吉村美代子の奔走 四章

 俺のポケットの中で、しつこいくらいに携帯が鳴っている。鳴っている、というよりもバイブレーションモードにしているので、正確には震えていると言うべきなのだろうか。
 どちらにしろ、長いこと震え続けているってことはメールじゃなさそうだ。俺は正面を見据えたままで携帯を取り出し、ちらりとディスプレイに視線を落としてみれば、案の定、どこからか着信していることを告げている。
「もしもし?」
『こんにちは』
 声を聞けば、誰からの電話なのかすぐにわかった。
「ああ、喜緑さん。どうしたんですか」
『いえ、少し問題が発生してしまいまして。そこであなたにご相談させていただこうかと』
「問題……ですか」
 ここに来る前に、俺は喜緑さんに長門のことを頼んでおいた。その喜緑さんから「相談が」と来れば、それは長門のことだと安易に想像できる。
「長門に何があったんですか」
『察しが早くて助かりますこと。あなたから言付けを授かりましたでしょう? どうもわたし、その役目を果たせそうになくて』
「どういうことですか」
『長門さんの本心……でしょうか』
 長門の……本心、だって?
『どうやら話の根はとても深いもののようです。すべては長門さんからの伝聞情報ですのでそれが真実である保障はございません。ですが、話を聞いてしまったわたしは、やや気持ちがぐらついてしまいまして』
 ぐらついた……ねぇ。
「ぐらついて、どうしたんですか?」
『このままあなたのお手伝いをするのも気が引ける、と。そういうことです』
 つまり、喜緑さんはこれ以上の介入を拒むと言いたいわけか。
 だから、か。
「……何を言ってましたか、長門のやつ」
『守りたい、と』
「それは」
 朝比奈さんが朝比奈さんへと繋がるための未来のことか? それを守りたいと言うことを、喜緑さんは聞いたのか。たとえ朝倉を犠牲にしてもそれを守るという長門の言葉に、あの喜緑さんが懐柔されたって?
『いいえ、違います』
 だが、喜緑さんは俺の言葉をやんわりとした口調で否定した。
『わたしとしては、そういう話だったのかと驚くばかりです。なるほど、朝比奈さんの……。だとすれば、長門さんの気持ちもより理解できるというものです』
「長門の気持ち……?」
『長門さんは、果たして本当に朝比奈さんの未来を憂いて銀河規模での記憶を改変したのでしょうか。未来と同期する術を持たない彼女が、どうしてそのこと知っていたんでしょう。たぶん、知らないのではないかと思います』
「じゃあ、長門は」
『守りたいんですよ』
 喜緑さんは、同じ台詞を繰り返した。でもそれは朝比奈さんのことじゃない、と喜緑さんは思ってる。なら喜緑さんが聞いた話は何なんだ。
『朝倉さんが遺してくれた残してくれた思い出を』
 朝倉が遺した……思い出?
『ただ』
 喜緑さんは、俺の言葉を遮って割り込んできた。
『本当にそれが正しいのか、あるいは間違っているのか、それはわかりません。わからないからこそ、後の判断はあなたにお任せしようと思います』
「どうして俺が。それは俺が決めることなんですか?」
『…………』
 理由を問い質しても電話口の喜緑さんは沈黙を守り、わずかに微苦笑したような雰囲気だけが伝わって来た。
『そちらに長門さんご本人が向かわれました。長門さんが何を思っているのか、直接お聞きした方がよろしいんじゃありませんかしら』
「聞けば答えてくれますか」
『さて、どうでしょう。では、あなたに神様のご加護があらんことを』
 クリスチャンでもないくせに、喜緑さんはそんな言葉を残して一方的に通話を切った。
「……やれやれだ」
 通話の切れた携帯を折り畳み、俺の常套句になりつつある台詞をため息混じりに吐き出しながら、一時も目を離さなかった相手を改めて見据えた。
「ということらしいんだが、説明してくれるのか? 長門」
 俺の言葉を受けて、長門は何を思っただろう。何を考えたんだ? 今の長門からは、何も感じ取れない。感じ取れないまま、朝倉をただ見据えていた。
「どうしてここに来たんだ。おまえ、何をするつもりだ?」
「……何を」
 と、まるで俺の言葉尻を繰り返しただけのような抑揚のない声音で、そう呟く。
「何をすべきなのか、どうすべきなのか、わたしにはわからない。もう……わからなくなった」
 それは本当に長門なのかと疑いたくなった。
 まるで長門らしくない。問いかければいつも断言的に口を開く長門が、このときばかりはまるで迷っているような、悩んでいるような言葉を口にしたんだ。らしくないどころか、本当に長門じゃないみたいだ。
「あなたは、わたしに何を望むの? 何をさせたかったの?」
 疑問系の言葉を並べる長門の目は、絶えず朝倉に注がれている。今の言葉は俺にではなく、朝倉に対して向けられた言葉なのかもしれないが、対して朝倉は何も応えない。答えられる言葉がない、のかもしれない。そんな表情を浮かべている。
「たぶん」
 と、長門は応えない朝倉の代わりに口を開く。言葉を重ねてくる。
「わたしは失う。失うしかない。失うことしかできない」
 ……失う? 何を失うって言うんだ? それは朝比奈さんへの未来に繋がる時間のこと……じゃ、ないと喜緑さんは言っていた。
 そもそも、長門は「失う」と言っている。「失った」ではなく「失う」だ。それなら今はまだ失っていないのか? そもそも長門は……何を失うんだ? 今は何を得ていたんだ?
