篠田正浩監督との対話
映画『スパイ・ゾルゲ』によせて(1)

(2003年6月16日 午後2〜3時 かわさきFM・生放送より再構成)

     
     『スパイ・ゾルゲ』DVDカバー 

岡 村 今日のお客様は現在公開中の映画「スパイ・ゾルゲ」の監督でいらっしゃいます、篠田正浩さんです。こんにちは。
篠 田 こんにちは、篠田です。
岡 村 篠田正浩監督は、1931年、岐阜県生まれ。もう沢山の映画をお撮りになっています。私が一番好きなのは、「はなれ瞽女おりん」(’77)ですね。
「日本ってこんなに美しい国だったのか!」っていう一本でした。 
撮影監督は、「羅生門」や「雨月物語」の名カメラマン・宮川一夫さん。
岩下志麻さんが瞽女さんという、目の不自由な三味線を弾く人。
みんな集団で移動しているわけですよ。で、決して男と交わってはいけない。
それがある時、そういう事があっちゃって、“はなれ瞽女”になって独りで放浪して行く。そしてもう一人、放浪の男・原田芳雄さん。シベリア出兵絶対反対だって言う脱走兵。この二人が出逢ってしまう…。
観ていて、やがて別れが来るってのは分かっているんですけどね、その途中途中の日本の風景が本当にきれいでね。
「何とか…嘘でも、この二人が最後には幸せになって、現在も元気で生きていてくれないかな」って思って観ていましたね。
篠 田

僕もそうしたいと思ったんです、本当は。
でもね、やっぱり、はなれ瞽女だとか脱走兵とか世の中から外れてしまうと、世間が良く見えるんですね。今のアメリカみたいに勝った国は何も見えない。僕ら戦争に負けて、初めて日本が良く見えた。
僕なんか中学3年14才の時に、「国敗れて山河有り」で、その「山河」をずうーっと、今まで映して来たような気がしますね。

岡 村 じゃあ今、アメリカは何も見えなくなっているかもしれませんね。
篠 田 だからみんな、ある種の恐怖心を持っているんじゃないですか。
岡 村 勝ってばかりは良くないですね。ずっと負け続けるのも考えもんですけど。
篠 田 ずうーっと負け続けていると、貧する鈍するになるんだけれども、日本は貧して、また富(ふ)に、富(とみ)に入れてね。ここから、また驕るとね…。
岡 村 駄目ですね。ずっと不景気が12年間も続いてますが、悪くない面もあると思うんですよ。人の痛みが分かったりね。
篠 田

バブルで驕った日本に対して、時期を得た罰だと思います。
僕はね、子供の時、昭和大恐慌の大不景気の中で育っていますからね。

節約とか倹約とか、もうとにかく厳しい生活を味わっていますけれど、今はね、日本は歴史上、最大の富める国です。

岡 村 そう! 今、不景気と言っても、本当はすごくお金がありますしね。
篠 田 どんな物でも手に入るもんね。世界中の本は翻訳されているし、世界中の映画は字幕スーパーで観られるし、こんな国は日本だけ。食べ物は何でもあるしね。
岡 村 僕の親と監督は、同世代なんですけど、聞くと、本当の不景気はこんなもんじゃないと。戦中戦後を知っていますからね。
篠 田 あの戦争中の日本の経済は、70%が軍事費だったんですよ。
岡 村 本当!? そんなにつぎ込んでいたの…。
篠 田 今は1・5%。今の北朝鮮がね、軍事優先国家でそうなっている。今の北朝鮮の惨状を見ていると、僕らの戦争末期がね、ぴったり一致しますね。 だから軍事予算、見りゃ分かるわけ。
岡 村 なるほど…。
「勝った人じゃなく負けた人、或いはアウトサイダーからの方が、世の中や人間というのは良く見えるんじゃないか」そういうテーマはいつ頃からお持ちだったんですか?
篠 田 一番最初に研究して、思い付いたのが、学生時代に近松門左衛門の勉強をして、近松門左衛門ってのは、徳川時代になって豊臣方が全部滅びて来ますね。どうも家名を引きずって職を失って武士でなくなって、京都へ出てお公家さんにお仕えして、宮廷文化を身に付けて、そして芸能賎民と呼ばれる人形浄瑠璃や歌舞伎の下回りの仕事をさせられて…それで、脚本を書いた。
「私は院にして院に有らず、隠居をしているようで隠居していないと。下世話な芝居を書いている、でも商いもしていないので商人にも有らず、そして私は芝居なんてものに関わっているので、賢者ではない」と。
岡 村

