“沈園絶唱”(陸游&唐琬)
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あらすじ。 |
陸游と唐琬は従兄妹どうしであった、唐琬の母親は唐琬を産んでからすぐに亡く
なった。唐琬は陸游のところに引き取られ陸游の母親に兄弟のように育てられた。
幼馴染も大人になってくると、愛情が芽生えふたりは結婚した。当時はエンゲージ
リングと同じようなものとして、釵を贈る風習があった。
ふたりは毎日楽しい結婚生活を送っていたが、その結婚生活も封建社会においては
一年で終止符をうたざるをえなくなった。
陸游は科挙(今で言う公務員)の試験を受けた、実際にはトップで合格したのである
が、横やりが入り、今で言う知事の息子がトップで合格したかのようにされてしまった。
また、唐琬と結婚してから陸游の父親が亡くなったり、唐琬の父親も亡くなった。母親
の50歳のお祝いの席で唐琬の頭につけていたふたつの釵の内ひとつが落ちて壊れ
てしまった。これは縁起の悪い事である。
母親は陸游と唐琬が結婚してから、いろいろ不幸が続くので占い師にみてもらった。
占い師は、陸游と唐琬がこのままでいたら不幸が続くとして、離縁を勧めた。母親も
唐琬は子供も生まれないことから、占い師の話に同調し離婚させることにした。
封建時代は親の意見は絶対であり、陸游は離婚せざるをえなくなり離婚した。
唐琬は日頃から病弱であったが再婚した、しかし、陸游のことは心の中に残っていた、
陸游もまた母親の勧めで再婚したが唐琬のことを忘れる事はできなかった。
離婚してから10年経ったある日、偶然に沈園でふたりは出逢った。唐琬は主人と一緒
であったが、主人は唐琬の陸游を思う気持ちは分かっていたので、唐琬を沈園に残して
帰った。陸游は一緒に暮らしていたときのこと、世間の噂のこと、自分の今の気持ちなど、
”釵頭鳳”と言う詩に託し唐琬に書いて渡した。唐琬も自分の気持ちを”釵頭鳳”として
返答の詩を書いて渡した。
その後、唐琬は精神的な面も加わって、病気が体を蝕んで行き30歳の若さでこの世
を去った。最後まで持っていた唐琬の釵だけが陸游に戻って来た。陸游は生涯、唐琬
のことを心に秘めつつ85歳まで長生きした。