「それじゃキョン、あとはよろしくっ!」
授業終了の鐘の音とともに、あたしは席を立つとキョンに一言言い残して教室を飛び出した。まだ授業は続いてたっぽいけど、チャイムが鳴ったってことは時間終了ってことでしょ? ちゃんと決まった時間があるんだから、その時間内にまとめられない授業をしてる方が悪いってもんよ。
教室を飛び出したあたしは、その足で有希のところへ向かった。みくるちゃんの確保は鶴屋さんに任せたし、古泉くんはキョンがなんとかしてくれるわ。となれば、あたしは有希を連れて行かなくちゃね。
「有希ーっ、いっくわよーっ!」
有希のクラスに顔を出すと、教科書を鞄の中にしまい込みながらあたしを見て、掃除用具入れのロッカーに視線を向けて、またあたしを見た。もう、こんなときに掃除なんかしてる場合じゃないでしょっ。
「ちょっとそこのあんた、有希の代わりに掃除お願いね。さっ、行くわよ!」
こっちは掃除以上に大事な用事があるんだからね。そんなもん、そこいらでぼけーっとしてるヤツにオネガイしとくに限るのよ。あ、今のヤツ? さぁ……名前なんていちいち覚えてないわ。
ともかく、掃除当番の交代願いに何も答えないそいつの沈黙を了承の合図と受け取って、あたしは有希の手を引っ張って教室を飛び出した。それにしても、ホント軽いわね。食べるもの食べているのかしら?
「カレー」
「またカレー? 他には?」
「ハヤシライス」
「……ああ……そう」
まったく、仕方ないわね。そのうち料理作ってあげましょう。団員の健康管理も団長の務めってことよ。えーと、ビーフストロガノフでいいかしら?
下駄箱で外履きに履き替えて外に出ると、朝から降り続いた雨は止んでいた。地面はまだぬかるんでいるけれど、分厚い雲も幾分薄くなって、ところどころ太陽の光が差し込んでいる。
「ね、知ってる? 雲の切れ間から差し込む太陽の光のこと、天使の梯子って言うのよ」
「知ってる」
ゆるゆると続く坂道を下りながら聞くと、歩きながらも本を読んでいる有希が頷いた。さすがに知ってるのね。ま、キョンだったら知らないでしょーけど。
「真似事とは言っても、結婚式に晴れて天使の梯子が降りてくるってのは絶好のシチュエーションね。いっそのこと、役所にいって婚姻届でももらってきて、本格的にやっちゃったほうが面白いかしら?」
なんてことを呟くと、有希が急に本を閉じて鞄の中をごそごそし始めた。え、まさか婚姻届なんて持ってるの?
「読み終わっただけ」
「あ、ああ、そう……」
そりゃま、そうよね。ここでいきなり婚姻届を出したら、それこそどこから突っ込んでいいのかわからないってもんよ。
で……その、差しだしたペンと紙はなに?
「名前と住所」
「あたしの?」
「そう」
「なんで?」
「連絡表」
「連絡表って……SOS団の?」
「そう」
「それはいいけど、なんで今ここで?」
「忘れていた」
そんなの、携帯のメモリに登録してるんじゃ……って、そうか。有希は携帯持ってないんだっけ。いつも連絡取るときは自宅にかけるし、そこでつかまるから、あまり意識したことなかったわね。おまけに有希から連絡してくることも滅多にないし……でも、何かのときに連絡しなくちゃいけないときは、知っておいたほうがいいかしら。
有希なら暗記できそうなもんだけど、ま、いっか。
「はい、これでいいでしょ? こういうのは、学校で言ってよ」
「次はそうする」
次? 連絡表作りに次ってないでしょ。ないわよね?
「言葉のあや」
あ、そう。って、いけない! そんなことやってたら、時間が押してきちゃったわ。
「ほら有希、急ぐわよ!」
のんびり歩く有希の手を引いて、あたしたちは急いで鶴屋さんの家に向かった。相変わらず大きな日本家屋だけど、これなら洋装よりも和装の方がよかったかもね。着物っていうのも、なかなか風情があっていいものだし。
「やっ! 待ってたよーっ」
真っ先に学校を出たあたしと有希だけど、あの連絡表とかなんとかでちょっと遅くなっちゃったわ。もっとも、鶴屋さんの家でやるんだから、鶴屋さん本人がいなくちゃ待ちぼうけになるんだけど。
「それでみくるちゃんは?」
「うんっ、もう中にいるよっ。キョンくんと古泉くんはまだだけど、もうすぐ来るっさ。その前にドレスを見てみるかい?」
「もちろん。どんなの?」
「こっちおいで〜」
鶴屋さんに引っ張られて入った屋敷の中、ちょうど中庭に面した一室に通されたあたしと有希は、そこでみくるちゃんと、みくるちゃんが着るドレスとご対面。
鶴屋さんの家のことだから、もうちょっとこう和風な衣装かと思ったけど、マーメイドラインの膝丈ドレスね。体のラインが綺麗に見えるから体型に自信がないとアレだけど、みくるちゃんならバッチリ決まりそうで気に入ったわ。
「あ、涼宮さん」
「やっほー、みくるちゃん。どう、このドレス! やっぱり女の子にとってウエディングドレスは憧れでしょ? 着替え、手伝ってあげるから、さっそく着てみましょう!」
「えっと、そのことなんですけど〜……」
何やらみくるちゃん、苦笑いを浮かべつつちらちらと鶴屋さんを見ている。そんな鶴屋さんは、笑みを顔一面に広げていた。
「それがさ、サイズがちょろんっとみくるに合わないんだよねっ。ほら、胸とかきっつきつでさぁ〜」
「えっ、そうなの? んー……そんなの、サラシでも巻いとけばおっけーよ」
「いやいやっ、それでもさすがにキツイっさ。でもさっ、せっかく出しちゃったもんをそのまま仕舞い込むってのは、ハルにゃんももったいないって思うでしょでしょ?」
「そうね。せっかくだし、着てもらいたいわ」
「な〜の〜でっ」
「え?」
ちょっ、何その喜色満面って言うに相応しいマグネシウム反応のような笑みは!?