その時代に、そんな事を言っていた…。 

篠 田 西暦1700年の自分を振り返って、辞世の文章を残しているんですよね。 「私は紛い者だ」。私はこの「紛い者」って言われた時に、西洋で「アウトサイダー」という言葉が20世紀になって出て来たわけですけど、なに日本は18世紀初頭にアウトサイダー宣言している男がいるぜって…。
岡 村 それは、憧れちゃいますね。
篠 田

憧れましたね。
近松は武士の出でありながら、その賎民の群れの中で河原乞食と蔑まされている仕事をやっているでしょ。だから、私は彼の気持ちは全部黒子に託してね、心中する男女は全部地獄に送らないで天国に送ってあげます、その導き役は、自分が「芝居を書く」という事と繋がっている、と思ったんですね。

岡 村 じゃあやっぱり、「俺はどこかの王様だ、殿だ」って言うんじゃなくて、「紛い者」こそ本当じゃないか、そこが監督の原点といいますか根源的に持っていらっしゃるものなんですね。
篠 田 「紛い者」は下手すると、拗ねて何にも出来なくなっちゃう。
ところが、近松は何百という脚本をいっぱい書いている。
岡 村 今も生きていますよね。
島 岡 言ってみると、その時に起きたスキャンダルを上手く…。
篠 田 その時の事件を…。
島 岡 すぐ書いている。
岡 村  本当に、すぐですよね。
篠 田 自分で現場を見に行って。
岡 村 新聞記者みたいですよね。
島 岡 ワイドショー的であり、ジャーナリストでもあるみたいな所がありますよね。
篠 田 僕はね、近松の仕事はジャーナリズムの始まりだと思うんです。       
新聞がなかった頃、みんな芝居を観てね、時々偽名を使って、あれはあれだ、あいつはあのあいつの事だ…これが、歌舞伎や人形芝居の生命力だったんです。 
まあ、ゾルゲも私にとって20世紀ライブですよ。
 
『スパイ・ゾルゲ』脚本

岡 村 ライブ。そうかぁ…。では、ゾルゲが一体、どういう人で、これがどういう映画なのかというのを、ちょっと。 リヒャルト・ゾルゲは、アゼルバイジャンのバクー生まれで、ドイツと当時のソ連との混血でした。
篠 田 お父さんは石油技師でバクーへ出張して来て、現地のバクーの女性と結婚した。で、バクーという所は、今でいうカフカス地方ですから、ちょっとアジア人の血が混じっているんです。あの辺は、もう人種のるつぼで…。
岡 村 石油が採れるから、いろんな人が集まって来る。多民族国家ですよね。
篠 田

ロシア人といっても、純正ロシア人かどうか、わからない。 
お母さんがそっちの血で、お父さんは純正ドイツ人で富を成して、ベルリンへ戻ってハンブルグ大学の博士号まで取れる教養を持つんですけど、その間に彼は、第1次大戦に出会って、ものすごい戦争に直面するわけですよ。
18才の時に、帝国ドイツの皇帝ウィルヘルム二世のために、志願兵で参加して負傷し、鉄十字賞などを貰って、祖国に仕えた。
でも、戦争に負けたら、皇帝は逃げ出しちゃって、祖国はインフレで、賠償金を払わなければならない。あのね、インフレになった時、キャベツ買うのに乳母車いっぱいにお札を積まなきゃならなかったんです。

岡 村

写真を見た事があります。お札がどれだけあったって、駄目なんですよね。 

篠 田 そこに目をつけたのがアメリカなんですよ、実は。 ドイツは、ベートーベンやバッハやゲーテを生んだ国ですから、すごく知的レベルが高いっていうので、その悲惨なドイツに出資して、それでいろんな産業を興しちゃうんですよ。
岡 村 儲けたんだ。
島 岡 アメリカが、ドイツに出資。
篠 田 それで、ヒットラーを生み出す土壌を作っちゃう。
岡 村

