東は東、西は西。岡山へ赴任した松蔵はその第一歩から全く異質なものを感じた。明治四十一年。明治も終りに近づきつつあったとは言え、池田氏三十余万石、二百五十年間にわたる城下町としてのたたずまいから抜け切っていなかった。同じ城下町でも、東北の米作りの他には能のない農民たちの中に育った、三万石そこそこの小藩、上の山とでは全く比較のしようもなかった。そこの町を形成する主たる力は士族でもなければ農民でもなかった。それは岡山の中心部である京橋まで旭川がさかのぼり、常に数十艘の帆船が繋留されて栄えた中島のような歓楽街であり、このような町並は眠った如き上の山には見当らなかった。 「わたしゃ備前の岡山育ち、米のなる木をまだ知らぬ」 農こそ国の本なり、と教え継がれて来た松蔵の心には、戸惑わずにはいられぬものがあった。農は士農工商の士に続くものであり、農なくして士も成り立たぬ国の根元で、その農の本となる米の生える木を知らぬという事実を、自慢気に歌った俚謡が、商こそ卑しむべき最低のものと教えられてきた松蔵にはどうしても理解できなかった。 男子師範学校は岡山市の南東、瑜珈山の麓。現在東山公園の奥の高台にあったのに対し、女子師範は、ほぼ町の中央、県庁に近く、裁判所の裏であった。男子師範とのみ信じて東山公園の坂道を登りつづけてきた松蔵は、やがて、自分の赴任先が女子師範であったのを知ると、故にもなくがっくりときて、自己のプライドが痛く傷つけられるのを感じた。 「女子に体操など教えて何になるんだ。お転婆になるばかりで、どうにも仕方があるまいに」 若かった彼にはまだまだ女子と云うものは家に在りて子を育て、夫を助けて従となり、蔭となってこそ美徳と信じていた。それ故、男子こそが世の表へ出でてリ−ドし、妻子を扶養するこそ本懐と。その頃の松蔵には「男女同棲」だの「性差別」などの言葉は彼の意識の片隅に片鱗としてさえ、見出せなかったろう。同じ岡山暮らしでも、妻の帰りを待って男炊事人よろしく夕飼の仕度にばたばた団扇をはたいたのはたいたから妙である。 東山公園からの坂を下り切って、古京町にかかるあたりから、今まで影っていた日ざしが、急にぱっと華やいで、露路裏の膨らんだ桜の蕾を照らした。あと二日で四月。陽春である。松蔵は再び岡山の町の明るさを改めて感じた。学校を出て三年、東京にも何年かすみついた筈であったが、故郷の東北の町とははつきりとしたコクトラストを描く異質の明るさだった。突然、松蔵の脇をすり抜ける様にして、格子縞の絣を着た十四、五の娘が追い越していった。その横顔をちらりとしか眺められなかったが、やや小柄だが、目鼻立ちの整った娘であった。左手を袖に隠し、右手に小さな紅の風呂敷包を抱き、うつ向き加減に何か気色ばった様子だった。 「おみつ−」 松蔵が思わず振り向くと、母親らしい三十四、五、髪は乱れ、世帯に疲れた様は見せても、昔の容姿は忍ばれる。これも何か思いつめた様子で追いすがって来た。 「おみつ−、おみつ−」 もう一度声が追いすがった。 「いくらお前が師範に受かったとゆうでもなあ…」 「でも、校長先生がちゃんと推薦状を書いて下さったのよお」 師範、と言う言葉を聞いて、松蔵はぐっと立ち止まった。そして思わず親子の方をじっと見た。松蔵の子の態度に気付くと、娘は気恥かしそうに母親の方へと、寄りそうた。 「とにかく家に入りんせえ。」 母親は娘を両袖で被いかくすような所作でかばいながら露路へと連れ込んだ。娘も松蔵の視線から逃がれるようにして、風呂敷包をしっかり抱えたまま、母親の胸の中に飛び込んでいった。左手は袖の中に隠されたままで、つい先程までの何事かと気色ばった様は消えていた。 勿論、この時の松蔵はこうした様子を印象深く感じたわけではない。それはむしろ、後から思い出して作られた印象である。松蔵の足はそのまま、さして気にした風もなく、相生橋を渡って丸の内の方へ向った。 それから十日、松蔵は小橋町の**に近い下宿屋の二階に落ち着いていた。着古した黒の詰襟、黄色というより茶がかった麦藁帽をかぶって出勤して行く松蔵に、見送る若い陽気なお内保はその麦藁帽が可笑しいと笑った。丸顔出色白のその内儀は下え町の町いえの出だった。 「先生、そのお帽子何年お被りんなっておられんさる」 確かこれを買ったのは神楽坂の角店だったと心に浮かばせ、心の中で指を折る。 「三年目だ」 と生真面目に答えた松蔵に若い内儀は内から込み上げる笑みを押し包むようにして 「あら先生、麦藁帽と言うんは、毎年買え変えるもんと違げんじゃあなあの。師範の先生にお成りやしたら、夏にゃ帽子は新らしゅうしんさらなきゃ。」 松蔵は服装に関しては極端に無頓着だった。もちろん、彼が無精とか不潔だという意味ではない。毎日洗濯したての越中を取り代えなければ気がすまなかったし、肌着も毎日とまではいかぬまでも、清潔なものを身につけた。洗濯物を押し入れに山と積んでおくというような事はしない。こうした点については、むしろ神経質とさえ言える。しかし彼はお酒落には全く関心が無かった。自分が田舎者であり、体操教師であるという自覚がそうさせたのかも分からないが。