「長門さん」
 そんな俺と長門のやりとりに何を感じたのか、踏み出してこようとする長門の先手を打つように割って入って来たのは、古泉だった。
「あなたがそちらにいる朝倉涼子と旧知の間柄だということは存じています。久方ぶりの再会でしょうし、思うところは多々あるでしょう。ですが、ここにはそのことを知らない小さなお嬢さんもいらっしゃるじゃありませんか。あまり大袈裟に感激を表して、びっくりさせるのは……やや大人気ない、と言えませんか?」
 そんなことを言う古泉に、俺は少なからず驚いた。こいつが言葉通りの意味を口にするわけもなく、その裏には別の意図があることは言うまでもない。
 つまりこいつは、ここにはミヨキチがいるのだから妙な力を使って無茶な真似はするな、と言っている。
 それは命令してるのか懇願しているのか、そのことにあまり意味はない。それよりも気に掛かるのは、古泉はまったくの部外者であるミヨキチがいる前で長門が宇宙人的パワーを使うなと、暗に語っている。
 俺だってここにミヨキチがいることはわかっちゃいる。わかっているからこそ、側に朝倉がいても長門ならそんな無茶はしないと思っていた。
 どうやらそれは、俺の楽観的な考えだったかもしれない。改めて長門を見ればそう思う。
 俺と長門の間に割り込んできた古泉を前にしても、その視線はまるで揺らいでいない。普段でも古泉を軽くスルーする長門だが、この状況においてさえスルーするとは思えないし、それでも受け流しているのなら、もしかすると、俺にだって目を向けていなかったかもしれない。
「ここで派手に再会を喜ばずとも、お二人は同じマンションに住んでいる近所同士なのでしょう? 何か思うところがあれば、何も僕らがいる前でなくとも……と、思うのですが」
 さらに言葉を重ねる古泉だが、長門はまるで動じない。そもそもこいつが動じることがあるのか、っていう疑問もある。
「やれやれ、長門さんの頑固さには困ったものです」
 人の常套句を奪いながら、古泉は肩をすくめた。
「こうと決めればテコでも動きそうにありませんね。仕方がありません、僕らの方が退散するしかなさそうです」
「いや、待て古泉。そういうわけには、」
「おや、あなたも残られるんですか? では、吉村さんを自宅までエスコートする役目は僕が授かりましょう。僕だけで不安だと言うのであれば、森さん、ご一緒願えますか?」
 古泉に話を振られた森さんは俺を見て、朝倉を見て、長門を見てから、ちらりとフェンスのなくなった屋上から下を眺めて、軽くため息を漏らした。
「そうすることがよさそうですね」
 何を見てそう思ったのか、森さんまでそう言い出した。
「では、あなたには二人をお願いします」
 森さんが何をどう見て「よさそう」などと思ったのか聞きたくなったが、問いかける前に古泉がポンッと人の肩に手を置いて来た。気楽すぐるにも程があると言いたかったのだが──。
「どうにもあまり時間が稼げそうにありません」
 ──俺の耳元に口を近付けて囁いた言葉は、普通に話していた呑気な台詞とはまったく逆で真剣味を帯びていた。
「朝倉涼子が居ることと長門さんのあの態度。状況を詳しく聞きたいところですが、どうもそういう余裕はなさそうですね。こちらはひとまず、この場から吉村美代子さんを遠ざけておきましょう」
「おまえ、」
「長門さんを相手に正面から事を構えるのは得策ではありませんからね。個人的にも、『機関』にとっても。あなたに任せるのが一番でしょう」
 空気の読めていない台詞を散々まき散らしたかと思っていたが、古泉も古泉なりに考えていた、ってことか。
 確かにミヨキチにあれこれ知られるのは問題ありだろうが、かといって今の長門はミヨキチが抑止力になるとは思えない。となれば古泉の選択がベストとは言わないが、急場の今では妥当なところと言えなくもない……が、それはつまり。
「俺がどうにかしなきゃならんのか」
「あなたが望んだことではありませんか」
 事実そうなのかもしれないが、笑顔でそう言われると文句のひとつも言いたくなる。けれど古泉は聞く耳の持ち合わせがないらしく、再度、人の肩を労うように叩くと、俺から離れてミヨキチの方に近付いた。
「では吉村さん、ご自宅までお送りいたしましょう。もう遅い時間です、ご両親も心配されているのではありませんか」
「え、でも……あの」
 爽やかすぎる笑顔で申し出る古泉を前にすれば大概の女性は素直に頷きそうだが、ミヨキチはそれでも躊躇った。うちの妹のできすぎた親友は、そういう娘じゃないというのもあるだろうが、それ以上に何かしら察するところもあるのだろう。事情や理由を知らなくても、長門が醸し出す雰囲気に朝倉の様子、それに俺や古泉、森さんの態度を見ていれば、とても和やかなものじゃないことは誰にだってわかる。
「ミヨキチ、心配すんなって。特に何かあるわけでもないんだからさ」
「でも、その……何か、あの」
 古泉に半ば無理やりに連れて行かれる格好になっているミヨキチは、それでも何か言い残したいことがあるらしい。
 俺はそれをあえて無視した。
「じゃあな、ミヨキチ。また何かあったら連絡してくれ。今日は携帯、届けてくれてありがとな」
「けっ、ケンカはダメですからねっ!」
 無理やりな笑顔を浮かべる俺に、森さんと古泉に連れられて去っていくミヨキチはそんな言葉を残していった。どうやらあいつには、この状況がそう見えるらしい。
 ケンカ……ケンカねぇ。これはどう考えても、ケンカってレベルの話じゃないと思うんだが……どうだろう。どうなんだ? これは結局、どういう話なんだ?
