【Respect redo】吉村美代子の憂鬱 一章

 サンタクロースの存在を信じる信じないは別として、毎年十二月二十四日になれば、アメリカとカナダが共同運用する北米航空宇宙防衛司令部が『サンタクロース追跡作戦』を実施しているのは有名な話で、二〇〇五年には五〇周年を迎えたそうです。もちろん洒落でそんなことをしているんだと思いますけど、そこはさすがにスケールの大きい外国での出来事と言いますか、本格的に上空の探査を行っているみたいで、もしそこで見つけることになったら大騒ぎになって大変なことになりそうですけれど、それもやっぱり夢があっていいことだと思います。
 それと似たこと……なのかどうかはわかりませんが、天文学の分野では宇宙からの赤外線……あれ? 紫外線だったかしら? ともかくそういう電波の計測で、宇宙人のメッセージらしきものを見つけ出そうとする動きもあるようです。もし仮に宇宙人から発信された電波を受信した際には、確証が得られるまで国家機密レベルで情報を保持しなければならないとかなんとか、そういう話が本当にあるみたいです。
 超能力にしたってそうですよね。あるわけない、とか思ってる人は大半ですが、アメリカとかでは非公式ながらも霊能探偵とか、そういうのが警察などに協力しているわけで、ひとつのお仕事として成り立っていることに驚きです。しかも予知能力なんて、まるで実際にそうなることがわかっているかのように、未来を覗き見てきたかのような的中率を誇るそうですよ? それってつまり、信じてないと公言しつつも「もしかして」と思ってる人が多くいるから成り立つのであって、一概にすべてを否定できない話なんだと思います。
 かくいうわたしは、そういうのは「あればいいなぁ」くらいに思っている程度なんです。わたし自身にアニメ的コミック的はたまた特撮的なヒーローみたいな力があるわけもなく、周りにそれらしい人たちはいないと思ってます。思ってます、っていうのは、実際に確かめたわけじゃないから「もしかすると?」って思う気持ちが少なからずあるわけで……そういうのも、冒頭で述べたようなサンタクロース追跡作戦とか、宇宙人からのメッセージ受信とか、霊能探偵とかと似たような気持ちでの「もしかすると?」なんです。
 やはりそういうものは身近にないから希少価値があるのであって、あちこちに未来人や宇宙人、超能力者が居たら、有り難みがなくなっちゃいますよね。
 だから、もしかするとどこかにいるんじゃないかなぁとは思いつつも、わたしの周りには現れないんだろうなぁっていう……なんて言いますか、諦めに似た心境があるんですよね。諦めているから、目の前でそういうのを見せられても、何かしらのトリックがあるんじゃないか? って疑うんだと思うんです。
 ですから、口で自分が未来的宇宙的あるいは超能力的な存在だと言われてもすぐには信じられませんし、実際にやって見せてもらってもどこかしら疑いの眼差しというのは残ると思うんです。
 それが健全で常識的な物の見方、考え方だと思うんですけど……違うんでしょうか?
「いや……うん、そうだね。いやはや、まったくもってその通りだと思うよ。異論も反論もない、見事な持論であると認めざるを得ないね。吉村さんはまだ小学生だったかな? 六年生か。確かに小学生でもそう思うであろう、至極真っ当な意見だし、それに異議申し立てができるような言葉なんて、僕には一言だろうとありはしないさ。確かにその通りだ」
「え? はぁ……どうも」
 だったら何故、そんなことを佐々木さんは聞いてきたのかしら?