それで、今度またヒットラーと戦うって…。
ちょっと待って下さい。 何かに似ていませんか?
つまりね、サダム・フセインというモンスターを作ったのはアメリカなんですよ。ウサマ・ビンラディンだって、アメリカと良い関係だった時があったわけですよ。

篠 田 アフガニスタンでね。
岡 村 その後で敵になって、今度は対決している。同じ事やっている。
篠 田 それで、第1次大戦のあまりの悲惨さと、新しいドイツが新帝国主義だという事で、彼は共産主義に未来の希望を持つわけですよ。で、ドイツ共産党に入る。それで、国際共産党にステップ・アップしていくわけですよ。そして、彼の才能を見たソビエト赤軍は、彼をプロフェッショナルなスパイとしてスカウトするんですね。 1931年、日本に満州事変が起きます。すると、日本の関東軍はソ連国境でソビエトと対戦します。
スターリンは、「前にシベリア出兵もやっている日本が、このままシベリアへ攻めて来るのか、それとも中国へ行くのか、それともおとなしくしているのか、わからない。調べに行け」と。 
で、1931年、ゾルゲが日本にやって来る。私はその年に生まれたんですよ。
逃げ隠れ出来ない自分の少年期、その時の日本をゾルゲさんが見てくれた。あのう… ラフカディオ・ハーンが初めて日本にやって来て、松江にいて、夜を明かすんですね。
岡 村 小泉八雲。
篠 田 島根県の小泉八雲が、朝、目を覚ますとね、音がするっていうんですよ。枕元に響いて来るそれは、角の水車小屋で精米をやっている杵の音だと。
さらに耳を澄ますとね、カラコロカラコロね、往来を行く下駄の音だと。
もう、「素晴らしい国に来た!」っていうんですよね。
そういう音は、日本人には日常の中に埋没していて聞こえて来ない。それがね、ラフカディオ・ハーンには聞こえた。小泉八雲になった。
昭和の初期にゾルゲは東京にやって来ますけど、その時にやっぱり、ラフカディオ・ハーンと同じ様に日本は初めての国でね。
カルチャー・ギャップはあるし、いろんな事ですごくデリケートで敏感に日本が聞こえて、見えたんじゃないかな。
岡 村 小泉八雲の松江の家が今でもありまして、僕行った事があるんですけど、その音の話は有名で、ここでその音を聞いたんだなぁ、と思いました。
今は車も走っているし、全く聞こえませんが。その感じって、ちょっと我々が映画を観たとかっていうより、もっと強烈だったと思います。
篠 田

日本人というのは、なかなか自分が見えないんですよね。
有名な絵描きはみんな自画像を描くんですよ。「俺は一体何者だ?」って。ゴッホも、自分の顔を何度も何度も色を変えて。レンブラントも大きな絵の中の隅っこに、ちょこちょこっと描いたりね。ミケランジェロも描いているし。
それはね、みんな、なかなか自分が見つからないから。
でも、やっぱりヨーロッパではいろんな人種がいろんな見方をしてくれる。
国際、国と国の境目、インターナショナル。ナショナルとナショナルのインター、間。この国際感覚が、インターナショナル。
日本は、周りを海で囲まれているから、なかなか日本人は日本人を見る事が出来ない。だから、「ゾルゲが見た昭和というのは、とても重要な日本研究になる」と司馬遼太郎さんがおっしゃっていました。