「おまえは何を考えているんだ、長門」
 ミヨキチが森さんと古泉に付き添われていなくなった今、もうそろそろ口を閉ざし続ける必要もないだろ。洗いざらい、すべて話してくれてもいいんじゃないのか?
「何も変わらない」
 けれど長門の言葉は、それでも素っ気なかった。
「わたしが言えるべきことは変わらない。世界は」
 長門は静かに腕を動かして、朝倉を指さす。
「彼女を認めない。朝倉涼子が存在する未来は選べない」
 それは……あれ? その言葉は……いや、違うか。違うな。
「それは朝比奈さんに繋がる未来の話……じゃ、ないんだよな?」
 朝比奈さん(大)はそう言っていたが、けれど喜緑さんは違うと言っていた。朝比奈さん(大)はただこれから先に起きることを知っているだけであって、長門の本心をも覗き込んでいるわけじゃない。だとすれば喜緑さんの言うことが、長門から直接話を聞いたようであり、そっちの方が確かなものであるはずだ。
「わたしはただ、守りたいだけ」
 それは聞いた。
「何を?」
「世界を」
 それも聞いた。
「だからそれは何を、」
 と、聞きかけて、ふと思い出す。長門がこれまで口にした言葉。長門にしては多い言葉数の中で、まだ応えてないことがひとつある。
「何を、失うんだ?」
 長門は「失うだろう」と予測した。「失うしかない」と諦めた。「失うことしかできない」と妥協した。
「それが、朝倉が存在できない理由か? おまえは、何を得ていたんだ」
「すべてを」
「……すべて?」
 抽象的すぎる。それじゃわからないだろ。すべてってのは……なんだ、今ここにいる長門を象っていることすべてを指しているのか? 部室で静かに本を読んでいて、いつも俺たちと一緒にいて、何かが起きたときに力を貸してくれること、それら全部をひっくるめてのことを言ってるのか? それが……朝倉がいると失うって何だよ。まさか朝倉がいれば自分の居場所がなくなるとか、そういうことを言ってるんじゃないだろうな? だったら、勘違いというよりも被害妄想も甚だしいってヤツだ。
「……この世界は、彼女が遺してくれたもの」
「何が? 朝倉が遺したって、何を?」
「すべての始まりは、彼女が独断専行の末にあなたに危害を加えようとした日。あなたは真実を認め事実を受け入れ、わたしが一人になったあの日」
 とつとつと、長門は一年前に朝倉が俺に襲いかかってきた日のことを話し始めた。
「あれがすべての始まり。あの日が今のわたしを取り巻く世界を作り上げた日。今のわたしはただ、その世界を守り続けているだけ」
「あの日が? 何言ってんだ。おまえは少なくとも四年前にはあのマンションにいたじゃないか。朝比奈さんに連れられて、二度も俺は会ってるぞ」
「違う」
 俺がそう言えば、長門は即座に否定してきた。
「それまでのわたしに世界はなかった。わたしはただ、存在していたに過ぎない。そして何より、あなたとわたしが四年前に出会ったことも、それは朝倉涼子に襲われて事実を真実と認めて受け入れた末に訪れた因果。未来によって作られた過去のさらに未来の出来事。すべては」
 長門は、緩慢な動きで持ち上げた腕で朝倉を静かに指さした。
「彼女が何も告げず、独断の末に起こした行動の果てに成り立ったこと。何も知らされず、何もわからず、わたしは彼女を失って得た絆があるからこそ、ここにいる。今のわたしが存在するのも、彼女が遺した行動がもたらしてくれたから」
 だから──と、長門は言葉を続ける。
「わたしはその世界を失うわけにはいかない。遺されたものを守り続けなければならない。それが、わたしがわたしとして出来るわたしだけの守るもの」
 それが、長門が守りたかったものか。朝倉が消えたときに遺した俺たちとの繋がりを守りたいと……でもそれで、どうして今ここにいる朝倉まで消さなくちゃならないんだ。今ここに朝倉がいても、それは守り続けられるものじゃないのか。
「それはできない。できなくなった」
「何故? そんなことは、」
「朝比奈みくるの未来に関わる」
 そうか……と、言われて気付いた。気付いて、それでも……と思うことはある。
「おまえはそのことを知らないと自分で言ったじゃないか。確かにその通りだが、でも前は? この一週間の記憶を上書きしたときは、そうだと知っていたのか?」
「知らない。ただ、何かしらの異変が起きるであろうことは予測できた。それはもしかすると古泉一樹の未来だったかもしれない、あるいはわたしか、あなたのことであった可能性もある。今はただ、朝比奈みくるの未来だっただけのこと」
 予測? そんな予測ができるのか? 朝倉がいることで、誰かしらの未来に必ず何かしらの異変が起きるなんてことが……本当にわかるものなのか?