 わたしが今、こうして佐々木さんと百貨店に店舗を間借りしているカフェのオープンテラスでお茶を飲んでいるのは、本当に偶然ですもの。
 百貨店まで出てきたのはちょっとした買い物があったからで、佐々木さんはそんなことを知っているはずもなく、そんなわたしの姿を見て声をかけた佐々木さんだって、そこをわたしが通りかかるのは予想していなかったと思うんですよね。
 そうやって出会ってお茶をしていたら、佐々木さんの方から「宇宙人や超能力者や未来人についてどう思う?」なんて聞いて来たんです。だから正直に答えたんですけど……でも、わたしの返事で会話が終わってしまうような答えしか佐々木さんが用意してないのは、ちょっとおかしいかなぁって思うんですよね。
 いつもは、どんな話であれ会話が途切れるような振りをしてくることもないんですけど。
「あのぅ……何かあったんですか?」
「うん? 何が?」
「いえ、何か佐々木さんらしくないなぁって思って」
 佐々木さんとは、家族ぐるみのお付き合いをしているんです。いわばわたしのお姉さんみたいな人で、ときどき勉強を見てもらってたりしています。明朗快活で着眼点も鋭く、頭の回転も早くて……ちょっと男の人みたいな口調が気になることもありましたけど……そんなところを抜きにしても尊敬……と言うか、憧れと言いますか……ともかく、そういう人なんです。
 だから、今みたいな奥歯に物が挟まったような口籠もり方はいつもと違くて、ちょっと気になっちゃうんですよね。
「いや、たいしたことじゃないんだ。うん、確かに吉村さんが言うような目で超常的な出来事を見ることは当たり前のことだと思うし、それが正しい認識だと僕も自覚している。ただねぇ……なんというか、うーん……ああ、そうだ。吉村さん、これから少し時間はあるかい?」
「え? ああ、はい。お買い物も済ませちゃいましたし、あとはもう帰るだけでしたから」
「それは何より。いや実はね、このお店にあなたを誘ったのは、僕がこの店を知人との待ち合わせ場所にしていたからなんだよ。もしよかったら、会ってみないかい? 僕としては是非とも、という気分なんだけれど」
「それは別に構いませんけれど……でも、どうしてですか?」
「それにはまぁ、海よりも深く、山よりも高い理由があって──」
「佐々木さ〜ん」
 言葉を遮って聞こえたのは、佐々木さんを呼ぶ声でした。発言主に目を向ければ、わたしよりも年上で──ええっと、佐々木さんとは同い年くらいかしら? ツインテールにまとめた髪を揺らしながら、笑顔で近付いてくる女の人がいました。
「やあ、橘さん」
「お待たせしちゃいました。あら? そちらのお嬢さんはどなたかしら?」
「ああ、彼女が吉村さんだよ。前に少し話したでしょう?」
 わたしがキョトンとしていると、佐々木さんがそういう自己紹介をしてくれました。前から話していたって、いったいわたしの何を話していたんですか?
「あ、初めまして……」
「ああ、あなたが吉村さん? ふーむ、そうなのですね。わかりました、あとはあたしと佐々木さんを信じていれば、必ず幸せになれるのです」
「……え? あ、幸せ……って?」
「大丈夫なのです。これから一緒に頑張りましょう!」
 えーっと……あの、佐々木さん? この、今にも壷を売りつけてきたり、幸せを祈らせてくれと言い出しそうな方は……ええっと、どういったご関係なのでしょうか?
「あ、よっこいしょ」
 わたしの正面、つまり佐々木さんの隣に腰を下ろしたツインテールのお姉さんは、名前を橘京子と言いました。まるで自分の名前なんて二の次と言わんばかりの適当な自己紹介です。まずは幸せ云々の前にそっちを言うのが先なんじゃないかなーって思うんですけど……思っちゃダメなのかもしれませんね。
「あのぅ……それでその、一緒に頑張りましょうってどういうことでしょう……?」
 ともすれば後ろに身を仰け反らせそうになる体をなんとか垂直状態で保ちながら尋ねてみると、橘さんはエヘンと咳払いをして、授業中に自分の自慢話をする先生みたいにテーブルに両手をついて身を乗り出してきました。
「あたしたちは戦っているのです」
 ああ、なるほど。戦って……はい?
「敵は五人組です。その結束力は固く、如何にあたしたちでも個々のままでは太刀打ちできないのです。そんなとき、どうすればいいか解ります?」
「……はぇ? あ、えっと……なん、でしょうか?」
 話している内容を頭の中で処理しきれないうちに問いかけて来るなんて、不意打ちじゃないですか。つい、聞き返してしまいました。
「あたしも解りませんでした」
 聞き返すんじゃありませんでした。
「……はぁ」
 ため息とも返事とも取れる吐息が、口を割いてこぼれちゃいます。何をおっしゃりたいのかさっぱりなんで、そろそろ帰ってもいいでしょうか……って佐々木さん? どうしてそっぽ向いてるんですか? そっちを向いて見えるのは、パントマイムをしている大道芸人のおじさんくらいですよ。確かにちょっと見てたいなぁって思いますけど、今の状況でそんなことをされちゃうと、現実逃避にしか見えないのでやめませんか?
 そもそもこの橘さんというお姉さんは、佐々木さんのお友だちじゃないんですか?
「でもあたし、気がついたんです」
 佐々木さんに「こっち向け」念波を送っていたら、橘さんの方に届いちゃったみたいです。北極星くらいにまばゆい目の輝きを浮かべちゃってたりして、ずいっと身を乗り出して来ました。
 ………………。
 え? あ、もしかしてここはわたしのターンなんですか?
