昭和33年の東京。
短気だが、情の厚い則文が営む“鈴木オート”に、集団就職で六子がやって来た。
小さな町工場にガッカリした六子を、一家のやんちゃ坊主・一平は、“もうすぐテレビが来る”と慰める。“鈴木オート”のすぐ向かいの駄菓子屋・茶川は、芥川賞の選考に残った経験がありながら、今は少年誌に冒険小説を投稿する日々。ある日、茶川は、淡い思いを抱く飲み屋の女将・ヒロミに頼まれ、身寄りのない少年・淳之介を預かる事に…。
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「リターナー」の山崎貴監督作品。
「リターナー」では、主演の2人の関係の濃さ・切なさが今一歩、「レオン」みたいには客席まで届かず、肝心のラストで泣けなかったが、今回は違った。
懐かしくて、泣いた。
可哀相で、泣いた。
悲しくて、泣いた。
温かくて、泣いた…。
ヒロミ役の小雪は背が高すぎて、ややミスキャストに思え、多くの懐かしい風景は、“おお、イイ感じの合成じゃん!”とか頭では考えてしまっていたが、途中から、そんな事はどうでも良くなって来た。
「チャップリンのキッド」が下敷きにあるのは明白だが、そんな事も、どうでもいい。
“鈴木オート”と同じ様な町工場は、私が昭和33年を過ごした大阪の下町にも沢山あった。
みんな貧しかったが、お隣さん同士の人間関係は濃く、より良き生活を目指して、夢を持って生きていた。しかし…。
このHPの「映画の部屋」の佐々部清監督(「カーテンコール」)との対談でも言ったが、私は断じて、今の日本の方が良いと思っている。
断言する。
貧しさは、悪なのだ。
でも、この昭和33年の三丁目の人々にこんなに憧れてしまい、涙が止まらないのは何故だろう?
思えば、迂闊な少年時代。
もう、よそう。今更、ニヒルを気取るのは。
近頃、すっかり荒んでいた私の心を綺麗に洗濯してくれた「三丁目の夕日」に、今夜は“二級酒”で乾杯だ。
(2005.12.2)

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