「そうなるであろうことをあなたは──」
 と、長門は朝倉を指さして。
「──選んだ」
 そう断言した。
「長門さん、わたしは……」
「どうして?」
 呟く朝倉の言葉に、長門はさらに言葉を重ねてくる。こんなにも言葉数の多い長門を見ることになるとは思わなかった。特に、こちらからの問いかけに答えるのではなく自発的にここまで多くの言葉を口にする姿を見るのは初めてだ。
 それだけ、ため込んでいたものがあるのかもしれない。
「どうして何も話してくれなかったの? どうしてわたしに遺そうとしたの? それらすべてがわたしのためだとあなたは言い、わたしもそれは理解している。あなたを礎にして今の世界は成り立っている。けれどあなたは自らを犠牲にした上での世界を築き上げてしまった。あなたが居ては世界が成り立たない。もう戻れない。戻る術もない。誰がどれほど切望しても、あなたが存在することので未来はあり得ない」
 だから長門は朝倉が存在する未来を選べない。選ばない。長門にとって、この世界は朝倉がいなくなることで成り立った世界であり、それを長門は朝倉から託されて守り続けているから。
 だから、長門は朝倉が存在することを認められない。
「……わかってる。長門さん、それはわたしもわかっている」
 長門が言うことが正しいことなのだと、朝倉も認めて頷いた。
「だからわたしは、今ここにいることが正しいこととは思わない。いるべきじゃないと思ってる。いいの。もう……いい」
 達観の境地とでも言うのか、朝倉は何もかもを受け入れて諦め切った表情で頭を振った。
「でも……長門さん、わたしはあなたの未来にまで干渉したくて行動したわけじゃない。自分ができる最善を選んで行動しただけ。だから、あなた自身の行動や考えまで変える必要はないの」
 朝倉は静かに微笑んだ。それが何を思っての微笑みなのかわからないが、けれど諦めの境地でやぶれかぶれで浮かべた表情じゃないことだけはわかる。
「あなたに何も話さずに行動したのは、わたしがわたしの意思で誰からの束縛も受けずに行動したかったから。あなたにも、そうすることの意味を知ってもらいたかったから。だからあなたは、あなたの意思であなたが思うように行動して。わたしはそれをあなたに伝えたかった」
 だから、朝倉は何も言わなかった──か。
「長門さん、ありがとう。あなたはそのことをちゃんと受け取ってくれたでしょう? あなたの意思で同期機能を封印したように、あなたはあなたの意思で考えて行動してくれている。それがわかっているから……それができたあなたを知ったから、伝えたいことが伝わっているとわかったから、わたしはもう、存在する意味はない。理由もない」
「……わたしは……」
 呟く長門の声は、けれど最後まで聞こえない。あえて言葉を飲み込んだのか、それとも言葉にならなかったのか……それは、その姿は……いつか、どこかで。
「世界は彼女を認めない」
 俺の頭の中にチラつく残像を吹き飛ばすように、長門がはっきりした言葉を口にする。
「朝倉涼子が存在する未来は選ぶべきではない」
 長門は静かにそう告げる。何の抑揚もなく、ただ事実だけを告げるように淡々と口にする。まるで呪文のように虚空に向かって放つ言葉を、その言葉を。
 俺は──。
「わたしは選ばない」
「選ぶべきではない、か」
 ──俺は知っている。
 その言葉は、九曜が無理やり流し込もうとした記憶に残っていた言葉だったんだろうか。それとも、俺自身が覚えていたんだろうか。
 どちらかはわからないがそれでも、頭の中でチラつく残像は形になり、今ここにいる俺は知っていて、そしてかき消されたその言葉の続きを俺は覚えている。
「……でも、と。おまえは言葉を続けてたな」
「…………」
 長門は答えない。答えられないのではなく、答えなかった。だからこそ、俺は確信を持って言える。あのときこいつが呟いたその言葉こそ、ギリギリの状況でも隠し通せなかった本心だったんだな。
「おまえはさ、こう言ってたんだよ。『でも、願える未来があるのなら、わたしもその未来を願いたい』てさ。覚えてるか?」
「……わたしは……」
「それが、おまえの本心じゃないのか?」
「……違う」
 静かに否定の言葉を口にして俺を見つめる長門の瞳は、水面に映る夜空のようだった。暗く沈んでいるように見えるが、けれど微かに揺れている。
 それが、俺には心の揺らぎのように見えた。自分で口に出した否定の言葉で心を揺れ動かしているように見える。
「ならどうしてすべて中途半端なんだ? ハルヒの力を借用して銀河規模なんていうスケールのでかい改変までしたのに、どうして九曜やミヨキチが朝倉のことを覚えていたんだ? やろうと思えばもっと徹底して記憶を改ざんすることもできただろ。それに」
 俺が取り出したのは自分の携帯電話。ミヨキチの家に何故これがあったのか、確証のない話だし、実際に本人に確かめたわけでもない。ただそれでも、そうじゃないかと今なら思える。