「何を……でしょう?」
「こちらも結束力を高めればいいのです!」
 あー……なんて言いますか、何て言えばいいんでしょう? もしかしてここは拍手喝采をしなければならないシーンなんでしょうか。もしくは、「ですよね!」って応えるべきなのかもしれませんけど……うーん、ごめんなさい。わたし、小学六年生の若さですべてを投げ捨てたくないです……。
「あの……それでそのぅ、何をなさりたいんでしょうか?」
「こちらもチームを作ります!」
 まるで背後に波しぶきが見えるような雄々しい宣言ですが、わたしにはさっぱり関係ないことなので、結局どうでもいいかなーって気分なのは……うん、バレないようにしないといけませんね。
「そういうわけで、共に手を取り合い、一緒に頑張りましょう」
 やっぱり興味なしさ加減を醸し出す態度をしておくべきでした。
「あのぅ……なんでわたしも?」
「一人足りないからです」
「た、足りないって……」
 どうやら橘さん、相手は誰でもよかったみたいです。
「敵は五人一組。けれどこちらは四人なのです。一人足りません。あたしも八方手を尽くして適切な人材を捜そうとしましたが、『これだ!』という人がいなかったのです。残念でなりません」
 橘さんの眼鏡にかなう人がいるのであれば、それはそれで同情を余儀なくされる人生を歩まれている方だと思わずにはいられない……あれ? もしかしてそれって、今の状況だとわたしのことなのかしら?
「そこで佐々木さんにも相談したのです。そうしたらあなたのお名前が出て、あなたしかいないと!」
 ちょっ。
「いや、そうじゃないんだ」
 パントマイムの大道芸を遠目ながらも堪能していた佐々木さんは、そこでようやくこちらを向いてくれました。ええ、充分遅いです。
「僕は何も吉村さんを推薦したわけじゃない。ただ、キミがキョンの妹さんと親友だったということをね、口にしただけなんだ。そうしたら橘さんは、これ以上の適材な人物はいないだろうと言いだし、是非とも会わせてくれと懇願されただけであって……つまり、そういうことなんだよ」
 そういうことってどういうことなのか、あとでしっかりきっちり聞かせていただきます。そもそも、なんでわたしがお兄さんの妹と親友だからって、それが高ポイントになるのかさっぱりです。
 これじゃまるで、橘さんに予め狙われていたようで……うん? あ、あーっ! もしかして、佐々木さんとここでお会いしたのは偶然じゃなかったんですか? お茶に誘ってくださったのも、すべてわたしを橘さんと会わせるためだったんですね!?
「い、嫌ですよ、わたし! なんでわたしがそんなことに巻き込まれなくちゃならないんですか!」
「今後は、ここを集合場所にしましょう」
 聞いちゃいませんね、わたしの話……。
「あの、わたしはそのぅ、五人に一人足りないから巻き込まれ……ええと、スカウト? されたように思うんですけど、残り二人の方はどこにいらっしゃるんですか?」
 橘さんはちっとも人の話を聞かなそうなので、これはもう、残り二人が至極真っ当な方であることを祈るばかりです。せめてそういう方にきっちりお断りの一言を伝えておかなければ、泥沼に足を取られるかのごとくダメになりそうですもの。
「一人はいつも時間に遅れます。まったく、未来人なのに時間にルーズなのは如何なものでしょう」
 ……え? み、未来人……って?
「もう一人はそちらに」
「え?」
 いったい何のことでしょう? 誰もいない空席となっているわたしの隣の席を指さすものですから、ついそこを見て。
「わっ!」
 いったいいつからそこにいたのかさっぱりですけど、生まれてから一度も美容院にも床屋にも行ったことのない座敷童みたいな女の人が、わたしのダージリンティをずずずっと飲んでいました。
「だっ、誰ですかあなた!?」
 その人が、いったいいつからそこにいたのか、わたしにはわかりませんでした。最初にこのお店にやってきて席に着いたときは、わたしと佐々木さんの二人だったのは間違いありません。その後は自分の真横の席です、誰かが座れば気づきそうなものですがそれもなく、誰もいないと思い込んでいたから気にも留めなかったんです。
 だからこの座敷童さんは、まるで床から生えてきたような印象があるんですが……。
「って、それ、わたしのですよ! 飲まないでください」
「──────」
 えぇ〜っ、なんでそこで睨むんですか? わたし、睨まれなくちゃならないようなこと言ってないですよね? ねっ!?
