穂高連峰登山記(2004.7.26-29)

- 3100mを超える高所にある「北穂小屋」を訪れた。 そして初めての穂高登山で、前穂、奥穂、涸沢岳、北穂の穂高の4ピークを縦走した。 その急峻な岩稜と壮大な北アププスの展望は忘れがたいものであった-

穂高岳、それは少しでも山登りの楽しさを味わった私にとって、あこがれであり, また容易に近づき難いイメージを持っていた。 いつかは登ってみたい、しかし自分のような初心者にはまだ到底無理。そう思っていた。 上高地にも足を踏み入れたことのなかった身にとって、最初の3000m峰として穂高を選ぶことは無謀な気がしないでもなかった。 しかし、充分な時間がある今こそ、この日本アルプスの核心部に自分なりのチャレンジをしてみたい、そう思い3泊4日の穂高登山を試みた。 結果は、晴天にも恵まれ、すばらしく充実した穂高登山となった。
7月26日(月)

朝、6時50分に長津田駅から横浜線で八王子に向かう。 今日は曇りのせいか風が心地よい。 一時小雨がホームに舞う。 買ったばかりの赤いMilletの30Lザックは思ったほか軽く感じる。 八王子まで約30分。 駅では、同じようにザックをかるった人をちらほらみかける。 7時26分、松本行き「スーパーあずさ」に乗り込む。 これから松本まで2時間の道中だ。  大月、甲府と停車していくが停車時間はいずれも30秒から長くても1分。 生憎の雲で、八ヶ岳や南アルプスは見えない。 

9時35分、松本着。 ホームを変えて7番線から10時7分に新島々行きの松本電鉄の電車が出る。 ホームで蕎麦で腹ごしらえをする。 やがて電車がきたが、2両で広島の路面電車のようなものだ。 車内にはザックを抱えた壮年以上の団体やカップルが多い。 若い人は(自分はまだ若い方に分類しているのだか)、ほとんど見えない。 約30分で新島々に到着。そこから、上高地行きのバスにすぐ乗り換える。 このバスがくねくね道を走り、自家用車のドロップポイントである沢渡を過ぎ、釜トンネルを通過して上高地まで一時間。 このバスは結構くたびれる。 

11時50分 上高地着。 河童橋の袂の五尺ホテルの前の売店で、軽く食糧を口にいれ、梓川を左手に見ながら横尾を目指して歩き始める。 岳沢へ向かうことも考えたが、まず常道である涸沢経由で、重要な目的地である北穂高に登ることを考えて横尾を目指す。  明神まで3.5K、そこから井上靖の小説「氷壁」で有名な徳沢園のあるところまで4K。 はやる足で進む。 徳沢に丁度着いたころ(1時半)、雨が本格化し、買ったばかりのザックカバーと雨具の上下を着る。 この雨もしかし、横尾に近づくころには、上がった。 14時半、横尾山荘着。 105号室で今晩は6人部屋となる故。 学生風の若者が横になっている。 週末に槍ヶ岳や表銀座を縦走してきた人達で山荘は賑わっている。  5時には夕食。 ここは立派な風呂があり、入浴してから8時前には床に入る。 夜は案の定、鼾の競演で、足がぶつかったり、あまりまともに寝れたものではない。 NWでもらった耳栓を持ってきていてよかった。
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7月27日(火)