岡 村 ゾルゲが日本に来て、カルチャー・ショックを受けたその瞬間が、国際人・ゾルゲ誕生の瞬間だったと思います。
篠 田 まあゾルゲも結局、処刑されるという悲劇的な生涯を終えるんですけど、やっぱりゾルゲというヨソもんが日本を見てくれていた事は大きい。
あの大戦争の足音を彼は聞くわけですから。それが2・26事件のクーデターの兵士と将校達のあの軍靴の音だったんですね。
岡 村 ゾルゲという人は、坂本龍馬に似ているなと私は思うんです。
篠 田 どうしてですか?
岡村 共に革命家。そして志半ばといいますか、残念ながら殺されてしまうという所が共通します。やっぱり何か政治のそういう所に大きく関わると、それが困るという人達が、必ず潰そうとするんですね。
時代が変わって、ソ連がなくなり、共産主義という大いなる実験が駄目だったと判って、今、ゾルゲというのを取り出して見てみると… 国際人だった彼がしようとしていた事が、当時は判らないんですね。
当時はそんな風に、上から物事を見たり、未来から物を見る事は出来なかったから。 しかし、実際は彼のお陰で、すごく多くの人々が救われていた…。
篠 田 一番大きな事は、ヒットラーが世界を征服する事に待ったをかけられた。
これが一番大きいでしょう。 やっぱり、ヒットラーの容赦のないユダヤ人への人種差別、虐殺は、もう恐ろしい事だったですから。
それと、日本の軍国主義がそのまま勝って行ったら、これまたどうなったか。
ベルリンと東京という二つの世界情勢の一番の危機の基点が、ゾルゲと尾崎によってきちんと分析されて、裸にされていたというのがね。
すっごい位置にいた。
岡 村 ゾルゲは、ソ連からスパイとして派遣されるんですけど、身分はナチスの党員になっているんです。そのナチスのドイツ大使館が日本にあり、何とドイツ大使のオットーという人の奥さんとデキちゃうんですね。
「スパイ・ゾルゲ」というと、受けるイメージは、共産党の潜入スパイで、冷徹な、会った瞬間に人を殺す人斬り以蔵みたいな奴かなって想像しそうだけど、実は、とても人間味があって、無茶苦茶、女にモテて、女好きで…。
篠 田 オートバイもすっ飛ばすし…。
岡 村 オートバイで事故もやっちゃって、また整形もするとかね、これが面白いですね。高杉晋作みたいな人だったかもしれない。やんちゃな感じ。
篠 田 坂本龍馬と高杉晋作。三千世界のカラスを殺して、主と…。
島 岡 そうそう!
篠 田 彼の日常を調べて行くとね、とてもスパイの生活とは思えないですよ。
それだけにね、ゾルゲっていう人間のスケールが捕まえらんないから捕まえてみたい、というのが当初、私がゾルゲ地獄に陥ったきっかけです。
岡 村 地獄? ゾルゲ地獄! そうか。
篠 田 戦後、ゾルゲ・尾崎事件が世に出て、彼らが軍国主義やドイツ・ファシズムと戦ったっていうのが、一躍英雄になるんですよ。尾崎秀実さんは奥さんに獄中から手紙を出して、それに応える奥さんの葉書があって、その往復書簡が「愛情は降る星のごとく」となって、これが戦後、ベストセラーになりました。 
だから、我々の世代はゾルゲ事件をむしろ尾崎秀実の方で知っちゃう。
ゾルゲの存在はね、その頃は、スターリンが完全に消しちゃう。
後にフルシチョフが、あのスターリン批判をやって、これはソビエトの汚辱である、という事で、そこでスターリンの時代に粛正された人達の名誉回復が行われて、その一環でゾルゲが再び浮上してくるんですよ。
だからね、ソビエト体制もフルシチョフ以後、また崩壊に向かうわけですよね。だから、ゾルゲが現れた事によって、実は共産主義それ自体が壊されて行く契機になった。
島 岡 布石がそこに。
岡 村 だからものすごく大きな…。
篠 田 大きな存在になっていたわけですね。
だから、彼は死せる孔明、生ける仲達と走らせて、三国志の諸葛孔明みたいなところがありますね。 ゾルゲは死んでからが、その役割が大きくなった。
岡 村 ブルース・リーみたいですね。
篠 田 だから、むしろね、ゾルゲの問題は戦後の問題ですね。
ゾルゲ事件は、戦後になって、我々の目の前に20世紀の歴史の真相を見せてくれた、ということがありますね。
岡村 この時代の日本って、司馬遼太郎さんが、「昭和10年から昭和20年というのは、日本は国の形をなしていなかった」と断言しているんですけど、全くその通りですね。
篠 田 誰も責任取らないんだよね。軍部だけが肥大して行ってね、ノー・コントロールだよね。アメーバーみたいに、中国大陸に…。
岡 村 無茶苦茶なんですよ。つまり、政党政治が駄目だから、これからは軍隊が政治をやるって。「天皇中心」と言えば、みんな何も言えなくなるので、軍は「統帥権」を持っているぞ、って言い出す。
天皇陛下の代わりに、これからは我々軍隊が全てをやりますっていうね。
篠 田 恐ろしい時代になっている。
岡 村 そうですね。
篠 田 たとえば、真珠湾攻撃なんていうのは、誰が決めたのかといって調べて行くとね、いつの間にかそうなっちゃっているんだよね。
もうそれはね、ゾルゲと尾崎の調書を読むとね、日本の政局、軍部というものが一種の真空状態になっていてね、一体誰が未来を見ているのか…。日露戦争の時は、戦争を始めた時から、いかに終わらせるか、という事を同時にスタートさせているわけね。
しかし、「日本は、この真珠湾攻撃の後をどうするのか?」っていうのは、誰も考えていないんだよね。
岡 村 戦争って恋愛と似ていましてね、始めるのは簡単だけれども、終わるのは難しい。
篠 田 ああ、別れる時は難しい。ご経験ありそうですね?
岡 村 いやいやいや…。何で汗かいてんでしょう。いやいや…。本当にね。
篠 田