「それじゃ追加で注文しておくよ」
 佐々木さんがひらりと手を挙げて、ウエイトレスさんを呼びました。人のもの取っちゃだめって教わってないんですか、あなた。
「同じものでいい?」
「あ、それなら別ので」
「────抹茶ぜんざい昆布茶付き────」
 って、なんでこの人が注文してるんですか。それもぜんざいて。昆布茶付きて。西洋風のカフェに、そんな純和風のメニューなんか、
「かしこまりました」
 あるんだ!? ウエイトレスさん、何の躊躇いもなく伝票にチェック入れてるってことはあるわけで……あれ、なんでこの人、そんなメニューを知ってるんですか? もしかして、ここって行きつけのお店?
「少々お待ちください」
 あ、あの、わたしまだ何も注文してない……いえ、いいです。もういいです。
「その人が九曜さん。周防九曜さん」
「────────」
 橘さんが紹介してくれますが、その周防さんは「だからどうした」と言わんばかりに人のダージリンティをずずずっと飲んでます。自分も注文したのに、どうやら返してくれる気はないみたいですね。
「あの、この人がそのぅ……橘さんが言うところの仲間の方なんでしょうか?」
「そうなのです」
 ああ……やっぱり何ていいますか、類は友を呼ぶという話は本当みたいです。どうやらこの人もダメっぽいです。橘さんとは別の意味で言葉が通じなさそうです。こんな人たちしかいないんでしょうか?
「それにしてもビックリです。その九曜さんが初対面の人とそこまでうち解けている姿を見るのは初めてなのです」
 ごめんなさい、どこをどう見てうち解けているのかきっちり説明していただけないでしょうか? わたし、なんだかいじめられてる気分なんですけど。
「やはりあなたが適任なのです。ともに頑張りましょう!」
 だから頑張りません! 橘さんだけでも困りものなのに、九曜さんまでセットでいられたらお手上げです。むしろ、この二人だけでお腹いっぱいです。
 そもそもこの二人が一緒にいて……えっと、戦ってる? とか言ってるその相手に、とても負けると思えません。充分勝ってると思いますよ。常識の範疇で言えば負けてるとは思いますが……ともかく! あなたたち二人セットなら向かうところ敵なしでしょうから、わたしはいなくてもいいですよね?
「うーん、もう一人はやっぱり来ないですね」
 そりゃ来ないですよ。常識ある人なら、来るわけがありません。
 …………。
 わっ、わたしも常識ありますよ! ここにいるのは成り行きなんですから、仕方ないじゃないですか!
「それならそれで、先にチーム名を決めちゃいましょう。いろいろ候補を用意してきたのです」
 それよりも先に、わたしを解放してくれないでしょうか……なんていうわたしの期待を他所に、橘さんはつらつらと頭が痛くなるようなチーム名を並べ立てます。
「……どうして全部、最後は『団』になってるんですか?」
「その方がカッコイイからです」
 どうやらわたしが思うかっこよさと、橘さんが思うであろうかっこよさには大きな隔たりがあるようです。周防さんは興味なさそうにしてますし、佐々木さん三歳くらいの男の子が無意味に手を振っている姿に、笑顔で手を振り替えしたりして気だての良いお姉さんを演じています。
「と、この十個くらいが候補なのですが、どれがいいでしょう」
「ど、どれもいいんじゃないでしょうか……どうでも」
「ですよねっ!」
 どうやらわたしの慎ましやかな嫌味は通じないみたいです。
「それで、どれがいいですか?」
「……へ?」
「チーム名です。今の候補の中から、選んじゃってください」
「あー……」
 すみません、三つ目くらいから聞いてませんでした。
「じゃあ、二番目ので」
「了解なのです。あたしもそれがいいんじゃないかと思っていたのです」
 どうやら橘さんも、どれでもよかったと思ってたような口調です。もっとも、それはわたしとは違う意味のでどうでもいいということで、この人の場合、候補としてあげていたチーム名ならどれを選んでも満足していたみたいです。
 そのチーム名ですが……あー、あまり口にしたくないですが、言わないとダメっぽいので言わせていただきます。
 世界に、平和と、慈しみを与える、橘京子の団。
 略して……んー、略さない方がよさそうなのでやめておきます。むしろ、略しちゃったら人様の前で口にできない英単語になりそうなので、皆様も略さないようにお願いします。
 ああ……はやく帰りたい。
「僭越ながら、まとめ役はこのあたしがやらせていただきます。本来なら佐々木さんが適任なんだけど、遠慮しておくと言われちゃいました」
「僕には荷が重すぎるからね、適材適所というヤツさ」
 逃げましたね、佐々木さん。適材適所というのなら、わたしがここにいないことこそが適材であり適所だと思うんですが、そろそろ観念してわたしの話を聞きませんか?
