2001年7月27日

以下の文書は、神奈川高教組第61回定期大会における発言のために準備したものですが、家人のケガのためにその対応に追われ、所定の時間に発言する機会を逸してしまいました。そのため、大会二日目に議事運営委員会を通して、代議員に配布されたものに若干の修正を加えたものです。

 内容は、私の訴訟について職場の皆さんへの「中間報告」となっているものですので、資料として掲載します。よろしくお読み下さい。なお、中陣訴訟の進行協議の2回目が9月7日(金)に予定されていますことを書き添えておきます(中陣唯夫)。







中陣訴訟の中間報告と訴訟で見えてきたも

                                    中陣 唯夫

 大会にご出席の代議員のみなさん、ごくろうさまです。

 昨年、県教育委員会の『人事異動要項』を反故にした不当人事で異動させられた秦野層屋高校分会の中陣です。幸い昨年5月の中央委員会で、これに対し高教組の組織をあげて支援していくことを正式決定していただいてから、早いものでちょうと一年が経ちました。この間、本部執行部はもとより、組合内外から6回の公判の傍聴をはじめ物心両面にわたる支援をいただいてきました。この場を借りて厚くお礼を申し上げます。

 さて、議案書では、県人事委員会を被告とした不当人事取り消し請求訴訟について、「横浜地裁において6回にわたる口頭弁論が行われ、双方の主張が繰り返されています」とテロップのようにアッサリ書かれていますので、争点について補足発言をしておきます。

 争点は、原告の私が「勤務条件に関する措置の要求」として@県教委は転任命令の理由を明らかにすること。A県教委はこの転任命令を撤回すること、の二点について、労働基本権制約代償機関である県人事委員会に措置するよう要求しているのに対し、被告の県人事委員会は、@異動理由を明らかにすることは、給与。勤務時間その他の勤務条件ではないから、措置の対象とはならない。A転任命令の撤回は、任命権者(教育長)がその判断と責任において行うべき管理運営事項であるので、措置要求の対象とはならない、としている点にあります。判例でもこうした判断の不当性は明らかになっているところですが、異動や不当人事が、勤務条件の範疇に入らないとすれば、それによって被る職員・公務員労働者の不利益はどこが、誰が救済するのでしょうか。

 率直に言えば、ここには「お上のやることには間違いありません」とする県行政の機構があります。

 県教育委員会の委員も県人事委員会の委員3名も議会の同意を必要とするものの、いずれも県知事の任命であり、その委員で構成する教育委員会が教育長を任命するのですから、事実上は教育長の任命も知事の権限なのです。

 任命する、任命されるという関係で県知事と教育委員会、教育長、人事委員会、人事委員長の五者は、県の行政について「間違いございません」と認めあう共同体的な関係になっているのではないでしょうか。視点を変えていえば、県行政や政策について非を唱える教職員は、この五者にとっては「快からぬ」存在という点で一致しているのです。具体的に言えば、岡崎知事の県政のスタンス―それは岡崎知事を知事にした政治勢力の利害を土台にしたはずのものですが―例えば97年5月発足の神奈川県のリストラ政策である「行政システム改革の推進」や「新人事評価システム」導入の前提となっている99年6月策定の「人材育成マスタープラン」などに逆らう、非を唱えるような教職員は、〈人事で始末を付ければよい〉ということになってしまうわけです。

 人事委員会に訴えても「教育長がその判断と責任において行うべき管理運営事項であるから間違いない」と却下して、岡崎知事の政治姿勢を擁護する機関になってしまうのは、決して認めるわけにはいきませんが、この五者の共同体的な関係からすればわかりやすいことであります。つまり、不当配転を県教育委員会がおこなっても、その是非をチェックする体制がこの五者の間にはないということです。こうした土壌の下で、県知事の政治的支持母体が「議会活動」を通して、不当な「服務」攻撃をして、教育を戦前のように特定の政治勢力の支配下に置こうとしている――。これは、言うまでもなく教育基本法10条の教育行政の中立に違反しているわけです。ここにもはっきりと「反動化」の波があらわれているのであります。

 中陣訴訟はこうした背景で起こされ、こうした構造の下で闘われていると私自身は認識しております。したがってこの訴訟の結果が、「指導力不足教員の処遇」を法制化した地教行法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)の運用や「新人事評価システム」の具体化に微妙な影響を与えていくことは必至だと考えております。

 ひるがえって神奈川高教組大会議案の柱の一つ「職場・組織」の分析と方針をみますと、こうした点についての求心的解明や運動の系統的提起が不十分ではないか、それを率直に指摘しておきたいと思います。また、話し合い路線、協議路線といわれる「連合」路線で対抗して闘っていけるのか――、それはともかく、今日の現場の教職員のやりきれない思いに応えているのだろうかという疑問も禁じ得ません。大会論議を通じて、この点が補強されたらと期待しております。

 中陣訴訟は訴訟を起こした時点から時代と社会の教育問題を反映し、その意義を体得しながら「一人歩き」をはじめています。これは私自身がどうこうできるというものではありません。

 私は、教育と子どもたち、そして私たち教職員を取り巻く厳しい状況の打開に、いささかでもこの訴訟が寄与できればと決意を新たにしております。これからもよろしくご支援のほどお願いしたします。


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