。 この「重太郎新道」は、傾斜が急で足場もあまりよくない。 うっかり浮石を落とした時など、50m以上草むらをどんどん転がって、下の登山道まで落っこちた時にはヒヤリとした。 |
![]() 乗鞍、御岳を望む |
この調子だと一気に眼下に見える上高地まで下れそうかと思っていたが、暑さと坂でどうやら脚にきた。ペースは衰え鳳凰山のドンドコ沢の下りの二の舞になってきた。 真上から太陽がTシャツから覘いた上腕部と首筋を真っ赤に日焼けさせ、じりじりと痛む。 標高2200mにある岳沢ヒュッテの屋根は見えるのだが中々近づかない。 脚はいよいよ動かなくなり、疲れのために集中力も落ちて、浮石を踏んだりよろける回数が増えてくる。 例のNZの3人組は、私より先に紀美子平を出発していたが、途中でへばり切っている3人を追い越した。 やっとの思いで岳沢ヒュッテに着く(14時10分)。 今日中に上高地から松本まで出て泊まるといっていた柳川翁の姿はもう見えない。 既に上高地に向け発ってしまった様だ。 ここから上高地まで2時間、700mの標高差がある。 30分休憩して下りるかどうか迷ったが、今日はここに泊まることとした。 このシーズン上高地のホテルが空いている保証はないし、もう一歩も歩きたくなかった。 |
| 小屋に宿泊の申し込みをして(一泊二食付き 9000円弱)、前穂という部屋に案内されるが、これが6人部屋らしいがゆったり広い。 風呂やシャワーはないが、階下の洗面所の冷水で全身を冷たいタオルで拭くと思った以上にすっきりした。 そのまま部屋の布団に横になると、乾したばかりなのかぽかぽかととても気持ちがいい。 夕食時間までそのまま横になって休息した。 ここは涼しいし、これ以上下らなくて正解だった。 夕食は以外と量も少なく、味噌汁のお代わりもできなくて北穂の内容に比べるべくもなかった。 今日一日約8時間の縦走で、穂高の3000m座を4峰制覇した満足感が次第に高まってきた。 生ビール(800円)で一人祝福する。 食卓のとなりのおじさんも八王子から一人で来たらしいが、穂高は8年ぶりだという。 炊事道具やボンベやら雨具でザックが12キロ近くあるのを気にしていたが、明日は私が下りてきた重太郎新道を登り、穂高小荘かできれば北穂小屋まで行って泊まりたいという。 北穂小屋には前回も泊まったらしいが、食堂がきれいで是非また泊まりたいとのことだった。 |
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| 山では、このように、ただどこから来てどこを登って、どの小屋がどうだったという話だけで、名前も職業も年齢も聞かず、二度と出会わないかもしれない人達と気軽に話すことがあることを知った。例の九州の三人組やカモシカのように身軽な一人旅の女性にまた会うことがあるのだろうか。 夜は、8時ごろには眠りについた。 左脚の裏の筋がジンジンしたが、連日の疲れと快適な布団のせいかはじめてぐっすり眠れた。 翌朝は、5時半ごろのんびりと朝食ととり、大半の人が登りに出発するのを尻目に、6時ごろゆっくりと上高地に向けて下山を開始した。 今日は、あいにく穂高のてっぺんは朝から雲がかかっている。 昨日、一昨日のような快晴ではないようだ。 脚にまだかなり疲労が残っているが、次第にペースが出てきた。 ちょうど半分くらい下りたところで、突然冷気を感じるとガイドブックにも「天然クーラー」とあった場所で、岩の間から心地よい冷気が漏れ出しているところであった。 道はもう樹林帯に入っており、7時40分頃、登山道入り口まで下りてきた。 ここから河童橋までは10分足らず。 明神池方面には、自然探勝路が延びている。 梓側に流れ込む支流の流れが棲みかえって誠に清涼だ。 これより上の山小屋では石鹸や汚物は流していないからこの美しさが保たれているのであろう。 上高地周辺の散策だけでも結構楽しめるはずだ。 上高地の郵便局から、北穂小屋で書いた数枚の絵葉書を出して、9時10分の新島々行きバスに乗る。新島々に着くと横尾以来始めて自宅に電話した。 途中、北穂小屋でも岳沢でもなんとか携帯は通じたようだか、メールで無事を伝えるにとどめた。 頂上から友人や家族に電話している人も見かけたが、なんとなく興ざめだ。 3日間、穂高の自然とのみ向き合った充実した時間が今終わろうとしているが、既に次に戻ってくるときのルートを考えている。 次回は、槍が岳から大キレットの縦走を是非成し遂げたい。 そしてもちろんまた北穂小屋に泊まる。 天をつく槍ガ岳は、北アルプスのどこを歩いていても「あっ、槍が見える」という風に登山者にとって灯台のような存在だ。 今回、初めて一人で連泊の山行を行い、その最初の場所に穂高を選んで本当に良かった。 稀に見る好天に恵まれたこともあって、山の魅力にこれで完全にはまってしまった。 もう若くはないにしても、もう少し体力をつけて、表銀座や裏銀座など日本アルプスの山々を走破する期待が今から胸にあふれてくる。 帰宅してみると、出発前にアマゾンマーケットプレイスに注文していた小山義明氏の「穂高を愛して20年」の文庫本が届いていた。 なんでも出発した月曜に到着していたようだ。 本当は北穂に持っていくつもりだったが、それも必要はなかったと思う。 私を穂高に連れて行ったのは、まさしくこの本である。 今、読み返して穂高と絵画と音楽を愛した小山さんという人が北穂小屋を建てて、多くの人に滝谷や大キレットの朝夕の景観を見る喜びを与ええたことを本当に素晴らしいと思う。 穂高と北穂小屋は私のとっても切っても切れない、自分の穂高再訪の絆として深く胸に刻まれている。(了) (了) |