 いえ、こうなったらもう聞かなくてもいいです。わたしも学習しました。この短時間で学習しちゃう自分もどうかと思いますし、されちゃう相手にも問題アリだと思いますが、とにかくわたしは、自分の意見をしっかり言っておこうと思います。あとで「聞いてなかった」と言われても、それは聞いてない方が悪いじゃないですか。
 そう思ってわたしが大きく息を吸い込んで口を開こうとしたとき、
「おまたせいたしました」
 絶妙のタイミングでウエイトレスさんがやってきました。先に注文していた抹茶ぜんざい昆布茶付きを持ってきたみたいで、虚を突かれたわたしは口を閉ざすしかありません。こんな頭の痛くなるようなお話なんて、人様に聞かれたくないですもの。
 ため息を吐いて、頭の中で言っておくべき台詞を反すうしていると、わたしの目の前を抹茶ぜんざいと昆布茶が通って──。
「え……?」
 人のお茶を飲んでいた周防さんが、何の前振りも予備動作もなく、抹茶ぜんざい昆布茶付きのトレーを持っていたウエイトレスさんの腕を掴んでいました。そんなことをされたウエイトレスさんも驚愕顔です。
 何やってるんですか、この人!?
「────────」
「あ、あのお客さま……?」
「────それ────」
 ちらりともウエイトレスさんを見ることなく、周防さんが口を開きました。
「────番茶────」
「……え? あ、も、申し訳ありません。すぐに変えてきます」
 周防さんがゆるゆると手を離すと、ウエイトレスさんはそのまま慌ててキッチンの方へ戻って行きました。
 どうして周防さんが口を付けていない飲み物の中身が、注文した品と違うとわかったのかは謎ですが、それよりも何よりもこれだけは言わせてください。
 いつまで人のダージリンティを飲んでるんですか。
「──────返す────」
 改めて届けられた抹茶ぜんざい昆布茶付きを手に入れたことで、周防さんはようやくわたしのダージリンティを返してくれました。
 もちろん中身はカラッポですよ。ええ、即店員さんにカップも下げられちゃったので今は水を飲むしかないわけで、注文した商品がなくなった以上、さっさとお暇するのがお店側に対する客の誠意ある対応だと思うんですが、皆さんはどう思ってるんでしょうね。
 そもそも周防さん、なんで微妙にわたしから距離を取ってるんですか。さりげなく抹茶ぜんざいに腕を回さないでください。別に取ったりしませんし、くれとも言いません。
「────────」
 はぁ〜……もう、その三日はエサにありつけなかったメスライオンみたいな目つきはやめてください。わたしはぜんざいよりもお汁粉派なんです。
「それで」
 わたしは漏れるため息を隠そうともせずに口を開きました。ある種、今のわたしはそこいらの修行僧よりも悟りの境地に近付いているのかもしれません。
「いったい何がしたいんですか?」
 これまで散々、橘さんは戦っているだのなんだのと言ってましたが、具体的なことは何一つ……ええと、チーム名? それを決めたくらいで、実際の活動情報については何もおっしゃってません。そもそも戦っているって、いったいどんな戦い方をしてるんでしょうか? 血で血を洗う抗争に巻き込まれるのなんてゴメンですよ、わたし。まだ小学生ですし、セーラー服を着ていなければ、機関銃の扱いなんてちっともわからないんですから。
「そんな現実離れした夢物語を語ってもらっても困るのです」
 ……ここってもしかして、怒るべきところなんでしょうか。
「戦う以前に、まずあなたは敵をのことを知っておくべきだと思うのです。敵を知り、己を知ればということですね」
 あ、凄い。なんだかちゃんとまともなことを言ってるような……って、だめだめ。よくよく考えると橘さんの発言です。橘さんこそ、自分の……そのぅ、言動について、客観的な視点から理解した方がいいですよね。説得力ゼロだということに、今さらながら気づきました。
「まず、敵の一人はホルスタインなのです」
「ほる……牛さんですか?」
「似たようなもんです」
 いったい何と戦ってるんですか、あなたは。
「その幼い容姿に庇護欲をそそる言動にだまされちゃいけません。嫉妬しそうなボディラインは、同性として精神的ダメージは絶大です。間違いなしです」
 ……あー、つまりプロポーションの話なんですね。確かに橘さんは……いえ、何でもないですが、わたしはまだ成長期ですもの。まだまだこれから……ですよね?