「ごめんなさい、涼宮さん」
「へ?」
「諦めが肝心」
「は?」
事もあろうに、みくるちゃんと有希があたしの両手をがっしり押さえてきた。目の前には、だんだん悪の秘密結社の頭首みたいな笑みに見えてきた鶴屋さんのニコニコ笑顔。
ちょちょちょっと、まさかひょっとして……。
「みくるっ! 長門っち! ひンむいちゃえっ!」
「ええええええっ!」
ま、待って! ちょっ、ちょっと待って何であたしが!? 待って待って、待ってってばっ!
「あたしが着たかったんですけど、サイズが合わないんですもの。仕方ないですよね。すっごい残念ですぅ」
じゃあなんでそんな笑ってるのよ、みくるちゃん!? ちっとも残念そうに見えないのはあたしの気のせいじゃないわよね!?
「ユニーク」
ちょっと有希、やっぱりあんた、そう言っとけば済むと思ってるんでしょ!? そう言いながら淡々と人の服脱がさないでよっ!
「ほらほら、ハルにゃんっ! 人間、腹をくくるときは気持ちよくバッサリいっちゃった方が潔しっさ! 悪いようにはしないから、おとなしくしちゃいなっ!」
ああ、もうっ! ホントに、ホントになんていうかもうっ! わかったわよ、あたしが着ればいいんでしょっ!
「さっすがハルにゃん。時間もないし、ちゃちゃっと着替えちゃおうっ!」
もう、こうなったら仕方ないわ。そりゃね、あたしだってウエディングドレスには多少なりとも憧れがないわけじゃないのよ。普段着とは違うものだし、着られるなら着てみたいな〜とは思ってるけどさ。
でも相手がほら、古泉くんだし。それはそれでなんかちょっと抵抗が……いやいや、古泉くんがダメって言ってるわけじゃないの。わけじゃないんだけど、そうじゃなくてなんというか……どうせだったら、隣に立っていて欲しいのは……。
「わおっ! ハルにゃん、すっごいイイよっ」
「ホントに涼宮さん、似合ってますよ。可愛いです」
お世辞でも、そう言ってもらえれば悪い気はしないもんね。って、有希。あんたさっきからカメラで何を撮りまくってるのよ。
「記念」
「いらないわよ、そんなの!」
「でも涼宮さん、あたしが着ていたら写真を撮ってましたよね?」
きょ、今日のみくるちゃんはなんていうか……ちょっと辛口ね。
「それで、キョンや古泉くんはもう来てるの?」
「うん、ハルにゃんが抵抗している間に来て、向こうはスムーズに着替えが済んだみたいっさ」
「それなら、あとはもうちゃっちゃと終わらせちゃいましょ」
はぁ〜……もう、なんでこんなことになっちゃってるんだろ? こういう衣装を着せて映えるのは、みくるちゃんの方じゃない。あたしが着たって仕方ないってのに……。
「ところでハルにゃん、ブーケトスってのはもちろん知ってるよねっ?」
思惑がはずれてややガックリきているあたしに、鶴屋さんがそんなことを聞いてきた。もちろん知ってるわ。
「あれでしょ、教会から出るときに新婦が持ってる花束を投げるやつ。あれがどうしたの?」
「いやあ、実はね、我が家ではちょろんっと赴きが違うのっさ」
「違うって?」
「投げるのは花束じゃなくて、花嫁」
……い、意味がわからないわ。
「我が鶴屋家では、男子ならば愛する伴侶を受け止める器量がなければダメ。女子ならば愛する殿方を信じて身を委ねるのも務め、ってことらしいっさ」
「へ、へぇ……。なかなか個性的ね」
「でっしょ〜っ? な・の・でっ」
鶴屋さんが、それこそ背景に『にやり』って吹き出しが出ていてもおかしくない笑みを浮かべた瞬間、あたしの体がふわりと持ち上げられた。って、有希! あんたなんでそんな力あるの!?