松蔵は、当時としてはかなり上背も有り、決して恰幅が良いとは言えないが、細長形の顔にはある種の威厳を保っていた。 松蔵のこうした習性は晩年まで続く。日本最初の肢体不自由児施設を創り、それが軌道に乗ってある篤志家の寄付も加わり、五百坪からの敷地に相応の園舎が建つようになっても、普段の園長としての服装はきわめて地味だった。午後から園児たちが校庭に出て、それぞれの運動に入る時間になると、彼もまた何十年も着古したかと思われるような背広をメリヤスシャツの上に直に着て芝刈りをしたり庭気の手入に余念がなかった。来客が刈れを庭番の爺やぐらいに思ったのも当然だろう。 「園長にお目にかかりたいのですが」 来客は松蔵に刺を通じる。 「少々お待ちください。ただ今すぐまいりますから」 松蔵もすましたものである。裏口から入るとそのまま客を応接室に通した。来客は不審気に松蔵を見る。 「あの、今日は園長さんはお留守なんでしょうか」 「いや、私が柏倉ですが何か御用でしょうか」 客が恐懼するのを見て、松蔵は心の中でニタリとした。むしろ得意ですらあった。 それはある種、権威主義に歯向うものであったかもしれない。美服を否定することによって自己の劣等に対する補償とした。見方を変えれば彼の服装に対する無頓着さは彼の権威主義の裏返しと言えるだろう。 改めてこの下宿屋の陽気な内儀から、手渡された、帽を眺めて見て、松蔵は若いだけに内心、ちょっとした気恥かしさを感じた。確しかこれを買ったのは、体操学校の卒業式の当日だつたと記憶する。神楽坂の祝賀宴から仲間の一人が乗りだして、さあこれから吉原へと、いも同志の十数人、浅草に繰出した。 大門をくぐったのは事実だが、なかの盛業に偉士され、実際登棲ったものは一人もいなかった。帰りに馬道入出て思いの外の値札に連られて求めたものだつたが、それ以来、全く帽子を買い求めた億えはない。今、改めて目の前にすれば、麦藁の粗伐が黄ばんで変色しているのは当然としても、漆黒のりボンさえ淡くはげて、灰色と云う方が早かった。 しかし、松蔵は内心はともあれ、面には全く表わさない。肩一つ動かさず、端正な細長の顔の真正面に水平に載せた。そして黒い風呂敷包みを一つ、小脇にかかえ、真直ぐに歩み出す。玄関の格子戸を開くと、明るい陽光が一杯に松蔵の目を射た。 大股に彼の足は小幡町の坂を下っていた。今日は水曜、定例としては放課後、始めての職員会議がある日だと思う。末席とは云え、教育として加わる我が事を思って、彼の心は振るった。 だが、ふと彼の心は曇る。一昨日から始めて今朝で二度目。本日、これから真先に行なわれるであろう学校行事を思うとであった。この学校、女子師範では朝礼の全校生徒に対する号令は一番、末席の体操教師の用務と規っているらしかった。 校長によって松蔵の着任を紹介された入学式の翌日から、朝の学校行事は雨天の場合を除いて、校庭に全校生徒の整列する朝礼と云う形式を取って始まる。最上級生を右翼にして左へ、各学年、各組毎に級長を先頭にして二列従隊に並んだ。 号令台には校長が立ち、一段下がった壇上に教頭が控える。一般の教師たちは生徒と対面する形で一列に並んだ。もちろん、初日の松蔵は最左端の末席に、ちょこんと立っていた。 「全員、気をつけ!」 生徒たちからクマと呼ばれていた黒ひげの体操教師が偉圧するように号令を掛けた。 「校長先生並びに各先生方に対し…」 生徒の最右端に立ったクマは教師たちと何故か対面する形を取っていた。クマは一段と声を張上げた。 「敬礼!」 それと同時にクマは頭は上に向けて、上体を四十五度に曲げた。全員生徒の礼に従って校長始め各教師は軽く頭を下げて会釈する。松蔵は何故、教師たるべきクマが同暸たちに卒先、礼を垂れねばならぬかと謗がった。 昼休が終って松蔵は黒ひげのクマに呼びつけられた。 「今朝、吾輩が号令を掛けた朝礼、来週からは貴公に号令を掛けて貰いたい」 「はあ−」 と答えてはみたものの、松蔵は大変な役目が自分に仰せ付かったものと思う。 「今週中は吾輩が掛けてやるから、毎朝、よく注意して見て置くと良い。それからこの次第書はよく読んで置くように。」半紙が三枚、こよりで綴じてある。表に筆太に「朝礼式次第」と書かれていた。中は全員集合に始まって、敬礼、校長訓辞教頭および各主任伝達と続く。そして最後の各教室への分列行進まで細々と号令の掛け方や注意事項が認められていた。 「どうして生徒にここでは号令を掛けさせないのです。私の前任校たる東京府立第一中学校では……」 ここで松蔵は一段と声の調子を上げる。 「最上級生の級長に毎週交替で号令を掛けさせていましたよ」 「それは各学校、その学校によってしきたりがあるものじゃ。それに貴公。この学校は女子校じゃよ。貞淑なる婦女子を教育するに…」 なるほど、云われてみれば松蔵もその通りだと思う。女子が校庭中に鳴利響く黄色い声を張り上げて…。どう聞いても、様に成らぬと松蔵は思った。 |
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