だから今、アメリカもイラクで、もう本当に、てこずっているでしょう?
難しいもんですよ。
今、我々はテレビやラジオやインターネットで、世界中の情報を手に入れている。 だから今は、スパイをやらなくてもスパイ以上なんだ、実は。
世界情勢をね、普通の人まで判るようになった。これが、本当の情報革命ですね。だから、国家からだけの情報しか知らない北朝鮮の人と、世界中の情報を知っている日本人との、ものすごいギャップをね、政治はどうやって埋めるのかっていうのが、外交ですね。
北朝鮮に、情報がちゃんと国民に伝えられるようなシステムを作らないと、本当の交渉にならないですよね。

岡 村 何だか… 「今は良くなったネ」と言いたいけれど、あんまり…。
篠 田

まだ、時々やられちゃうからね。
アメリカは、アメリカ軍の調子のいい戦争のとこは見せるけどね。
アルジャジーラの、爆撃受けたイラク国民のニュースは、アメリカ本土では放映できないとかね。 もう、そういう制限がありますからね。

岡 村 この「スパイ・ゾルゲ」は、政治物というよりは、本当に平和を願っていた二人の男の物話です。
だから、「共産主義国のスパイもの?」とか、そういう概念で括っちゃうと、この映画を非常に小さく見てしまう事になると思うんですよね。
この二人を、もっとそういう色眼鏡を全部外して見たら、やっぱり、ただの女好きだったと思うし、平和を願っていたと思うし、何かしなきゃいけないと…。  
あのね、映画の中に、こういうセリフが出て来るでしょ。
「(何かの情報を)キャッチした!」って、そのゾルゲの同僚がピッピッて、モールス信号を聴いて、「俺達スパイも、これで勲章を貰えるかも」って言ったら、ゾルゲがすかさず、「自分をスパイだと思うな!」って言った。ビシッと言った。
カッコいいねぇ。 あそこは、ドキッとしますね。
篠 田 そんなせせこましい事をやっているんじゃないよ、という…。

この映画には、当時の朝日新聞主筆・緒方竹虎役で出演

岡 村 さて、ファックスを頂いております。
島岡

「岡村さん、島岡さんお元気ですか?
土曜日に『スパイ・ゾルゲ』を観て参りました。
3時間以上の大作なのに時間を感じさせず、最後まで引き込まれて観てしまいました。何より、映画に品があるのは、素晴らしいと思いました。
岡村さんの緒方竹虎氏も貫禄があって良かったです。マッ・トペイントやCGで当時の服部時計店やその他の風景が再現されていましたので、ストーリーとは別な所でも楽しんでおりました。篠田監督の最後の監督作品と伺っておりますが、次の作品を拝見したいと思っているのは私だけはないと思います。本当に、もう次はないのでしょうか?」  …相模原市のMさん、ありがとうございます。 そしてもうひとつ…。
「『スパイ・ゾルゲ』を14日に観てきました。緒方竹虎さん、なかなかの貫禄でした。声も落ち着いた迫力があり、一瞬、空気が止まりました。私は映画を観に行くと、最後まで席を立ちませんが、今回、『イマジン』の歌詞を読む事が出来て、良かったです。 あと何回か、通いそうです」 
三重県から頂きました、ミホさん。ありがとうございました。