「二人目は微笑みの詐欺師です」
 さ、詐欺師さんなんですか? それはまた……それこそ警察にお任せしちゃった方がよろしいんじゃないでしょうか。
「表情にはいつも笑顔を張り付けて、口八丁であちこち誑かしているのです。彼の戯れ言に耳を傾けてはいけません。笑顔も何ですかあれは、流行に乗っかるつもりですか。ハニカミに対抗したいのですか。ハンカチも一緒にしちゃえばいいじゃないですか。あんちくしょー」
「……あ、まずお水でも飲んで落ち着きません……?」
「や、すみません。個人的な確執があるもので、少し熱くなってしまったのです」
 もしかして、橘さんもその詐欺師さんに欺されちゃったことがあるんでしょうか。だとしたらご愁傷様としか……えっと、それわたしのお水なんで、自分の飲んでください。あ、佐々木さん、そんな気を遣ってお冷やのおかわりしてもらっても困るんですけど。
「三人目は歩く国会図書館です」
「……はい?」
「いっつも本ばかり読んでいます。そのくせ妙に人気があるのです。思わずジェラシー感じちゃうほどなのです。その人気の一部を分けてもらいたいくらいなのです」
 いったいどこでどんな人からどのような人気を得ているのか知りませんが、その言い方ってあれじゃないですか、すでに敗北宣言じゃないですか?
「そして、残る二人が強敵です」
「は……はぁ」
「一人は唯我独尊の我がままな神様もどきなのです。はた迷惑な願い事を次々叶えて、周囲はてんてこ舞いです。本来ならその力も……いえ、それは追々ご説明しますが、ともかく! その人が敵一味のリーダー格なので、素人がウカツに手を出しちゃ大変なことになってしまいます。注意しましょう」
「それはまた……大変ですね」
「そして最後、影の実力者とも言うべきその人こそが、真のラスボスなのです」
 ラスボスって……もしかしてこれ、何かしらのゲームのお話に切り替わってるんでしょうか? 橘さん相手だと、そういうことが実際にありそうで困っちゃいます。話について行くだけでいっぱいいっぱいですよ。
「巷ではあらゆる噂がはびこってるのです。フラグクラッシャーなどの二つ名が有名ですが、個人的な感想を言わせていただければ、クラッシュどころかブレイクしてそうな気がするのです。あちこちでフラグを立てまくってはブレイクしまくってます。かくいう佐々木さんだって被害者なのです」
「え?」
 と、声を出したのはわたしじゃありません。これまで、まったくちっともさっぱり助け船を出してくれずに、パントマイムを見学していた佐々木さんでした。ご本人も、ここでまさか自分の名前が出るとは思ってなかったみたいです。
「僕は別に、何もされてないよ」
「またまたご冗談を。別に照れなくていいのです。隠すこともありません。ええ、あたしにはごりっとお見通しなのです」
「いや、だからね」
「共に過ごした中学時代。二人を別つ進路の壁。忘れないでと伝えたはずが、気付けば一年音沙汰ナシ。ようやく届いた愛しい便りは、量産プリントの年賀状。嗚呼、無惨」
 ……これ、お水ですよね? お酒じゃないですよね? 大丈夫ですか、橘さん。
「離れても心は繋がっているなんて、甘い幻想なのです。夢見がちな乙女じゃ喰っていけないのです。男なんて信じるのは間違っています。その結果がこうです」
 ビシッと指さされた佐々木さんは、心底困ってる風でした。
「あのね、橘さん。だから僕は別に、」
「かといって、あたしも鬼じゃありません。人の色恋沙汰に口出しするのは野暮ってもんです。むしろ、応援するのが仲間として、親友として当たり前じゃありませんか」
 えっ!? 佐々木さん……橘さんと親友だったんですか? あー……ごめんなさい、あまり人を色眼鏡で見るのはよくないことだってわかっていますけど……なんと言いますか、佐々木さんを見る目が変わっちゃっても怒らないでくださいね。
「吉村さん、誤解のないようにあらかじめ断っておくけれど、僕はまだ橘さんとは親友と呼び合えるほどの友誼を結んでいないよ。関係性を客観的かつ的確に表せば、知人と呼ぶのが適切なんだ。それだけは忘れないでもらいたい」
「とまぁ、佐々木さんはこのくらい照れ屋さんなので、あたしたちがバックアップしてあげなくちゃならないわけで」
「……あのねぇ……いや、もういい。好きにしてくれ」
 なんとなく……ええ、なんとなくなんですけど、佐々木さんが今まで傍観していた気分がよくわかりました。下手に口を挟むと、さらに自爆しちゃうからだったんですね。
「とまぁ、敵の情報はこんな感じです。お分かり頂けたでしょうか」
「はぁ……まぁ」
 まったくわかってないですが、ここで「わからない」と言えば、同じ話を延々聞かされそうなので、わかったフリをしておくのが賢明ですね。
「そんな連中は一人でも手強いのですが、敵の軍団発足はわたしたちよりも一年以上も前で、団結力も確かなものです。今日にめでたく発足した我らエス」
「あーわーあーっ」
「……なんですか?」
「あ、いえ、何でもないです」
 何でもなくありませんが、余計なことを言うのはやめておきましょう。
「それで、ええっと世界に平和と慈しみを与える橘京子の団が、なんですか?」
「はい。わたしたちは、個々の能力では互角かと思いますが」
 や、待ってください。話を聞く限り、その敵とやらの一味も、なかなか困った感じが漂っているんですが、そんな相手と互角だと言い張る橘さんたちも、かなりの困り者集団ってことになりませんか? あれ、その中にわたしも入ってます?