「俺の携帯、何故かミヨキチの家にあったんだよ。俺はミヨキチの家に行った覚えはないし、ミヨキチの記憶も曖昧だ。けれどこれがあったからこそ、ミヨキチは違和感を覚えることができたし、俺もそこから朝倉のことを知った。たぶん、俺の携帯をミヨキチの家に仕込んだのは……朝比奈さんじゃないのかな」
 朝比奈さん(大)は言っていた。未来っていうのは、今を生きる人が決めるものだと。それは未来に干渉されて決めるものでもないし、逆を言えば過去に縛られて決めつけるようなもんでもない気がする。
 朝比奈さん(大)は当然ながら今のこの状況を知っている。そしてこの状況がどう転ぶかによって、自分が本来いるべき未来がどうなるかわからない、という……恐怖、を覚えているかもしれない。
 それでも朝比奈さん(大)は俺に選択する可能性を残してくれた。朝比奈さん(大)は俺が俺自身の考えで選ぶチャンスを与えてくれた。
 それは、朝倉が長門にしてやりたかったことと同じじゃないか?
「なぁ、長門。おまえ、朝倉を前にしたときに何を思った? 今ここに朝倉がいると知って、おまえはどうしたいと思った?」
「彼女の……存在は歪みになると、」
「違う、そうじゃない」
 そんな理由を聞いているんじゃない。俺が聞きたいのは、そんな取って付けたような理由ではなく、朝倉を前にしたときの長門の率直な気持ちだ。
「世界がどうとか、役割だとか状況とか、そういうことは一切抜きにして、おまえがおまえ自身として何のしがらみもなく思ったことは何だ? 朝倉が存在していることを知ったおまえが、真っ先に思ったことは何だ? 朝倉を前に、おまえはどうしたいと思っていたんだ?」
 言っても仕方のないことかもしれないし、口にすれば叶う話でもない。でも、それでも長門が抱く願いがあるのなら、それを抱え込んで苦しむくらいなら、言葉にして吐き出すくらいはしてもいいはずだ。
「何もできなくたって聞き役くらいにはなれるさ。俺でもな」
「……わたしは……」
 何かを噛み締めるようで、それでいて風に流されかき消えるような小さな小さな言葉を長門は漏らす。
「わたしは、自分にできることならそれを行う」
「わかってる」
 そのおかげで俺たちは助けられてきた。そのおかげで、今こうしてここにいられると言っても過言じゃない。
「でも」
 と、長門は首をわずかに横に振る。
「何もかもを意のままにできるわけではない」
「知ってる」
 それができるなら、今俺の前にいる長門はそんな顔をしていない。けれど、出来ないことがあるからこそ、ここに俺が、俺たちがいることを忘れないで欲しい。
「おまえは、どうしたいんだ?」
「わたしは……」
 言いかけて、長門はわずかに唇を噛む。そうしたように見えた。言うべきかそれとも胸に秘めたままにしておくのかを決めかねているようでもあり、けれどその思いを自分一人で押しとどめられないかのように──。
「居るのなら……居てくれるのなら……それが叶うのなら……わたしも、彼女とともに過ごす未来を……選びたい」
 ──長門はそう言った。
「……だったら」
 そうなんだな、長門。やっぱりおまえもそうだったんじゃないか。
「その願いを、自分で断ち切るような真似はするなよ」
「断ち切りたくない。断ち切りたくはなかったでも……他に方法はない」
「それは……」
 そうかもしれない。長門に思い止まらせるようなことを言い続けていた俺だが、だからと言って他にどうすれば誰もが笑って納得できる結末を迎えられるか、なんて答えは見つかっていない。
 ただ俺は、せめて長門の苦しみを分かち合うくらいはしたかっただけなんだ。他に何もできないからこそ、その気持ちの一部でも肩代わりができればと思っていた。
 俺には、そう思うくらいのことしかできないんだ。
「わたしは今を失いたくない。けれどまた失うこともしたくない。それならわたしは、どうすればいいの?」
「それは……」
「自分一人でできないことがあるのなら、できる人を頼ればいい。簡単な話じゃないか」
 聞こえた声に、俺は心臓が肋骨を突き破って飛び出すほどに驚いた。それほどまでに唐突で、あまりにも場違いな登場としか思えない。
「それにしても、こんなところにいたんだね。いやはや、他所の学舎は不慣れなせいでどこがどう繋がっているのかよくわからない。ひどく時間がかかってしまったよ」
「佐々木……なんで、おまえが?」
 どうしてこの場所に佐々木がいるんだ? 偶然と言うにはあまりにも出来すぎだ。古泉や森さんみたいに「虫の知らせ」で済ませられる話じゃない。
「こんな時間だし勝手に校内に忍び込むのは躊躇われてね。そんな折り、途中で森さんに出会ったんだよ。キミたちが屋上にいると。そうでなければ、ここに来るまでさらに時間を費やしていたかもしれないね」
 森さんに? そういえば立ち去る間際に屋上から下をちらりと見たようだったが……佐々木を見かけていたのか。だから古泉の提案に乗ったのか?