山荘の朝は早い。 4時過ぎから起きだす人が多い。 5時前には食堂の前に人が並び、さっさと朝食を済ませて、5時10分には横尾山荘を出発。 天気は雲ひとつない快晴だ。 目の前の梓川にかかる橋を渡って一人歩き出す。 横尾谷を涸沢に向けて進む。 左には屏風岩と呼ばれる岩壁聳える。 まるでヨセミテのハーフドームのようで、これも氷河が削ったものであろうか。本谷橋を6時ごろ過ぎる。 ここからの登りは以外にきつくなり、存外に心臓がドキドキするので、ペースを緩めて登る。 同じ部屋に泊まった大町から来た親子に道を譲る。 Sガレと呼ばれる石のガレ場から、北穂高岳が見え始める。 
7時40分涸沢ヒュッテ着。 コースタイムは3時間だから、少し早いといえる。 30分休憩して涸沢カール前方の奥穂、前穂、北穂を見上げるが登りはどれも急だ。 ヒュッテは、泊り客が出発したあとで、静かだ。 おでんで燃料を補給し、テント場を横切って北穂登山道に向かう。 涸沢小屋の脇をかすめて道は登りに入る。 かなりの勾配だ。 樹林帯はなく、あっても低い潅木で、あとはガレ場の道をゆっくりと登る。 背中のザックはせいぜい5キロぐらいのはずだが、空気が薄いせいか10M登っては一息入れる登攀が続く。 大分高くなってきた太陽が容赦なく照りつける。 

中々近くならない北穂南稜の山頂ももうすぐというところで、雷鳥に出会う。 まったく人怖じしないで、1Mの至近距離で観察できた。 すると小さな雛が近くの草陰に見える。 南稜の頂上の袂で、涸沢岳への縦走路と北穂頂上への分岐に出る。ここから目指す北穂の頂上は目と鼻の先だ。 涸沢側を一旦下って登り返すとそこはもう頂上だった。 

11時20分、ついに頂上に立つ。 北には大キレットと槍ガ岳。 槍から大キレットを縦走している登山者が双眼鏡には見える。 写真では見ていたが、なんとも壮絶に切り立った稜線であることか。  その東には、大天井岳など表銀座の山々とさらに東にはおわんを伏せたような頂上の美しい常念岳。 南に振り返ればもちろん奥穂、前穂の雄姿が聳える。 そして西には滝谷の絶壁が直下に落ちる素晴らしい眺めだ。 そしてどうしても泊まりたかった北穂小屋の屋根はすぐ足元にある。 
階段状の石段を下って北穂小屋前のテラスに出る。 小屋の入り口には、北穂高小屋の木製の看板がかかっている。 引き戸を開けると、若い女性が明るく声をかけてくる。 宿泊の依頼をし、一泊二食付き8500円の宿賃を払って、宿泊帳に記帳する 小屋は1階が厨房と食堂。 2階と中二階のような3階が宿泊用の部屋になっており、それぞれ、クラック尾根だの、ドームなど滝谷に因んだ名前がつけられている。 私は3階の第一尾根の上段をあてがわれた。 お姉さんによれば、今は一人だけだか定員は二名で混みあえば3人で寝てもらうこともあるとのことだった。 早速荷物とともに上がると、なるほど2帖ほどのスペースに2組の布団がある。 下段は、床面と同一で、自分は上でよかったと思った。 お腹も空いたので、食堂でラーメンや丼もののメニューの中から中華丼をいただくことにした。 20分くらいかかったが、中々美味であった。 

食事を済ますと、さすがに6時間かけて約1500m登攀してきたので足は疲れており、第一尾根の布団を敷き、ペットボトルの水でタオルをぬらして汗をぬぐい着替えてから横になった。 小さいながらも清潔で木の感触が気持ちのいい小屋だ。 この間にも、大キレットからの縦走者や他の登山者が到着するのが伺えた。  午後一時半頃、にわかに屋根を打つ雨の音がして、驟雨となった。 ちょうど昨日、横尾への道で雨にあったと同様の時刻だ。 2時半頃までひとしきり降ったが雷にはならなかった。 