「まだ団結力という点で負けているのです」
 スルーされちゃいました。
「そこで! 敵との遭遇を前に、我々も団結力を高めようではありませんか!」
 高らかに宣言し、橘さんはショルダーバッグをごそごそ探って、何やらチラシっぽいものを取り出しました。
「…………温泉?」
「そうです。旅はいいものです。普段とは違う日常の中、まだぎこちなさが残る我々の仲も、一気に距離を縮めてくれます。かくいう敵対勢力も、山に海に出かけているとの情報を入手しております。しかし、あたしたちは相手の真似をするつもりはありません。真似したところで、並ぶことはできても追い抜けないからです。なので行く場所は、向こうもまだ言ってない温泉をチョイスしました。我ながらナイスアイディア」
 いやその、大前提の『旅行』ってとこがパクリ以外の何ものでもないじゃないですか。
「もう宿は予約してあります。明日、出発です。朝早いです。今日は帰ってすぐに寝ることをおすすめします」
「え? いや、でもわたし、学校が」
「安心してください。あたしたちも学校はありますが、自主休校です」
 ちょっと。
「それに吉村さんの学校はあれです、明日は開校記念日で土日も含めて三連休になっているはずです。あたしの情報網をナメないでもらいたいですね」
 なんで知ってるんですか。ストーカーですか、あなたは。
「こうしちゃいられません。ともかく今日のミーティングはこれにて終了なのです。あたしは何かと準備があるので、これにて失礼します。ではまた、明日に」
「え? あ、あのちょっと、その」
 ええっとぉ〜……行っちゃいました。やること済ませたと言わんばかりに、微塵も躊躇いがない足取りで、さっさとお店から出て行っちゃいました。
「──────ババロアセット、追加──────」
 周防さん、まだ食べるんですか!? まぁ、食べている分には実害もなさそうなのでいいんですが……それよりも、こちらをちっとも見ない佐々木さんに、そろそろ話を振ってもかまいませんよね?
「では、説明していただきましょうか」
 嵐のようにやってきた橘さんが、足の速い台風のように去って行き、同じく残っている佐々木さんに、剣呑な眼差しと強めの語尾で、わたしは問い詰めていました。
「説明と言っても、橘さんがあれこれ話していた通りのことだと思うよ」
 肩をすくめ、すっかり温くなったであろうブレンドコーヒーのカップに口を付けながら、佐々木さんはそんなことをおっしゃいます。
「僕が吉村さんのことを橘さんに話したら、会う機会を作ってくれと言われたのさ。初めにそう言えばよかったのかもしれないが、僕にもいろいろ思うところがあったわけだよ。こうなることは安易に予想できた。ただ、それでどうなるか予測が付かない。ならば実際に会わせてみるのが一番だと判断したまでさ。彼女はキミに好意を抱いたようだけれど、逆にキミは橘さんに対してどんな印象を抱いたんだい?」
「どうって……」
 それまたキツい問い返しですね。悪い人じゃないなーってことはわかるんですけど、うーん、どういうワケか好意的な表現が何も思いつかない不思議な人ですね。無駄にテンション高いなーって思いましたけど。しいて言えばエキセントリック? でしょうか。褒め言葉じゃないですよねぇ、これ。
「くっくっ……言い得て妙とはまさにこのことだ。確かにエキセントリックな言動が目立つし、ハイテンションだったことは間違いない。でもいつもは……いや、もしかすると素がああなのかもしれないけれど、ここ最近はそうでもなかったんだよ」
 そうなんですか? あの橘さんが落ち込むことなんて……そうですね、楽しみにしていたデザートが冷蔵庫の中から忽然と消えていたか、消費期限を過ぎていたかのどちらかって時くらいじゃないんでしょうか?