「いや、そんなことでもなく。どうしておまえは北高に来ていたんだよ!? 朝比奈さんから何か聞いたのか?」
「朝比奈さん? ああ、九曜さんのことでの連絡はもらったよ。ただ、彼女のことは橘さんに任せてある」
「じゃあ……どうしてここに?」
「その理由か。何事においても理由付けを必要とする意味はないと思うのだが、確かに僕がここに来た理由はある。最初から不自然な話であったと思うのだが、なるほど、こういう理由があったからなんだね」
「……何の話だ?」
「いやね、どうして藤原さんは僕に橘さんの引き取りを任せたのだろうか、という話だよ。彼の性格だ、自分が面倒になって押しつけただけだと思っていたのだが、どうやら僕に関わらせることそのものが目的だったらしい」
 佐々木が……橘を引き取り? 藤原が押しつけた?
「そのことは偶然なのかな。それとも藤原さんはすべて理解した上での必然だったんだろうか。どちらにしろ、この状況は彼にしても望ましいものではないらしい」
「だから、何の話だ?」
「料亭での話だよ」
 料亭? そう言われても、俺には思い当たる節がまるでない。
「ああ、そうか。キミは覚えていないのかな。でも、そちらの二人は違うね。あるいは僕しか覚えていないんだろうか」
 覚えて……いる? 佐々木が? それは、長門がハルヒの力を使って上書きした一週間の……記憶?
「そう、その通り。僕は覚えている。まったく、世間がまるまる一週間ほど巻戻っているなんて非常識極まりない話だよ。僕の気が触れてしまったかとさえ思った。けれど、そうではないらしい。なるほどね、事情はよくわかった。世界は彼女を認めない、か。ふむ、なかなか詩的な表現をするものだ」
 佐々木は形容し難い独特の笑みを浮かべて見せる。笑っていられるのは佐々木だけのようで、俺はもちろん、長門も朝倉も言葉がない。
「では逆に、世界が認めれば彼女は存在する、ということかな? そういうことだよね、キョン。キミはどう思う?」
「わ……わかるかよ!? なんで、佐々木、おまえなんで覚えてるんだ? 長門、おまえ佐々木だけをどうして例外に、」
「たぶん、そうじゃない」
 混乱の極みにあるであろう俺をなだめるように、佐々木は落ち着いた声音でそう言った。
「一週間を巻き戻すというこの状況を作り出したのは、そちらの長門さんか。そんな真似をするとなれば、それは独自にやったことかな? そんな真似ができるとなれば驚異的だが、監視役にそこまでの権限を与えるとは思えない。ではそこに、何かしらのトリックがあるんだろうね。僕の身のことを思えば涼宮さんの力でも流用したと予測できるが、さて、どうなんだい?」
「そう……らしいが」
 何も答えない長門に代わり、俺が答えると佐々木は「だからだろうね」と頷いた。
「喩えるなら、毒蛇は自分の毒では死なない、ということかな。だから僕は覚えている。影響を受けなかったんだろうね。僕は……そうだな、裏側、なのかもしれない」
「裏側?」
「それよりもさっきの話なんだが」
 俺の疑問を笑みで遮り、佐々木はそう言った。
「キョン、キミは『世界』というものをどう捉えている?」
「世界は世界だろ。漠然として、どうとも言えないじゃないか」
 そう答えれば、佐々木は大袈裟に落胆の色合いを態度に出して見せた。
「キミがそんなことを言うとはね。では僕の持論だが、世界というのは三つの捉え方があると思っている」
 そう言って、佐々木は指を三本立てて見せた。
「ひとつは、辞書を引けば載っているような意味での『世界』。街や国、星、宇宙とかをひっくるめた意味だね。もうひとつは」
 そう言って指を一本倒して見せる。
「個人を取り巻く環境での『世界』。自分とそれを取り巻く状況のことだ。自分本位、と言えばわかりやすいかな。世間ではそのふたつが『世界』という言葉の指す意味合いだと思うのだが……僕らにはもうひとつある」
 佐々木は人差し指だけを立てたまま、そう言った。それが俺にはわからなかったが、けれど傍らの長門が息を呑むような気配を醸しだした。
 それは佐々木も気付いたらしい。呆れつつも安心したような、どこかしら優しさの残る笑みを浮かべた。
「抽象的な表現をすることで具体的な存在を覆い隠そうとしたのかな? それとも直接利用するのを躊躇ったから? あるいは関わりを持たせたくなかった? 自身の立場から、その考えが最初から抜けていたののだろうか。けれどそれは利用することではない。助けを求めることじゃないか。僕が言うべきことではないかもしれないが、長門さん。キミはもっと理解するべきだ。自分を助けてくれる存在が、どれほど多くいるのかを。キョンもそうだし、他の人も力を貸してくれるだろう。特に彼女なら、何を置いても力を貸してくれる。違うかい?」