雨が上がったあと、また外に出て滝谷の方やキレットを渡って来る登山者を見物したり、山小屋の若いスタッフとちょい話をしたりしたが、2代目の小屋の主人である小山義明さんの息子さんはいるのか、と聞くといるという。 元々、この北穂高小屋のことは、昭和23年にこの小屋を建てた小山義明さんの著書「穂高を愛して20年」をSJOGであるM子さんから借りて読み、その後偶然TVで北穂高小屋の一年の特集した番組を見たのが訪問の主動機である。 是非、小山さんのご子息で2代目の小屋主である小山ジュニアに会って見たいと思いそうスタッフに言うと、彼は厨房の勝手のドアから中に招じ入れてくれ、小山さんを呼んだ。 「TVで拝見して、今日始めて泊まらせてもらいます。 お父様はお元気ですか。」と挨拶をすると、ちょっと困ったようなはにかんだような表情を浮かべて近づいて来られた。まだ若い方で、お年は30代半ばであるようだ。 このような登山者の相手をしても迷惑だろうとすぐに思い、挨拶だけですぐに勝手から辞したが、顔を拝見できて満足だった。
17時。 山小屋の夕食は早い。 食堂には4つしかテーブルがないので、2回に分けての食事だったが、私は一回目に座った。 メインは、ポークソティーにスパゲッティーが載ったプレート、ご飯と味噌汁。 新鮮なサラダ。 どの皿も、とてもこんな高所の山小屋の食事の期待をはるかに上回る味だった。 TEACのスピーカーからは、バロックが流れ、正に音楽と山を愛した小山さんの気持ちが、伝統としてこの山小屋には生きていると感じた。 食卓の対面に座った若いカップルも東京からきていたが、やはりTVを見て、是非北穂小屋を訪れたいと思って来たそうだ。 

夕食後、6時40分ごろの日没までにはまだしばらく時間があり、それぞれが外のテラスで東の山々を見ながら、一日の行程を話あったり、滝谷を覘く小屋の北の端に陣取って、槍や大キレットを見つめたり、各々日没までの時間をすごした。 この時間に、かなりのハイペースで飛騨泣きから小屋に向けて登ってくる2人組みがある。 時間天気に見てキレット走行中に雨にあったはずだが、多分山慣れしたツワモノであろう。 

夕陽が沈みかけるころ、小屋のサンダルを履いたまま、北穂の頂上まで上がり、夕陽が滝谷大キレットを染め上げる光景を他の何人かの宿泊者と眺めた。 先の食卓で一緒になったカップルや、一人で燕岳から表銀座を槍まで行き、今日北穂まで来たという山慣れた若い女性と話した。  

7時前、笠が岳の向こうに夕陽が沈むとともに、小屋に帰ったが、そのまま床にはいるのはもったいないと感じ、北穂ワインを注文して、食堂のストーブの前で一人ちびちびと飲みだした。 するとこれも夕食の食卓だ一緒だった長岡から来たという50代のカップルが話かけてきたので、グラスを二つとり、一緒にワインを飲んだ。 青森からおばさん3人を引率してきたというおやじも加わって8時まで一しきり、東北の山の話などを聞いた。 8時になると、みんな食堂を辞したが、この食堂の雰囲気がとてもよく、一人梅酒を注文して座り続けた。 カウンターから、小山義治さんの画集を見つけてきてそれをめくりながら、幸福な時間を過ごした。 小山さんの絵は、北岳や剣岳を描いたものもあるが、やはり黒い滝谷の岩壁や尾根を描いた絵が一番迫力がある。やがて9時の消灯です、とスタッフが声をかけてきたので、食堂を辞し布団に入った。となりには何時の間にかもう一人宿泊者が既に横になっていた。 この人は、わたし鼾が大きいですから、と一言いって布団をかぶったが、夜中は静かであった(この人が後に出てくる柳川翁である)  間もなく各階の電球の明かりが消えた。 寝酒を少し飲んだからすぐに寝付けるかと思ったが、呼吸が通常より深く、脈拍は90近くあって中々寝付けない。 寝ていても心臓がバクバクするようでは、明日前穂まで縦走はとても無理だろうかとか、この調子では心臓に負担がかかり疲れるのではないか、初めて3000mの高所で長時間過ごすことへの不安が色々湧いてくる。 夜中過ぎにようやくウトウトしたようだ。 

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