「さて、それで落ち込むことがあるかもしれないけれど、いつまでも引きずることではないだろう? けれど最近は本当に……何というか、落ち込んでいる……いや、苛立っている……うーん、上手く表現できないが、どちらにしろダウナー方面に感情がシフトしていたことは間違いないね。それなのに今日はあの調子だ。嬉しかったんじゃないのかなぁ、吉村さんに会うことができて」
「そこまで喜ばれる理由がよくわからないんですけど……」
「僕だってわからないよ。もしかすると僕の勘繰りすぎのような気もするし、そうじゃないかもしれない。でも、僕としてはホッとしている。彼女とは親友と呼び合うほど親しい時間を過ごしていないが、それでもまったくの他人だと言い捨てるほど、距離を置いているわけでもない。知人が気落ちしている姿を見続けるよりは、楽しんでいる姿が見られるのは喜ばしいことじゃないかな?」
 それはそうですよ。イライラしてたり、げんなりしている人が近くにいれば、まったく見知らぬ他人でもそういう感情って伝播しちゃうものですし。
 でも。
「それらしい、いい話で懐柔しようとしてません?」
「んー……」
 あ、目を逸らしましたね?
「なかなか鋭いね」
「あーのーでーすーねー」
「いや、悪かった。正直すまないと思ってる」
 っん、もう! そんなイタズラがバレた子供みたいな笑顔でごまかされませんからね!
「いやでもね、橘さんが落ち込んでるっていうのは本当の話。たぶん、変わると思っていた日常に何の変化も見られなくて、退屈してるんじゃないのかな?」
「それこそ、橘さんが話してた敵の一味とかいう人たちに遊んでもらえばいいじゃないですか」
「それが……ねぇ、相手にされてないから」
 ……それってちょっと……不憫というか何というか……もしかして橘さん、一人空回りして暴走しちゃうタイプなんですか?
「つまるところ、暇を持てあましているというわけさ。いや、僕だって口を酸っぱく、何度もやめた方がいいと言ったよ? 焦らずじっくりと説得し続けたさ。それこそ偏差値が二〇は足りない受験生に、無謀な受験はやめろと説得する生徒指導の教師みたいにね。それでも通じないのだから、残されるのは中にとどまって暴走を止めることだろう? それが最善の選択だと思わないかい?」
「人様に迷惑をかけるのであれば、そうですね、近くにいる人が止めるべきだと思います。でもそれって、わたしの役目じゃないような気がするんですけど」
「うーん、何故だろう。橘さんの頭の中では、吉村さんも勘定に入っているような気がするな。万が一の不測の事態が発生した場合、知らぬ存ぜぬが通せるといいのだけれど」
 ちょっ、待ってください。何ですか、その妙にリアリティある脅迫は。もしかしてわたし、抜け出せない泥沼に片足どころか首まで浸かっちゃってるんですか?
「なんであれ、明日からの温泉旅行くらいは付き合ってくれないかな。そのくらいだったらいいだろう? どうやら僕も一緒に行くことになるようだし、親御さんもそれで説得してみてはくれないか? そもそも無料で行けるみたいだ。今後のことは、それから決めても遅くないだろう?」
 もう充分手遅れだって思えるのは……わたしの気のせいじゃないですよね。
「それじゃ吉村さん、また明日」
 あああああの、えっと……はぁ〜、佐々木さんも行っちゃいました。
 どうしようかなぁ、明日。どちらにしろ、もう一度くらいは橘さんに会って、きっちりお断りの意思を伝えないとなぁって思いますけれど。
 温泉かぁ……そこまで行きたいと思ってるわけじゃありませんけど、行くしかないんでしょうか。
 どうも決心が付かないでいるわたしですけれど──。
 ガタンッ!
 と、真横で椅子を引く音で、口から心臓が飛び出しそうなほど驚きました。って、周防さん、あなたまだいたんですか? って、ババロアまだ食べてたんですね。
「──────これ、あげる────」
「え? あ、どうも……」
 何かよくわかりませんけれど、周防さん、自分が食べかけのババロアをわたしに押しつけて席を立ちました。
「────また────明日────……」
「は、はぁ……」
 結局、周防さんは何しにここに来たんでしょう? 食べるだけ食べて、残り物をわたしに押しつけて帰っちゃいましたけど……ああもう、よくわかりません。わたしも、今日はこれで帰ります。明日のことは……うーん、今はまだ保留で。
 ……あれ? そういえば、橘さんの話だと、あと一人……仲間? がいるんですよね。その人、結局姿を見せてないんですけど……うぅ〜ん、ま、いいですね。どうせ橘さんのお知り合いですもの、会わずに済むならそれでよさそうです。正直な話、まったく興味ありませんから。
「あ、お客様」
「はい?」
 家に帰ろうとレジの前を通って外に出たところで、店員さんに呼び止められちゃいましたけど……何でしょう?
「お会計、消費税込みで二五二〇円になります」
 ……えぇっ!?