 彼女、という佐々木の言葉に俺が違和感を覚える暇もなく、校内から聞こえてくるやかましい声。
「ああもうっ! 何なのよいったい!? キョンがどうとか言ってたけど勝手にいなくなって……あれ?」
 文句と苦情をまき散らしながら現れたのは……誰であろう、涼宮ハルヒだった。
 それは宇宙人に言わせれば進化の可能性とやらであり、未来人にしてみれば次元の断裂の原因とやらであり、超能力者にしてみれば神聖視されてるようなヤツであり、そして……ああ、そうか。そうなのか。
 俺たちが大騒ぎしてあれこれ奔走して、それてもどうしようもない状況に追い込まれ、身動きが取れない状況になってもそれでも「それがどうした」と言わんばかりに吹き飛ばしてしまうような『世界の中心』を、俺たちは誰に言われるまでもなく理解していたはずじゃないか。
「キョン、有希も。あんたたちこんなとこで何やって……あれ? あんた朝倉?」
 ハルヒは俺たちを見て、そこに朝倉がいることに気付くや否や、他のことなど眼中にないとばかりに歩み寄ってガン飛ばしでもするかのようにマジマジと睨んでから「うん」とばかりに大きく頷いた。
「やっぱ朝倉じゃない。あんたカナダにいるんじゃなかったっけ? なんでこんなとこいるのよ」
「え、えっと」
「ちょっとキョン!」
 言葉を詰まらせる朝倉をそのままに、ハルヒの矛先がいきなり俺に向いてきた。
「あんた、昼間にあたしに何て言ったか覚えてんでしょうね? 朝倉はいないって言っときながら、何でこんなとこで会ってんのよ!」
 目を爛々と輝かせ、表面上は怒りながらもその裏では「面白そうな企みしてんじゃないのよ」と言わんばかりのハルヒを前に、さすがの俺も身を仰け反らせるだけで精一杯だ。
「いや、それがね涼宮さん」
 そんな俺に成り代わり、佐々木がしれっとした態度で割り込んできた。
「そちらの……朝倉さん、のことを僕はキョンから相談されていたのだよ。いや、もちろん僕におはちが回ってきたのにも理由はある。朝倉さんが……ええと、カナダかい? そこから戻ってきたのはいいけれど、以前の転校から今回の突然の帰還だろう? みんなに合わせる顔がないと悩んでいてね。無関係の僕まで巻き込んで悩みを相談されたわけさ。そちらの長門さんは……ええと、住んでいるマンションが同じなのかな? だから事情も知ってるわけだが、他の人にはどうしようということになってね」
 まるで事情をよく知らないとばかりの演技をしながら、どこかしらしどろもどろに語る佐々木は立派な役者だと思う。ハルヒはそんな説明を受けて、憐憫の情を交えた呆れ顔をしてみせた。無論、それは佐々木に向けたものではない。俺たち……特に俺に向けた表情だった。
「バッカじゃないの?」
 今まで散々奔走し、悩みまくった俺たちのことを、ハルヒは頼もしいほど呆気なく、清々しいほど簡単に、たった一言で切り捨てた。
「そうだろう? 僕もバカらしい話だと思ってね。だから、あれこれ悩んでいるのも面倒だし、彼らには内緒であなたを連れてきたというわけさ。実際に会わせて様子を見せた方が早いと思ってね」
 そんなでっち上げの話をハルヒに説明しながら、佐々木はそれとなく俺に向けてウィンクをしてみせる。そういうことにしておけと言いたいらしい。
「はっは〜ん、なるほどねぇ。佐々木さん、その決断は褒め称えるべき英断だわ。まさにあなたの言うとおりよ。それに比べて……キョン、あんたの考えの浅さには呆れ果てる前に絶望的にもなるわ。そんなツッマンナイ理由でこのあたしに嘘を吐くなんてね。どっちがどれほど重大な罪になるか、微塵も考えなかったワケ?」
 冷ややかな声音で俺を睨むハルヒの目は据わっていた。これはどうにも、俺の立場が極めて危ういものになり兼ねない状況であるらしい。すぐにわかる。
「いや、違う。待て、そうじゃないんだ。だから朝倉のことは、ええとその……戻ってきたというわけではなく」
 朝比奈さんのこともある。佐々木に合わせてハルヒを納得させることが必ずしも最良の判断だとは言い切れない。だからと言って、ハルヒの手前、存在できるできないという話をするわけにもいかず……だったら。
「朝倉は何も北高に戻ってくるわけじゃなくて、ええと……光陽園学院に行くことになるんだよ」