「ひみつ」
「なにそれ!? だいたい、そのしきたりって鶴屋さんの家の話でしょ!? あたしは関係ないじゃないっ!」
「我が家の花嫁衣装に袖を通しちゃったんだから、仕方ないっさ」
「大丈夫ですよ。ちゃんと受け止めてくれますよ」
なに? 何なの!? 今日のみんな、無駄に息がぴったりじゃない!?
それに投げるって……ちょっと、まさか中庭!?
「それじゃ涼宮さん」
「いっくよーっ」
ガラッと音を立てて開く障子。その瞬間、あたしの体が重力から切り離されたかのように、自分でも宙を舞っているのがわかる。有希ったら、本当にあたしのことを放り投げたわ!
「きゃぁぁぁっ」
「うわっ!」
ドシン……って衝撃はなかった。有希がうまく放り投げたのか、しっかりキャッチされたみたい。思わずギュッと閉じていた目を開けると、あたしの体はタキシードに袖を通した両腕にしっかり抱えられていた。
「さ、さすが古泉くん、」
「誰が古泉だ。何なんだこれは!?」
へ?
「きき、キョン!? なんで、え? どうしてっ!?」
「それは俺の方が聞きたい。どういうことだ古泉!」
声を荒げるキョンの視線を辿れば、そこには制服のままで着替えすらしていない古泉くんが、飄々と肩をすくめていた。
「いえいえ、僕はただ、鶴屋さんからの指示を忠実に守っただけですよ」
「え?」
鶴屋さんからの指示……? え、ちょっとまさか!
「うへっ。古泉くん、バラしちゃダメだよっ」
「おっと、これは失礼。失言でした」
何が失言よ、もう! じゃあ何? これって鶴屋さんが全部仕組んでたってこと? ああもう、このあたしともあろう者が、まんまとハメられるなんてっ!
「おいハルヒ、おまえが企んでたことってのはこれのことか?」
「ちっ、違うわよ! そうじゃなく、」
あああああたし、まだキョンに抱きかかえられてたぁっ! これはその、なんていうかちょっと、いや、かなりその、は、恥ずかしいわっ。
「こ、このバカキョン! さっさと降ろしなさいよっ!」
「ばっ、こら暴れるな! 落ちるぞっ」
「だからさっさと降ろせって言ってるでしょっ!」
「ハルにゃ〜ん」
そんなあたしとキョンを見て、にやにやしながら鶴屋さんは、「そのドレス、意外と高いんよ。シミつけないどくれよっ」なんてことを言った。
「へ?」
シミって……あ、そか。足下は雨上がりでぬかるんでるし、こんな真っ白なドレスで降りたら泥だらけになっちゃうもんね。
それなら……うん、し、仕方ないからこのままキョンに抱えられてるしかないわ。ドレスを汚さないためだから、うん、仕方ないのよ。
「ったく、おまえがやりたかったことってのはこれか? 勘弁してくれ」
「ちっ、違うわよ。ホントはみくるちゃんに……それにこれは真似事で、」
呆れたような表情を浮かべるキョンの苦言に、あたしは何故かわからないけれど、弁解じみたことを口走っている。と、まだ何かあるのか鶴屋さんが、笑いを噛み締めているような顔をしている。もう、これ以上、あたしに何をさせようっての!?
「いやあっ、これ以上はまだ先になるっさ。とりあえず、準備は万全だけどねっ」
準備? 万全? って、その紙はなに? え、なんであたしの名前……え、それ婚姻届!? なんであたしの名前が……あたしの筆跡じゃないのそれっ!
「どどどどういうこと!?」
こればっかりは神に誓うわ。あたしはそんなものに名前を書いた覚えはないわよっ!
「んっふふふ。長門っちに協力してもらったっさ。ほら、連絡表」
「でもあれ、普通のノート……有希、どういうこと!?」
そのときのあたしは、けっこうな剣幕だと思うのよね。多少は顔も赤くなってたかもだけど、それでもかなり必死だったつもりなんだけど、有希ったらしれっとした表情のまま。
「カーボン紙を挟んでおいた」
カーボン紙ってあんたっ! それって公文書偽造になるんじゃないの!? 犯罪よ、犯罪!
「うかつ」
とかなんとか言いながら、ちっとも反省してないでしょ!? 黙々と写真なんか撮らないでよ、もうっ!
「ちょっとキョン、あんたも何か言ってやんなさいよ!」
「いやあ……もう、なんていうか、呆れて何も言えん」
「あ、あんたバカじゃないの!? 言うことならいくらでもあるでしょっ!」
「じゃあ、一言だけ」
「……な、何よ」
人のことジッと見て、な、何だって言うのよ?
「あ〜……そろそろ降ろしていいか?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
ホントにっ! こいつはっ! もうなんて言うか……まったくどうしてそこまで鈍感でバカなのよっ!?
「あ……あと、五分くらいは我慢しなさいよね」
あたしも、人のこと言えないけどさ。
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