岡 村 ありがとうございました。
篠 田 うれしい。
岡 村 うれしいですね。初日に観に行ってくれた。
篠 田 いや、映画がちゃんと観られている。僕が作ろうとした映画が…。
岡 村

きっとファックスを送ってくれた方も喜んでいると思います。
そうですね。3時間3分の映画だけど、自分の中では3分ぐらいで終わっちゃった。 本当、わぁーって観てた。

島 岡 緒方さんを誉めてあるファックスでしたね。
岡 村 ああ、ありがとうございます。私も出ています。
島 岡 緒方さんを演じたのは、岡村さんです。
岡 村 緒方竹虎、2・26事件の時の。
島 岡 バーンと、こう出てきまして。
岡 村 朝日新聞社が襲われる所でね、ええと、中橋中尉を…。
篠 田 石原慎太郎の息子さんです。
岡 村 良純君がやっていまして、「代表出て来ーい!」って言われて、私が名刺を渡して…。
島 岡 「私だ!」って言って、出て行くわけですね。
岡 村 それで、バッサリ斬られて死ぬんじゃないですよ。
結果、朝日新聞は助かったという…。
島 岡 髭をつけた岡村さんが、なかなか素敵ですので、皆さんどうぞ。
岡 村 すみませんでした、本当に…。
篠 田 いいえ、どうもありがとうございました。朝日新聞のOB達が、「緒方が出てる、緒方が出てる!」って言っていましたよ。
岡 村

もう僕、恐くてね、撮影の日。
監督と、ちゃんと演出とかそういうので会った事ないんですよ。
だからまあ、衣装合わせは衣装合わせでやって、本番が… もう何かすごく恐いんですよ。どういう人か知らないから、現場の監督が。
んで、どうしようかなと震えていたんですけど、石原君も震えていたね。
「どう?」って訊いたら、「恐い…」って。
でもね、そういうシーンなんですよ。
石原君も、要するに、刀抜いて、ビャーッというシーンでね。

篠 田 どっちも命懸けのシーンでね。
岡 村 命懸けの対決のね。 こういう大作に出ているっていうのは、何と言うか… いい空気でしたね、現場が。
篠 田

ええ。もう国際プロジェクトになっていましたからね。
俳優のイアン・グレンもイギリスの舞台踏んで来てますからね。ニコール・キッドマンとやったり、アンジェリーナ・ジョリーとね、「トゥーム・レイダー」で。
彼の英語の台詞の表現力というのは世界一流です。モッくんは、日本人として英語で喋らなきゃならないからね、これはもう大変だった。
いつも終わってから、4時間ぐらい二人でリハーサルやっていた。

岡 村 モッくんは英語ベラベラですね。ずっと楽屋が一緒だったんですが、スタッフとかと、完全に英語で喋っていました。ブロークンじゃなくて。
島 岡 本木君、カッコ良かった…。
岡 村

ちょっとキャストの話もしたいんですけど、時間が来ちゃった。
島岡さん、この映画観て、どうでしたか?

島 岡 イアン・グレン、本木雅弘、すごいカッコ良かったです。その辺を私は女性の角度から、かなり感情移入をしながら、観てしまいました。
本木君が正義感あふれる、あの時代の人って感じの顔で、素敵でしたね。
篠 田 彼にキャスティングしたのは、東京のある録音スタジオでね、彼とすれ違ったんです。すれ違って振り返ったら、彼の後ろの刈り上げがあの頭。
モヒカンだったけど、「あっ、いいなぁ」と思ってね。
岡 村 そんなとこ、見ているんですか?
篠 田 それで、すぐに前に回ってね。「モッくんですね?」、「そうです」、「僕の映画に出てくれませんか?」、「はい、いいです」って言って…。
島 岡 刈り上げだったか…。
岡 村 すれ違ってみるもんですね。
島 岡 すごい話を聞いてしまった…。
岡 村 すごいとこ見てますね、やっぱり。尾崎だって感じでした?
篠 田 ああ、そうそう。
岡 村 本当!
篠 田 今時、あんなに刈り上げてる人いませんからね。
島 岡 スキッとした感じがね。
岡 村

これが終わったら、私も刈り上げやって来よう。
「スパイ・ゾルゲ」特集、続きはまた明日です。明日もよろしくお願い致します。
篠田正浩監督でした。 ありがとうございました。

    

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