 咄嗟にそんな台詞が出てきたことを、俺は自分でも奇跡的だと思う。もしかすると脳裏に九曜の姿があったからなのかもしれないな、と後になって気付いた。
「光陽園? なんでまたそっちなのよ」
「それこそ朝倉に聞いてくれ。ただほら、戻って来たはいいけど以前と同じように北高に通うわけでもなく、だとすれば朝倉も以前のクラスメイトにいろいろ知られたくないと思うのも……自然だろう?」
「そんなもんかしら?」
 俺の言葉に半信半疑ながらもハルヒは朝倉を見れば、朝倉も朝倉でどうするべきか判断できずにいるのか、曖昧な頷き方をしてみせていた。
「とにかく、朝倉さんは戻ってきた。けれど北高ではなく光陽園学院に行く。そのことを北高生には知られたくなかった、と。ああ、なるほど。そういう話なのか。だったら先に話してほしかったよ。そうだと知っていれば、涼宮さんを連れてこなかったんだけどね」
 佐々木はどこまでも白々しく、けれどハルヒに現状を「そういうものだ」と確認させるようなことを口にした。連れてこなければよかった、なんて台詞は、逆にそう言っておけば負けん気の強いハルヒことだ、無理やりにも関わってくるだろうと見越しての一言だろう。
「はっは〜ん、だから誰にも知られたくなかったってわけね」
 どうして佐々木はこうも人心を見透かす術に長けているんだろう。ハルヒは「そうは行くもんですか」とばかりに目を爛々と輝かせた。
「そんな話にあたしを省こうだなんていい度胸ね。いいわ、面白そうな話じゃない。あたしも乗せてもらうわ」
 乗せてもらうということは、ハルヒもそれで納得したということになる。つまり、良くも悪くも世界の中心であるハルヒが、朝倉がいるということを認めることになった。
 これは……だからつまり、世界が認めない、という抽象的な話の根底が覆ったんだ。
「認めないなら認めさせればいい。子供でもわかる簡単な理屈だろう?」
 ハルヒに聞き取れぬように、佐々木が小声でそう囁いた。
 まったくだ。まったくもってその通りだ。こんなにも簡単で単純な話だったんじゃないか。結局、俺はもちろんのこと、万能と思っていた長門でさえどうしようもないと諦めていた話でも、ハルヒなら簡単に解決しちまう。ハルヒが「そう」と決めて認めたのなら、世界の常識だってひっくり返るんだ。誰にだって文句は言えない。言わせやしない。
 そんなこと、今さら思うまでもなく当たり前の話だったじゃないか。
「ああ……」
 張りつめていたものが切れたかのように、ため込んでいたものすべてを吐き出すように、長門がか細く声を漏らしてへたり込んだ。
「長門!?」
「長門さん!?」
 俺も朝倉も驚きと戸惑い混じりに長門を見る中、真っ先に駆けつけて手を差し伸べたのはハルヒだった。俺だってもちろん手を差し伸べるが、それでも真っ先に駆けつけるのはハルヒなんだ。
「ちょっとキョン! あんた、有希に何やったのよ!?」
 どうして俺のせいにするんだ。
「……違う」
「え、なに? 何が違うの?」
「すべての責任は……わたし。でもそれを……救ってくれて……」
「え、何? どういうこと?」
 ハルヒは訳がわからないという顔をしているが、俺にはなんとなくわかる。
 それは謝罪なのだろう。相談も話すこともしないで無理を通そうとして心配させた俺とハルヒへの、そしてもう一度消そうとしていた朝倉への、謝罪の言葉だ。
「朝倉のことで一番悩んでいたのは、長門だったんだよ」
 戸惑っているハルヒに向かって、俺はその一言を告げておく。それは間違いではないし、事実そうだと思う。
「なんだ、そうだったの」
 そう言っておけば、ハルヒなら必要なことすべてを言ってくれるだろう。何もわからずとも、すべてを理解しているのが……たぶん、ハルヒなんだ。
「あのね有希、何か悩みがあるのなら、キョンなんかに頼ったところで解決なんかしないわよ? こんな雑用に任せるくらいなら、あたしを頼りなさい。どんな悩みだろうがパパッと解決してあげるんだから」
 何やら余計な台詞が所々に混じっているが……この際だ、目をつぶってやるか。
「有希は何でも知ってるし何でもできるけど、それでもどうしようもないことだってあるんでしょ? だったら自分一人で解決しようとしないで、あたしたちを頼りなさい。それが友だちってもんじゃない」
 長門を包み込むように抱きしめながらハルヒはそう言って、長門はずっとハルヒにしがみついたままで小さく頷いた。
 小さな子供が母親に泣きながら謝るように、ただ頷いていた。